カナダの広大な大地でワーキングホリデーを過ごした日々は、僕に自由と、そして世界の広さを教えてくれました。ロッキー山脈の麓で働き、オーロラに心を奪われ、異国の地で自分の足で立つことの厳しさと喜びを知りました。その経験は、僕の旅への渇望をさらに大きなものへと変えていったのです。地図を眺めるたびに、まだ見ぬ場所、まだ感じたことのない空気を求めてしまう。そんな僕の心を鷲掴みにして離さなかったのが、南大西洋にぽつんと浮かぶ、一つの点。それがセントヘレナでした。
「世界で最も孤立した有人島」の一つ。その響きだけで、旅人の魂は揺さぶられます。かつては皇帝ナポレオン・ボナパルトがその生涯を閉じた流刑地。聞けば、2017年に空港が開港するまでは、南アフリカから5泊6日の船旅でしか辿り着けない「秘境」だったといいます。アクセスが便利になった今でも、その隔絶されたイメージと、歴史の重みが織りなす独特のオーラは健在です。
この島には一体何があるのだろう。どんな人々が、どんな景色の中で暮らしているのだろう。僕の探求心は、もう抑えきれませんでした。そして、今回の旅には心強い案内人がいます。島の歴史と自然を深く愛し、そして少し変わった特技を持つガイドのデイジー。彼女は、星の動きやタロットカードで物事の行く末を占うのが好きな、ミステリアスで魅力的な女性です。彼女の導きと共に、この絶海の孤島が持つ本当の顔に触れる旅が、今、始まります。
セントヘレナへの道:計画から到着まで

旅の出発点は、いつでも「計画」という名の新たな冒険の始まりです。特にセントヘレナのような特別な地を目指す際には、その冒険の難易度も一段と上がります。しかし、そうした数々の障壁をひとつずつ乗り越えていく過程こそが、旅の最大の魅力と言えるでしょう。
最初の関門、アクセス方法
僕がセントヘレナ行きを決断した時、まずぶつかったのは「どうやってそこへ辿り着くか?」という、旅の根本でありながら最も大きな壁でした。かつてはこの島へ向かう唯一のルートは、南アフリカ・ケープタウンから出航する郵便船「RMSセントヘレナ号」だけでした。5泊6日もの大西洋横断の船旅は、それ自体が壮大な冒険だったに違いありません。しかし、2017年に島に空港が新設されて以来、空路でのアクセスが可能となりました。
現在、セントヘレナへの定期便を運航しているのは南アフリカの航空会社「エアリンク(Airlink)」のみです。主な便はヨハネスブルグのO・R・タンボ国際空港発。時期によってはケープタウンからの季節便も運航されますが、毎日飛んでいるわけではなく、通常は週に1~2便程度。この限られた便が、旅程を組むうえで最初の大きなポイントになります。
【Do情報】フライト予約の流れと注意点
- 航空券の予約: エアリンクの公式サイトからの直接予約が最も確実です。セントヘレナ(HLE)行きの便を検索し、希望の日程を選択しましょう。便数がかなり限られているため、まずは航空券の確保から旅の計画を始めることが重要です。特に観光のピークシーズンは席が早く埋まる傾向がありますので、数ヶ月前の予約を強く推奨します。
- 乗り継ぎ: 日本からは中東やヨーロッパを経由して南アフリカ・ヨハネスブルグへ飛び、そこからエアリンクの便に乗り換えるのが通常ルートです。乗り継ぎ時間には十分な余裕を持たせるべきで、ヨハネスブルグで一泊する余裕があれば、長旅の疲れも癒やせ安心です。僕もかつて、乗り継ぎ時間が短くて空港内を走り回った苦い経験があります。
- スケジュールの余裕: セントヘレナ特有の「ウィンドシア」と呼ばれる風の影響で、フライトの遅延や欠航も十分考えられます。出発や帰国の予定は可能な限り余裕を持って組み、特に帰国便の乗り継ぎには1日程度の予備日があると安心です。
入国に必要な準備
航空券を確保した後は、次に入国手続きの準備に取り掛かります。絶海の孤島でありながらイギリスの海外領土であるため、求められる手続きはしっかり押さえておきましょう。
【Do情報】入国審査と持ち物のチェックリスト
- ビザ(査証): 日本国籍で観光目的の短期滞在(通常最大90日)であればビザは不要です。ただし規定が変わる可能性があるため、渡航前に必ずセントヘレナ政府公式サイトの入国情報(Immigration)を最新のものに確認してください。
- 必携書類: 入国審査では以下の書類提示が求められることが多いです。
- パスポート: 滞在日数+6ヶ月以上の有効期限があることが望ましいです。
- 往復航空券の予約確認(eチケット等): 出国の意思を示す証明として必須です。
- 宿泊予約の証明書: ホテルやゲストハウスの予約確認書をプリントして持参すると安心です。
- 海外旅行保険の証明: セントヘレナ滞在中の医療保険加入は義務付けられています。特に緊急医療搬送をカバーしている保険が必要で、島の医療施設は限られているため、英文の保険証券は忘れずに携帯しましょう。
- 持ち物リスト: 島の特性を踏まえた持ち物を用意すると滞在が快適になります。
- 常備薬: 日常的に服用している薬に加え、飛行機や船、島内の起伏ある道で必要となる酔い止め、胃腸薬、頭痛薬、絆創膏など基本的な医薬品も忘れずに。島内で手に入らない場合があります。
- 虫よけスプレー: 特に夏季は蚊の対策が必要です。
- 日焼け対策用品: 強い紫外線から肌を守るため、日焼け止めや帽子、サングラスが必須アイテムです。
- 羽織るもの: 標高の高い場所は涼しいため、朝晩の冷え込みに備えて薄手のジャケットやフリースが役立ちます。
- 変換プラグ: 電源プラグはイギリス型BFタイプなので、日本の電化製品使用には必須です。
- 歩きやすい靴: 島内散策やトレッキングにはスニーカーやトレッキングシューズが必要です。
通貨と両替のポイント
セントヘレナの通貨はセントヘレナ・ポンド(SHP)で、イギリス・ポンド(GBP)と等価です。島内ではイギリス・ポンドも問題なく使えます。お釣りはセントヘレナ・ポンドで返されることが多いですが、この通貨は島外での両替ができないため、帰国前には使い切るか、お土産として持ち帰るのが良いでしょう。
【Do情報】お金に関する留意点
- 両替: 日本円からセントヘレナ・ポンドへの直接両替はできません。日本であらかじめイギリス・ポンドに両替していくか、南アフリカでの乗り継ぎ時に両替するのが現実的です。島内にも銀行はありますが営業時間が限られ、到着直後に両替できる保証はありません。イギリス・ポンド現金は余裕をもって持参しましょう。
- クレジットカードとATMの利用: 首都ジェームズタウンの一部ホテルやレストラン、大型店ではカード決済が可能な場合もありますが、基本的には現金主義です。ATMは島内に数台のみで、常時稼働は保証されません。現金は多めに準備しておくことをおすすめします。
こうしてさまざまな準備を終え、僕はヨハネスブルグ空港から小さな飛行機に乗り込みました。窓の外に広がるアフリカ大陸が次第に小さくなり、やがて眼下に広がる果てしない青い海の上を飛ぶ。約6時間の空の旅のあと、雲間から深い緑に包まれ、高い断崖に囲まれた島の姿が見えた瞬間、胸の鼓動が激しくなりました。ついにこの場所に来たのだと。 この旅が間違いなく、忘れがたい体験になると確信しながら。
島の玄関口、ジェームズタウンを歩く
セントヘレナ空港のこぢんまりとしたターミナルに降り立つと、南国の湿った空気が肌を包み込みました。入国審査は意外にも温かみのある雰囲気で、係官の「Welcome to St Helena!」という親しみやすい言葉に、長旅の疲れが一気に和らぎました。空港から首都ジェームズタウンへは、くねくねと曲がる道を車で降りていきます。荒涼とした岩肌の風景が徐々に緑豊かな景色へと移り変わる様子は、まるで別世界への扉を開けるかのようでした。
ジェームズタウンの入口で待っていてくれたのは、今回の旅の案内役、デイジーでした。 「あなたがユウキね?星があなたの到着を告げてくれたわ」 そう言いながら、彼女はにこやかに手を差し出しました。その手には古びたタロットカードのデッキが握られていて、彼女の瞳は島の歴史を見透かすかのように深く、そしてどこかいたずらっぽく輝いていました。
ジェームズタウンの第一印象
デイジーに導かれて足を踏み入れたジェームズタウンは、まるで時間が止まったかのような街並みでした。急な谷底にカラフルなジョージア様式の建物がきちんと整列しています。海へと伸びるメインストリートの両側には石造りの壮麗な建物が並び、ひとつひとつが長い年月の物語を語っているようでした。
「この街は1659年にイギリス東インド会社が築いたのよ。あそこに見えるのがカッスル。島の行政の中心なの。あの石の壁は何世紀にもわたって、島の歓喜や悲しみをじっと見守ってきたわ」 デイジーはまるで旧知の友人を紹介するように建物を指さしました。
私たちは、1774年建立で南半球最古の英国国教会、聖ジェームズ教会や島の歴史を伝える博物館を訪れました。彼女の話はただの歴史解説に留まりません。 「この土地には強烈なエネルギーが満ちているの。海と山の力がぶつかり合う場所だから、この街はいつでも生命力に溢れているのよ。今日のあなたの運勢は『探求』。この古い石畳が、あなたに何かを語りかけるはず。心の耳を澄ませてみて」 デイジーの言葉に導かれるように、僕は足元の石畳に意識を集中しました。擦り減って苔むした石畳は、数えきれない人々の足音を記憶しているかのように感じられました。
ジェイコブズ・ラダーへの挑戦
ジェームズタウンの西側崖には、まるで天へと伸びるような巨大な階段がそびえています。それが島の象徴とも言える「ジェイコブズ・ラダー(ヤコブのはしご)」です。もとは崖上の砦へ物資を運ぶケーブルカーの跡地。傾斜が非常に急で、下から見上げるだけでもぞっとするほどの迫力です。
「挑戦してみる?」とデイジーが挑発的な笑みを浮かべました。「全部で699段。一段一段には過去の労働者たちの汗が染み込んでるわ。頂上からの景色は、努力した者だけに許される特別なご褒美よ」
僕はその挑戦を受け入れました。デイジーはタロットカードを一枚引きます。 「『力』のカードね。あなたの内なる強さが試される時。でも大丈夫、あなたなら越えられるわ。この階段は人生そのもの。一歩ずつ、自分のペースで進むことで、頂上で見る景色は格別に感じられるはず。努力は必ず報われる、という暗示よ」
彼女の励ましに背中を押され、僕は最初の一段に足をかけました。序盤はまだ余裕がありましたが、100段、200段と上るうちに息は上がり、太ももは鉄のように重くなってきます。振り返ればジェームズタウンの街並みが小さくなり、何度も手すりに掴まりながら呼吸を整えました。真夏の太陽は容赦なく照りつけ、汗が滝のように流れます。
【Do情報】ジェイコブズ・ラダー挑戦のポイント
- 体力と準備: 699段の階段は見た目以上に厳しいです。普段運動していない場合、途中で断念するかもしれません。心臓疾患や高所恐怖症の方は避けた方が安全です。
- 水分補給: 十分な水分を必ず持参してください。500mlのペットボトル1本では不足する可能性があります。
- 時間帯: 日中の最も暑い時間帯は避け、涼しい早朝や夕方の挑戦がおすすめです。
- 服装: 動きやすい服装と滑りにくいスニーカーは必須。帽子やサングラスも忘れずに。
- 登頂証明書: 苦労して登り切ったら、麓のセントヘレナ博物館で登頂証明書(有料)を購入できます。旅の記念に最適です。
およそ40分かけて最後の一段を上りきると、膝に手をつき荒い息をついていました。しかし顔を上げた瞬間、目に飛び込んだ光景にすべての疲れが消え去りました。眼下にはおもちゃのように小さなジェームズタウンの街並みが広がり、その先には果てしなく続く紺碧の大西洋。吹き抜ける風が火照った身体を優しく冷やしてくれます。これこそが、デイジーの言っていた「努力した者だけが目にすることができる景色」なのだと、深く胸に刻まれた瞬間でした。
ナポレオン・ボナパルトの足跡を辿る

セントヘレナの名が世界史に深く刻まれた最大の理由は、間違いなく皇帝ナポレオン・ボナパルトの存在にあります。1815年のワーテルローの戦いで敗れた彼が、最後の6年間を過ごした流刑の地です。ヨーロッパから遥か遠く離れたこの孤島は、かつての英雄を閉じ込めるのに理想的な監獄でした。デイジーと共にナポレオンの足跡を辿ることは、この島を訪れる際に避けては通れない重要な巡礼となります。
ロングウッド・ハウス
島の東部、高原に吹き抜ける風を受けて、ナポレオンがその生涯の幕を閉じた「ロングウッド・ハウス」が静かに建っています。もともとはイギリス東インド会社の副総督の夏用別荘でしたが、急遽ナポレオンの住居に改装されました。豪華さとは無縁で、むしろ質素な平屋建ての邸宅で、その周囲は常にイギリス兵に監視されていました。
「彼はここでどんな思いを抱いたのでしょうか」と、デイジーは建物を見つめながら呟きます。「かつてはヨーロッパ全土を支配した男が、この小さな家で風と雨の音だけを聞きながら日々を過ごしていた。星空は、その孤独な英雄の魂を毎晩静かに見守っていたことでしょう」
館内は現在フランス政府が管理し、博物館として公開されています。一歩踏み入れた瞬間、冷んやりとした空気が肌を包み、まるで1821年で時が止まっているかのような感覚に囚われました。ナポレオンが使っていたビリヤード台、書斎の書物、そして彼が最期を迎えた簡素な寝台。壁にはしみが残り、床はきしむ音を立てています。湿度が高く、常に薄暗いこの家で、彼は何を考え何を夢見ていたのでしょうか。戦略が描かれた地図や愛用のデスマスクの複製を前に、歴史の奔流に呑まれた一人の人間の生々しい孤独と絶望を感じずにはいられませんでした。
【Do情報】ナポレオン関連施設への訪問
- 公式サイト: ナポレオンゆかりの史跡(ロングウッド・ハウス、ブライアーズ・パビリオン、埋葬の谷)は、Saint Helena Napoleonic Heritage財団により管理されています。訪問前には公式サイトで開館時間や入場料、ガイドツアーの有無などを必ず確認してください。
- 入場券: それぞれの施設でチケットを購入できますが、3か所の施設を巡る共通パスを買うとお得です。
- 写真撮影: 館内での撮影は、フラッシュを使用しなければ許可されていることが多いですが、場所によって禁止されている場合もあります。現地の指示に従ってください。
- アクセス: 各施設はジェームズタウンから距離があるため、タクシーを手配するか現地ツアーに参加するのが一般的です。道が狭く運転も難しいためレンタカーはあまり推奨されません。
ブライアーズ・パビリオン
ロングウッド・ハウスが整うまでの約2ヶ月間、ナポレオンが最初に滞在したのが「ブライアーズ・パビリオン」でした。東インド会社の役人ウィリアム・バルコム一家の私有地に建てられた小さな離れで、本宅から離れたこの建物でナポレオンはバルコム家の14歳の娘ベッツィと親しく交流したと伝えられています。
デイジーによると、ベッツィは皇帝に対しても物怖じせず、いたずらを仕掛けるような活発な少女でした。その天真爛漫さは、心を閉ざしていたナポレオンにとって束の間の慰めだったのかもしれません。この小さな建物の中で歴史的偉人と少女の微笑ましい交流があったことを思うと、冷徹な歴史の中にほのかな温もりが差し込むような気持ちになります。
埋葬の谷
1821年5月5日、ナポレオンは51歳にしてその激動の人生を終えました。彼の遺体は、生前に好んだ静かな谷に埋葬されました。その場所は現在、「セインズ・バレー(Sane Valley)」または「埋葬の谷(Tomb of Napoleon)」と呼ばれています。
緑豊かなイトスギに囲まれた静寂に満ちた場所で、デイジーの案内で谷底へと下りると、鉄柵に囲まれた石板で覆われた質素な墓がありました。しかしそれは空の墓です。ナポレオンの遺体は1840年にフランスへと返還され、今はパリのアンヴァリッドに安置されています。
墓には名前すら刻まれていません。これはフランス側が「ナポレオン」とだけ記すことを主張し、イギリス側が「ナポレオン・ボナパルト」とフルネーム掲載を求めたために生じた対立が原因とされています。結局、何も刻まれないまま彼の遺骸はここに眠っていました。
「ここはとても強いエネルギーを感じる場所よ」とデイジーは目を閉じて語りました。「歴史の囁きが聞こえるかもしれない。過去と未来、希望と絶望が交差する場所。あなたにも何か感じるはず」 彼女の言葉に促されて僕も目を閉じました。聞こえてきたのは風が木々を揺らす音と鳥のさえずりだけ。それでも、その静寂の中に、歴史の大きなうねりと、翻弄されながらも最後まで自分を貫いた一人の男の強い意志の残響が宿っているように思えました。孤島に刻まれた英雄の記憶は、今後も訪れる人々に静かに何かを語りかけ続けるのでしょう。
セントヘレナの驚くべき自然と固有種
ナポレオンの物語は、セントヘレナ島の歴史における一面に過ぎません。この島の本当の魅力は、その隔絶された環境が育んだ、類稀な自然と独自の生態系にあるとデイジーは語ります。火山活動によって誕生したこの島は、大陸から切り離されたことで、独特の進化を遂げた動植物たちの楽園となったのです。
世界最高齢のジョナサンに会う
島の総督公邸「プランテーション・ハウス」の広大な庭には、この島に生きる伝説的存在がいます。彼の名前はジョナサン。アルダブラゾウガメのオスで、推定年齢はなんと190歳を超えています(2024年現在)。1882年にセーシェルからこの島へやってきた記録が残っていますが、それ以前の記録がないため正確な年齢ははっきりしません。それでも現在、生存中の世界最長寿の陸生動物としてギネス世界記録に認定されています。
デイジーに案内され庭へ入ると、ゆったりとした足取りで威厳を感じさせながら草を食む巨大なカメの姿がありました。それがジョナサンです。彼の甲羅は長い年月を反映するかのように擦り減り、その皮膚には深い皺が刻まれています。しかしその瞳は信じられないほど穏やかで澄み切っていました。 「ジョナサンは、この島の生きた歴史の証人なの」とデイジーが静かに話します。「彼はナポレオンの死後に到着し、ボーア戦争の捕虜たち、郵便船の時代の終わり、そして空港の開港まで、すべてを見届けてきたの。彼の瞳には、何世紀にもわたる星空が映っているのよ」
ジョナサンはボーア戦争や二つの世界大戦を生き抜き、セントヘレナの通貨の裏面にもその姿が描かれています。彼の前に立つと、私たち人間の時間の感覚がいかに小さく儚いものかを思い知らされます。私たちが日々悩み喜ぶ出来事も、彼の悠久の時の流れの中では、ほんの一瞬の瞬きに等しいのかもしれません。
【Do情報】ジョナサンに会う際の注意事項
- ツアー参加: ジョナサンのいるプランテーション・ハウスの庭園は、通常ガイドツアーでのみ見学可能です。あらかじめセントヘレナ観光局の公式サイト等でツアーの日程を確認し、予約を行うことをおすすめします。
- 敬意を払う: ジョナサンは非常に高齢で島の宝です。見学時は必ずガイドの指示に従いましょう。
- 距離を守る: 触れたり餌を与えたりする行為は禁止されています。安全な距離を保ち、静かな生活を尊重してください。写真撮影は問題ありませんが、フラッシュは使用しないでください。
固有種の宝庫、雲霧林を歩く
セントヘレナの自然の真髄に触れたいなら、島最高峰のダイアナズ・ピークを中心とする国立公園のトレッキングは外せません。標高823メートル付近は常に湿った雲や霧に包まれた「雲霧林」となっており、ここには世界でここにしか存在しない数多くの固有植物が繁茂しています。
デイジーとともに、霧がたちこめるトレイルに足を踏み入れました。シダ類が鬱蒼と茂り、樹木の幹は苔で覆われていて、まるでジュラシック・パークのように幻想的な雰囲気が漂っています。 「見て、これがブラック・キャベツ・ツリーよ」 デイジーが指さしたのは、独特ないびつな形の木でした。セントヘレナの国花にもなっているこの木は、絶滅の危機に瀕する貴重な固有種のひとつです。他にもセントヘレナ・オリーブやドッグウッドなど、普段あまり耳にしない植物が次々に姿を見せます。
この場所は鳥たちにとっても天国です。島固有の国鳥「ワイヤバード(セントヘレナチドリ)」は平原地帯に生息する絶滅危惧種で、ガイドなしでは見つけるのが難しいですが、その愛らしい姿を見られたときの感動は格別です。
【Do情報】トレッキングの準備
- ガイド同行: 島の生態に詳しい公認ガイドと行動することを強く推奨します。彼らがいなければ貴重な動植物を見分けるのは困難です。ガイドは観光局や宿泊施設で手配可能です。
- 服装・装備: 道はぬかるみやすいため、防水性のトレッキングシューズは必須。天候が変わりやすいため、レインウェアも忘れず持参してください。
- ルート選択: ダイアナズ・ピーク国立公園には複数のトレイルがあります。体力や時間を考慮し、ガイドと相談してルートを決めましょう。
霧の中を歩き山頂に達した瞬間、一瞬だけ雲が晴れ、眼下に広がる島の全景と大西洋の大海原が見渡せました。隔絶された環境だからこそ守られてきた、まさに奇跡のような生態系。この貴重な緑の遺産を将来へつなぐことの大切さを、肌で感じた瞬間でした。
海洋生物との出会い
島の魅力は陸地に限りません。セントヘレナを取り囲む紺碧の海は、驚くほど豊かな海洋生物の聖域となっています。特に12月から3月にかけては、世界最大の魚類ジンベイザメが繁殖のために集まることで知られています。
私が訪れたのは残念ながらシーズンオフでしたが、デイジーは目を輝かせながら話してくれました。 「ジンベイザメと泳ぐ体験は、人生観を変えてくれるわ。巨大だけれどとても穏やかで、まるで宇宙から来た賢者のよう。彼らは星の導きによりこの島へやってくるのよ」
ジンベイザメの季節でなくても、この海は常に生命力に溢れています。ボートツアーに参加すれば、数百頭ものハンドウイルカの群れがボートに並走したり、目の前でジャンプしたりする壮大な光景が見られることもあります。さらに6月から12月にはザトウクジラが子育てのために訪れ、一年を通じて海の巨人たちとの出会いが期待できるのです。
【Do情報】マリンアクティビティ参加のポイント
- ツアー予約: ドルフィンスイム、ホエールウォッチング、ジンベイザメとのシュノーケリングなどのツアーは、現地のツアー会社を通じて手配します。人気のため早めの予約がおすすめです。
- 環境配慮: セントヘレナは海洋保護に力を入れています。参加する際は必ず事業者の指示に従い、野生動物にストレスを与えないよう配慮しましょう。サンゴに有害な成分を含まない日焼け止めの使用など、一人ひとりの意識が豊かな自然を守ることにつながります。
- 船酔い対策: 海は揺れやすいため、船酔いが心配な方は事前に酔い止め薬を服用してください。
ナポレオンの孤独な影、ジョナサンの悠久の時の流れ、そして雲霧林に息づく古代の生命。セントヘレナは訪れる者に多様な時間のスケールを見せてくれます。その豊かな多様性こそが、この島の抗いがたい魅力の源泉なのです。
島の暮らしと文化に触れる

セントヘレナの旅は、単に歴史的な名所や壮大な自然を訪れるだけで終わりません。この島で心に最も深く残るのは、そこで暮らす人々、通称「セインツ(Saints)」と呼ばれる島民たちとの交流かもしれません。彼らの温かい人柄やユニークな文化、そして少々不便ながらも人間味あふれる生活に触れることで、旅の体験はより豊かで味わい深いものになるのです。
「セインツ」と呼ばれる島民たち
セントヘレナの人口はおよそ4,500人。彼らの祖先はヨーロッパからの入植者やアフリカから連れて来られた奴隷、中国からの労働者など、多彩なルーツを持ちます。長い年月をかけて混血が進み、独自の文化や強いアイデンティティを育んできました。
彼らが話す英語は特徴的なアクセントと独自の言い回しがあり、最初は少し聞き取りづらいかもしれません。しかし、その言葉の端々からは島に対する強い愛情と誇りが感じられます。島民同士はまるで大家族のように密接につながっていて、すれ違う車同士は必ず手を挙げて挨拶し、歩けば気軽に声をかけてくれるのです。
「私たちはみんな大きな家族のようなものよ」とデイジーは語ります。「困ったときは必ず誰かが手を差し伸べる。それがセインツのやり方。あなたももう、私たちの家族の一員よね」 彼女の言葉通り、レストランで隣に座った老夫婦が島の昔話を聞かせてくれたり、商店の店主が「どこから来たの?」と笑顔で話しかけてくれたり、私はこの島で一度も孤独を味わうことなく過ごしました。カナダのワーホリで感じた異国の人情の温かさを、この小さな島で再び実感できたのです。
島の食文化
旅の楽しみの一つは、その土地ならではの食事です。セントヘレナの料理は多様なルーツを反映し、素朴で心がほっとする味わいが特徴です。
島の代表的な名物は「フィッシュケーキ」。新鮮なツナをジャガイモやスパイスと合わせて揚げたもので、シンプルながら魚の旨味がぎゅっと詰まっています。また、カレー風味のピラフに似た「プロウ(Plo)」や、ツナを唐辛子で和えた「ストロイド・ツナ(Stroyed Tuna)」も地元で人気の料理です。海に囲まれた島だけあって、シーフード全般が絶品で、特に新鮮なツナのグリルはぜひ味わってほしい逸品です。
さらに、セントヘレナを語るうえで欠かせないのが「セントヘレナ・コーヒー」です。1733年にイエメンから持ち込まれたグリーンティップ・ブルボン種という単一品種のコーヒー豆が、島の気候や土壌に恵まれて育まれています。生産量が非常に少ないため希少価値が高く、繊細でフローラルな味わいから、世界でもっとも高価なコーヒーの一つとして知られています。
【Do情報】島の味覚を楽しむポイント
- レストラン: ジェームズタウンには数軒のレストランやパブ、カフェがあり、いずれも温かみのある雰囲気で地元料理を味わえます。ただし営業時間が限られていることが多いため、事前に確認しておくと安心です。
- コーヒー豆の購入: セントヘレナ・コーヒーは、島内のお土産屋や専門農園で購入可能です。非常に高価ですが、コーヒー愛好家でなくとも旅の思い出として手に取る価値があります。
私はデイジーに案内され、見晴らしの良いカフェで一杯のセントヘレナ・コーヒーを味わいました。カップから漂う華やかな香りと、口に含んだときのクリアで複雑な酸味は、これまで飲んだどのコーヒーとも異なる特別な味わいでした。この一杯の中に、この島の歴史や自然がまるごと溶け込んでいるかのような感覚を覚えたのです。
通信環境とデジタルデトックス
現代の旅に欠かせないインターネット環境ですが、セントヘレナでは事情が異なります。近年海底ケーブルの接続により改善はされたものの、通信速度は依然として遅く、Wi-Fiの利用も非常に高額です。多くのホテルやカフェでは時間制のWi-Fiバウチャーを購入して使う形態が採られています。
最初は、いつでもどこでもスマホで情報を調べたりSNSに投稿したりできないことに、少し不安を感じました。しかし、むしろその不便さこそが、この島が私にくれたかけがえのない贈り物だったのかもしれません。
「ここではね、スマホの画面に向かう時間を夕日を眺めたり、隣の人と話したりする時間に変えなさい」とデイジーは笑って言いました。「そうすると目がクリアになって、星空からのメッセージも届きやすくなるのよ」
まさにその通りでした。ネットから解放されたことで、私は目の前の風景や人とのやり取り、そして自身の内面に、より深く向き合うことができました。夜にはスマホのライトではなく、本物の星の光の下で過ごす。これは現代人が忘れがちな、とても贅沢な時間の過ごし方だと感じました。
【Do情報】通信環境をうまく活用するために
- Wi-Fiバウチャー: ジェームズタウン内の通信会社や一部の商店でWi-Fiバウチャーが購入可能。データ量や利用時間に応じて価格が異なります。
- オフラインマップ: 事前にGoogleマップなどから島の地図をダウンロードしておくと、ネット環境がなくても地図を活用でき非常に便利です。
- デジタルデトックスを楽しもう: 「つながらない」ことを前提に旅の計画を立て、本や日記などオフラインで楽しめるものを持参しましょう。この機会に意識的にデジタル機器から距離を置いてみるのもおすすめです。
不便さの中に宿る豊かさ。セインツたちの温かい笑顔と、一杯のコーヒーが教えてくれた大切なこと。セントヘレナの旅は、私に現代社会のあり方を見つめ直す貴重な時間をもたらしてくれました。
旅のトラブルと対処法:備えあれば憂いなし
どんなに綿密に準備を整えても、旅には予期せぬトラブルがつきものです。特にセントヘレナのように地理的に孤立し、インフラも限られている場所では、事前の準備と冷静な対応が何より重要となります。私自身の経験やデイジーからの話をもとに、考えられるトラブルとその対処法をお伝えします。
フライトの遅延・欠航
セントヘレナへの旅で最も起こりやすい問題は、飛行機に関するものです。島の空港は谷間に位置し、「ウィンドシア」と呼ばれる予測困難な乱気流が発生しやすいため、パイロットには高度な操縦技術が求められます。安全第一のため、天候次第ではフライトが大幅に遅れたり、最悪の場合は欠航になることも珍しくありません。
私が帰国した便も強風のため出発が半日以上遅れました。幸いその日のうちに出発できましたが、数日間足止めされるケースもあると聞いています。
【Do情報】フライトトラブルへの対策
- 余裕のあるスケジュールを組む: これが何より大切です。セントヘレナから帰国後、すぐに重要な予定を入れないようにしましょう。国際線の乗り継ぎには最低でも1日、理想的には2日ほどの予備日を確保すると安心です。
- 航空会社の案内に従う: 遅延や欠航が起こった際には、航空会社(エアリンク)が代替便や宿泊手配などの案内を出します。空港やスタッフの指示に冷静に従うことが重要です。
- 海外旅行保険の内容確認: 加入している保険に「航空機遅延費用補償」が含まれているか事前に確認しましょう。遅延によって発生した宿泊費や食事代が補償されることがあります。保険会社への連絡方法や必要書類(例:遅延証明書)を把握しておくと、必要時に迅速に対応できます。
医療体制について
旅先で体調を崩したり怪我をしたりすることは誰にとっても心配ですが、セントヘレナではその不安がより大きくなるかもしれません。島内にはジェームズタウンに総合病院が一つありますが、設備や専門医の数は限られています。基本的な治療は可能ですが、高度医療や緊急手術が必要な場合は、南アフリカへの医療搬送が求められます。
「この島では、自分の健康は自分で守ることが大切よ」とデイジーは話します。「無理をしないこと、そして万が一に備えること。それが島で生活する知恵なの」
【Do情報】医療面での備え
- 海外旅行保険の充実: 入国条件にもあるように、海外旅行保険への加入は必須です。特に治療費だけではなく、数千万円に上る可能性のある「医療搬送費用」を十分にカバーするプランを選んでください。クレジットカード付帯の保険は補償額が不足する場合があるため、内容をしっかり確認しましょう。
- 常備薬の携行: 持病がある方は、滞在日数より多めにかかりつけの薬を持参してください。英文の処方箋や診断書があれば、万一の際に現地医師への説明がスムーズになります。
- 緊急連絡先の管理: 病院の所在地と連絡先、加入している保険会社の緊急サポートデスクの連絡先などは、すぐに取り出せる場所に控えておきましょう。
物資不足のリスク
セントヘレナの食料品や日用品の多くは、数週間に一度の船便によって補充されています。そのため、悪天候などで船の到着が遅れた場合、スーパーマーケットの棚から商品が消え、品薄になることがあります。
実際、私が滞在中も船の遅延により牛乳や卵が手に入りにくかった時期がありました。島の住民にとっては日常ですが、旅行者にとっては戸惑うかもしれません。
【Do情報】物資不足への備え
- 必要なものは持参する: 特に処方薬や特定のベビーフード、アレルギー対応食品などは必ず日本から用意しましょう。現地で入手できるとは期待しない方が賢明です。
- 柔軟に受け止める: 「ないものはない」と割り切り、手に入るもので楽しむ心構えが大切です。メニューや商品が限られても、それもまた島旅のユニークな体験として受け止めましょう。
こうしたリスクを理解し、十分に準備しておくことで心の余裕が生まれます。トラブルは旅のスパイスとも言われますが、備えあればこそそのスパイスを味わう余裕が持てるのです。セントヘレナは、私たち旅行者に「自己責任」と「計画性」の重要性を改めて教えてくれる場所でもあります。
星の導きと、旅の終わりに

セントヘレナでの最後の夜、デイジーは僕をジェームズタウンの喧騒から離れた、光の届かない丘の上へと連れて行ってくれました。そこには言葉を失うほどの星空が広がっていました。
南半球の空は、僕が普段見慣れている北の空とはまったく異なる表情を見せてくれます。くっきりと輝く天の川、南十字星、そして大小さまざまなマゼラン雲。人工の光が一切届かないこの島では、星たちが手の届きそうなほど近く、力強く輝いていました。それはカナダの僻地で見たオーロラとはまた違い、宇宙の深淵を覗き込むような荘厳な光景でした。
「星は、いつだって私たちにメッセージを送っているのよ」 デイジーは空を見上げながら静かに語りました。彼女は手元から古びたタロットカードを取り出し、僕のために一枚のカードを引きました。月明かりに照らされたそのカードは「星」でした。
「やっぱりね。あなたのこの旅のカードは『星』よ。希望とインスピレーション、そして輝かしい未来を表しているわ。この島であなたが見て感じ、学んだすべてのことが、これからあなたの道を照らす消えない光になるでしょう」
彼女の言葉は不思議と僕の心に静かに染み入ってきました。そう、この旅は単なる観光ではなかったのです。ナポレオンの孤独から歴史の無常を学び、ジョナサンの悠久の時を通じて生命の尊さを感じ、セインツたちの温かさから人との繋がりの大切さを改めて実感しました。そして何より、この絶海の孤島の静寂と不便さこそが、僕に自分自身と向き合う貴重な時間をくれたのです。
ワーキングホリデーで世界を巡り、自由と自信を手に入れたと思っていました。しかしセントヘレナは、その一歩先にある「旅」の本当の意味を教えてくれたように思います。それは新しい景色を見るだけでなく、新たな視点を得ること。世界を知ることが、自分自身をより深く理解することに繋がるのだと。
翌朝、僕は再び小さな飛行機に乗り込みました。窓の外にはセントヘレナ島が次第に小さくなってゆきますが、心の中にはこの島で得た大きな光がしっかりと灯っていました。
デイジーの占い通り、この旅の記憶は日常に戻り道に迷ったとき、北極星のように僕に進むべき方向を示してくれるはずです。もしあなたが日常に疲れ、真の自分と向き合いたいと願うなら、この絶海の孤島への旅をぜひ検討してみてはいかがでしょうか。そこには都会の喧騒の中では決して聞こえない、歴史と自然、そしてあなた自身の魂からの囁きが待っています。
より詳しい情報や渡航に関する公式な手続きについては、セントヘレナ政府公式サイトが最も信頼できる情報源です。しっかり準備を整え、あなただけの特別な旅を実現させてください。僕もまたいつか、あの星空の下に戻りたいと心から願っています。

