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天空の仏陀と水上の迷宮 – 香港ランタオ島、矛盾を歩く旅

香港と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、ヴィクトリア・ハーバーを彩る100万ドルの夜景、狭い路地にひしめくネオンの看板、そして世界中の美食が集まるエネルギッシュな食の都としての顔でしょう。絶え間なく動き続けるこの都市のダイナミズムは、確かに抗いがたい魅力を持っています。しかし、その喧騒のすぐそばに、まるで別世界のような静寂と雄大な自然、そして深い精神性を湛えた島が存在することを、ご存知でしょうか。それが、香港最大の島、ランタオ島です。

食品商社に籍を置き、世界の食文化の深淵を覗くことを生業とする私にとって、旅とは単に名所を巡り、美味しいものを食べることだけではありません。その土地の風土が、歴史が、そして人々の営みが、どのように一皿の料理に結実するのか。その背景にある社会の構造や人々の精神性にまで思いを馳せることに、旅の醍醐味があると感じています。今回の旅の舞台、ランタオ島は、まさにそうした私の探求心を激しく揺さぶる場所でした。ここは、超近代的な国際空港と古代からの信仰が同居し、グローバル資本主義の象徴であるテーマパークと、時が止まったかのような漁村が隣り合う、巨大な矛盾を内包した島なのです。それはまるで、現代香港が抱える光と影、その縮図を見せつけられているかのようでした。

この島を訪れることは、単なる観光ではありません。それは、発展とは何か、豊かさとは何か、そして我々が失いつつあるものは何かを問う、一つの巡礼にも似た行為となり得るのです。さあ、コンクリートのジャングルをしばし離れ、私と共にランタオ島の深部へと足を踏み入れてみましょう。そこには、あなたの知らないもう一つの香港の顔が、静かに待ち受けているはずですから。

ランタオ島の旅をより深く計画するには、香港ランタオ島 完全攻略ガイドが役立つでしょう。

目次

都市の喧騒を離れ、纜車(ゴンピン360)で天空の旅へ

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ランタオ島への旅は、その入り口からして非常に現代的かつ示唆に富んだ体験です。MTR東涌(Tung Chung)駅を降りると、目の前に広がるのは巨大なアウトレットモールと、未来的なデザインのケーブルカー乗り場。ここが天空の散歩道「ゴンピン360」の出発地点となっています。

このケーブルカーは単なる移動手段ではなく、地上の喧騒から山上の聖地へとつながる、一種の境界線の役割を果たします。全長5.7km、約25分の空中旅は、私たちを物理的にも精神的にも日常から非日常へと徐々に引き離していくのです。

ここで実用的なアドバイスをひとつ。チケットは現地の窓口でも購入できますが、週末や観光シーズンには長い行列ができることも珍しくありません。貴重な時間を有効に使うためには、ゴンピン360公式サイトでの事前予約を強く推奨します。ウェブサイトは日本語対応しており、予約はスムーズに行えます。予約時に発行されるQRコードをスマートフォンに保存しておけば、当日は専用レーンを利用して素早く搭乗できます。このような効率的なシステムも、近代的な香港らしい魅力の一つです。

ケーブルカーには2種類のキャビンが用意されています。標準のスタンダードキャビンと、足元が強化ガラスのクリスタルキャビンです。わずかな追加料金で、足元の絶景を存分に楽しめるクリスタルキャビンは、高所に恐怖を感じない方にぜひ試してほしい選択肢です。眼下には緑豊かなランタオ島の森林が広がり、遠方には香港国際空港から次々と飛び立つ飛行機の姿が見られます。さらに目を転じると、中国本土とマカオ、香港を結ぶ世界最長の海上橋「港珠澳大橋」が、まるで巨大な龍のように海上を伸びています。これらの近代的インフラの光景は、香港がアジアの経済中心地としての役割を担う強さを物語っています。一方、その隣には手つかずの自然がゆったりと息づいている。この対比こそが、ランタオ島の魅力の入り口なのです。

風の強い日にはキャビンがわずかに揺れることもあり、その微かなスリルもまた天空の旅の醍醐味と言えるでしょう。ただし、雷警報や台風シグナルなどの悪天候時には安全確保のため運休となる場合があります。出発前には必ず公式サイトで運行状況を確認する習慣をつけてください。もし運休していたとしても慌てる必要はありません。東涌にあるバスターミナルから、目的地の昂坪(ゴンピン)行き23番バスが運行しています。時間はかかりますが、山道をバスで揺られながら登るのも別の趣があり、旅の思い出として味わい深いものになるでしょう。予期せぬトラブルも旅の一部として受け入れる心構えが、より豊かな体験へと繋がります。

準備面では、特に夏場は日差しが強いため、帽子やサングラス、日焼け止めが必須です。キャビン内は冷房が効いていますが、山の上の天気は変わりやすく、市街地より気温が低いことも多いので、薄手の上着を一枚持参すると安心です。また、カメラやスマートフォンの充電は十分に満タンにすることも忘れずに。この25分間は絶好のシャッターチャンスが続きます。

高度をゆっくり上げていくキャビンの中で、都市の雑音は次第に遠ざかり、耳に届くのは風の音ばかりに。眼下に広がる景色はまるで繊細に作られたジオラマのようであり、人間の営みの巨大さと自然の壮大さが同時に感じられます。その瞬間、私たちは日常のスケール感から解放されていくのです。ゴンピン360は、これから始まるランタオ島の深い世界へと誘う、理想的なプロローグと言えるでしょう。

天壇大仏の眼差しが見つめるもの – 信仰と観光の狭間で

約25分の空中散歩を終えてケーブルカーが昂坪(ゴンピン)駅に到着すると、私たちを迎えるのは「ゴンピン・ビレッジ」と呼ばれる、まるでテーマパークのようなエリアです。土産物店やレストラン、カフェがきちんと並び、伝統的な中国建築の様式を模した建物が観光客の目を楽しませています。スターバックスの看板のすぐ隣に、中国茶の専門店がある光景は、グローバルな資本と地元文化が入り混じる現代香港の象徴のように感じられます。しかしながら、この商業的な空間はあくまで聖域へと続く序章にすぎません。

ビレッジを抜けると視界が突然広がり、木々の向こうに巨大な仏陀の姿が姿を現します。標高約520メートルの木魚山頂に鎮座する、高さ34メートルの青銅製の屋外座仏「天壇大仏(ビッグブッダ)」です。その圧倒的な存在感に、一同はしばらく言葉を失うことでしょう。1993年に建立されたこの大仏は比較的新しいものですが、すでにランタオ島のみならず香港全体のシンボルとして、人々の心に深く浸透しています。

大仏の足元に辿り着くには、268段の石段を自らの足で登らなければなりません。一段一段が、俗世間から仏の世界へと近づく試練のようにも感じられます。息を切らしながら時折振り返ると、通ってきたゴンピン・ビレッジや遠く連なる山々、そして空の蒼さが目に飛び込んできます。登るごとに広がる視界は、精神的な高揚感と不思議なほどリンクしています。

ここでひとつ実用的なアドバイスを。この階段は特に日差しが強い昼間に体力を著しく消耗しますので、こまめな水分補給が欠かせません。ペットボトルの水を持参することをおすすめします。また、歩きやすい靴を履くこともランタオ島の探訪において必須の装備です。ヒールやサンダルで挑むのは賢明とは言えません。服装についても、この場所が聖なる信仰の場であることを心に留めておきましょう。寺院の敷地内では、タンクトップやショートパンツなどの過度な肌露出は避けるのが望ましいマナーです。敬意を表す意味で、肩や膝が隠れる服装を心がけると良いでしょう。

最後の段を登りきって大仏の台座に立つと、荘厳な静けさが広がっています。巨大な仏陀は穏やかでありながらも、すべてを見通すかのような眼差しで、眼下に広がる香港の大地を見つめています。その視線の先には、発展を続ける都市の姿、国際空港に離着陸する飛行機、そして南シナ海の広大な水平線が広がっています。この大仏は一体何を見つめているのでしょうか。香港の繁栄でしょうか、それとも人々の心の平安でしょうか。あるいは開発の波にさらされる自然への憂いでしょうか。その表情は訪れる者の心境によって様々に読み取れるように思えます。ここに立つと、自らの悩みの小ささを思い知らされると同時に、巨大な都市が抱える複雑な現実に深く思いを巡らせることになります。

大仏の周囲には、仏陀に供物を捧げる六人の天女「六天母像」が配されています。彼女たちは香、灯、花などを手にしており、仏教の教えである「六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)」の象徴とされています。その優雅な姿は、大仏の荘厳さと美しいコントラストを成しています。

台座の内部は三層構造の資料館となっており、仏舎利(釈迦の遺骨とされるもの)が安置されています。内部への入場は有料ですが、仏教美術や歴史に興味がある方にとっては訪れる価値のある場所です。ここには信仰の対象としての大仏と、世界中から観光客を集める巨大モニュメントとしての大仏、二つの側面が共存しています。熱心に祈りを捧げる信者の隣で、記念撮影に興じる観光客がいる。その混沌とした光景こそ、この場所ならではの聖と俗が交わる本質なのかもしれません。

天壇大仏の見守るもと、風に吹かれていると時の感覚が曖昧になっていきます。ここは、香港という都市が持つ激しいスピードから一時的に離れ、自分自身の内面と向き合うことができる貴重な聖域なのです。

寶蓮寺(ポーリン寺)の静寂と、素食に宿る哲学

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天壇大仏の荘厳な姿に心が清められた後、その麓に広がる「寶蓮寺(ポーリン寺)」へと足を運ぶと、そこにはまた違った趣のある静けさが満ちています。1906年に建立されたこの禅寺は、「南天の仏国」とも称される香港を代表する仏教寺院です。世界的な観光名所となった大仏建立の背景にあっても、その本質は今なお、僧侶たちの修行と信仰の場として厳かな空気を保ち続けています。

寺の境内は、色鮮やかな装飾を施した大雄宝殿(本堂)を中心に、天王殿や万仏殿などが整然と配置されています。特に印象的なのは、屋根の上に彫り込まれた繊細な龍の細工や、壁面に描かれた仏教物語の壁画です。それらの建築様式からは、まるで仏教の世界観が具現化されているかのような趣を感じさせます。境内を歩くと、どこからともなく線香の香りが漂い、心に静けさをもたらしてくれます。熱心な信者たちが太い線香を束ねて捧げ、静かに手を合わせる姿は、大仏周辺の賑わいとは対照的な、真剣な祈りの場がここにあることを教えてくれます。

寺院を訪れる際にはいくつかのマナーを心に留めておくことが重要です。堂内では静粛を保ち、大声での会話は避けましょう。また、多くの場所で写真撮影が許可されていますが、僧侶や祈る人々に無遠慮にカメラを向けるのは控えるべきです。特に撮影禁止の場所では、必ずその指示に従うようにしてください。敬意を持つことで、旅はより深く、意味あるものになることでしょう。

そして、食品の専門家として私がこの寺院で最も魅かれたのは、ここで提供される精進料理「素食(ソウシッ)」です。これは単なるベジタリアン料理にとどまらず、仏教の教えに則り、肉や魚介類はもちろん、五葷(ごくん)と呼ばれるネギ、ニンニク、ニラなど匂いの強い野菜も使わない、心身を浄化するための特別な食事なのです。

寶蓮寺の斎堂(食堂)では、誰でもこの素食を味わうことができます。食堂の入口で食券を購入し、いくつかのセットメニューや単品から選択可能です。私が選んだのは、スープ、数種類の野菜や豆腐の炒め物、春巻き、ご飯がセットになった一般的なメニューでした。着席すると、大きなやかんで提供される中国茶が、歩き疲れた身体に優しく染みわたります。

運ばれてきた料理は一見地味ながら、一品一品丁寧に仕上げられているのが伝わってきます。キノコやタケノコ、湯葉、豆腐など多彩な食材を巧みに用い、食感や味わいに変化を持たせています。肉を使わなくても、これほどまでに豊かで満足感のある味わいが作り出せることに純粋な驚きを感じました。特に、大豆ミートを用いて肉の食感を再現した料理には、その技術の高さに感心させられます。しかし、素食の本質は単なる模倣ではありません。素材そのものがもつ本来の味を最大限に引き出し、その命をいただくことへの感謝の念こそが全ての皿の根底に流れているのです。

この素食を味わう体験は、現代の食生活について深く考えさせられる時間でもありました。私たちは日々どれほど多くの加工食品を口にし、命の背景をじっくり考えずに消費しているかを見直すきっかけとなります。素食は味覚をリセットし、食の原点に立ち返らせてくれるものです。それはまた、サステナビリティやエシカルな消費といった現代社会が直面する課題への、一つの静かな回答のようにも感じられました。詳しくは香港政府観光局のウェブサイトでも紹介されていますが、この味覚体験はランタオ島訪問の大きなハイライトの一つとなるに違いありません。

寶蓮寺の静謐な空間でいただく素食は、単に空腹を満たすだけでなく、自分の身体や世界との関わり方を見つめ直すための哲学的なひとときを与えてくれます。ランタオ島を訪れる際は、ぜひこの食の巡礼も体験してみてください。

心経簡林(ハート・スートラ)- 空(くう)の思想が刻まれた森

寶蓮寺の素食で心身が満たされた後、さらなる思索の場を求めて、森の奥深くへと足を進めました。寶蓮寺から緩やかな坂道を約15分ほど歩くと、木立の間に突如として現れるのが「心経簡林(ハート・スートラ)」です。ここはランタオ島でも特に精神性が高く、訪れる者に静粛な感銘を与える場所と言えるでしょう。

心経簡林は、世界的に著名な国学者・饒宗頤(ジャオ・ツンイー)教授の書による「般若心経」を、38本の巨大な木製柱に刻み込んだ壮麗な野外アートで、同時に瞑想の空間でもあります。これらの柱は鳳凰山の麓の自然地形を巧みに生かし、無限大(∞)の形状に配置されており、その構成自体が般若心経の教える「空(くう)」や「無」の概念、さらには宇宙の無限性を象徴していると伝えられています。

森に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫で、鳥の囀りや風が木々を揺らす音だけが聞こえてきます。都会の喧騒から完全に隔絶されたこの場所では、自然と人の手による創造物が見事に調和しています。高さ8メートルから10メートルに及ぶ木製の柱は、まるで古代遺跡のようであり、あるいは森の守り神のように静かに佇んでいます。それぞれの柱には力強くも流麗な筆致で般若心経の一節が刻まれており、その文字にはまるで魂が宿っているかのような存在感があります。

般若心経は、仏教の中でも「空」の思想を説くことで知られています。「色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)」という有名な一節は、形あるもの(色)はみな実体のない(空)ものであり、だからこそあらゆる形あるものが成り立つという深遠な教えです。この教えは文字を読むだけでなく、この空間に身を置くことで、身体全体で感じ取ることができる。これこそが心経簡林の最も大きな魅力でしょう。

無限大の形に配列された柱の中心、最も高い位置に立つ一本は、文字のない「無字の柱」です。これは般若心経が説く「空」の概念、言葉や概念では捉えきれない真理そのものを象徴していると言われています。この無字の柱の前に立つと、私たちが普段どれほど言葉や情報に頼り、物事の本質を見失っているかを思い知らされます。思考を止め、ただ静かに佇む。この行為を通じて、自分の内面と対話する時間が自然に生まれるのです。

この心経簡林が、世界有数の金融センターである香港に存在するという事実は非常に興味深いものです。効率や利益を追求し、常に情報が溢れる資本主義の最前線の都市のすぐそばに、あえて「空」や「無」を説く空間が設けられたのです。それは、現代社会が抱えるストレスや精神的な飢えに対する一つの文化的、あるいは社会的な処方箋かもしれません。人々はここに訪れ、物質的な豊かさだけでは満たされない心の隙間を静かな思索を通じて埋めようとしているのでしょう。

もしここを訪れるなら、いくつかの準備をしておくと、より深くこの空間を味わえます。まず、寶蓮寺からの道は整備されていますが森の中なので、虫除けスプレーを持参すると快適です。また、ここは観光地であると同時に瞑想や思索のための神聖な場所ですので、大声で騒いだり走り回ったりするのは控え、他の訪問者への配慮を忘れないようにしましょう。スマートフォンはマナーモードにし、可能ならカバンにしまってデジタルデトックスの時間として過ごすのもおすすめです。

心経簡林は私たちに何かを教えようとする場ではありません。むしろ、私たち自身が自身の内に答えを見つけるための静かな余白を与えてくれる場所です。木漏れ日の中で巨大な経文に囲まれると、自分が広大な自然や宇宙の流れの中のかけがえのない一片であることを実感します。その感覚は、日々の悩みを相対化し、心を軽やかにしてくれる不思議な力を備えているのです。

大澳(タイオー)- 水上に揺れる時間と、失われゆく漁村の原風景

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昂坪(ゴンピン)の山の上で精神的な浄化を味わった後、次に訪れるのはランタオ島の西端に位置する漁村、大澳(タイオー)です。ゴンピンのバスターミナルから21番のバスに乗り、曲がりくねった山道を約20分かけて下ります。車窓の景色は、濃い緑の森から次第にマングローブの茂る水辺へと変わり、やがてバスは終点の大澳に到着します。バスを降りた瞬間に漂うのは潮の香りと、独特な乾物の匂い。それはここが今も漁業と密接に結びついた村である証しです。

大澳は「香港のヴェネツィア」とも呼ばれますが、その姿は華やかなヨーロッパの都市とは全く異なります。川の両岸にぎっしりと並ぶのは、「棚屋(パンオーク)」と称される高床式の水上家屋。木材やトタンで造られた家々は満潮時には水面に浮いているかのように見え、干潮になると支柱が露わになります。この特有の景観は、かつて陸地での居住を許されなかった蛋民(タンカ)と呼ばれる水上生活者たちが築き上げた生活の智慧の結晶です。

村の中心を流れる水路に架かる橋の上から眺める棚屋の風景は、どこかノスタルジックで非現実的な美しさをたたえています。しかし、その美しさは同時に脆さやはかなさも感じさせます。香港全域に押し寄せる近代化の波のなか、なぜこの場所だけが、まるで映画のセットのように過去の時間をとどめているのか。それは偶然ではなく、観光資源として「保存」されている側面も否めません。私たち観光客は、こうした失われつつある原風景を消費するために訪れているのではないか、そんな社会学的な疑問が頭をよぎります。

村を歩けば、その疑問はさらに深まっていきます。狭い路地には海産物の乾物を売る店が軒を連ね、店先には魚の浮袋やヒトデ、各種の干し魚が天日で干されています。その強烈な匂いと視覚的な迫力は、まさに大澳の暮らしそのものです。観光客の目当ての一つに、名物の「蝦醬(ハージョン)」があります。これはエビを発酵させて作るペーストで、その独特の濃厚な味わいは炒め物に加えると料理に深みをもたらします。グルメライターとしては、この土地独特の発酵文化に強く惹かれ、お土産として一つ購入し、製造過程について店主に尋ねるのも旅の楽しみのひとつです。

一方で、村の経済が観光に大きく依存している現実も目の当たりにします。水路では観光客を乗せた小さなボートが行き交い、ピンクドルフィンウォッチングツアーの客引きの声が響き渡ります。このピンクドルフィンは、香港近海に生息するシナウスイロイルカで、大澳観光の大きな目玉となっています。ボートに乗れば水上から棚屋の景色を楽しみ、運が良ければイルカを見ることもできますが、必ずしも会える保証はありません。また、このツアーがイルカの生態系に及ぼす影響についてはさまざまな議論があることも忘れてはなりません。

飲食に関しては、観光客向けにアレンジされたものが目立ちます。炭火焼きのイカやホタテ、巨大な魚のすり身団子、さらには香港名物のエッグワッフル「鶏蛋仔(ガイダンジャイ)」など、食べ歩きにぴったりのストリートフードが人気を集めています。どれも美味しいものの、これらが果たして村の日常の食卓に並ぶものかどうかは疑問です。観光客の目線と、ここに暮らす人々の生活には見えない境界線が存在しているように感じられます。

大澳を散策するときに最も重要なのは、敬意を払うことです。私たちが美しいと感じる棚屋は、実際に人々の生活の場でもあります。無遠慮に写真を撮ったり、敷地に立ち入ったりしないよう、最大限の配慮が欠かせません。彼らの日常を妨げず、そっと風景の一部として訪れる謙虚な心こそが、この村の本当の姿に触れるための鍵となるでしょう。

大澳の夕暮れは格別に美しいものです。太陽が水平線に沈み、空と水面がオレンジ色に染まる頃、棚屋の窓にひとつ、またひとつと明かりが灯り始めます。その景色は現代の喧騒から切り離されたかのようでありながら、確かに今を生きる人々の温かな営みを映し出しています。急速な開発と観光化の波のなかで、この水上の村はこれからもその儚くも美しい姿を保ち続けられるのか。その答えは、まだ誰にも分かりません。

痕跡の島 – ランタオ島のもう一つの顔

これまで訪れてきた昂坪(ゴンピン)の聖域や大澳(タイオー)の漁村は、ランタオ島が持つ多面的な魅力のほんの一端に過ぎません。この香港最大の島は、その広大な土地の中に、歴史の名残、現代を象徴する巨大プロジェクト、さらには社会の周辺的役割を果たす施設など、実に多様な顔を秘めています。これらの要素を知ることで、ランタオ島、ひいては香港社会への理解が一層深まることでしょう。

まずは、歴史の足跡を辿ってみます。大澳の近郊には、清朝時代の海賊対策として建てられた「大澳関帝廟」や「大澳文物酒店(旧大澳警察署)」があります。特に、小高い丘の上に建つ白亜の旧警察署は、コロニアル様式の美しい建築物として知られ、現在はブティックホテルに生まれ変わっています。こうした歴史的建造物は、この島が古くから戦略的要衝であったことを示しています。さらに遡れば、南宋の最後の皇帝が元軍から逃れて一時的にこの島に滞在したという伝説も残っています。島の南側、梅窩(ムイオー)付近には、皇帝が隠れたとされる「銀礦洞(シルバーマイン・ケーブ)」があり、島の名称の由来になったとも言われています。これらの史跡は、賑やかな市街地の陰に隠れた、島の静かな歴史の証人と言えるでしょう。

次に、現代のランタオ島を特徴づける重要な存在が、北岸に位置する巨大インフラとエンターテインメント施設です。最も代表的なのが、1998年に開港した香港国際空港(チェク・ラップ・コク空港)です。海を埋め立てて造られたこの大規模なハブ空港は、香港が世界の物流と人の流れの拠点であり続けるための国家的プロジェクトでした。ケーブルカーから見下ろすと、絶え間なく離着陸を繰り返す飛行機の様子が、その活発な活動を象徴しています。また、この空港を本土やマカオと結ぶ港珠澳大橋も、中国の経済的影響力の拡大を示す重要なモニュメントとして評価されています。

空港の隣には、全く異なる目的を持つ大型施設、香港ディズニーランド・リゾートが広がっています。世界中の人々を惹きつける夢と魔法の王国が、仏教の聖地と同じ島に存在しているという事実自体が、香港の持つ混沌とした魅力を物語っています。グローバルな消費文化の最前線と東洋の深遠な精神文化が、わずか数キロの距離で共存しているのです。両者を一日に訪れることも可能ですが、その体験は一種の文化的・精神的な揺らぎを感じさせるかもしれません。

しかし、ランタオ島はこのような華やかな面だけでなく、社会の影の部分や、多くの人が目を向けたがらない機能も担っています。島の南東部、芝麻湾半島には複数の刑務所やリハビリテーション施設が集まっています。広大な土地と市街地からの隔絶という地理的特性が、これらの施設の設置場所として選ばれた理由でしょう。観光客が足を踏み入れることはほとんどないこれらの場所も、確実にランタオ島の現実の一部です。きらびやかな観光地の裏側では、社会秩序を維持するシステムが静かに機能している。この事実は、我々が普段目にしている香港の姿がいかに一面的であるかを教えてくれます。

さらに、ランタオ島の将来を見据えると、「ランタオ・トゥモロー・ビジョン」と呼ばれるさらなる大規模開発計画が浮かび上がります。これは島の東側の海域を大規模に埋め立て、数十万人規模の新たな居住区やビジネス拠点を整備するという壮大な構想です。住宅不足という深刻な香港の社会問題の解決策として期待される一方で、その膨大な費用や貴重な海洋生態系への不可逆的な影響を懸念する声も強く上がっています。詳細は寶蓮禪寺のウェブサイトのような場所で語られることは滅多にありませんが、島の未来を左右する大きな議論の種となっています。

開発か保存か。この永遠のテーマが、まさにランタオ島を舞台に展開されています。歴史の遺産、現代の巨大インフラ、グローバルな娯楽施設、そして社会の周縁機能。これらが複雑に絡み合い、未来に向けた大きな問いを突きつけているのです。ランタオ島は単なるリゾート地ではなく、香港社会の過去と現在、そして未来が凝縮された、生きた社会学の教科書のような場所と言えるでしょう。

旅の終わりに、手にするもの – ランタオ島が私たちに問いかけること

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東涌(トゥンチョン)へ戻るケーブルカーの中で、夕暮れに染まるランタオ島の風景を見つめながら、私は一日の旅を静かに振り返っていました。空に浮かぶ巨大な仏陀の穏やかな瞳、寺院から聞こえる読経の声と素食の深い味わい、静寂に包まれた心経簡林の哲学的な空間、そして水面に揺れる大澳のはかないながらも美しい暮らしの光景。それらが一つとなり、私の心に強く刻まれていました。

ランタオ島の旅は、ただ美しい景色を眺めたり、珍しい食事を楽しむだけの経験ではありませんでした。むしろ、現代社会や私たち自身が抱える「矛盾」に向き合うための機会だったと感じます。聖と俗、自然と開発、伝統と近代、静寂と喧騒。この島は、そうした対立する要素をその体内に抱え、かろうじて均衡を保って共存しています。その姿は、香港という都市、さらにはグローバル化が進む現代世界の縮図のようでもありました。

私たちは普段、効率性や合理性を重視する社会で暮らしています。MTRの路線図のように、最短距離で目的地へ到達することが理想とされ、立ち止まったり回り道をしたりする行為は非効率とみなされがちです。しかし、ランタオ島で過ごした時間は、そうした価値観から私たちを解き放ってくれました。天壇大仏へと続く268段の階段を汗をかきながら一歩ずつ登る、効率とは対極の行動。言葉にできない「空」の思想にただ身をゆだねる時間。そこには、日常の速さのなかでは決して味わえない、心豊かな精神の充足が宿っていました。

グルメライターの視点でこの旅を食の面から振り返ると、やはり寶蓮寺の素食と大澳の蝦醤が心に深く残っています。素食は余計なものを加えるのではなく引き算の美学であり、素材そのものを尊重する謙虚さを教えてくれました。一方、蝦醤は時間をかけ、微生物の働きによって旨味を凝縮させる発酵の魔法の産物です。どちらも、即時的な満足とは対極にある、時間と手間をかけた食文化を象徴しています。そうした食体験は味覚を超え、私たちの生き方を省みる契機をもたらしてくれるのです。

旅の終わりにお土産を選ぶ時間もまた特別なものです。ゴンピン・ビレッジには洗練された商品が多く並びますが、私が選んだのはもっと土地の息吹を感じさせる品々でした。大澳の小さな店で手に入れた手作りの蝦醤、寶蓮寺で購入した心を清める白檀のお香。これらは単なる記念品ではありません。家に戻ってその香りを嗅ぐたびに、ランタオ島で味わい、感じ、考えた時間を思い起こさせてくれる、旅の記憶のアンカーとなるでしょう。

もしあなたが香港の喧噪に少し疲れたなら、あるいはこの都市の本当の深みを知りたいと願うなら、ぜひランタオ島へ足を運んでみてください。そこには巨大な仏陀が見守るなか、発展と伝統の狭間で揺れる、もうひとつの香港の姿があります。この島は明確な答えを示すことはありませんが、豊かな自然と深い精神性のなかで、私たち一人ひとりに大切な問いを投げかけてくれます。発展とは何か。豊かさとは何か。そして私たちはどこへ向かおうとしているのか、という問いを携えて帰ることこそ、この旅がもたらす最大の贈り物かもしれません。

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この記事を書いたトラベルライター

食品商社で世界中の食を探求してきました。旅の目的は「その土地でいちばん美味い一皿」に出会うこと!市場や屋台でのグルメハントが得意です。

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