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    絶海の孤島、エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズへの旅路|神と自然が織りなす究極の聖域へ

    「世界で最も孤立した有人島」という言葉の響きに、心を鷲掴みにされたことはありませんか。地図を広げても、その名をすぐに見つけることは難しいかもしれません。南大西洋の真っただ中、最も近い大陸であるアフリカから約2,800キロ、南米からは約3,300キロ。文明の喧騒から隔絶された場所に、その島は静かに浮かんでいます。トリスタン・ダ・クーニャ諸島の主島、その中心集落の名は「エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズ」。通称「ザ・セトルメント」。僕、勇気はカナダの広大な自然の中でワーキングホリデーを過ごした経験がありますが、この島の存在を知った時、その桁違いの「隔絶」に、畏敬の念と抗いがたい冒険心を抱きました。そこには、一体どんな時間が流れているのだろう。人々は、何を信じ、何を想い、日々を生きているのだろう。その答えを求めて、僕は現代における最も困難な旅の一つに挑むことを決意したのです。これは、単なる観光旅行記ではありません。準備から上陸、そして島での出会いを通して、僕が感じたすべてを綴る、魂の航海日誌です。

    目次

    遥かなるトリスタン・ダ・クーニャへ – 旅の始まり

    エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズへの旅は、一般的な航空券の予約のような手軽さとは大きく異なります。まず押さえておくべきは、この島に空港が存在しないという現実です。唯一のアクセス手段は船であり、それも南アフリカのケープタウンから年数回のみ運航される便を、数か月、時には一年以上前から予約する必要があります。

    この船旅こそが、旅全体の最初の試練であり、象徴的な儀式とも言えるでしょう。私が利用したのは、島の生命線となっている漁船「M.V. Geo Searcher」でした。南極観測船が寄港することも稀にありますが、スケジュールは非常に不定期で、旅行者が確実に席を確保できるのは公式ウェブサイトで案内される漁船や貨物船が中心となります。

    旅を決めたら、まずはトリスタン・ダ・クーニャの公式サイトを隅々までしっかりと読み込むことが重要です。サイトには年間の航海スケジュール(Shipping Schedule)が掲載されていますが、これはあくまで「予定」に過ぎません。天候や船の事情によっては、予定通りにいかず数週間以上の遅延も普通に起こり得ます。この不確実さを受け入れる覚悟が、この冒険には欠かせないのです。

    予約は主にメールでの直接やりとりを通じて行います。公式サイトに記載された予約担当者へ、希望する出発日時と乗船人数を伝え、空席の有無を確認するところから手続きは始まります。やりとりは英語ですが、難しい表現は必要なく、熱意と訪問したい理由を誠実に伝えることが大切です。私の場合は、カナダでの経験から得た自然への畏敬と、孤立した共同体に対する強い興味を綴りました。幸運にも半年後の便に空きが見つかり、予約を進めることができました。

    さて、ケープタウンからトリスタン・ダ・クーニャまでの航海は約6泊7日にも及び、想像を超える長旅となります。大西洋の荒波は容赦なく船を揺らし続け、船酔いに弱い方はもちろん、自信のある方も万全の対策が必要です。私が用意したのは、日本で処方された強力な酔い止め薬、手首に装着する酔い止めバンド、そして気分転換に役立つミント味のタブレットでした。船内で水平線を眺めるのが良いとされていますが、荒天の際にはそれさえ叶わず、ひたすらベッドに横たわって時間が過ぎるのを待つしかない場面もあります。

    この長い船旅を乗り切るための持ち物準備も非常に重要です。船内で楽しめる娯楽は限られているため、大量の書籍や、オフラインで視聴可能な映画や音楽をダウンロードしたタブレットは欠かせません。私は歴史書や哲学書を数冊持ち込んだのですが、外界から遮断された海上で読む彼らの言葉は、普段よりも心に深く響くように感じました。また、他の乗客や船員との交流もこの旅の大きな魅力の一つです。彼らもそれぞれの目的を抱き、この遥か孤島を目指している人々。彼らの話に耳を傾ける時間は、何物にも代えがたい貴重な経験となりました。

    入島許可という最初の関門 – 厳しい自然と島の掟

    船の予約が完了したからといって、必ずしも誰もが島に上陸できるわけではありません。トリスタン・ダ・クーニャは、非常に繊細な生態系と独特の文化を保持するコミュニティで成り立っています。そのため、すべての訪問者は事前に島評議会(Island Council)の審査を経て、入島許可を取得しなければなりません。これが、この旅における二つ目の、非常に重要なハードルとなります。

    入島許可の申請は、船の予約手続きと並行して行われます。申請は公式サイトから用紙をダウンロードし、必要事項を記入したうえでメールで送付する流れです。申請書には氏名や国籍といった基本情報に加え、渡航目的、滞在期間の予定、健康状態、犯罪歴の有無などを詳細に記載する必要があります。特に渡航目的は重要で、単なる興味本位ではなく、島の自然や文化に敬意を払い真剣に学ぶ姿勢を示すことが求められます。

    私が最も緊張したのは、健康状態に関する項目でした。この島には小さな病院(Camogli Healthcare Centre)があるものの、医療体制には限界があります。専門的な治療や手術が必要な場合は、次の船でケープタウンに戻るか、緊急時には南アフリカへ海上救助を要請するしかありません。いずれも多大な費用と時間を要するため、訪問者には健康であることが絶対条件とされています。持病がある場合には、主治医による英文診断書の提出が求められることもあります。また、緊急時の医療搬送費用を十分にカバーする海外旅行保険への加入が義務付けられており、保険証書のコピーも申請時に提出しなければなりません。

    さらに、島の生態系保護のための規則は、世界でも最も厳格であると言えるでしょう。外来の種子や土、昆虫などが島の固有種に壊滅的な影響を及ぼす恐れがあるからです。申請書には、持ち込み品に関する誓約も含まれています。例えば、新品または徹底的に洗浄・消毒された登山靴以外の履物の持ち込みは禁止されていることがあります。野菜、果物、肉類なども厳しく検査されます。これは島の自給自足の生活を守るためでもあり、訪問者は島のルールを理解し、順守する責任を負うのです。詳しくはトリスタン・ダ・クーニャ公式サイトの訪問者向け情報に詳細なガイドラインがありますので、渡航を計画する方は必ずチェックしてください。

    申請書を提出して数週間後、「あなたの訪問を歓迎します」という文言から始まる許可通知メールを受け取った時の安堵感は、今でも鮮明に覚えています。それは単なる旅行許可の証明書ではなく、この孤高のコミュニティに受け入れられたことの証しのように感じられました。しかし同時に、その信頼に応えねばという身の引き締まる思いも抱いたのです。この島への旅は、単なる旅行者ではなく、島の環境と文化の「守り手」の一員となることを意味するのですから。

    ガイド、ジェームズとの出会い – 信仰が息づく島

    荒波に揺られ続けて7日目の朝、水平線の向こうに黒い三角形のシルエットが浮かび上がると、船内は静かな興奮に包まれました。そこに見えたのはトリスタン・ダ・クーニャ島。空高くそびえる火山、クイーン・メアリー・ピークと、その麓に寄り添うように広がる小さな集落、エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズ。上陸用の小舟に乗り換え、カルショット・ハーバーに足を踏み入れた瞬間、私はここが文明の果てであることを強く実感しました。

    港では、日に焼けた屈強な島民たちが手際よく荷物を運び下ろしていました。その中の一人、穏やかな笑みを浮かべる男性が私に近づいてきます。「あなたが勇気さんですか?ようこそ、トリスタンへ。私はジェームズ。滞在中は私が案内します」。彼こそが今回のガイド、ジェームズでした。

    ジェームズはこの島で生まれ育った純粋なトリスタン人で、その祖先は19世紀初頭に漂着した船乗りにまでさかのぼるそうです。彼の言葉の端々には島への深い愛情と揺るぎない誇りがにじみ出ていました。そして何より、彼の話の中心には常に「神」の存在がありました。

    「この島では、自然こそが神なんだ」とジェームズは言います。「天候がすべてを左右する。漁に出られるか、畑仕事ができるか、船が港に着けるかも全部。私たちは日々、人間の力の限界を思い知らされる。だからこそ祈るんだ。家族の無事、豊かな収穫、穏やかな海のために」。

    トリスタン・ダ・クーニャの約250人の住民はほとんどが敬虔なクリスチャンです。集落には英国国教会の「聖メアリー教会」とカトリックの「セント・ジョセフ教会」の二つがあり、どちらもコミュニティの精神的支えとなっています。日曜日の礼拝には多くの島民が集い、週の始まりに神への感謝と祈りを捧げています。

    ジェームズも毎週欠かさず礼拝に参加する一人でした。「教会は神と対話する場所であると同時に、顔を合わせる大切な場でもある」と彼は語ります。「ここではみんながお互いをよく知っている。誰かが病気になればみんなで看病し、赤ちゃんが生まれれば自分のことのように喜ぶ。喜びも悲しみも共有し合う――それが私たちの生活だ。聖書の『隣人を自分のように愛しなさい』の教えが、ここでは当たり前のことなんだよ」。

    彼の話を聞きながら、私はかつて暮らしたカナダの都市生活を思い返していました。そこには便利さも自由もあった一方で、隣人の顔すら知らない匿名性の中で孤独を感じることもあったのです。しかしこの孤島の人々は、物理的には隔絶されていても精神的には強く結びついている。その絆の核にはキリスト教信仰が深く根付いていることを、ジェームズとの出会いが教えてくれました。彼の落ち着いたが芯のある眼差しは、この島に受け継がれてきた価値を静かに物語っているように感じられました。

    エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズを歩く — 小さな集落の素顔

    ジェームズの案内で、私は「ザ・セトルメント」と呼ばれる集落を歩き始めました。平坦な海岸段丘に広がるこの場所は、島民全員の暮らしの舞台です。石垣に囲まれた家々の色とりどりの屋根がパッチワークのように並び、どこかイギリスの田舎町を思わせつつも、背後に聳える荒々しい火山の姿がここが特別な場所であることを雄弁に物語っています。

    最初に案内されたのは、集落の中心にそびえる英国国教会の「聖メアリー教会」でした。1923年建立のこの教会は火山岩を積み上げて造られた素朴ながら重厚な建物です。内部に入ると、船の廃材から作られたという祭壇や長椅子が温かみのある雰囲気を漂わせ、ステンドグラス越しに柔らかな光が静寂な空間を照らしていました。

    「この教会は島民たちの手で建てられたんだ。資材もほとんど本土から運んだものはない。みんなで知恵を絞り、力を合わせて作り上げた私たちの祈りの家さ」とジェームズは誇らしげに説明してくれました。この場所では結婚式や洗礼式、葬儀まですべて行われ、島民たちの人生の節目には常にここが寄り添っています。

    次に訪れたのは、カトリックの「セント・ジョセフ教会」でした。聖メアリー教会より小ぶりながらも、これもまた島民の篤い信仰心に支えられた貴重な場です。宗派は異なりますが二つの教会は対立せず共存し、地域全体を支えているのです。

    集落を進むと、生活に密着した施設がいくつか見えてきました。島唯一のパブ「The Albatross Bar」では仕事を終えた男たちが集って社交を楽しみます。郵便局兼観光案内所では、この島から発行される美しい切手を買うことができ、世界中のコレクターに人気だそうです。旅の思い出としてここから日本の家族に手紙を送るのも、忘れがたい体験になるでしょう。

    そして、私が最も心を打たれたのは「ポテト・パッチ(The Patches)」と呼ばれる広大な畑でした。集落のはずれに広がるこの土地は、各家庭に区画が分けられていて、主食のジャガイモや野菜が栽培されています。土地はすべて島の共有財産で、売買されることはありません。人々は黙々と耕し、自然の恵みから生計を立てているのです。

    「私たちのスローガンの一つに、『No man is richer than the next』という言葉がある」とジェームズは教えてくれました。「誰も他人より裕福にはならない、という意味さ。ここでは皆がお互いを助け合う。誰かの家の屋根が壊れればみんなで修理に駆けつけるし、ジャガイモが不作の家があれば自分の畑から分けてあげる。お金よりも信頼と助け合いが重要なんだ。それがこの島が長く続いてきた理由なんだよ」。

    ポテト・パッチで汗を流す人々の額には尊さが宿っていました。彼らは大地に根付き、コミュニティと共に生きている。その姿は、現代社会で忘れかけている人間の根源的な営みを思い起こさせてくれました。エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズは単なる小さな集落ではなく、助け合いと信仰によって支えられたひとつの大家族が暮らす「家」なのです。

    島の自然と対峙する – クイーン・メアリー・ピークへの挑戦

    トリスタン・ダ・クーニャの魅力は、その独特なコミュニティだけに留まりません。島の大半を覆う手つかずの自然は、荒々しくも神秘的な美しさを漂わせています。その象徴的存在が、島の中心にそびえる標高2,062メートルの活火山、クイーン・メアリー・ピークです。この山に挑むことは、トリスタン訪問者の多くが抱く最大の夢であり挑戦と言えるでしょう。

    もちろん、私もそのひとりでした。しかし、この山は軽い気持ちで登れるような場所ではありません。まず大前提として、登山には必ず島の公式ガイドの同行が義務づけられています。天候は極めて変わりやすく、道も険しいため、地形に詳しいガイドなしでの登山は禁止されています。ガイドの手配は事前に観光センターを通じて行い、私は迷わずジェームズに依頼しました。

    登山当日の朝、空は幸運にも澄み渡っていました。しかしジェームズは笑いながら、「山の天気は女心みたいなものだ。すぐに変わるから油断は禁物だよ」と語ります。彼の言葉どおり、しっかりとした準備が不可欠です。

    ここで、私の体験に基づいてクイーン・メアリー・ピーク登山の具体的な準備について紹介します。まず服装ですが、基本はレイヤリング(重ね着)です。登り始めは暑く感じても、標高が上がるにつれて気温は急激に低下します。防水・防風性能に優れたアウターシェルは必須で、速乾性のあるインナーと保温性に富んだフリースなどの中間着を組み合わせるのが望ましいです。足元は防水性が高く、足首をしっかり保護するハイカットの登山靴が必要です。ぬかるみや岩場が多いため、安定感が欠かせません。

    持ち物としては、以下を用意しました。

    • 十分な水(最低2リットルを目安に)
    • エネルギー補給用の行動食(チョコレート、ナッツ、エナジーバーなど)
    • 帽子、手袋、サングラス、日焼け止め(高所の紫外線は非常に強力です)
    • ヘッドランプ(もし下山が遅れた場合に備えて)
    • 救急セット(絆創膏、消毒液、鎮痛剤など)
    • ゴミ袋(出たゴミはすべて持ち帰るために必須)

    ジェームズの先導で、私たちはポテト・パッチを抜けてシダ植物が茂る急傾斜地へと足を踏み入れました。未舗装の道を進みながら、彼は島の植物や過去の噴火の痕跡について教えてくれます。1961年の大噴火では全住民がイギリスに一時避難せざるを得なかったという話は、島の歴史の中でも最も大きな試練として今も語り継がれています。

    標高が1,000メートルを超えると植生が一変し、荒涼とした火山岩が露出する地帯が広がります。霧が立ち込めて視界は数メートル先までに制限され、風も強く吹き付けるため体感温度は急激に下がりました。ジェームズは静かに呟きました。「ここからが正念場だ。神様が私たちを試しているんだ」と。

    その言葉は単なる比喩以上の重みを感じさせました。一歩ずつ確実に地面を踏み締め、荒れ狂う自然と向き合う。それはまるで祈りを捧げる行為のようでもありました。登山の苦しみに没頭するうちに余計な思考は消え去り、ただ「生きている」という感覚が鋭く研ぎ澄まされていきます。

    やがて数時間後、ついに私たちは山頂に辿り着きました。幸運にも霧が一瞬晴れ、眼下に息を飲むような景色が広がっていました。山頂のカルデラ湖、ハート形のクレーター。そしてその向こうには360度見渡す限りの大西洋が広がっています。自分が文明世界から完全に切り離された地球上の一点に立っていることを強く実感しました。それは孤独感というよりも、むしろ宇宙と一体化したかのような荘厳な感覚でした。

    「どうだい、勇気。これが私たちの島の眺めだよ」隣のジェームズは深い満足と山への敬意を込めてそう言いました。この山頂に立つことで、島の人々がなぜこれほどまでに自然を崇め、神を信じるのか、その一端に触れた気がしました。クイーン・メアリー・ピークへの挑戦は単なる登山ではなく、この島の魂に触れる聖なる巡礼だったのです。

    固有種の楽園 – ペンギンやアホウドリが舞う海岸線

    トリスタン・ダ・クーニャの自然の魅力は雄大な火山だけにとどまりません。その海岸線は、人が近づけない厳しい環境ゆえに、多くの野生動物にとっての聖域となっています。本土の捕食者から隔離されたこの島々は、海鳥や海洋哺乳類の重要な繁殖地として保護されているのです。

    ジェームズは小さなボートを手配し、野生動物観察のツアーに連れて行ってくれました。集落から少し離れたごつごつした岩場の海岸へ近づくと、驚くべき光景が目に飛び込んできました。何百羽、いや何千羽ものペンギンが岩場を埋め尽くしていたのです。

    彼らはキタイワトビペンギン。黄色い飾り羽が特徴的で、この島のシンボル的な存在です。器用に岩の間を飛び跳ねる姿は見飽きることがありません。ジェームズはエンジンを止め、ボートを慎重に岸に近づけてくれました。

    ここで、野生動物観察の絶対的なルールについて触れておきます。それは、「彼らの生活空間を乱さない」ということです。特にペンギンは警戒心が強いので、十分な距離を保つことが鉄則です。大声を出したり、突然の動きをするのは禁物。フラッシュ撮影は彼らを驚かせ、目に悪影響を与える恐れがあるため、絶対に避けましょう。私たちは彼らの領域にお邪魔していることを忘れず、謙虚な姿勢を持つことが何より重要です。この島の生態系についてはブリタニカ百科事典のトリスタン・ダ・クーニャの解説ページも参考になり、その希少性と繊細さを理解する助けになります。

    ボートが岸に近づくと、好奇心旺盛な数羽が海に飛び込み、まるで偵察するかのようにボートのまわりを泳ぎ始めました。その愛らしい様子に思わず笑みがこぼれます。彼らの世界では、人間のほうが珍しい来訪者なのです。

    空を見上げれば、巨大な翼を広げたアホウドリが優雅に風に乗って滑空していました。トリスタン・ダ・クーニャ諸島は絶滅危惧種のトリスタンアホウドリのほぼ唯一の繁殖地です。その翼幅は3メートル近くに達し、一度飛び立つと数年にわたり海上生活を続けるといいます。悠々と空を舞う姿は、この島の自由と孤高の象徴のようでした。

    海岸の岩場ではオットセイたちが日向ぼっこをしながら群れて休み、時折大きなあくびをしたり仲間とじゃれ合ったりして非常にリラックスしている様子でした。ここは彼らにとっても天敵のいない安全な楽園に違いありません。

    ジェームズは一つひとつの動物について、生態や島民との関わりの歴史を丁寧に語ってくれました。「昔はペンギンの卵やアホウドリのヒナを食べていた時代もあったが、今ではみんなが彼らを島の宝物と認識している。彼らを守ることは私たちの島を守ることにもつながるんだよ」と。

    その言葉には、自然と共に生きてきた民族特有の深い知恵と重みが込められていました。この島では人もペンギンもアホウドリもすべてが大きな自然という一つのシステムの一部であり、対等な存在なのです。物質的な豊かさとは異なる、生命の豊かさがこの地には満ちていました。その光景を目の当たりにできたことは、私の人生においてかけがえのない宝物となりました。

    島の暮らしに触れる – 覚悟と準備のすべて

    エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズでの滞在は、一般的な観光地とはまったく異なります。旅行者向けの便利なインフラは極めて限られているため、快適さを最優先にする方には向きません。しかし、この「不便さ」こそが、この島の本当の暮らしを理解するための重要なポイントです。これから、この島で数週間を過ごすにあたって必要な具体的な情報や心構えをお伝えします。

    まず、宿泊についてです。島にはホテルが一軒もありません。主な滞在手段は、島民の家に滞在するホームステイか、数軒だけあるゲストハウスのどちらかになります。予約は入島許可申請時に、観光コーディネーターを通して手配するのが通常です。私はジェームズの親戚が運営するゲストハウスに宿泊しました。部屋は清潔で快適でしたが、シャワーのお湯や電気の使用時間には制限がありました。この島では、資源はみんなで大切に分け合う貴重な財産なのです。

    続いて食事について。レストランやカフェは存在しません。自炊をするか、ホームステイ先で出される食事をいただく形になります。集落には島唯一のスーパーマーケットがありますが、その品揃えは数ヶ月に一度到着する船の荷物次第です。生鮮食品が並ぶのは、船が港に着いてから数日のみで、それ以外の期間は缶詰や乾物が中心となります。

    もし特定の食品や嗜好品(たとえば、特定のスナックやコーヒー豆等)がないと落ち着かないタイプなら、ケープタウンから必ず持参することをおすすめします。ただし、持ち込みには検疫規則がありますので注意してください。島の名物は、世界でも最高級と称されるトリスタン・ロック・ロブスター(現地ではクレイフィッシュと呼ばれます)。滞在中、ジェームズにいただきましたが、その濃厚な味わいはまさに格別でした。

    そして、最も覚悟が要るのは通信環境です。携帯電話は圏外が当たり前の状態です。インターネットは衛星回線を使った非常に低速かつ高額なものだけ。公共施設でWi-Fiカードを購入すれば利用できますが、メールを数通確認するのが限界というレベルです。動画のストリーミングなどはまったく夢のまた夢。この島を訪れることは、間違いなく強制的なデジタルデトックスです。最初は不安になるかもしれませんが、数日もすればスマートフォンを持たない生活の快適さに気づくでしょう。情報の束縛から解放され、目の前の自然や人との対話に集中する時間は、驚くほど心を豊かにしてくれます。

    最後に、お金と医療についての重要な話です。島ではクレジットカードはほとんど使えず、ATMもありません。滞在費やガイド料金、お土産代など必要な費用はすべて現金で用意する必要があります。基本通貨は英ポンドですが、南アフリカランドを受け入れることもあります。必ず余裕を持った現金を用意してください。

    医療設備も非常に限られているため、常備薬や持病の薬は滞在期間に余裕を持って必ず自分で準備しましょう。また、海外旅行保険は絶対に手を抜いてはいけません。万が一、急病や大けがで南アフリカへの緊急搬送が必要になった場合、その費用は数千万円にのぼることもあります。保険加入時には補償内容をしっかり確認し、緊急搬送費用が十分にカバーされるプランを選ぶことが大切です。これはあなた自身の命を守るだけでなく、島の人々に迷惑をかけないための最低限のマナーでもあります。

    また、船が悪天候のため数週間遅れることは珍しくありません。その間の滞在費用も考慮に入れ、スケジュールや予算には十分な余裕を持ってください。この島への旅では、「予定通りにいかないことを楽しむ」ほどの大らかな心構えが何より重要です。

    ジェームズが語る信仰と孤立

    滞在も終わりに近づいたある晩、僕はジェームズの家に招かれ、ロブスターの夕食をご馳走になりました。ランプの揺らめく灯りの下で、僕たちはこの島の「孤立」と「信仰」について、これまでにないほど深く語り合いました。

    「多くの人はこの島を『孤立している』と言う。確かに地理的にはそうだ。でも、私たちは孤独だとは感じていない」と、ジェームズは静かに話し始めました。

    「本土にいると、多くの人に囲まれていても孤独を感じることがあるよね?隣に誰が住んでいるかもわからないなんてことが普通だと聞く。でもここでは違う。私たちの人数は250人しかいないけれど、その全員がお互いを家族のように思っている。誰かが困っていれば、助けるために自然と動く人がいる。誰かの喜びはみんなの喜びになる。この絆がある限り、私たちは決して孤独にはならないんだ」。

    彼の言葉は、現代社会の矛盾を鋭く突いていました。情報通信技術の発展により、世界の誰とでも瞬時に繋がれるようになった一方で、私たちはかつてないほど希薄な人間関係の中で生きているのかもしれません。

    「この孤立が、私たちを守ってくれている面もある」と、彼は続けました。「本土の競争社会や絶え間ないニュース、消費を促す広告。それらからこの島は隔てられている。だからこそ、私たちはもっと大切なこと、家族や自然、神様と向き合う時間を持てるのだ」。

    この島の社会は、The Atlanticの記事で「最も純粋な形の共産主義」と評されたこともあり、独特の共同体主義に基づいています。土地は共有され、富の格差はほとんど存在しません。その基盤には、ジェームズが語った助け合いの精神と、それを支えるキリスト教の教えが息づいています。

    「聖書には多くの知恵が詰まっている。どう生きるべきか、どう隣人と接するべきか。私たちはそれを特別なものとは考えていない。ただ単に、この厳しい自然環境で生き抜くために、ごく自然に聖書の教えを実践してきただけなんだ。神様は私たちにこの島を与え、さらにここで生きるための知恵も授けてくださった。私たちはそれに感謝して日々を過ごしている」と彼は言いました。

    彼の話を聞きながら、僕は深く考えました。私たちが「豊かさ」と呼ぶものは、一体何なのだろうか。物質的な豊かさや自由な選択。それらが必ずしも人の幸福に直結するわけではないのかもしれない。この孤立した絶海の孤島で、人びとは限られた選択肢の中でありながらも、豊かさに満ちた人生を送っているように見えました。

    カナダのワーキングホリデーでは、多様な価値観に触れ、個人の力で道を切り拓く自由と喜びを学びました。それはかけがえのない体験でした。しかし、このトリスタン・ダ・クーニャで僕はまったく異なる形の、共同体の一員として生きる歓びと、深く根ざした場所を持つ尊さを知ったのです。

    孤立は時に人を強くし、鋭く磨く。そして真に大切なものを見つめ直す機会を与えてくれる。ジェームズの穏やかな瞳の奥に、僕はその真理を感じ取ったように思いました。

    新たな旅路への祈り

    ついに、島を離れる日が訪れました。水平線の彼方に、僕をケープタウンへ連れ戻す船の姿が見えています。カルショット・ハーバーには、ジェームズをはじめ、滞在中にお世話になった島の人々が見送りに集まってくれていました。

    握手を交わし、また会う約束をしました。短い滞在にもかかわらず、彼らは僕をまるで家族のように迎え入れてくれました。その温かな思いに、胸が熱くなります。

    「勇気、必ずまた戻ってくるんだぞ」とジェームズが僕の肩を強く叩きました。「この島はいつでも君を歓迎している。次にここへ来る時まで、神様が君の旅路を守ってくださるよう祈っているよ」。

    小舟に乗り込み、遠ざかる島を振り返ります。懸命に手を振る島民たちの姿が、徐々に小さくなっていきました。クイーン・メアリー・ピークは、以前と変わらず雲をまとい、静かにそびえ立っています。

    この旅は決して楽なものではありませんでした。長く厳しい船旅、厳格な入島審査、そして文明から隔絶された不便な生活。しかし、ここで得たものは計り知れないほど大きく、自然への畏敬、共同体で生きる意味、そして目に見えないものを信じる強い心──それらはお金では買えない、魂の糧となる貴重な経験でした。

    エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズへの旅は、計画から帰国まで全てが冒険です。思い通りにならないことのほうが多いかもしれませんが、その先には現代社会が失いかけている、人間にとって本当に大切な何かが静かに待っているはずです。

    もしあなたが日常から完全に離れた場所で、自分と深く向き合いたいと望むなら。もし、本当の豊かさとは何かを問い直したいと思うなら。この絶海の孤島への旅を真剣に計画してみてはいかがでしょう。それはあなたの価値観を根底から揺さぶり、その後の人生を明るく照らし続ける、忘れがたい光になるに違いありません。

    再び始まる長い船旅の中、僕は甲板に立ち、遠ざかる島影に祈りを捧げました。ジェームズと島の人々の平穏な暮らしがこれからもずっと守られますように。そして、自分自身がこの旅で得た気づきを胸に、新たな人生の航海へ漕ぎ出せますように。大西洋の風が、その祈りを優しく運んでくれる気がしました。

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    この記事を書いたトラベルライター

    カナダでのワーホリ経験をベースに、海外就職やビザ取得のリアルを発信しています。成功も失敗もぜんぶ話します!不安な方に寄り添うのがモットー。

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