MENU

鋼鉄の森に沈む声を聞く – クアラルンプール、光と影の食紀行

熱帯の湿った空気が、飛行機を降りた瞬間から全身にまとわりつく。常夏の国、マレーシア。その心臓部であるクアラルンプールに、僕、隆は再び降り立った。食品商社の仕事で、あるいは純粋な食への探求心に駆られて、この街を訪れるのはもう何度目になるだろう。

ペトロナスツインタワーが天を突き、巨大なショッピングモールがきらびやかな光を放つ。多民族がそれぞれの文化を花開かせ、美食の都として世界中の旅行者を惹きつけてやまないエネルギッシュな街。それが、僕の知っているクアラルンプールの姿だった。

だが、今回の旅には、いつもとは違う目的があった。きっかけは、ある環境ジャーナリストの記事だった。そこには、こう書かれていた。「クアラルンプールは、海に沈みつつある」。

内陸の都市であるクアラルンプールが、海に? 最初は意味が分からなかった。しかし読み進めるうちに、それが単なる比喩ではないことを知る。急速な都市開発による地盤沈下、気候変動がもたらす海面上昇の影響、そして年々激しさを増す都市型洪水。物理的に「水」の脅威に晒されているという現実。そして、それは同時に、近代化の巨大な波に飲み込まれ、声なき声が「沈んで」いく社会の姿を映し出している、と記事は結ばれていた。

光り輝く発展の裏側で、何が起きているのか。僕が愛してやまないこの街の喧騒の奥底で、どんな声が押し殺されているのか。それを自分の目で見て、肌で感じ、そして何より、この街の「食」を通して理解したい。僕の旅は、そんな少しばかり重たいテーマを胸に抱いて始まった。きらびやかな摩天楼の足元に広がる、光と影の迷宮へ。僕はこの街の本当の顔を探しにきたのだ。

目次

輝きの頂点、ブキッ・ビンタンの熱狂

旅の始まりは、いつもこの場所からだ。クアラルンプールの心臓部であり、欲望と消費の中心地、ブキッ・ビンタン。Grab(配車アプリ)の車を降りると、むせ返るような熱気と、高級ブランドの香水の匂い、そして様々な言語が入り混じる喧騒が一気に僕を包み込んだ。

目の前には、巨大なショッピングモール「パビリオンKL」が女王のように君臨している。そのファサードを飾る巨大なLEDスクリーンには、最新のファッションやコスメの広告が絶え間なく流れ、道行く人々の顔を色とりどりに照らし出す。ヨーロッパの老舗ブランド、日本の最新ガジェット、アメリカのファストファッション。世界中の富と流行が、この一点に凝縮されているかのようだ。

40代も半ばに差し掛かった男が一人で歩くには、少し気恥ずしいほどの華やかさ。しかし、グルメライターとしての僕は、この輝きの内側にある「食」の動向を見逃すわけにはいかない。僕は人波をかき分けるようにして、パビリオンの隣に立つ「Lot 10」へと向かった。

お目当ては、その地下にあるフードコート「十號胡同(ロット・テン・フートン)」だ。マレーシア各地の有名老舗屋台の味を一同に集めた、いわば「B級グルメのオールスター」。空調の効いた清潔な空間で、汗をかくことなく名店の味を楽しめるというコンセプトは、観光客や富裕層に絶大な人気を誇っている。

豚のひき肉と甘辛いタレが絶妙な「金蓮記」の福建麺(ホッケンミー)。炭火で焼かれた香ばしい香りが食欲をそそる。もちもちとした太い麺に、ダークソイソースの濃厚な味が絡みつく。うん、美味い。間違いなく美味い。隣のテーブルでは、シンガポールから来たという家族連れが、夢中でチリクラブの殻を割っている。その隣では、中東からの観光客と思しきカップルが、初めて見るチェンドル(かき氷デザート)に歓声を上げていた。

これこそが、クアラルンプールの「光」だ。多様な文化が混じり合い、新しい価値を生み出す。経済発展がもたらした豊かさは、食文化をより洗練させ、多くの人々を幸福にしている。清潔で、安全で、美味い。文句のつけようがないじゃないか。

僕はもう一品、何を食べようかとあたりを見渡す。漢方スープで煮込んだ豚肉料理、肉骨茶(バクテー)の老舗「寶香綁線肉骨茶」の屋台が目に入った。しかし、その瞬間、ふと違和感が胸をよぎった。

このフードコートは、完璧すぎるのだ。本来、屋台というものは、もっと混沌としていて、猥雑で、不衛生すれすれの場所に根付くものじゃなかったか。汗だくの親父が中華鍋を振り、飛び散る油や湯気がもうもうと立ち込める中で、プラスチックの椅子に座って食べる。それが、僕の知るアジアの食の原風景だった。

もちろん、時代は変わる。衛生観念も向上し、快適さが求められるのは当然のことだ。このフードコートの存在を否定するつもりは毛頭ない。むしろ、老舗の味を未来に残すための、一つの優れた解なのだろう。

それでも、拭えない既視感があった。それは、まるで精巧に作られたジオラマを見ているような感覚。本物の熱気や生活感が、一枚の薄いフィルターで濾過されてしまったような、そんな物足りなさ。

この輝きは、誰のためのものなのだろうか。

この快適な空間で福建麺をすする僕と、かつて路上で汗まみれになって同じものを食べていたであろう人々との間には、見えない壁があるのではないか。この街の発展は、その壁をより高く、より強固にしているだけなのではないか。

旅の最初に抱いたテーマが、早くも頭をもたげてくる。僕はレンゲを置き、冷たい中国茶を一口飲んだ。まだ旅は始まったばかりだ。答えを急ぐ必要はない。まずはこの街の光を、もう少しだけ浴びてみよう。そう思い直し、僕は地上へと続くエスカレーターに足を乗せた。外に出ると、夕暮れの気配が漂い始めていた。ブキッ・ビンタンのネオンが、これから始まる夜に向けて、さらにその輝きを増そうとしていた。

ジャラン・アローの喧騒、食が繋ぐ一夜の夢

陽が落ち、ブキッ・ビンタンのネオンサインが熱帯の夜空を焦がし始めると、人々の流れは一本の通りへと吸い寄せられていく。ジャラン・アロー。クアラルンプールで最も有名な屋台街だ。

一歩足を踏み入れると、そこはもう別世界だった。Lot 10の洗練されたフードコートとは対極にある、欲望とエネルギーが渦巻く混沌の空間。道の両脇には、赤いプラスチックのテーブルと椅子がびっしりと並べられ、その隙間を埋め尽くすように人々がひしめき合っている。

「サテ!サテどうですか!チキン!ビーフ!」 「フレッシュジュース!マンゴー!スイカ!」

客引きの威勢のいい声が、マレー語、中国語、英語、そして僕には分からない様々な言語で飛び交う。炭火で焼かれる肉の煙、ニンニクと唐辛子を炒める刺激的な香り、ドリアンの甘くも危険な匂い。あらゆる匂いが混じり合い、鼻腔をくすぐり、胃袋を直接掴んで揺さぶってくるようだ。これだ。僕が求めていたアジアの熱気は、これなのだ。

僕は人混みをかき分け、ひときわ賑わっている一軒の店先に陣取った。店名は「黄亜華小食店(W.A.W Restaurant)」。ここの手羽先(チキンウィング)は、ジャラン・アローの代名詞とも言える一品だ。

注文を済ませ、タイガービールで喉を潤しながら待っていると、やがて艶やかな飴色に輝く手羽先が皿に乗って運ばれてきた。一口かぶりつく。パリッとした皮の下から、じゅわっと肉汁が溢れ出す。甘辛いハチミツベースのタレと、炭火の香ばしさが口の中いっぱいに広がる。骨の周りの肉までしゃぶり尽くし、指についたタレを舐める。ああ、なんて官能的な美味さだろう。

周りを見渡せば、誰もが同じように、夢中で手羽先にかぶりついている。肌の色も、話す言葉も、着ている服も違う人々が、この熱気の中で、同じものを食べ、同じように顔を輝かせている。隣のテーブルに座った欧米人のバックパッカーの若者グループが、初めて食べるサテの味に大騒ぎしている。その向かいでは、地元の家族が、週末のささやかなご馳走を楽しんでいた。

食は、最も原始的で、最も強力なコミュニケーションツールだ。言葉が通じなくても、「美味い」という感情は共有できる。このジャラン・アローの喧騒は、国籍や身分、貧富の差といった、人間が作り出した様々な境界線を、一夜限りで曖昧にしてくれる魔法の空間のようにも思えた。これもまた、クアラルンプールが持つ、紛れもない「光」の一面だ。多様性を受け入れ、それをエネルギーに変えてしまう力強さ。

しかし、その魔法のような光景の中で、僕はふと、店の奥で黙々と手羽先を焼き続ける若い男の姿に目を留めた。彼の額には玉の汗が光り、その表情には笑顔はない。ただひたすらに、流れ作業のように手羽先をタレに浸し、網に乗せ、裏返し、皿に盛る。その一連の動作に、喜びや情熱といった感情は介在していないように見えた。それは、生活のための「労働」そのものの姿だった。

僕らが享受しているこの「美味い」という喜びは、彼の、そしてこの通りで働く多くの人々の、感情を押し殺した労働の上に成り立っている。もちろん、それはどこの国でも、どんな商売でも同じことだ。しかし、この剥き出しの熱気の中では、そのコントラストがより鮮明に見えてしまう。

観光地化されたジャラン・アロー。その活気は、巨大な観光産業というシステムに組み込まれ、消費されるために最適化されたものなのかもしれない。僕ら観光客が落とす金が、彼らの生活を支えているのは事実だろう。だが、その金の流れは、本当に彼らを豊かにしているのだろうか。それとも、彼らをこの過酷な労働から抜け出せないように縛り付けているだけなのだろうか。

「沈みゆく」という言葉が、再び脳裏をよぎる。この喧騒の海の中で、彼らのような人々は、ただ流され、もがいているだけなのかもしれない。

ドリアンの王様と呼ばれる「猫山王」の屋台から、強烈な匂いが風に乗って運ばれてきた。好きな者にはたまらない芳香、嫌いな者には耐え難い悪臭。光と影、熱狂と疲弊、喜びと労働。このジャラン・アローという通りは、まさにクアラルンプールという街そのものの縮図のようだった。

僕はビールを飲み干し、勘定を済ませて席を立った。手羽先の甘辛い味が、まだ口の中に残っている。それは紛れもなく幸福な味だったが、同時に、どこかほろ苦い後味を残していた。夜はまだ深い。僕の探求は、この街のさらに奥深くへと向かうことになる。

チョウキットの朝、生と死が交差するマーケット

ブキッ・ビンタンのホテルで迎えた、ガラス窓越しの静かな朝ではない。けたたましいクラクションの音と、イスラムの礼拝を呼びかけるアザーンの響きが混じり合って、僕を眠りから引き剥がした。今日は、クアラルンプールのもう一つの顔を見るために、早起きをしたのだ。目的地は、チョウキット・マーケット。観光客向けのセントラル・マーケットとは一線を画す、地元民の胃袋を支える「生」の市場だ。

Grabを降りた瞬間、空気が変わった。洗練されたブキッ・ビンタンとはまるで違う、むき出しの生活の匂い。ドリアンと生ゴミと排気ガスが混じったような、強烈で、しかしどこか懐かしいアジアの匂いだ。

マーケットの入り口に立つと、そのエネルギーに圧倒される。特にウェットマーケットと呼ばれるエリアは圧巻だった。薄暗い通路の床は常に濡れていて、滑らないように足元に気をつけながら進む。両脇には、所狭しと店がひしめき合っていた。

目の前で、巨大なナマズがまな板の上で断末魔の喘ぎをあげ、男の手で手際よく解体されていく。飛び散る血飛沫。隣の店では、山と積まれた鶏が、客の注文に応じて次々と首を落とされ、羽をむしる機械に放り込まれていく。その機械の轟音が、マーケット全体に響き渡っていた。

生と死が、ここでは何の躊躇もなく隣り合っている。僕らがスーパーマーケットのパック詰めの肉に見慣れてしまい、忘れてしまった「食」の原風景がここにはあった。命をいただく、という行為の生々しさを、まざまざと見せつけられる。

野菜や果物が並ぶエリアは、色彩の洪水だった。真っ赤な唐辛子、紫色のナス、緑色の葉野菜。そして、ランブータン、マンゴスチン、ジャックフルーツといった、日本では見慣れない熱帯の果物が、甘い香りを放っている。ヒジャブを被った女性たちが、真剣な眼差しで野菜を吟味し、店主と値段交渉を交わす。そのやり取りには、日々の食卓を預かる主婦の逞しさが滲み出ていた。

ここで働く人々、買い物に来る人々の顔つきは、ブキッ・ビンタンやジャラン・アローで見たものとは明らかに違っていた。観光客向けの笑顔はない。そこにあるのは、日々の生活を必死で、そして力強く生きる人々の真剣な表情だ。しかし、その眼差しは決して暗くはない。むしろ、生命力に満ち溢れている。

僕は、小さな屋台でナシレマを注文した。ココナッツミルクで炊いたご飯に、サンバル(チリソース)、揚げた小魚(イカンビリス)、ピーナッツ、ゆで卵が添えられたマレーシアの国民食だ。バナナの葉に包まれただけの簡素なものだが、一口食べると、その複雑で深い味わいに驚かされる。サンバルの辛味、ココナッツライスの甘み、イカンビリスの塩気と食感。すべてが渾然一体となって、口の中に広がる。これでたったの2リンギット(約60円)。

隣で同じようにナシレマを食べていた工事現場の作業員らしき男が、僕ににこりと笑いかけた。「Sedap?(美味いか?)」と。僕が「Sangat sedap!(すごく美味い!)」と返すと、彼は満足そうに頷き、再び食事に戻った。

このマーケットには、Lot 10のフードコートにあったような洗練さはない。ジャラン・アローのような観光客向けの華やかさもない。しかし、ここには「生活」そのものがあった。人々が生きるための食、日々の糧を得るための労働。その剥き出しの営みこそが、この街を底辺で支える、揺るぎない土台なのだ。

だが、この力強い生命力のすぐそばに、深い影が落ちていることにも気づかされる。マーケットの外れに広がる路地裏。そこは、チョウキットのもう一つの顔、マレーシア最大のレッドライトディストリクト(売春街)へと続いている。昼間でも、所在なげに立つ女性たちの姿や、虚な目をした若者たちの姿が目に入った。貧困、ドラッグ、犯罪。都市が光を増せば増すほど、その影は濃く、暗くなる。このマーケットで力強く生きる人々も、一歩間違えればその影に飲み込まれてしまう、危うい境界線の上に立っているのかもしれない。

「沈みゆく」という言葉の意味が、また一つ、別の側面を伴って僕に迫ってくる。経済的な格差の海、社会のセーフティネットからこぼれ落ちた人々が沈んでいく暗い海。その深淵を覗き込んだような気がして、背筋が少し寒くなった。

チョウキット・マーケット。ここは、生命力と退廃、逞しさと脆さ、光と影が、生々しいコントラストを描きながら混在する場所だった。この街の本当の姿を理解するためには、輝く摩天楼からだけでなく、この濡れた地面からも見上げなければならない。僕はバナナの葉を丁寧にたたみ、マーケットの喧騒を後にした。ナシレマの辛さが、まだ舌の上でヒリヒリと燃えていた。

カンポン・バル、開発の波に揺れる最後の聖域

チョウキットの混沌から逃れるように、僕は歩いて数分の場所にある、まったく異なる世界へと足を踏み入れた。カンポン・バル。その名はマレー語で「新しい村」を意味するが、皮肉なことに、ここはクアラルンプールに残された最も「古い」場所の一つだ。

視界が一変した。ついさっきまでいた喧騒が嘘のように静まり返り、目の前には低層の伝統的なマレー様式の木造家屋が立ち並んでいる。ニワトリがのんびりと道を横切り、軒先では猫が昼寝をしている。時間の流れが、ここだけ違うかのようだ。

そして、そののどかな風景の背後には、まるで異次元から突き出てきたかのように、ペトロナスツインタワーをはじめとするKLCC(クアラルンプール・シティ・センター)の摩天楼が聳え立っている。過去と未来、伝統と近代が、あまりにも唐突に、そしてあまりにも美しく対峙している。この非現実的な光景こそ、今のクアラルンプールを象徴しているのかもしれない。

カンポン・バルは、19世紀末にイギリス植民地政府によってマレー人のための保留地として設立された。そのため、土地の所有権はマレー人のみに限定され、外国資本や他の民族による大規模な開発から守られてきた。クアラルンプールがどれだけ近代化しても、この場所だけは「聖域」として、昔ながらの暮らしとコミュニティが保たれてきたのだ。

僕は、細い路地を気の向くままに歩いた。家の庭先には、パパイヤやバナナの木が植えられ、色鮮やかなブーゲンビリアの花が咲き乱れている。すれ違う人々は、穏やかな笑顔で「サラム(こんにちは)」と挨拶をしてくれる。どこかの家からは、スパイスの効いた料理のいい匂いが漂ってきた。

その匂いに誘われるように、一軒の小さな食堂の軒先で足を止めた。店先には、大皿に盛られた十数種類のマレー料理が並んでいる。いわゆるナシ・チャンプル(ぶっかけご飯)の店だ。店の奥で鍋をかき混ぜていた人の良さそうな女将さんと目が合い、にこりと微笑まれたので、吸い寄せられるように中へ入った。

ご飯を皿によそってもらい、指をさして好きなおかずを選んでいく。牛肉をココナッツミルクで煮込んだルンダン、魚のカレー、数種類の野菜の炒め物。盛り付けられた一皿は、茶色く地味な見た目だが、その味は驚くほど豊かで、複雑で、そして優しかった。家庭で受け継がれてきた、おふくろの味。派手さはないが、毎日食べても飽きないであろう、滋味深い味わいだ。

僕が夢中で食べていると、女将さんが「どこから来たんだい?」と話しかけてきた。日本からだと答えると、「遠いところから、よくこんな小さな店に」と目を細めた。

「この辺りも、ずいぶん変わってしまったよ」

女将さんは、窓の外にそびえるツインタワーを見上げながら、ぽつりと言った。

「昔はね、あんな高い建物はどこにもなくて、空が広かったんだ。夜になれば満点の星が見えた。でも、今見えるのはビルの明かりだけさ」

彼女の話によると、このカンポン・バルでも、再開発の話が何度も持ち上がっているという。政府やデベロッパーは、近代的な高層マンションや商業施設を建設するため、法外な買収額を提示して土地を手放すよう住民に迫っている。一部の住民は、その提案を受け入れて土地を売却し、この地を去っていった。しかし、多くの人々は、先祖代々受け継いできた土地と暮らしを手放すことを拒んでいるという。

「お金はたくさんもらえるかもしれない。でもね、お金で買えないものがあるだろう?隣近所の繋がりとか、子供の頃から見てきたこの景色とか。それを失くしてしまったら、私たちはどこへ行けばいいんだい」

女将さんの言葉が、胸に突き刺さった。

「海に沈む」というテーマが、ここでは比喩として、しかし非常にリアルな意味を帯びて立ち現れる。近代化という巨大な津波が、この最後の聖域を飲み込もうとしている。高層ビル群は、まるでその津波が作り出した巨大な波頭のようだ。そして、この伝統的な暮らしは、今まさに波に洗われ、沈みかけている小舟のように見えた。

この対立は、単純な善悪で語れるものではない。都市の発展、経済の効率化を考えれば、都心の一等地に広がるこの低密度の住宅街は、非効率の極みなのかもしれない。より多くの人が住める近代的な住居を建設することは、多くの人にとっての「光」になるのかもしれない。

しかし、その光によって消される影がある。何世代にもわたって育まれてきたコミュニティ、文化、そして人々の記憶。一度失われたら、二度と取り戻すことのできないものたちだ。

僕は女将さんにお礼を言い、店を出た。先ほど食べたルンダンの優しい味わいが、なぜか切なく感じられた。摩天楼を見上げる。そのガラス張りの壁面には、カンポン・バルの古い木造家屋が、まるで蜃気楼のように儚く映り込んでいた。この街は、何を犠牲にして、どこへ向かおうとしているのだろうか。僕の内面は、このどうしようもない問いによって、大きく揺さぶられていた。

水と共に生きる人々 – クラン川のほとりで見た現実

カンポン・バルで感じた精神的な揺さぶりを抱えたまま、僕はクアラルンプールの原点へと向かった。二つの川が合流する場所、それが「クアラルンプール(泥が合流する場所)」という名の由来だ。その川の一つ、クラン川のほとりに立つマスジッド・ジャメ(ジャメモスク)は、この街で最も古いモスクであり、歴史の始まりを告げる場所でもある。

かつてこの川は、生活排水やゴミでひどく汚染され、街の恥部とさえ言われていた。しかし、近年、政府は「River of Life(生命の川)」と名付けた大規模な浄化・美化プロジェクトを推進。その結果、マスジッド・ジャメ周辺の川辺は、美しい遊歩道や噴水が整備された、市民や観光客の憩いの場へと生まれ変わっていた。

夕暮れ時、僕はその遊歩道を歩いていた。白亜のモスクが夕陽に染まり、川面にその美しい姿を映している。川からは霧が噴射され、ライトアップされた光と相まって、幻想的な雰囲気を醸し出している。これもまた、クアラルンプールが見せる「光」の姿だ。過去の負の遺産を克服し、美しい都市空間を創造しようという強い意志の表れだ。

しかし、その美しく演出された風景に安堵していた僕の目に、衝撃的な光景が飛び込んできた。遊歩道から少し外れた、橋の陰。そこには、川に浮かぶ大量のペットボトルやビニール袋が、澱んだ水面に分厚い層をなしていたのだ。美化プロジェクトの手が及ばない場所には、まだ「死んだ川」の現実が横たわっていた。

そして、そのゴミのすぐそばで、一人の男が川に向かって何かを投げ捨てていた。おそらく、生活ゴミだろう。彼は、川沿いに不法に建てられたと思われる、トタンとベニヤ板でできた粗末な小屋に住んでいるようだった。彼にとって、この川は美しい観光資源ではなく、ゴミを捨てるための、あるいは生活排水を流すための、ただの「水路」でしかないのだ。

その光景を目の当たりにして、僕はジャーナリストの記事にあったもう一つの「沈む」現実を思い出した。物理的な「水」の脅威だ。

クアラルンプールは、急速な都市開発によって、地面の多くがコンクリートとアスファルトで覆われた。かつて雨水を吸収していた緑地は、高層ビルやショッピングモールに姿を変えた。その結果、短時間に猛烈な雨が降ると、行き場を失った雨水が街に溢れ出し、深刻な洪水(フラッシュフラッド)を引き起こすようになった。

この水害の被害を最も受けやすいのは誰か。それは、高台の高級コンドミニアムに住む人々ではない。川沿いの低地に住む、この男のような貧しい人々だ。彼らの家財は流され、生活基盤は根こそぎ破壊される。

さらに、気候変動による海面上昇は、クラン川のような河川の水位を押し上げ、満潮時には内陸部への逆流を引き起こす。そして、都市の過剰な地下水汲み上げは、地盤沈下を加速させている。水は、静かに、しかし着実に、この街の足元を蝕んでいるのだ。

「海に沈む」という言葉が、もはや比喩ではなく、差し迫った物理的な脅威として、僕に重くのしかかってきた。

美しくライトアップされた「生命の川」。その輝きは、すぐそばにある汚染や貧困、そして水害の脅威といった深刻な問題を覆い隠すための、巧妙な装置のようにも見えた。人々は、演出された美しさには目を向けるが、その影に潜む不都合な真実からは目をそらしてしまう。

僕は川辺に立ち尽くし、ゆっくりと流れる濁った水を眺めていた。この水は、この街の光も影も、すべてを映し込み、飲み込みながら、海へと向かって流れていく。この流れに抗うすべはあるのだろうか。それとも、この街は運命づけられたように、ゆっくりと水の中へ沈んでいくしかないのだろうか。幻想的な霧が立ち込める中、僕の心は重たい霧に包まれたように、晴れることがなかった。

アートが紡ぐ未来 – Kwai Chai Hongの再生

クアラルンプールの旅も後半に差し掛かり、僕の心は光と影の間を行き来し、少しばかり疲弊していた。輝かしい発展の裏にある格差、失われゆく伝統、そして忍び寄る環境問題。この街が抱える問題の大きさに、打ちのめされそうになっていた。そんな時、一筋の光明を見出すような場所に、僕はたどり着いた。チャイナタウンの奥深く、プタリン通りから少し入った場所にある「Kwai Chai Hong(鬼仔巷)」だ。

「鬼仔巷」とは広東語で「小さな悪ガキたちの路地」といった意味。その名の通り、かつてここは、子供たちの遊び場であると同時に、アヘン窟や賭博場、売春宿が軒を連ねる、いわばチャイナタウンの「影」の部分を象徴するような場所だったという。時代と共に人々から忘れ去られ、寂れた裏路地となっていた。

しかし、数年前、地元の有志によるプロジェクトチームがこの路地を再生させた。彼らは、古い建物をただ壊して新しくするのではなく、その歴史的な価値を尊重し、修復・保存したのだ。そして、その古びた壁をキャンバスに、かつてのこの路地での人々の暮らしを生き生きと描いた、ノスタルジックな壁画アートを施した。

路地に足を踏み入れると、タイムスリップしたかのような感覚に襲われる。壁には、散髪屋の店先で談笑する男たち、窓辺で恋文を読む娘、路地で遊ぶ子供たちの姿が、インタラクティブな仕掛けと共に描かれている。QRコードをスマートフォンで読み取れば、絵の中の人物たちが広東語で話し出すという、現代的なギミックも面白い。

僕は、壁に描かれた理髪店の椅子に実際に腰掛けてみた。すると、まるで自分が絵の一部になったような、不思議な感覚が湧き上がってくる。過去と現在が、アートという魔法によって、この場所で確かに繋がったのだ。

このプロジェクトの素晴らしいところは、過去の「影」の部分を、決して無かったことにしていない点だ。アヘン窟や売春宿といった負の歴史も、説明板などで正直に伝えられている。彼らは、影を消し去るのではなく、それを物語として受け入れ、新たな光を当てることで、この場所に新しい価値を生み出したのだ。

寂れた路地は、今やインスタグラム世代の若者や観光客で賑わう、クアラルンプール屈指の人気スポットへと生まれ変わった。路地沿いには、お洒落なカフェやバーがオープンし、古い建物と新しいカルチャーが絶妙に融合している。

僕は、その中の一軒のカフェに入り、冷たいレモンティーを注文した。窓の外では、様々な国から来た人々が、壁画の前で思い思いのポーズをとって写真を撮っている。その楽しそうな笑顔を見ていると、僕の心の中に、少しずつ希望の光が差し込んでくるのを感じた。

そうだ、クアラルンプールは、ただ沈んでいくだけの街ではない。このKwai Chai Hongのように、過去の影を受け入れ、それを力に変えて再生する、たくましい生命力を持っているじゃないか。開発の波に飲み込まれるカンポン・バルのような場所もあれば、こうして自らの手で歴史を紡ぎ直し、未来を創造しようとする人々もいる。

光と影は、対立するだけのものではない。影があるからこそ光は際立ち、光が当たることで影は物語になる。このKwai Chai Hongの成功は、クアラルンプールが抱える様々な問題に対する、一つの美しい答えを示しているように思えた。

それは、すべてを壊して新しくする「スクラップ・アンド・ビルド」ではない。古いものと新しいものが共存し、対話し、新たな価値を生み出す「リノベーション」の発想だ。このしなやかで創造的なアプローチこそが、この多文化都市の真骨頂なのかもしれない。

レモンティーの酸味が、疲れた体に心地よく染み渡る。僕は、この街の未来に対して、少しだけ楽観的になれるような気がしていた。この再生の物語は、僕が探していた「明るい面」そのものだった。

多文化共生の坩堝、ブリックフィールズの祈り

Kwai Chai Hongで得た希望を胸に、僕は次なる目的地へと向かった。KLセントラル駅の南側に広がる、ブリックフィールズ。通称「リトル・インディア」と呼ばれるこのエリアは、クアラルンプールの多文化共生を最も色濃く体現する場所の一つだ。

一歩足を踏み入れると、空気が再び一変する。アーチ型の門にはタミル語の文字が躍り、スピーカーからは陽気なボリウッド音楽が流れ、街角の店先ではジャスミンの花の甘い香りと、お香のオリエンタルな香りが混じり合っている。サリーやパンジャビ・ドレスをまとった女性たちが、きらびやかな金細工の店先で足を止め、道端の屋台では揚げたてのワダやサモサが売られている。ここは、マレーシアにいながらにして、インドの縮図を体験できる場所だ。

僕の目的は、もちろん食にある。数あるレストランの中から、地元の人で賑わう一軒の店を選んだ。お目当ては、南インド料理の定番、バナナリーフカレーだ。

席に着くと、目の前に大きなバナナの葉が皿代わりに敷かれる。その上に、店員が手際よく白飯を盛り、続いて3種類の野菜の惣菜(ポリヤル)、豆のせんべい(パパド)を乗せていく。そして最後に、チキン、マトン、魚の中から選んだカレーを、豪快にご飯の上からかけてくれる。

右手だけを使って、ご飯とカレー、惣菜を少しずつ混ぜ合わせながら口に運ぶ。スパイスの複雑な香りが、鼻腔を突き抜ける。辛さの中に、酸味、甘み、苦味が絶妙なバランスで溶け合っている。それぞれの惣菜の味を単独で楽しんだり、すべてを混ぜ合わせてカオスな味を楽しんだり。一枚のバナナの葉の上が、まるで小宇宙のようだ。

夢中で食べていると、ふと、このブリックフィールズという街の成り立ちに思いを馳せた。ここは、マレー系、中華系、そしてインド系というマレーシアの主要3民族が、それぞれの文化と宗教を守りながら、すぐ隣り合って暮らしている場所だ。

僕が食事をしているレストランの数軒先には、中華系の仏教寺院がある。その通りを挟んだ向かいには、ゴシック様式のキリスト教会が静かに佇んでいる。そして、エリアの中心には、色鮮やかな神々の彫刻で飾られた壮麗なヒンドゥー教寺院、スリ・カンダスワミ・コヴィルがそびえ立つ。イスラム、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教。それぞれの祈りの声が、この街ではごく当たり前に共存しているのだ。

もちろん、それは常に完璧な調和を意味するわけではないだろう。歴史を振り返れば、民族間の対立や緊張もあった。今でも、水面下には様々な差別や偏見が存在するのかもしれない。ブミプトラ政策(マレー人および先住民族を優遇する政策)がもたらす歪みは、この国の根深い問題でもある。

しかし、それでも、だ。彼らは同じ通りを歩き、同じ市場で買い物をし、そして時には、同じ食堂でテーブルを共にする。僕の隣のテーブルでは、インド系の家族と中華系のカップルが、何やら楽しそうに言葉を交わしていた。

この「共存」の風景こそ、クアラルンプールが世界に誇るべき、最大の「光」ではないだろうか。

完璧なユートピアではない。矛盾も葛藤も抱えている。だが、それでも互いの違いを認め合い、なんとか一緒にやっていこうとする、その日常の営みの中にこそ、希望がある。

バナナリーフカレーのスパイスが、じわりと汗を噴き出させる。それは、この街が内包する熱量そのもののようだった。異なる文化がぶつかり合い、混じり合うことで生まれる、摩擦熱。その熱こそが、この街を前進させるエネルギーの源なのだ。

「海に沈む」という危機に直面したとき、この街を救うのは、強力なリーダーシップや巨大なテクノロジーだけではないのかもしれない。このブリックフィールズで見られるような、多様性の中から生まれるしなやかさ、異なる者同士が手を取り合うことで生まれるレジリエンス(回復力)こそが、未来を切り拓く鍵になるのではないか。

食を通して、文化の違いを超えて繋がれる。僕がグルメライターとして信じてきたことが、この場所で確信に変わった。バナナの葉の上に残ったカレーソースを指で綺麗にぬぐい取りながら、僕はこの街の持つ、複雑で、豊かで、そして強靭な魂に、深い敬意を感じていた。

食卓に宿る魂 – ローカル食堂で見つけた答え

旅の最後の夜が来た。ブキッ・ビンタンの豪華なレストランで締めくくることも、ジャラン・アローの喧騒に再び身を投じることもできた。しかし、僕の足は、ガイドブックには決して載っていないような、ごく普通の住宅街へと向かっていた。旅の最後に、この街のありのままの日常に触れたかったのだ。

あてもなく歩いていると、集合住宅の一階部分に、蛍光灯の明かりが煌々と灯る一角を見つけた。店の名前は「Kedai Makanan dan Minuman(食堂・喫茶店)」。飾り気のない、あまりにも素っ気ないその看板に、逆に惹きつけられた。

中に入ると、そこは地元の人々で溢れていた。仕事を終えたばかりの作業服姿の男たち、宿題を広げる子供を連れた母親、スマートフォンをいじりながら一人で夕食をとる若者。観光客の姿は、僕一人だ。

メニューは壁に貼られた手書きのものだけ。マレー語と中国語が混じっており、半分も理解できない。困っている僕を見かねて、店主らしき恰幅のいいおじさんが、厨房を指差して「イーファン?」と尋ねてきた。「経済飯(エコノミーライス)」のことだ。いわゆる、好きなおかずをご飯の上に乗せてもらうスタイル。僕は大きく頷いた。

大皿に並んだ料理は、カンポン・バルで食べたナシ・チャンプルとも、ブリックフィールズのバナナリーフカレーとも違う、どこか中華系の家庭料理の趣が強いものだった。生姜を効かせた鶏の蒸し物、青菜のオイスターソース炒め、甘酢っぱい豚肉の煮込み。僕は指差しで3品を選んだ。

プラスチックの皿に盛られた、何の変哲もない一皿。しかし、それを口にした瞬間、僕は思わず目を見張った。派手さはない。驚くような珍しい味付けでもない。しかし、一つ一つの料理が、驚くほど丁寧に、そして愛情を込めて作られているのが分かった。生姜の風味が鶏肉の旨味を引き立て、青菜はシャキシャキとした食感を失っておらず、豚肉はほろりとろけるほど柔らかい。それは、毎日食べても飽きない、実直で、誠実な味だった。

周りを見渡す。誰もが、黙々と、しかしどこか満足そうに、同じような「経済飯」を食べている。人種も、職業も、年齢もバラバラだ。しかし、この瞬間、彼らは皆、同じ釜の飯を食う「仲間」のように見えた。

この何気ない日常の食卓。これこそが、僕がこの旅で探し求めていた答えなのかもしれない。

ペトロナスツインタワーの輝きも、チョウキット・マーケットの生々しさも、カンポン・バルの郷愁も、Kwai Chai Hongのアートも、ブリックフィールズの祈りも。この街の光も影も、すべてが巡り巡って、この一皿の「経済飯」に繋がっているのではないか。

摩天楼を建てるのも、マーケットで働くのも、伝統を守るのも、未来を創造するのも、すべては、この温かい一皿を食べるため。愛する家族に、この一皿を食べさせるため。そのために、人々は懸命に働き、祈り、時には争い、そして助け合う。

「海に沈む」という、抗いがたい大きな運命。それに立ち向かうのは、政府の巨大なプロジェクトや、声高に叫ばれるスローガンだけではない。この名もなき食堂で、日々黙々と繰り返される、温かい食事を作るという営み。そして、それを食べ、明日への活力を得るという、人々のささやかで、しかし何よりも力強い生命力そのものなのだ。

この食卓に宿る魂こそが、この街の本当の強さであり、美しさなのだ。そう確信した時、僕の中で、クアラルンプールという街の光と影が、ようやく一つに溶け合ったような気がした。どちらか一方だけでは、この街の本当の姿は見えない。光も影も、すべてを抱きしめてこそ、この街を愛することができるのだ。

勘定を済ませ、店を出る。店主のおじさんが、無言で力強く頷いてくれた。その眼差しが、すべてを物語っているようだった。夜空を見上げると、雲の切れ間から、星が一つ、瞬いていた。カンポン・バルの女将さんが言っていた「満点の星」にはほど遠い。しかし、そのか細い光は、僕には何よりも強く、希望に満ちて見えた。

鋼鉄の森から見上げる空

帰国の日。空港へと向かうGrabの車窓から、遠ざかっていくクアラルンプールのスカイラインを眺めていた。数日前、この街に到着した時に見たのと同じ風景。しかし、今の僕の目には、それはまったく違うものとして映っていた。

そびえ立つペトロナスツインタワー。そのガラスの壁面には、もはや単なる富と発展の象徴だけではない、様々な人々の顔が映り込んでいるように見えた。

あのビルの足元には、開発の波に揺れるカンポン・バルの木造家屋がある。あの高速道路の先には、生と死が交差するチョウキットの喧騒がある。あの川のほとりでは、人々が水と共に生き、その脅威と向き合っている。そして、あの路地裏では、アートが過去の影を未来の光に変え、リトル・インディアでは、多様な祈りが共存している。

僕がこの旅で出会った、すべての風景、すべての味、すべての人々。その一人ひとりの営みが、あの鋼鉄の森を築き上げ、そして支えている。

クアラルンプールは、「沈みゆく」都市なのかもしれない。物理的な水害、近代化の波に飲み込まれる伝統、拡大する格差の海。様々な意味で、この街は危ういバランスの上に成り立っている。

しかし同時に、この街は、そこから必死に顔を上げ、空を見上げようともがく都市でもあるのだ。Kwai Chai Hongの再生のように、過去の過ちから学び、新たな価値を創造する力。ブリックフィールズの共存のように、違いを乗り越え、共に未来を築こうとする知恵。そして何より、名もなき食堂の「経済飯」に象徴されるような、日々の暮らしを営む人々の、ささやかで揺るぎない生命力。

光と影は、善と悪ではない。それは、一つの存在が持つ、表と裏の顔だ。この旅を通じて、僕はその両方を受け入れることで、初めてこの街の持つ複雑な美しさと、その魂の深さに触れることができたように思う。

グルメライターとして、僕はこれからも世界中の「美味いもの」を探し続けるだろう。しかし、これからの僕は、ただその味を伝えるだけでは満足できない。その一皿の背景にある、人々の物語、文化の葛藤、社会の有り様。その光と影の両方を、僕自身の言葉で伝えていきたい。それが、この旅が僕に与えてくれた、新たな視点であり、使命なのだ。

車は高速道路を走り抜け、やがてクアラルンプール国際空港の巨大なターミナルが見えてきた。旅は終わる。しかし、僕の中で始まった思索は、これからも続いていくだろう。

日本に帰ったら、まず何をしようか。スーツケースの奥に忍ばせた、チョウキット・マーケットで手に入れたルンダン用のスパイスミックス。あの香りが、僕のキッチンをクアラルンプールの熱気で満たす時、僕はきっと再び、この鋼鉄の森から見上げた空を思い出すに違いない。沈みながらも、なお輝こうとする、愛すべき混沌の街の姿を。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いたトラベルライター

食品商社で世界中の食を探求してきました。旅の目的は「その土地でいちばん美味い一皿」に出会うこと!市場や屋台でのグルメハントが得意です。

目次