きらびやかなネオンが夜を昼に変え、豪華絢爛なホテルが天を突くように連なる街、ラスベガス。世界中から人々が集い、一攫千金を夢見ては、最高級のエンターテイメントに酔いしれる。その名は「罪の街(Sin City)」とも呼ばれ、人間の欲望をこれほどまでに肯定し、具現化した場所は他にありません。しかし、一歩その中心地「ストリップ」を離れれば、そこは広大なモハーヴェ砂漠。灼熱の太陽が照りつけ、年間降水量もわずかな、生命にとってはあまりにも過酷な環境が広がっています。ここで、誰もが一度は抱く素朴な疑問が浮かび上がります。「なぜ、こんな何もない砂漠の真ん中に、これほどまでの大都市が築かれたのだろうか?」と。それは偶然の産物だったのか、それとも誰かの壮大な計画だったのか。今回は、世界中を飛び回るビジネスマンである私の視点から、ラスベガスが砂漠の何もない場所から世界一のエンターテイメントシティへと変貌を遂げた、奇跡の物語を紐解いていきましょう。この街の歴史を知れば、次にあなたがこの地を訪れた時、噴水のショーやカジノの喧騒が、まったく違った物語を語りかけてくるはずです。
この街の魅力を存分に楽しむためには、ラスベガスのカジノで失敗しない必須ルールとマナーを事前に知っておくことが大切です。
すべての始まりは「水」だった – ラスベガスの知られざる起源

現代のラスベガスを象徴するものと言えば、カジノやネオンライトであることに疑いはありません。しかし、この街の真の起源を辿ると、最も重要だったのは「水」だということがわかります。意外に思われるかもしれませんが、砂漠の 한복판 に位置するこの地は、かつて希少な水源に恵まれたオアシスだったのです。
オアシスとしての「ラスベガス」
ラスベガスという名前は、スペイン語で「牧草地」を意味する「Las Vegas」に由来しています。1829年、メキシコ人探検家ラファエル・リベラが、ニューメキシコとロサンゼルスを結ぶ交易路「オールド・スパニッシュ・トレイル」を開拓中に、砂漠の中で緑豊かな泉の湧く地域を偶然発見しました。この発見は、乾ききった大地を旅する人々にとってまさに命の泉でした。ラスベガス・バレーの地下には広大な帯水層が存在し、その水が地表に湧き出ることで、一帯には砂漠では珍しい草原が広がっていたのです。
この発見よりも以前から、この場所はアメリカ先住民パイユート族にとって重要な生活拠点でした。彼らは幾千年もの間、このオアシスの恩恵を受けながら狩猟採集の暮らしを続けてきました。つまり、ラスベガスはヨーロッパ人が到着するずっと前から、人が生活できる貴重な土地として認識されていたのです。
19世紀半ばになると、末日聖徒イエス・キリスト教会、通称モルモン教徒たちが、ソルトレイクシティと南カリフォルニアを結ぶ郵便路中継地として、この地に砦を築こうと試みました。彼らの入植は長くは続きませんでしたが、ラスベガスが交通の要所としての可能性を持つことを示す初期の例となりました。この「水」の存在が、後に人々が集まり町が形成されるための絶対的な条件であったのです。もしこの地にオアシスがなければ、ラスベガスの歴史はそもそも始まらなかったでしょう。
鉄道開通がもたらした転換点
ラスベガスの運命を一変させたのは、20世紀初頭の鉄道建設でした。1905年、ソルトレイクシティとロサンゼルスを結ぶサン・ペドロ・ロサンゼルス&ソルトレイク鉄道(後のユニオン・パシフィック鉄道)が全線開通し、ラスベガスは給水と補給の重要な中継地として選ばれました。蒸気機関車にとって水は生命線であり、オアシスを持つラスベガスは理想的な拠点だったのです。
鉄道の開通に伴い、土地の競売が行われると、瞬く間に街が誕生しました。鉄道労働者や乗客、新たなビジネスの機会を求める人々がこの地に集まり始めます。そして人が集まれば、自然と娯楽への需要が生まれます。特に過酷な労働に従事する鉄道労働者にとって、仕事終わりの一杯やカードゲームはささやかな楽しみでした。こうしてラスベガスの中心部、現在のダウンタウン地区には酒場や賭博場が自然発生的に軒を連ねるようになりました。
当時のラスベガスは、アメリカ西部に数多くあった普通の鉄道町の一つに過ぎませんでした。しかし、この時代に根付いた「娯楽を提供する」という街の特徴が、後の爆発的な発展の基盤となりました。砂漠のオアシスという地理的な強みが鉄道を引き寄せ、鉄道が人を呼び、人が娯楽を求めた。この連鎖がラスベガスの未来を形作る最初の一歩となったのです。まだネオンの輝きはなかったものの、砂漠の小さな町は静かにその潜在力を蓄え始めていました。
フーバーダム建設 – 砂漠の町を変えた巨大プロジェクト
かつて小さな鉄道の町だったラスベガスに対し、全米はもちろん世界中が注目する転機が訪れました。それが、20世紀を代表する公共事業の一つとして知られる「フーバーダム」の建設です。
大恐慌時代の壮大な国家プロジェクト
1929年、アメリカはウォール街の株価大暴落をきっかけに、世界的な大恐慌に突入しました。未曽有の経済危機と失業の波が国中を襲う中、政府は公共事業を大規模に展開し、雇用創出と経済再建を目指しました。その象徴的な事業の一つが、ラスベガスの南東約50キロメートルに位置するブラックキャニオンで計画された巨大なダムの建設でした。
このプロジェクトの主な狙いは、不安定でしばしば激しい洪水を引き起こしていたコロラド川の水位を管理し、下流の南カリフォルニアの農地に安定した水供給を行うこと、そして水力発電によって大量かつ安価な電力を生み出すことにありました。かつて「ボールダーダム」として知られたこの計画は、その規模の大きさや技術的難易度から「不可能」とまで言われた、まさに国家のプライドをかけた大事業でした。高さ221メートル、長さ379メートルという当時としては前例のない巨大なコンクリート構造物を、厳しい砂漠の環境下に建設するという壮大な挑戦でした。
労働者たちが築いた「欲望の街」ラスベガスの原型
1931年に工事が始まると、大恐慌で仕事を失った人々が夢と希望を求めてアメリカ各地から殺到しました。最盛期には5,000人を超える労働者たちが、過酷な環境の中で24時間体制の作業に汗を流しました。彼らの住む場として、工事現場の近くには連邦政府管理の計画都市「ボールダーシティ」が築かれましたが、この街は労働者の規律を保つために、アルコールやギャンブルを厳しく禁止していました。
ところが、人の欲望は抑制されると、別のところで爆発するものです。厳しい労働と禁欲的な生活に疲弊した労働者たちは、給料日になると唯一「自由」を謳歌できるラスベガスへと繰り出しました。当時のラスベガスは、ボールダーシティから最も近い合法的に酒を飲み、ギャンブルを楽しめる場所だったのです。
数千もの労働者がもたらす豊富な資金は、ラスベガスの酒場やカジノにかつてない賑わいをもたらしました。彼らの需要に応えるかのように、町は急激に変貌を遂げていきます。この時期、ラスベガス中心部のフリーモント・ストリートには新しいカジノやバーが次々に開業し、夜ごとに労働者たちの熱気で活気づきました。フーバーダムが巨大な磁石となり、人々と資金、そして欲望をこの砂漠の小さな町に引き寄せ、ラスベガスは単なる鉄道の中継地から「労働者たちの娯楽都市」へと性格を大きく変えたのです。このダムの建設がなければ、今の華やかなラスベガスは存在しえなかったと言っても過言ではありません。フーバーダムがもたらした電力と水、そして何よりも労働者たちの「欲望」こそが、この街を未来へと押し上げるしっかりとした基盤となったのです。
ネバダ州の「決断」- 合法化が呼び込んだ光と影

フーバーダムの建設がラスベガスに人や資金をもたらした一方で、ネバダ州議会によるある「決断」が、この街の運命を法的に、そして決定的に定めました。それは、ラスベガスをアメリカで唯一無二の存在へと押し上げる、大胆かつリスクを伴う賭けでした。
ギャンブル合法化という革新的な施策
フーバーダム建設が始まった1931年、ネバダ州は全米を驚かせる法律を成立させます。それは州内でのギャンブルを全面的に合法化するものでした。大恐慌の影響で主産業であった鉱業が衰退していたネバダ州にとって、これは税収を得るための苦肉の策にして、最後の切り札でした。多くの州が道徳的理由でギャンブルを厳しく禁止しているなか、ネバダ州はその逆を選び、独自の特異な市場を築こうとしたのです。
この法律は、すでに非公式に広く行われていたギャンブルを公認し、ライセンス制度を設けることで新たな財源を確保しようという狙いがありました。また、離婚手続きの簡略化(居住要件をわずか6週間に短縮)も同時に実施され、ネバダ州は「早く離婚したい人々」と「すぐに儲けたい人々」が集まる地としての評判を築いていきます。この「寛容さ」こそが、ネバダ州、そしてその中心都市ラスベガスの最大の強みとなったのです。
マフィアの進出とカジノリゾートの誕生
ギャンブル合法化のニュースは、東海岸で暗躍していた組織犯罪シンジケート、いわゆるマフィアの耳にも届きました。禁酒法時代に密造酒で莫大な富を築いた彼らにとって、合法的なギャンブル事業はまさに金のなる木でした。潤沢な資金力とビジネスのノウハウを携え、彼らはこぞってラスベガスに進出していきます。
なかでも象徴的なのが、ニューヨークの殺し屋として知られたベンジャミン・“バグジー”・シーゲルでした。彼は単なる賭博場ではなく、豪華な客室や高級レストラン、華やかなショー、美しいプールを備えた、総合的なリゾート施設としてのカジノホテルを構想しました。そのビジョンは1946年に開業した「フラミンゴ・ホテル」として具現化されます。当時のラスベガスにあった西部劇風の素朴なカジノとは一線を画する、ハリウッドスターも訪れる洗練された空間は、後のラスベガス・ストリップに立ち並ぶ巨大リゾートホテルの原型となりました。
フラミンゴの建設はマフィアの巨額資金をラスベガスに流入させる契機となり、サンズ、トロピカーナ、リビエラなど、マフィア資本が次々とカジノホテルをストリップに建設しました。街は急速に変貌を遂げ、彼らはフランク・シナトラをはじめとする一流エンターテイナーを呼び込み、ギャンブルと娯楽を融合させた独自のラスベガス文化を創り上げます。この時代のラスベガスは間違いなくマフィアの支配下にありました。その歴史には光と影がありますが、彼らがもたらした資金と大胆な構想が砂漠の町を世界有数のエンターテイメントの中心地へと変貌させたこともまた紛れもない事実です。ラスベガスのマフィアの歴史に興味がある方は、ダウンタウンにあるモブ・ミュージアム(The Mob Museum)で、その生々しい物語を体験することができます。
現代のラスベガスへ – 巨大資本とエンターテイメントの進化
マフィアが築き上げた華やかなカジノの街は、やがて大きな転換点を迎えます。裏社会の影が色濃く残っていた街から、誰もが安心して楽しめるクリーンな観光地へと変貌を遂げました。この変化は、新たなプレーヤーの出現により一層加速していきました。
マフィアから合法的な巨大企業へ
1960年代後半、状況が一変し始めます。伝説の大富豪であるハワード・ヒューズがラスベガスに隠遁し、次々とカジノホテルの買収に乗り出しました。彼はマフィアの介入を嫌い、企業の合理性をもってホテル経営を進めようとしました。ヒューズの参入は、ラスベガスがマフィア支配から合法的な巨大資本による経営へ移行する象徴的な出来事となりました。また同じ頃、ネバダ州政府はゲーミング管理委員会(Gaming Control Board)の権限を強化し、カジノライセンスの審査をより厳格にすることで、マフィア関係者を段階的に業界から排除していきました。
1980年代に入ると、ウォール街からの資金流入が本格化。ジャンクボンド(高利回り社債)を活用して資金調達を行い、大型のテーマ型リゾートを建設する手法が主流となりました。この流れを決定づけたのが、名経営者スティーブ・ウィンの登場です。彼は従来のラスベガスの常識を打ち破る革新的なリゾートを次々と創出していきました。
カジノにとどまらない「総合エンターテイメントリゾート」への進化
1989年、スティーブ・ウィンが開業させた「ザ・ミラージュ」はラスベガス史における大革命でした。ホテル前の火山が噴火し、広大なロビーには巨大な水槽が設置され、ホワイトタイガーが飼育されるなど、単なるカジノホテルとは一線を画す、「訪れるだけで楽しめるデスティネーション・リゾート(目的地型リゾート)」が誕生しました。
この成功を契機に、ウィンはベラージオの豪華な噴水ショーやトレジャー・アイランドの海賊ショーなど、無料で楽しめる壮大なスペクタクルをストリップ地区に次々と導入しました。彼の戦略は、「ギャンブルをしなくても楽しめる街」という新たなラスベガスのイメージを創り出し、多様な顧客層を呼び込むことに成功しました。カジノ収益(ゲーミング)に依存するのではなく、ホテル、レストラン、ショッピング、ショーなど非ゲーミング部門の収益を重視する現代的なビジネスモデルが確立されたのです。
この流れの中で、カナダ発のサーカス団「シルク・ドゥ・ソレイユ」の常設公演がスタート。『O(オー)』や『Mystère(ミステール)』といった彼らのショーは、ラスベガスでしか体験できない最高峰のエンターテイメントとして圧倒的な人気を集め、街の魅力をいっそう高めました。セリーヌ・ディオンやブリトニー・スピアーズといった世界的スターによる長期滞在型公演(レジデンシー)も定着し、ラスベガスはギャンブルの街から「世界のエンターテイメントの首都」へとその地位を不動のものにしていったのです。
家族連れも楽しめる街へと変貌
1990年代には、ラスベガスはさらに顧客層を拡大すべく、「ファミリー向けリゾート」へのシフトを試みました。MGMグランドにはテーマパークが併設され、エクスカリバーやルクソールといった子どもも楽しめるテーマ性豊かなホテルが次々と誕生しました。この試みは、結果的に大人向け娯楽を求めるラスベガスの本質とは必ずしも合致せず、のちに高級志向への路線修正が進みましたが、常に時代のニーズに応じて自己変革を続けてきたことの証といえます。現在では、超高級レストランやナイトクラブなど大人向けの洗練されたエンターテイメントと、家族で楽しめるアトラクションやショーが共存し、幅広い世代の旅行者を受け入れる包容力豊かな街へと進化しています。
ラスベガス旅行を計画するあなたへ – 砂漠の都を120%楽しむための実践ガイド

ラスベガスの壮大な歴史を踏まえたうえで、実際に訪れる際に役立つ具体的なノウハウをご紹介します。砂漠特有の気候への対策から効率的な移動方法、エンターテイメントの楽しみ方まで、私の体験に基づいた実践的なアドバイスです。
ベストシーズンと気候 – 砂漠の気候は侮れません
ラスベガスはモハーヴェ砂漠の中にあるため、気候は非常に極端です。夏(6月~8月)は日中の気温が40度を超えることが珍しくなく、まさに灼熱の暑さです。また冬(12月~2月)は冷え込みが厳しく、朝晩は氷点下になることもあります。私が特におすすめしたいのは、気温が穏やかで過ごしやすい春(3月~5月)と秋(9月~11月)のシーズンです。
- 持ち物のポイント
- 季節に関わらず必携: 乾燥対策用のリップクリームやハンドクリーム、保湿ローション。サングラスや帽子に加え、広大なホテル内を歩き回るための履きやすい靴も絶対に必要です。
- 夏: 日焼け止め、薄手の長袖シャツ(強い日差しの遮断や屋内の冷房対策に有効)。携帯扇風機もあると便利でしょう。
- 冬: ダウンジャケットなどしっかりと防寒できる服装。マフラーや手袋もあると安心感が増します。
砂漠特有の特徴として、一日の中で気温差が大きい点が挙げられます。どの季節に訪れる際も、脱ぎ着しやすい服装を用意し、体温調整がしやすい準備をすることが快適に過ごすコツです。
空港からストリップへのアクセス – 上手に移動手段を選ぶ
ラスベガスの中心地に近いハリー・リード国際空港(LAS)は、ストリップ地区の主要ホテル群から非常にアクセスが良好です。空港から市街地への移動方法はいくつかあります。
- タクシー: 最も手軽ですが料金はやや高めです。乗り場は分かりやすく案内されています。
- UberやLyft(配車サービス): タクシーに比べて安いことが多く、スマホアプリで簡単に呼べます。ただし、乗車場所が到着ロビーから少し離れた駐車場ビル内に指定されていることが多いので、アプリの案内をよく確認しましょう。
- シャトルバス: 複数の乗客が同時に乗車し、各ホテルを周るため時間はかかりますが、一人あたり15ドル前後でリーズナブルです。時間に余裕がある場合におすすめです。
- RTCバス: 市内の路線バスで最も安価な手段ですが、大きな荷物を持つ場合や頻繁な乗り換えには向かないかもしれません。
市内の交通 – モノレールとバスの賢い使い方
ストリップ地区のホテルは距離感があり、地図で見るよりずっと歩く時間がかかります。たとえば、隣のホテルまで歩こうとすると30分以上かかることも珍しくありません。効率よく移動するためには、公共交通機関の活用が不可欠です。
- ラスベガス・モノレール: ストリップ通りの東側を走り、MGMグランドからサハラ・ラスベガスまでをカバーしています。交通渋滞に煩わされず快適に移動可能で、1日券や複数日券を購入するとコストパフォーマンスが良いです。
- RTCバス(The Deuce): ストリップを24時間運行している2階建てバスで停車場所が多く、大変便利です。24時間パスなど乗り放題のパスを利用すると自由に乗り降りできてお得です。
カジノのルールとドレスコード – スマートに遊ぶための基本
ラスベガスといえばカジノが主役です。初めての方でも気負う必要はありませんが、押さえておきたいルールとマナーがあります。
- 禁止事項・ルール:
- 年齢制限: ネバダ州ではギャンブルと飲酒は21歳以上に限られています。カジノ内への入場時にID(パスポートなど)の提示を求められることが多いので必ず携帯しましょう。
- 写真撮影: カジノフロアでの写真やビデオ撮影は原則禁止です。ディーラーや他の客が写らないように十分配慮が必要です。
- 服装の目安(ドレスコード):
- 日中: カジノフロアの服装はかなりカジュアルで、Tシャツやショートパンツ、サンダルでも問題ありません。
- 夜間: 高級レストランやナイトクラブ、劇場に行く際はドレスコードが設けられている場合があります。一般的には「スマートカジュアル」が望ましく、男性は襟付きシャツにスラックスやチノパンと革靴、女性はワンピースやブラウスとスカートが無難です。ジーンズやスニーカーがNGの場合もあるため、行きたい場所の公式サイトで事前に確認しておくのがおすすめです。
カジノではドリンクを運んでくれるウェイトレスに1〜2ドル程度のチップを渡すのが一般的なマナーです。また、大勝した場合はディーラーにも感謝の気持ちとしてチップを渡すと好印象です。
ショーのチケットは事前予約がマスト
ラスベガスならではのシルク・ドゥ・ソレイユなどの人気ショーは、必ず事前にチケットを予約しておきましょう。
- チケット購入のポイント:
- 公式サイト: 各ショーの公式サイトから直接購入すると、座席も選べて最も確実です。
- 総合予約サイト: Vegas.com のようなラスベガス専門のエンタメ予約サイトは、複数のショーを比較検討でき、割引オファーも見つかることがあります。
- ディスカウントチケットブース: ストリップ各所にある「Tix4Tonight」などでは、その日の空席を割引価格で販売しています。特定のショーにこだわらなければ、お得な席を探せることもあります。
人気ショーは数週間前に満席になることも多いので、旅の詳細が決まったら早めの手配を強くおすすめします。
トラブルに備えた心得 – 安全に楽しむために
ラスベガスは比較的安全な観光地ではありますが、多くの人が集まる場所では最低限の注意が必要です。
- トラブル対応のポイント:
- 盗難防止: スリや置き引きには常に警戒しましょう。貴重品はホテルのセーフティボックスに預けるのが賢明で、持ち歩く現金は最小限に抑え、バッグは体の前で持つことを心がけてください。
- パスポート紛失時: もしパスポートを紛失した場合は、まず近くの警察で紛失証明書を受け取り、その後、在ロサンゼルス日本国総領事館に連絡して再発行の手続きを相談しましょう。
- 緊急連絡: 警察・救急・消防はすべて「911」で対応可能です。
最新の治安情報や安全に関するアドバイスは、ラスベガス観光局(LVCVA)の公式サイトで確認をおすすめします。公式情報を活用し、万全の準備をして旅を満喫してください。
砂漠のオアシスが抱える未来への課題 – 水問題と持続可能性
砂漠の中に築かれた奇跡の都市ラスベガス。しかし、その繁栄の土台は常に「水」というきわめて脆弱な資源に依存しています。煌びやかなネオンの光に包まれた裏側で、この街は深刻な環境課題に直面しながら、未来を見据えた挑戦を続けています。
生命線「ミード湖」の水位が危機的状況に
ラスベガスの水の約90%は、フーバーダムによって堰き止められたコロラド川の人造湖「ミード湖」から供給されています。しかし現在、このミード湖の水位が非常に危険な水準まで低下しています。長期にわたる干ばつと南西部全体で増大する水需要の影響で、水位は観測開始以来の最低記録を更新しています。湖岸に白く浮かび上がる「バスタブ・リング」と呼ばれる跡はかつての水位を示し、その深刻さを物語っています。この状況が続けば、水の取り入れや発電に甚大な支障が出る恐れがあり、ラスベガスの存続すら揺るがしかねない重大な問題となっています。
世界トップクラスの節水技術と対策
しかし、ラスベガスはこの危機にただ無為にしているわけではありません。むしろ、世界でも最も高度な水資源管理システムを誇る都市へと変貌を遂げています。驚くべきことに、ラスベガス都市圏においては屋内で使用された水(シャワーやトイレ、シンクなど)のほぼ全量が回収、浄化され再びミード湖へ返されています。この高度なリサイクル技術により、水資源の再利用率が格段に向上し、使用量の大幅な削減に成功しています。
さらに、南ネバダ水道局は市民や企業に対し厳格な節水施策を実施。例えば、個人宅での芝生の植栽を制限し、代わりに砂漠環境に適した乾燥耐性の強い植物への植え替えを奨励する「キャッシュ・フォー・グラス」プログラムは大きな成果を挙げています。また、新築建物には節水型トイレやシャワーの設置が義務化され、水漏れの監視も徹底されています。ホテルではリネンの交換を毎日行わない選択肢を宿泊客に提供するなど、観光客にも節水を呼びかける取り組みが進展しています。砂漠という厳しい環境の中、ラスベガスは水の貴重さを誰よりも深く理解し、その持続可能な利用に向けて世界を牽引する努力を続けているのです。
次なる成長の道筋 — スポーツとテクノロジーの発展
かつてはギャンブルに大きく依存していたラスベガスの経済モデルは、多様化が進んでいます。近年、新たな主軸となっているのがプロスポーツです。NHL(アイスホッケー)のベガス・ゴールデンナイツは創設初年度にリーグ決勝まで進出する快挙を達成し、また、NFL(アメリカンフットボール)のレイダースもオークランドから移転。これにより街は熱狂的なスポーツファンで賑わい、ギャンブルに関心のない層も訪れるようになり、新たな経済的波及効果を生んでいます。
さらに、テクノロジーとエンターテイメントの融合も急速に進展。2023年にオープンした巨大な球体型施設「スフィア」は、その全面がLEDスクリーンで覆われ、かつてない没入型映像体験を実現。ラスベガスの新たなランドマークとして世界中から注目を集めています。毎年1月に開催される世界最大級のテクノロジー見本市「CES」をはじめ、多くの国際的なコンベンションも開催され、ラスベガスは世界屈指のコンベンション都市としての地位を確立。従来のカジノ文化を維持しつつも、スポーツ、テクノロジー、ビジネスという新たな柱を育てることで、ラスベガスは過酷な砂漠の環境下でも持続的な発展を目指し、日々模索を続けているのです。
なぜ人は砂漠の光に引き寄せられるのか

ラスベガスの歴史を振り返ると、一貫したテーマが浮かび上がります。それは、何もない不毛の砂漠に人間の欲望、創意工夫、そして野心が注ぎ込まれた壮大な実験の記録です。この物語は、小さなオアシスが砂漠に生まれたことから始まりました。
その「水」が鉄道を呼び寄せ、鉄道は人々を引き寄せました。国家の威信をかけたフーバーダムの建設は、その人の流れを巨大な奔流へと変え、電力やさらなる水、そして制御しきれないエネルギーをこの街に与えました。ネバダ州がギャンブルを合法化するという大胆な決定は法の扉を開き、マフィアの資金とビジョンが流入して、砂漠にきらびやかなカジノリゾートという蜃気楼を出現させました。その後、その支配はよりクリーンな大企業へと移り変わり、ラスベガスはギャンブルだけでなく、すべての人が楽しめる総合エンターテイメントの都市へと自己変革を遂げました。
偶然と必然が複雑に交錯し、各時代の欲望が重なり合って生まれた奇跡の街、それがラスベガスです。この街はアメリカンドリームの極致であり、最も華やかな形の象徴かもしれません。同時に、水資源の問題という深刻な課題に直面する姿は、人間の繁栄がいかに繊細な自然のバランスの上に成り立っているかを示しています。
次にラスベガスを訪れる際には、ぜひ思い出してください。ベラージオの噴水が空高く吹き上がる一滴の水が、どれほど価値のあるものであるかを。カジノのチップを手にしながら、この街を築き上げた人々の野心と情熱の歴史を心に留めてみてください。そうすることで、目の前に広がる光の洪水は、単なる娯楽ではなく、砂漠の真ん中で繰り広げられてきた人間の飽くなき挑戦の物語として、より深く鮮明にあなたの心に刻まれることでしょう。

