MENU

トルコはなぜEUに入れない?地中海の宝石キプロスに隠された、知られざる分断の歴史を歩く

エキゾチックなバザールの喧騒、カッパドキアの奇岩群に舞う無数の気球、そして歴史の層が幾重にも重なる壮大なモスク。アジアとヨーロッパの文化が溶け合う国、トルコ。その魅力に惹かれ、何度も訪れている方も多いのではないでしょうか。イスタンブールの街を歩けば、アザーンの響きと教会の鐘の音がごく自然に共存し、この国が持つ独特の立ち位置を肌で感じさせてくれます。

そんなトルコが、長年にわたって欧州連合(EU)への加盟を目指していることをご存知でしょうか。1963年に準加盟国となって以来、その道のりは60年以上に及びます。しかし、交渉は停滞し、加盟の目途は未だ立っていません。ヨーロッパの一部でありながら、なぜトルコは「ヨーロッパ」の仲間入りができないのでしょうか。

その答えの大きな鍵を握るのが、地中海に浮かぶ小さな島、キプロスです。紺碧の海に囲まれたリゾート地として知られるこの島には、世界でも類を見ない「分断」という深い傷跡が刻まれています。そして、その傷跡こそが、トルコのEU加盟を阻む巨大な壁となっているのです。

今回は、トルコのEU加盟問題の核心に迫るべく、その震源地であるキプロス島、特に世界で唯一分断された首都ニコシアの「グリーンライン」に焦点を当てて、複雑な歴史と政治の糸を解き明かしていきたいと思います。ニュースのヘッドラインだけでは見えてこない、人々の暮らしと祈りが交錯する国境線を、一緒に歩いてみませんか。

トルコの魅力はその歴史と文化の深さにあり、例えばオスマン帝国の食文化が育んだ多様なケバブも、その豊かさを物語る一例です。

目次

EU加盟への長い道のり – トルコが歩んだ60年

eu-kamei-e-no-nagai-michinori-toruko-ga-ayunda-60nen

トルコのEU加盟への挑戦は、私たちの誕生よりはるか前に始まっていました。その歴史は、まるで終わりの見えない長編ドラマのように続いています。すべては1959年、EUの前身であるヨーロッパ経済共同体(EEC)にトルコが準加盟を申請したことに端を発します。1963年には首都アンカラで連合協定が結ばれ、将来の正式加盟への道筋が示されました。その時代は、ヨーロッパの一員となることに対する大きな期待と希望に満ちていました。

近代トルコの父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが築いた世俗主義国家として、トルコは西側諸国との連携を国家政策の柱としてきました。冷戦期には、ソビエト連邦への対抗策としてNATO(北大西洋条約機構)の主要メンバーに名を連ね、欧米の安全保障に大きく寄与しました。経済面でも、ヨーロッパとの結びつきを強めることが国家発展に欠かせないと考えられていたのです。

年月が流れ、1987年にトルコはついに正式な加盟申請を行いました。しかし、そこからが長く険しい道のりの始まりでした。EU側はトルコの経済状況や人権問題、さらにはギリシャとの対立を理由に交渉開始を躊躇しました。それでもトルコは粘り強く改革を推進し、ついに2005年、歴史的な加盟交渉を開始しました。イスタンブールの街にはEUの旗が掲げられ、全国で歓喜の声があがったと伝えられています。

ところが、その歓喜は長続きしませんでした。交渉は始まったものの、進展は驚くほど遅く、じりじりとした状況が続きました。EUが加盟候補国に課す35項目の交渉分野のうち、完了したのはわずかに1分野のみでした。そして2018年以降、交渉は事実上完全に凍結された状態が続いています。60年という長い時間を費やしても、依然としてゴールは見えていません。なぜこれほどまでにトルコの加盟は難航しているのでしょうか。その背景には、地理的・歴史的にトルコと深く関わる、ある島の存在が大きく影を落としているのです。

すべての鍵を握る島 – キプロスとは?

トルコの南、地中海東部にぽつんと浮かぶキプロス島。その面積は日本の岐阜県ほどで、決して広い島とは言えません。しかし、この島は古代より文明の交差点として重要な役割を担ってきました。アジア、アフリカ、ヨーロッパという三大陸を結ぶ海上交通の要所に位置するため、ギリシャ、ローマ、ビザンツ、ヴェネツィア、オスマン帝国、そしてイギリスなど、多くの強国がこの島の支配権を巡り激しく争ってきた歴史があります。

この複雑な歴史を色濃く反映する形で、現在のキプロスには主に二つの民族的背景を持つ住民が共存しています。多数派はギリシャ語を話すギリシャ系住民で、一方の少数派はトルコ語を話すトルコ系住民です。彼らはオスマン帝国の時代からこの島で共に生活してきましたが、文化、宗教、言語の違いは常に緊張の種となってきました。

多くの日本人にとって、キプロスは「アフロディーテの誕生の地」としての神話的イメージや、青く輝く美しいリゾート地という印象が強いかもしれません。実際、南部のラルナカやパフォスのビーチはヨーロッパ中から観光客が訪れる人気スポットです。しかし、その華やかな風景の背景には、この島が抱える深刻な分断の現実があまり知られていません。

現在、島は「グリーンライン」と呼ばれる東西に延びる緩衝地帯によって南北に分かれています。南側は国際社会に国家として認められているギリシャ系のキプロス共和国で、EUにも加盟しています。これに対して北側はトルコ系住民が実効支配し、1983年に一方的に独立を宣言した「北キプロス・トルコ共和国」です。しかし、この北キプロスを国家として承認しているのは、世界でトルコだけです。国際社会からはトルコによる不法占拠地とみなされており、つまりEU加盟国であるキプロス共和国の領土の一部が、EU加盟を目指すトルコによって占拠されているという、非常に複雑でねじれた状況が続いています。この状況こそが、トルコのEU加盟交渉における最大の障害となっているのです。

分断の引き金 – 1974年、何が起こったのか?

bundannohikigane1974nanniokottanoka

キプロスの運命を決定的に変えたのは、1974年に起きた一連の出来事でした。この年を境に、平和的な共存の道は閉ざされ、島には消えることのない深い亀裂が刻まれました。

事件の発端は1974年7月15日に遡ります。当時のギリシャ本土の軍事政権の強大な影響を受けたキプロス国家守備隊が、ギリシャとの統合(エノシス)を目指してクーデターを起こしました。彼らは当時の大統領であったマカリオス大主教を追放し、ギリシャ併合を強行しようとしました。この動きはトルコ系住民にとって自らの存在が脅かされる深刻な危機を意味しました。ギリシャ系支配が確立することで、文化や権利が奪われるのではないかという恐怖がコミュニティ全体に広がったのです。

このクーデターに対して、トルコは迅速に対応しました。トルコ、ギリシャ、そして旧宗主国であるイギリスは、キプロスの独立を保障する条約の保証国でした。トルコはこの保証国としての権利と島内のトルコ系住民の保護を理由に、クーデター発生からわずか5日後の7月20日、キプロス北部への軍事介入を開始しました。トルコ軍は「平和維持活動」と称して北部沿岸に上陸し、ギリシャ系勢力との間で激しい戦闘が繰り広げられました。

戦闘は一度停戦されましたが再び激化し、最終的にトルコ軍は島の約37%を占める北部地域を掌握しました。これにより島は南北に分断され、北部に暮らしていた約16万人のギリシャ系住民は南部へ、南部に住んでいた約6万人のトルコ系住民は北部へと大規模な住民移動を余儀なくされました。隣人同士だった人々が一夜にして敵となり、家や土地を離れて避難せざるを得なかったのです。この際に引かれた停戦線が、現在の「グリーンライン」の原型となりました。国連平和維持軍が監視するこの緩衝地帯は、鉄条網やバリケードで封鎖されており、約50年にわたり南北の自由な往来を阻んできました。この1974年の出来事はトルコ側からは「平和作戦」と呼ばれ、ギリシャやキプロス共和国側からは「侵略」とされているため、その見解の違いが問題の根深さを物語っています。在トルコ日本国大使館のウェブサイトでも、この地域の状況について注意喚起がされており、渡航の際には必ず確認することが求められています。

「見えない壁」を越えてみる – ニコシア・グリーンライン訪問ガイド

歴史や政治についての話が続きましたが、この複雑な問題を実感するには、やはり現地を訪れるのが最も効果的です。特に、分断の象徴である首都ニコシア(トルコ語ではレフコシャ)では、徒歩で「国境」を越えるという世界的にも珍しい体験ができます。ここでは、私が実際に体験した内容をもとに、グリーンライン越えの具体的な方法や注意点を詳しくお伝えします。この記事を読めば、分断の最前線に足を踏み入れる準備が整うことでしょう。

準備と持ち物リスト

  • パスポート: これなしでは越境できません。コピーではなく必ず原本を持参し、事前に有効期限も確認してください。
  • 歩きやすい靴: チェックポイント付近や南北両側の旧市街は石畳が多いため、散策にはスニーカーなど歩きやすい靴がおすすめです。
  • ユーロ(現金): 南側、キプロス共和国の通貨はユーロです。一方、北側(北キプロス)では公式通貨はトルコリラですが、観光地の多くではユーロも使用可能です。ただし、両替レートはあまり良くないことが多いため、北側で多く買い物や食事をする場合は、越境後にリラに替えるのが賢明です。両替所はチェックポイントのすぐ近くにあります。
  • スマートフォン用のオフラインマップ: 緩衝地帯や北側では、南側で使用していたSIMカードのローミングが使えないことがあります。訪問予定の場所を事前にオフラインマップとしてダウンロードしておくと安心です。

行動手順:レドラ通りのチェックポイントを通る

ニコシア旧市街の中心部には、歩行者専用のチェックポイント「レドラ通り(Ledra Street)」があります。ここは観光客にとって最も利用しやすく、手続きも順調に進みます。

南側(キプロス共和国)での出国手続き: 南側の賑やかなショッピングストリートを歩いていくと、ギリシャ、キプロス共和国、EUの旗が掲げられた小さなブースが見えてきます。ここが南側の出国審査場です。係員にパスポートを提示すれば、特に質問もなくすぐに通過できます。スタンプは押されません。

緩衝地帯(グリーンライン)を徒歩で通過: 南側のブースを抜けると、そこは国連管理の緩衝地帯、通称「デッドゾーン」です。幅は数十メートルほどですが、左右にはバリケードがあり、廃墟となった建物が痛々しい姿で残っています。かつて商店だったであろう窓は割れ、壁には銃弾の跡が鮮明に見えます。時が止まったかのような空間を歩く数分間は、この島の分断を肌で感じる貴重な瞬間です。

北側(北キプロス・トルコ共和国)での入国手続き: 緩衝地帯を抜けると、トルコと北キプロスの旗が掲げられたブースが見えてきます。ここが北側の入国審査場です。係員にパスポートを提示すると、入国カード(小さな白い紙)が渡され、その紙にスタンプが押されます。以前はパスポートにスタンプを押されると、将来ギリシャへの入国時に問題が生じることがあると言われていましたが、現在はEUの規定変更によりほとんど問題ありません。ただし、念のためスタンプを別紙に押してもらうことも可能です。「Can I have the stamp on this paper, please?」と伝えれば、快く対応してくれるでしょう。この紙は北側から出る際に必要なので、紛失しないように大切に保管してください。

以上で手続きは終了です。わずか10分ほどで、EU圏内からトルコのみが承認する「国」へ一歩踏み出すことになります。目の前の景色は、ギリシャ風の街並みからモスクやトルコ式のハマムが点在するオリエンタルな雰囲気へと一変します。通貨や言葉、そして空気までもが異なるこの劇的な変化こそ、ニコシア散策の最大の魅力です。

禁止事項やルール、トラブル時の対処法

  • 写真撮影の禁止: 緩衝地帯や南北両側のチェックポイント、軍事施設周辺での写真撮影は厳禁です。兵士や監視カメラが多いため、トラブルを避けるためにも決してカメラを向けないようにしましょう。
  • 服装の注意点: 特に厳しい服装規定はありませんが、北側のモスクを訪れる際は肌の露出を控えるのが望ましいです。女性はスカーフで髪を覆うのがマナーとされています。多くのモスクでは観光客向けにスカーフや羽織物の貸出が用意されています。
  • トラブルが起きた場合: パスポートの紛失やその他のトラブルがあった場合、南側ではニコシアにある在キプロス日本国大使館に連絡が可能です。しかし北キプロスには日本の公館がなく、北側でのトラブルは在トルコ日本国大使館の管轄となります。渡航前に両大使館の連絡先を控え、外務省の海外安全ホームページで最新の治安情報を必ず確認する習慣をつけましょう。特に政治情勢は変わりやすいため、渡航直前の情報チェックは欠かせません。

EU加盟の「コペンハーゲン基準」とトルコの課題

eu-joining-copenhagen-criteria-turkey-challenges

キプロス分断の現場を実際に体験したところで、話を再びEU加盟問題に戻しましょう。EU加盟には、「ヨーロッパの国」であることだけでは不十分です。加盟希望国は、「コペンハーゲン基準」と呼ばれる非常に厳格な条件をクリアしなければなりません。この基準は1993年にデンマークの首都コペンハーゲンで策定され、大きく3つの柱で構成されています。

政治的基準: 民主主義、法の支配、人権、さらに少数派の尊重と保護が保障される安定した政治体制を有することが求められます。これは最も基本的な条件であり、自由かつ公正な選挙、司法の独立、表現の自由などが確立されている必要があります。

経済的基準: 実効的な市場経済が成立しており、EU圏内の競争圧力や市場の動きに対応できる能力を持つことが重要です。インフレの抑制や安定した経済運営も欠かせません。

法的基準(アキ・コミュノテール): 加盟国としての義務を果たす能力があり、政治的・経済的・通貨的なEUの目標を遵守できることが求められます。これまでEUが積み重ねてきた大量の法律・規則(アキ・コミュノテール)を自国の法体系に取り入れる必要があります。

トルコはこれらの基準のうち、特に「政治的基準」に関して多くの課題を抱えているとEUから指摘されています。その中心には、やはりキプロス問題が横たわっています。

最大の問題の一つは、トルコがEU加盟国であるキプロス共和国を国家として認めていない点です。これは非常に異例と言えます。EUという組織に参加したいと希望しながら、その正会員のひとつを「存在していない」と主張しているような状況です。トルコはキプロス共和国の港湾や空港を自国の船舶や航空機に対して閉鎖しており、これはEUが掲げる「単一市場」の原則にも反しています。EUは加盟交渉の前提条件として、キプロス共和国の承認と港湾の開放を求めていますが、トルコは北キプロスの孤立状態が解決されない限りこれには応じられないとしており、交渉は完全に膠着状態に陥っています。

さらに、北キプロスに駐留する約3万5千人とされるトルコ軍の存在も大きな障害となっています。EUの立場からすれば、加盟候補国がEU加盟国の領土を軍事的に占領し続けている状況は到底受け入れられません。キプロス問題が国連決議に基づき、平和的かつ包括的に解決されない限り、トルコのEU加盟は不可能だというのがEUの一貫した姿勢です。欧州委員会の公式サイト(こちら)には、トルコとの関係に関する最新報告が掲載されており、これらの問題が依然として重大な懸念であることが明記されています。

キプロス問題だけではない – トルコが抱えるその他の障壁

トルコのEU加盟を妨げる壁は、キプロス問題だけに留まりません。EUは長年にわたり、トルコ国内の多様な課題に対して深刻な懸念を示してきました。これらの問題は、コペンハーゲン基準、特に「法の支配」や「人権」といった政治的要件に密接に関連しています。

近年、EUが特に注視しているのは、司法の独立性と権力分立の後退です。2016年のクーデター未遂の後、トルコ政府は非常事態宣言を発動し、大規模な粛清を実施しました。その結果、裁判官や検察官、公務員、ジャーナリスト、学者など数万人が逮捕・解雇されました。EUはこれらの動きを、法の支配を深刻に揺るがし、政府に批判的な意見を抑え込むものとして強く非難しています。

また、表現の自由および報道の自由が後退している点も深刻な懸念材料です。トルコは「世界で最も多くのジャーナリストを収監している国」の一つとして、国際的な人権団体からたびたび名指しされています。政府に批判的なメディアの閉鎖や買収が相次ぎ、報道の多様性が著しく損なわれていると指摘されています。さらに、インターネット上のコンテンツへのアクセス制限も頻繁に行われ、自由な言論空間の縮小が問題視されています。

加えて、クルド人問題も依然として根深い課題です。トルコ南東部を中心に暮らすクルド人は国内最大の少数民族ですが、その文化と言語の権利は長年制約されてきました。クルド独立を目指す武装組織クルディスタン労働者党(PKK)とトルコ政府との衝突は、多数の犠牲者を生んでいます。EUはこの問題の平和的解決とクルド人の文化的権利保障をトルコに求めていますが、状況は改善されるどころか、近年再び緊迫を増しています。

これら政治的課題に加えて、経済面や社会的側面も加盟の壁となっています。トルコの人口は約8500万人に上り、もし加盟すればドイツに次ぐEU第2位の人口大国となります。これは欧州議会の議席配分や意思決定プロセスにおいて、トルコが大きな影響力を持つことを意味します。既存の加盟国、特にフランスやドイツの中には、この権力均衡の変化を警戒する声が根強く存在します。

さらに、文化的・宗教的背景の違いに対する懸念も無視できません。トルコは国民の大多数がイスラム教徒でありながら、世俗主義を国是としています。一方、EUはキリスト教文化を歴史の基盤として発展してきました。「ヨーロッパとは何か」というアイデンティティをめぐる議論の中で、イスラム教国であるトルコを正式な一員として迎えることに対し、一部のヨーロッパ市民や政治家の間に心理的な抵抗感が根強く存在するのも事実です。こうした複雑な要素が絡み合い、トルコのEU加盟交渉はいっそう困難なものとなっています。

複雑に絡み合う地政学 – 変化するトルコとEUの関係

fukuzatsu-ni-karamiaukuchi-seigaku-henkasaruturukotou-e-no-kankei

加盟交渉は現在凍結されているものの、トルコとEUの関係が完全に断絶しているわけではありません。むしろ、近年の激しく変動する国際情勢の中で、両者の関係は以前よりも複雑かつ、ある意味「切り離せない」ものとなっています。ここには単純な「加盟の可否」という二元的な視点では捉えきれない、地政学的な駆け引きが存在しています。

その典型的な例が、2015年以降一層深刻化したシリア難民問題です。内戦から逃れた数百万のシリア難民がトルコへ流入し、その多くがヨーロッパを目指しました。EUは未曽有の難民危機に直面し、対策に苦慮しました。この局面で重要な役割を担ったのがトルコでした。2016年、EUとトルコは、トルコが国内に滞在する難民の管理強化とギリシャへの不正渡航抑制を図る代わりに、EUがトルコに対し多額の財政支援を提供することで合意しました。この協定により、トルコはEUにとって難民流入を食い止める「ゲートキーパー(門番)」としての役割を果たすことになったのです。EUはトルコの人権状況などを批判しつつも、難民問題においてトルコの協力なしには対応が難しいというジレンマに直面し、そのためトルコに対して強硬な態度を取れない側面が生まれています。

また、2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、NATO東側を防衛する要の地位にあるトルコの地政学的重要性を一層際立たせました。トルコは黒海を挟みウクライナとロシア両国に隣接し、双方と良好な関係を保つ独自外交を展開しています。ウクライナ産穀物を黒海経由で輸出する合意を仲介するなど、西側諸国とロシアの間で重要な橋渡し役として機能しました。NATO加盟国でありながら、ロシアへの制裁には加わらないという独立した外交姿勢は、時に欧米諸国の不満を招くものの、その戦略的価値は広く認識されています。このため、EUも安全保障の観点からトルコとの協力関係を維持せざるを得ない状況にあります。

一方で、新たな問題も浮上しています。東地中海では近年、大規模な天然ガス田が発見され、その開発と採掘権をめぐってトルコとギリシャ、キプロス、エジプト、イスラエルなどが激しく対立しています。特にトルコが主張する排他的経済水域(EEZ)は、ギリシャやキプロスの主張と重複する部分が多く、一触即発の緊張も懸念されています。EUは加盟国であるギリシャとキプロスを全面的に支持しており、このエネルギー資源をめぐる紛争はトルコとEUの関係に新たな緊張をもたらしています。

このように、難民問題、安全保障、エネルギー問題といった複数の課題が絡み合い、トルコとEUは加盟交渉とは別のレベルで、協力と対立を繰り返すという非常に複雑で揺れ動く関係を保っています。もはやEU加盟という単一の目標に向かう時代は終わり、現実的かつ多方面にわたるパートナーシップをどのように築いていくかという、新たなフェーズに突入しているといえるでしょう。

私たちの旅が、未来を考えるきっかけに

なぜトルコはEUに加盟できないのか。この疑問を追っていくと、キプロスという一つの島を舞台とした分断の歴史や、EUが掲げる理想と現実、さらには地政学的な思惑が絡み合う複雑な国際政治の姿が浮き彫りになります。

イスタンブールのグランドバザールでトルコランプの繊細な光に魅了されたり、エーゲ海のリゾートで美しい夕日を楽しんだりする。そんなトルコ旅行はもちろん素晴らしいものです。しかし、もしもう一歩踏み込んだ旅を望むならば、飛行機でわずか1時間半の距離にあるキプロス島を訪れることを強くお勧めします。

世界で唯一、現在も分断が続いている首都ニコシア。その中心に位置するレドラ通りのチェックポイントを自らの足で渡ってみてください。賑わう南側のカフェ街から、時間が止まったかのような緩衝地帯を抜け、北側のモスクからアザーンが響く街並みに踏み入れた瞬間、きっと深い感慨を覚えることでしょう。ニュースで聞いた「分断」という言葉が、生々しい人々の暮らしを隔てる壁として、現実に目の前に立ち現れるのです。

北側のレストランで美味しいケバブを味わいながら店主と語り合い、南側の博物館で島の複雑な歴史に触れてみる。そうした一つひとつの体験が、遠い国の出来事にすぎなかったキプロス問題を、あなた自身の物語として捉え直すきっかけをもたらしてくれます。もちろん、旅人である私たちにできることは限られているかもしれません。しかし、現地を訪れてその空気に触れ、自分の目でしっかりと見て考えることこそ、複雑な世界を理解するうえで最も確かな第一歩となるでしょう。

旅は私たちを日常から解き放ち、新たな視点を与えてくれる魔法のようなものです。トルコとキプロスを巡る旅は、美しい風景や美味しい料理を楽しむだけでなく、歴史の重みや平和の尊さについて深く考える知的な冒険となるはずです。渡航前には必ず外務省の最新情報を確認し、現地の文化や歴史に敬意を払う「責任ある旅行者」として、この興味深い土地を訪れてみてください。あなたの旅が、世界への理解を深め、分断を乗り越える未来を考えるささやかで力強い一歩となることを心より願っています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いたトラベルライター

アパレル企業で培ったセンスを活かして、ヨーロッパの街角を歩き回っています。初めての海外旅行でも安心できるよう、ちょっとお洒落で実用的な旅のヒントをお届け。アートとファッション好きな方、一緒に旅しましょう!

目次