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伝説の魔窟は今… 香港・九龍城、知られざる食と歴史の迷宮へ

かつて、この地球上にこれほどまでに混沌と生命力が凝縮された場所があったでしょうか。香港の片隅に存在した巨大なスラム、九龍城砦(クーロンじょうさい)。法も、光も届かないと謳われたその場所は、多くのクリエイターにインスピレーションを与え、サイバーパンクの世界観を体現する伝説の「魔窟」として語り継がれてきました。しかし、その城砦が歴史の彼方へ消え去ってから約30年。跡地が美しい公園へと姿を変えた今、私たちは何を想い、何を見出すのでしょうか。

取り壊されたから、もう語るべき物語はない?いえ、とんでもない。九龍城の物語は、まだ終わってはいません。むしろ、新たな章が始まっているのです。かつての城砦があった場所は、穏やかな時が流れる公園となり、その周辺には、香港随一の「リトル・タイランド」が形成され、ローカルな広東料理の名店がひしめき合う、底知れぬ美食の迷宮が広がっています。食品商社に身を置く私にとって、このエリアはまさに宝の山。歴史の記憶と、人々の胃袋を満たす現在の活気が交差する場所、それが現代の九龍城なのです。

さあ、過去への扉と未来への入り口が同居する、香港で最もディープで刺激的な街へ。伝説の残響を聴きながら、絶品のローカルフードに舌鼓を打つ旅に出かけましょう。まずは、私たちの冒険の舞台となるこの場所を、地図で確認してみてください。

目次

伝説の始まり – 九龍城とは何だったのか

現在の穏やかな姿からは想像もつかないかもしれませんが、この地にはかつて、世界で最も人口密度が高いと言われた巨大なスラム街が存在しました。その名を「九龍城砦」または「九龍寨城」。なぜ、近代都市香港の中心部に、このような特異な場所が生まれてしまったのでしょうか。その謎を解く鍵は、香港の複雑な歴史の中に隠されています。

治外法権の城塞都市

物語の始まりは、清朝の時代にまで遡ります。もともとこの場所は、香港島を監視するための小さな砦でした。しかし、1842年の南京条約、そして1898年の展拓香港界址専条によって香港島と九龍半島、新界がイギリスに割譲・租借される中で、この九龍城砦だけは「清国の役人が駐在する」という条件付きで、中国の飛び地として残されたのです。

これが、すべての始まりでした。イギリス領香港の中に、ポツンと取り残された中国の領土。しかし、清朝は滅亡し、後を継いだ中華民国も、そして後の中華人民共和国も、実質的な統治を行うことはありませんでした。一方で、イギリス側も複雑な領土問題に発展することを恐れ、積極的な介入を避けます。結果として、九龍城砦は中国の法律も、香港の法律も及ばない「治外法権」の地となったのです。

第二次世界大戦後、中国内戦などから逃れてきた人々がこの無法地帯に流れ込み、住み着き始めます。彼らは行政サービスも受けられず、自分たちの手で生活を築くしかありませんでした。バラックが建ち、その上にまたバラックが積み重なり、やがて巨大なコンクリートの塊へと成長していきます。法が及ばないことを逆手に取り、犯罪組織「三合会」が勢力を拡大し、麻薬窟、賭博場、売春宿が公然と営業される暗黒街の側面も持つようになりました。

しかし、忘れてはならないのは、そこに住む大多数の人々は、ただ必死に生きる普通の人々だったということです。家賃が格安だったため、低所得者層や新規の移民にとって、九龍城砦は香港で生きていくための唯一の足がかりでした。彼らはこの無法地帯で家族を育て、商売を営み、独自のコミュニティを築き上げていったのです。

天空に伸びるスラム – 魔窟の暮らし

最盛期には、わずか0.026平方キロメートル(東京ドームの約半分)の土地に5万人もの人々が暮らしていたと言われています。その人口密度は、まさに世界一。建物は違法に増改築を繰り返し、隣のビルと繋がり、一体化し、空を覆い尽くす巨大な迷宮を形成していました。

一歩足を踏み入れると、そこは昼でも薄暗い世界。頭上には無数の水道管や電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、そこから滴る水が地面を常に濡らしていました。通路は迷路のように入り組み、一度迷い込んだら二度と出られないとさえ言われたほどです。上層階に住む人々は、屋上から屋上へと渡された板を歩いて移動していました。すぐ近くには旧啓徳空港があったため、建物の高さは航空法によって14階建てに制限されていましたが、それでも着陸する飛行機がビルの屋上を掠めるように飛んでいく光景は、九龍城砦を象徴するものでした。

法が及ばないこの場所では、香港では許可が得られないような商売も成り立ちました。特に有名だったのが、無免許の歯科医です。安価な治療費を求めて、城砦の外からも多くの人が訪れたと言います。他にも、小さな食品加工工場、製麺所、駄菓子屋、理髪店など、ありとあらゆる零細企業がひしめき合い、一つの巨大な生命体のように機能していました。

水不足は深刻で、住民たちは数少ない井戸に頼るか、あるいは違法に水道管を引いて水を確保していました。衛生環境は劣悪で、ネズミが走り回るのも日常茶飯事。しかし、そんな過酷な環境の中でも、住民たちの間には強い連帯感が生まれ、助け合いながら暮らしていたと言います。子供たちの笑い声が響き、祭りが行われ、日々の営みが確かにそこにはありました。混沌と秩序、危険と人情が奇妙なバランスで同居する場所。それが、九龍城砦の真の姿だったのかもしれません。

ポップカルチャーに刻まれた記憶

この唯一無二の景観と雰囲気は、世界中のクリエイターたちに強烈なインパクトを与えました。特に、未来都市を描く「サイバーパンク」というジャンルにおいて、九龍城砦は決定的なビジュアルイメージの源泉となります。

リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』に登場する、酸性雨が降りしきる2019年のロサンゼルスの雑多な街並みは、九龍城砦から多大な影響を受けていると言われています。また、日本の押井守監督のアニメーション映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で描かれた、高層ビルと猥雑な市場が混在する都市の風景にも、その面影を色濃く見ることができます。

ゲームの世界でも、九龍城砦は何度もモチーフとして使われてきました。1997年に発売されたプレイステーション用ゲーム『クーロンズ・ゲート』は、まさに城砦そのものを舞台にしたアドベンチャーゲームであり、その独創的な世界観は今なおカルト的な人気を誇ります。人気シリーズ『龍が如く』や『シェンムー』にも、九龍城砦をモデルにしたエリアが登場し、多くのプレイヤーを魅了しました。

1987年、ついに香港政庁と中国政府は城砦の取り壊しで合意。住民への補償と移転が進められ、1993年から1994年にかけて、この巨大な迷宮は完全に解体されました。しかし、その記憶は数々の作品の中に封じ込められ、今もなお、私たちの想像力をかき立て続けているのです。

魔窟から楽園へ – 九龍寨城公園を歩く

伝説の城砦が姿を消した跡地は、一体どうなったのでしょうか。そこには、かつての混沌が嘘のような、静かで美しい中国式庭園が広がっています。その名も「九龍寨城公園」。歴史の記憶を未来へ繋ぐために造られたこの公園は、今や地元の人々の憩いの場であり、私たち旅行者にとっては、九龍城の物語を肌で感じることができる貴重な場所となっています。

新駅開業!アクセス至便になった現代の九龍城

かつて九龍城エリアは、MTRの駅から少し離れており、バスやタクシーを利用する必要がある、ややアクセスしづらい場所でした。しかし、2021年にMTR屯馬線が開通し、公園のすぐ近くに「宋皇臺(ソンウォントイ)」駅が誕生したことで、状況は一変しました。今では、尖沙咀や中環といった中心部からも乗り換え一回でスムーズにアクセスすることが可能です。

この宋皇臺駅、実は駅自体がちょっとした博物館のようになっています。駅の建設工事中に、宋から元時代のものとされる大量の貴重な遺跡が発見されたのです。井戸や陶磁器などが発掘され、その一部が駅構内に「駅の中の遺跡」として展示されています。公園を訪れる前に、まずはこの駅でこの土地が持つさらに古い歴史に触れてみるのも一興でしょう。九龍城の物語が、清朝よりもさらに昔から続いてきたものであることを実感させてくれます。

駅から地上に出て、少し歩けばすぐに九龍寨城公園の入り口が見えてきます。緑豊かな木々の向こうに、伝統的な中国建築の屋根が顔をのぞかせ、私たちを静かに迎え入れてくれます。

記憶を留める場所 – 公園の遺構と展示

この公園は、ただ美しいだけの庭園ではありません。城砦があった時代の記憶を後世に伝えるための、いくつかの重要な遺構が保存・展示されています。

公園の中心に堂々と建っているのが、清朝時代の役所であった「衙門(やもん)」です。これは、城砦内で唯一、取り壊しを免れて保存された歴史的建造物。レンガ造りの重厚な建物は、ここが元々は中国の公的な場所であったことを物語っています。

一歩中へ足を踏み入れると、そこは九龍城砦の歴史を伝える展示スペースになっています。壁には、取り壊し前の城砦内部を撮影した貴重な写真パネルがずらりと並び、当時の人々の暮らしぶりをありありと伝えてくれます。密集した住居、薄暗い通路、屋上で遊ぶ子供たち、そして無免許の歯科医の診察風景。これらの写真を見ていると、まるでタイムスリップしたかのような感覚に陥ります。

特に必見なのが、城砦の断面を精巧に再現したブロンズ製の模型です。複雑に絡み合った建物内部の構造が一目でわかり、その過密さと異様さに改めて驚かされることでしょう。この模型をじっくりと眺めていると、なぜこの場所が「魔窟」と呼ばれたのか、その理由が痛いほど伝わってきます。衙門の建物は、静かに、しかし力強く、この地に刻まれた人々の営みの記憶を語りかけてくるのです。

また、公園の南門があった場所には、「南門故址」の石碑とともに、かつての基礎部分や石畳が発掘された状態で保存されています。「九龍寨城」と刻まれた石額も残されており、ここが紛れもなくあの伝説の場所であったことの証となっています。

江南式庭園の美と静寂

歴史の痕跡を巡った後は、公園そのものの美しさを堪能しましょう。九龍寨城公園は、清朝初期の江南式庭園の様式を模して設計されました。風水に基づいて巧みに配置された池や滝、丘、そして東屋が、見事な景観を作り出しています。

公園はいくつかのテーマに分かれており、それぞれに趣のある名前が付けられています。例えば、十二支の動物たちが彫られた石が並ぶ「十二生肖像」、見事な滝が涼しげな音を立てる「龍津石」、そして四季折々の花が美しい「四季同馨」。どこを切り取っても絵になる風景が広がっており、散策しているだけで心が和みます。

かつて空を覆っていた高層建築群はもうありません。代わりに、青い空と豊かな緑が広がり、鳥のさえずりが聞こえてきます。太極拳に興じる老人、ベンチでおしゃべりする人々、走り回る子供たち。その光景は、香港のどこにでもある、ごくありふれた公園の日常です。

しかし、この穏やかな風景の中に身を置いていると、ふと不思議な感覚に襲われます。この静寂は、あの凄まじい混沌と喧騒の上に成り立っているのだと。この美しい庭園は、5万人の人々の生活の跡地に造られたのだと。そのコントラストを思う時、九龍寨城公園は単なる美しい公園ではなく、歴史の重みと人々の記憶が幾重にも折り重なった、特別な場所として立ち現れてくるのです。光と影、過去と現在。その両方を感じられることこそ、この公園を訪れる最大の魅力なのかもしれません。

食の迷宮 – 九龍城グルメ探訪

歴史と記憶の散策でお腹が空いてきたら、いよいよこの旅のハイライト、グルメ探訪の時間です。九龍寨城公園の周辺、つまり現在の九龍城エリアは、香港でも指折りの美食地帯。特に、本格的なタイ料理と、地元民に愛されるディープな広東料理が楽しめることで知られています。食品商社で世界中の食に触れてきた私でさえ、この街の食の多様性と奥深さにはいつも心を奪われます。さあ、公園を一歩出て、活気あふれる食の迷宮へと迷い込んでみましょう。

香港の「リトル・タイランド」を味わい尽くす

なぜ九龍城にタイ料理店が集中しているのか。その背景には、1970年代から80年代にかけて、多くのタイ人がこのエリアに移り住んできた歴史があります。当時、比較的家賃が安かった九龍城周辺は、彼らにとって暮らしやすい場所でした。やがて彼らは同郷の人々のために食材店や食堂を開き、それが徐々に拡大して、現在のような香港最大の「リトル・タイランド」を形成するに至ったのです。

このエリアのタイ料理は、観光客向けにアレンジされたものではなく、本国さながらの本格的な味付けが特徴。街を歩けば、タイ語の看板が目に飛び込み、スパイスやハーブの香りが鼻をくすぐります。ここでは、数ある名店の中から、特におすすめしたい店をいくつかご紹介しましょう。

泰金國 (Golden Thai Restaurant)

九龍城のタイ料理を語る上で、この店を外すことはできません。「泰金國」は、このエリアを代表する老舗の一つ。広々とした店内はいつも活気に満ち溢れています。ここの魅力は、何を食べても外れがない安定感と、豊富なメニューのラインナップです。

まず試していただきたいのが、「咖哩炒蟹(カレー炒め蟹)」。新鮮な蟹を、卵とカレー粉でふんわりと炒めた一品で、その濃厚な旨味とスパイシーな香りは、まさに至福の味。殻についたソースまで、ご飯やパンと一緒に余すことなく味わい尽くしてください。また、豚の首肉を焼いた「炭燒豬頸肉(豚トロの炭火焼き)」も絶品。香ばしく焼かれた肉のジューシーさと、添えられたピリ辛のタレとの相性は抜群で、ビールが進むこと間違いなしです。トムヤムクンやグリーンカレーといった定番メニューも、もちろんハイレベル。迷ったらまずこの店を訪れれば、満足できること請け合いです。

昭拍耶 (Chao Phraya Restaurant)

もう少しローカルで、こぢんまりとした雰囲気を楽しみたいなら、「昭拍耶」がおすすめです。ここは、タイ東北部イサーン地方の料理を得意とする店。イサーン料理は、ハーブを多用し、辛味と酸味が際立っているのが特徴です。

看板メニューは「泰式船河(タイ風ボートヌードル)」。豚の血が入った濃厚でコクのあるスープが特徴で、一度食べたら病みつきになる味わいです。麺の種類や具材も選べ、自分好みの一杯をカスタマイतेंする楽しみもあります。そして、イサーン料理の代表格「青木瓜沙律(ソムタム)」も必食。シャキシャキとした青パパイヤの食感に、唐辛子の辛さ、ライムの酸っぱさ、ナンプラーの塩気が絶妙に絡み合います。辛さの調節も可能なので、好みを伝えてみてください。本場の味を追求する食通にこそ、訪れてほしい名店です。

同心 (Tung Sum)

タイ料理の締めくくりは、やはり甘いデザートでしょう。「同心」は、タイの伝統的なデザートを専門に扱う貴重な店。食事の後や、街歩きの休憩に立ち寄るのにぴったりです。

一番人気は、何と言っても「芒果糯米飯(マンゴースティッキーライス)」。甘く熟したマンゴーと、ココナッツミルクで炊いたほんのり塩気のあるもち米とのコンビネーションは、まさに天国の味。温かいもち米と冷たいマンゴーの温度差もたまりません。他にも、ココナッツミルクを使った様々なゼリーやプリン、タピオカのデザートなど、目移りしてしまうほどの品揃えです。小さな店ですが、ひっきりなしに客が訪れる人気店。香港の熱気の中で味わう、南国の甘い癒やしは格別です。

ローカルが愛する広東の味 – 絶品飲茶とB級グルメ

九龍城の魅力はタイ料理だけではありません。ここは、古くからの住民に愛される、実力派の広東料理店が数多く存在するエリアでもあります。派手さはありませんが、確かな味を守り続ける名店の数々。ここでは、飲茶から火鍋、デザートまで、地元の食通たちが通う店をご紹介します。

豪華餅店 (Hoover Cake Shop)

まずは、朝食や軽食にぴったりのベーカリーから。「豪華餅店」は、1977年創業の老舗。香港映画の巨匠、ウォン・カーウァイ監督や、俳優のチョウ・ユンファも愛した店として知られています。ここの名物は、なんといっても「酥皮蛋撻(パイ生地のエッグタルト)」。

サクサクと崩れる繊細なパイ生地の中に、とろりと滑らかなカスタードがたっぷり。甘さは控えめで、卵の豊かな風味が口いっぱいに広がります。焼き立てをその場で頬張るのが最高ですが、冷めても生地のサクサク感は健在。地元の人々は、これを何個も買って朝食にするのです。エッグタルトだけでなく、ココナッツタルトやチャーシューの入ったパンなど、昔ながらの香港式パンも充実しています。旅の始まりに、ここのエッグタルトでエネルギーをチャージしてみてはいかがでしょうか。

方榮記 (Fong Wing Kee)

冬の香港の風物詩といえば、火鍋(ホットポット)。九龍城には、数々の火鍋の名店がありますが、中でも「方榮記」は特別な存在です。ここの名物は、他ではなかなか味わえない「沙嗲湯底(サテースープの火鍋)」。

ピーナッツと様々なスパイスをブレンドした濃厚なサテースープは、甘さと辛さ、そして香ばしさが一体となった複雑で奥深い味わい。この中毒性の高いスープでいただく、新鮮な牛肉や手作りのつみれは絶品です。特に、手切りされた新鮮な牛肉は、さっとスープにくぐらせるだけで、とろけるような柔らかさに。締めには、出前一丁(香港で人気のインスタントラーメン)を投入するのが香港流。すべての具材の旨味が溶け出したスープを吸った麺は、もはや悪魔的な美味しさです。行列必至の人気店ですが、並んででも食べる価値は十分にあります。

創發潮州飯店 (Chong Fat Chiu Chow Restaurant)

香港グルメを語る上で欠かせないのが、広東省東部の食文化である「潮州料理」。九龍城には、本格的な潮州料理の名店がいくつもありますが、「創發」はその代表格。

潮州料理のスターターといえば、「滷水(ロウソイ)」。様々な漢方やスパイスを使った醤油ベースのタレで煮込んだ料理で、ガチョウや豆腐、卵などが定番です。ここの「滷水鵝片(ガチョウの醤油煮込み)」は、しっとりと柔らかく、複雑なスパイスの香りが鼻に抜ける逸品。また、「煎蠔烙(牡蠣のオムレツ)」も必食。小ぶりの牡蠣と卵、さつまいもの粉を混ぜてカリカリに焼き上げたもので、魚醤をつけていただきます。外はサクッ、中はモチっとした食感と、牡蠣の旨味がたまりません。あっさりとしていながらも、素材の味を活かした潮州料理の真髄を、ぜひこの店で味わってみてください。

合成糖水 (Hap Shing Dessert)

食後のデザート、あるいは午後の甘味休憩には、「糖水(トンソイ)」が欠かせません。「糖水」とは、温かいものから冷たいものまで、香港の伝統的なスイーツ全般を指す言葉です。「合成糖水」は、昔ながらの製法を守り続ける老舗の糖水専門店。

メニューには、黒胡麻のお汁粉「芝麻糊」や、クルミのお汁粉「合桃露」、緑豆のお汁粉「緑豆沙」などが並びます。どれも素朴ながら、素材の風味がしっかりと感じられる優しい味わい。特に、複数の種類を混ぜて注文できる「雙拼(ションピン)」がおすすめ。「芝麻糊」と「合桃露」を混ぜれば、胡麻の香ばしさとクルミのコクが合わさって、より深い味わいが楽しめます。冷たいデザートなら、滑らかな豆腐に甘いシロップをかけた「豆腐花」も良いでしょう。観光客は少なく、地元の人々がひっきりなしに訪れる店内で、香港の日常に溶け込むような甘いひとときを過ごせます。

活気あふれる街市(マーケット)巡り

レストランで食べるだけでなく、食文化の源泉である市場を訪れるのも、旅の醍醐味です。「九龍城街市(Kowloon City Market)」は、このエリアの台所を支える巨大な公設マーケット。一歩足を踏み入れると、そこは活気と熱気に満ちた別世界です。

1階には、新鮮な魚介類や肉類がずらりと並びます。威勢の良い声が飛び交い、地元の人々が真剣な表情で食材を吟味する光景は、見ているだけでも飽きません。2階に上がると、野菜や果物、乾物、そしてタイの食材を専門に扱う店が集まっています。レモングラスやガランガル、コブミカンの葉といったフレッシュハーブから、様々な種類のカレーペースト、ナンプラーまで、タイ料理に必要なものはここで全て揃うでしょう。南国のフルーツも豊富で、季節によってはドリアンやマンゴスチン、ランブータンなどが山積みになっています。

このマーケットの3階は、「熟食中心(クックドフードセンター)」と呼ばれるフードコートになっています。市場で仕入れた新鮮な食材を使った、安くて美味しいローカルフードが楽しめます。ここでもタイ料理店が人気で、市場の喧騒を感じながら食べるごはんは格別の味。まさに、九龍城の食文化が凝縮されたような場所。この街のエネルギーを肌で感じたいなら、ぜひ訪れてみてください。

九龍城周辺のディープスポットとお土産

九龍寨城公園とグルメを満喫したら、もう少しだけ足を延ばして、このエリアのさらなる魅力に触れてみませんか。歴史の痕跡は公園の中だけにあるわけではありません。そして、旅の思い出を持ち帰るための、通好みのお土産探しも楽しみの一つです。

歴史の痕跡を辿る – 宋皇臺と侯王廟

九龍城という地名が持つ歴史の深さは、清朝や城砦の時代をさらに遡ります。その象徴的な場所が、MTRの駅名にもなっている「宋皇臺(ソンウォントイ)」です。

もともと、海に突き出た小高い丘の上に、「宋王臺」と刻まれた巨大な岩がありました。これは、13世紀、モンゴル(元)に追われた南宋の最後の皇帝、祥興帝と端宗が、一時的にこの地に逃れてきたという伝説を記念するものです。残念ながら、旧啓徳空港の拡張工事のために丘は削られ、巨岩も元の場所から移されてしまいましたが、現在は「宋王臺花園」という小さな公園の中に、その岩の上部が石碑として大切に保存されています。一国の皇帝が、遠く都を追われてこの香港の片隅にまで逃れてきたという壮大な歴史物語に思いを馳せると、この土地が持つ時間の重層性を改めて感じることができます。

もう一つ訪れたいのが、「侯王廟(ハウウォンミュウ)」です。九龍寨城公園のすぐ隣に位置するこの廟は、香港に現存する中でも特に古い廟の一つで、1730年にはすでに建立されていた記録が残っています。誰を祀っているかについては諸説ありますが、南宋の忠臣であった楊亮節(ようりょうせつ)という説が有力です。彼は、幼い皇帝を守ってこの地まで逃れてきた人物。そう考えると、この廟もまた、宋皇臺の伝説と深く結びついていることがわかります。

廟の建物自体も、清朝時代の建築様式を色濃く残す貴重なもの。精緻な木彫りや、屋根の上の美しい装飾など、見どころは尽きません。線香の煙が立ち込める静かな境内で、地元の人々が熱心に祈りを捧げる姿は、香港の変わらぬ信仰の風景です。九龍城の喧騒から少し離れて、心を落ち着けたい時にぴったりの場所と言えるでしょう。

九龍城で見つける、通好みのお土産

旅の締めくくりは、思い出を形にするお土産探し。九龍城エリアは、観光地化された場所では手に入らない、ローカルで質の高い品々を見つけることができる穴場です。

タイの食料品

せっかく香港の「リトル・タイランド」に来たのですから、本場の調味料や食材を手に入れない手はありません。南角道(Nam Kok Road)や城南道(South Wall Road)沿いには、タイ食材の専門店が点在しています。

料理好きの方へのお土産なら、様々なブランドのナンプラーや、グリーン、レッド、イエローといった各種カレーペーストがおすすめです。トムヤムクンを作るためのハーブセットや、タイ料理に欠かせない乾燥唐辛子、パームシュガーなども手に入ります。また、タイのインスタントラーメンも種類が豊富。日本では見かけないようなフレーバーを探してみるのも楽しいでしょう。自宅で手軽に、香港で味わった本格的なタイ料理を再現できる、実用的なお土産になります。

伝統的な中華菓子

先ほどグルメパートでも紹介した「豪華餅店」は、お土産を買うのにも最適な場所です。看板商品のエッグタルトは、箱に入れてもらえば持ち帰りも可能。ただし、賞味期限は短いので、帰国日当日に買うのがベストです。

他にも、「老婆餅(ロウポウベン)」と呼ばれる、冬瓜の餡が入った甘いパイや、「雞仔餅(ガイジャイベン)」という、ナッツやゴマ、スパイスが入った香ばしいクッキーなど、香港ならではの伝統菓子が揃っています。どれも素朴で、どこか懐かしい味わい。派手なパッケージではありませんが、その分、地元で長く愛されてきた本物の味がします。

九龍城街市の乾物や調味料

よりディープなお土産を探すなら、再び「九龍城街市」へ。2階の乾物店を覗いてみましょう。干しエビや干し貝柱、干しシイタケといった、広東料理の出汁に欠かせない高級食材が並んでいます。少量からでも購入できるので、料理のアクセントとして試してみるのも良いでしょう。

また、調味料店では、香港の家庭で使われている様々な醤(ジャン)を見つけることができます。豆豉(トウチ)や蝦醤(エビ味噌)、柱侯醤(チューホージャン)など、一つ加えるだけで料理がぐっと本格的になる魔法の調味料です。店の主人に使い方を尋ねながら選ぶのも、市場ならではのコミュニケーションの楽しみです。

歴史と美食が交差する街、九龍城の未来へ

私たちの九龍城を巡る旅は、そろそろ終わりに近づいてきました。かつて世界を驚かせた伝説の魔窟、九龍城砦。その跡地に立ち、歴史の記憶に耳を澄ませば、そこには数え切れないほどの人々の、必死で、そして逞しい日々の営みの物語が聞こえてくるようでした。

しかし、九龍城は決して過去の思い出の中にだけ存在する場所ではありません。城砦が消えた後も、この街は新たな歴史を紡ぎ続けています。タイからの移民が根付き、香港随一の美食タウンとして花開いたその姿は、この土地が持つ、あらゆるものを受け入れ、新たなエネルギーへと変えていく力強い生命力を象徴しているかのようです。

古い役所の建物が静かに佇む公園の隣で、タイ料理のスパイスの香りが漂い、火鍋の湯気が立ち上り、焼きたてのエッグタルトを求める人々の列ができる。歴史の静寂と、現在の食の喧騒。この二つが何の違和感もなく共存し、互いに魅力を高め合っているのが、現代の九龍城なのです。

サイバーパンクな未来を夢想させたあの混沌の城は、今、人々の胃袋を満たし、心に安らぎを与える、最も人間らしい温かみに満ちた街へと生まれ変わりました。もしあなたが、ガイドブックに載っているだけではない、香港の本当の顔に触れたいと願うなら。次にこの街を訪れる時は、ぜひMTR屯馬線に乗って、宋皇臺駅で降りてみてください。

そこには、あなたの知らない香港が、そして忘れられない味と物語が、きっと待っているはずですから。

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この記事を書いたトラベルライター

食品商社で世界中の食を探求してきました。旅の目的は「その土地でいちばん美味い一皿」に出会うこと!市場や屋台でのグルメハントが得意です。

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