MENU

届かない故郷、歯舞諸島への旅路。根室の風が語る歴史と未来を歩く

この記事の内容 約8分で読めます

日本最東端の根室は、わずか3.7km先に北方領土・歯舞群島を望む「国境の街」です。

日本最東端の街、根室。そのさらに東、わずか3.7キロメートルの海を隔てた場所に、今も日本人が自由に足を踏み入れることのできない島々が浮かんでいます。それが歯舞(はぼまい)群島です。この旅は、リゾート地を巡るような華やかなものではありません。しかし、冷たい潮風の中に立ち、海の向こうの故郷を想う人々の歴史に触れるとき、あなたの心にはきっと、忘れられない何かが刻まれることでしょう。

この地を訪れることは、単に景色を眺める以上の意味を持ちます。それは、日本の現代史が残した深い傷跡と、それでも未来へ繋ごうとする人々の強い意志を肌で感じること。そして、私たちが当たり前のように享受している平和の尊さを、静かに問い直す時間となるはずです。この記事では、歯舞諸島を望む根室への旅が、いかにあなたの心を揺さぶり、知的好奇心を満たすものになるか、そのすべてをお伝えします。旅の終わりには、根室の豊かな海の幸が、あなたの冷えた体を温かく満たしてくれることも約束します。

北海道ならではの豊かな自然体験として、ぜひ日帰り牧場めぐりで新たな発見を楽しんでください。

目次

なぜ、すぐそこの島に行けないのか

旅の話に入る前に、少しだけ歴史のページをめくる時間をいただきたいと思います。なぜ、目と鼻の先にある歯舞諸島が「外国」扱いになってしまったのか。その背景を理解することで、納沙布岬に立ったときに目にする風景の意味合いが、まったく異なるものになるからです。

終戦直後に起きた悲劇

歯舞群島は、水晶島(すいしょうじま)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)から構成されています。かつて、この地には3000人以上の人々が暮らし、主に昆布漁を中心とした豊かな漁業で繁栄していました。島には学校が設けられ、商店が軒を連ね、子どもたちの笑い声が絶えませんでした。

その日常は、1945年8月、終戦の知らせとともに突然断ち切られました。日本がポツダム宣言を受け入れた後、ソ連軍が北方四島に侵攻を開始。歯舞群島は8月28日から9月5日にかけて次々と占領されました。島民たちは着の身着のまま故郷を追われ、家を失うこととなったのです。国際法の観点からも、根拠のない不法な占拠でした。

終わらない戦後の課題

それから70年以上の時を経ても、この問題は未解決のままです。日本政府は一貫して北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)の返還を求め続けていますが、交渉は難航しています。この現状は、根室の街に今なお濃く漂う空気として感じられます。

納沙布岬に立つと、水晶島まではわずか3.7キロメートル。晴れた日には、ロシアの警備隊施設や、かつて日本の漁師たちが建てた灯台が肉眼で確認できます。このあまりの近さに、誰もが言葉を失うことでしょう。「すぐそこにあるのに、行けない」。このもどかしさと痛みが、根室の旅に流れる根底のテーマとなっています。

旅の始まりは日本最東端・納沙布岬から

根室への旅は、まず納沙布(のさっぷ)岬を目指すことから始まります。本土最東端に位置し、北方領土を間近に望むこの岬は、まさに「国境の岬」と呼ばれる場所です。その特別な空気に触れることで、あなたの旅はより一層深みを増していくでしょう。

岬へのアクセスと訪れる際の注意点

根室市の中心部から納沙布岬までは約24キロ。車なら約30分で到着します。公共交通機関を利用する場合には、根室駅前のバスターミナルから根室交通の路線バスが出ていますが、便数が限られているため、事前に時刻表を確認することが不可欠です。

バスの車窓から外を眺めていると、徐々に民家がまばらになり、広大な牧草地や荒涼とした原野が広がる風景に変わります。ここが道東の原風景です。風が強く、夏でも肌寒いことが多いので、必ず一枚上着を用意してください。特に岬の先端は、海風を遮るものが何もないため、防寒対策を万全にすることが大切です。

望郷の思いが刻まれた場所を歩く

納沙布岬に着くと、まず目に飛び込んでくるのが「四島の架け橋」という巨大なモニュメントです。これは四島返還への切なる願いを象徴しており、その迫力に圧倒されます。祈りを捧げる女性の像が静かに海の彼方を見つめています。

岬の先端には、1872年に初めて灯が灯された北海道で最も古い灯台「納沙布岬灯台」が白くそびえ立っています。この灯台の光は、遠く海の向こうの水晶島にも届いています。かつてこの島に暮らした人たちは、この灯台の光を見てどんな思いを抱いたのでしょうか。その想像を巡らせながら歩くだけで、胸が熱くなるでしょう。

北方館と望郷の家で目の当たりにするリアルな島の姿

岬の近くには「北方館」と「望郷の家」という二つの資料館があります。北方館では、北方領土問題の歴史や自然について体系的に学べる展示がなされています。屋上の展望室には無料の大型望遠鏡が設置されているので、ぜひ覗いてみてください。

望遠鏡越しに見る水晶島は、驚くほど鮮明です。ロシアの監視塔や建物、さらには人の動きまで見えることもあります。そのあまりの近さに、ここが隣国の領土であることを一瞬忘れそうになるほどです。しかし、その島に日本の国旗が掲げられていない現実が、重く胸にのしかかります。

「望郷の家」では、元島民の方々から寄贈された、かつての島での日常を伝える貴重な品々が展示されています。漁具や生活用品、子どもたちの写真など、そこには確かな人々の温かな営みが息づいています。これらの展示は、失われたものの大きさを静かに、しかし力強く物語っているのです。

海の上から国境を体感する

umi-no-ue-kara-kokkyo-o-taikan-suru

岬から陸地を眺めるだけでなく、一歩進んで海上から北方領土に接近する体験も可能です。根室港から出航する「北方領土視察船」に乗れば、忘れがたい体験が待っています。

視察船「えとぴりか」に乗るための準備

この視察は、独立行政法人北方領土問題対策協会が主催し、毎年6月から10月にかけて運航されています。観光目的のクルーズではなく、北方領土問題の正しい理解を目的とした「視察」という位置づけです。そのため、参加には事前申し込みが必要です。

申し込みは協会の公式ウェブサイトから行うのが最もスムーズでしょう。運航スケジュールや空席状況もウェブサイトで確認できます。料金は大人一人あたり約3,000円と、体験内容を考えれば非常に良心的です。人気のある日程はすぐに予約が埋まることもあるため、旅行計画を立てたら早めの予約がおすすめです。

乗船当日の流れと必要な持ち物

当日は、出航時間の30分前までに根室港の指定された集合場所に集合します。受付で本人確認を行い、乗船料を支払った後、いよいよ「えとぴりか」に乗船となります。

船上で必須の持ち物は、双眼鏡と防寒着です。海上は陸地よりも体感温度が低く、夏でもフリースや薄手のダウンジャケットがあると安心です。双眼鏡があれば、遠くの島々や野鳥を鮮明に観察できます。船酔いが心配な方は、乗船前に酔い止め薬を服用しておくことをおすすめします。

航路と船上からの景色

「えとぴりか」は根室港を出航後、納沙布岬沖を通り、歯舞群島に沿って北上します。船内では専門の解説員が北方領土の歴史や自然について丁寧に案内してくれます。景色を眺めるだけでなく、その背景にある歴史や物語を知ることで、見える世界がまったく違って感じられることでしょう。

航海中、特に印象深いのが「貝殻島(かいがらじま)灯台」です。歯舞群島の中でも日本に近い小島に位置し、1937年に日本が建てた歴史ある灯台が現在も残っています。現在はロシアの管理下にありますが、風雪に耐え続けてきた灯台の姿はまさに歴史の証人です。かつて日本の漁船がこの灯台の灯りを頼りに漁をしていた時代に思いを馳せずにはいられません。

船が国後島に接近すると、その壮大な景観に息を飲みます。天候が良ければ、国後島の最高峰である爺爺岳(ちゃちゃだけ)の美しい稜線も眺められます。ただし、領海侵犯を避けるため一定の距離を保って航行するため、「見えるのに近づけない」という現実が海上で突きつけられます。

天候不良による欠航とその対応

海上での視察は天候の影響を受けやすく、霧が濃い日や波が高い日は安全を考慮して欠航になることがあります。自然相手のため、やむを得ない措置です。欠航が決まった場合は、支払った乗船料が全額返金されます。

もし欠航になった場合は、代わりのプランを用意しておくのが良いでしょう。例えば、陸路で風蓮湖(ふうれんこ)や春国岱(しゅんくにたい)といった根室の豊かな自然を訪れるのがおすすめです。春国岱は日本最大規模の砂嘴(さし)で、野鳥の宝庫として知られ、心が洗われる景色が広がっています。旅の計画には、こうした柔軟な対応を組み込むことも大切です。最新の運航情報は公式ウェブサイトで随時更新されているため、必ず出発前に確認しましょう。

旅の醍醐味は、根室の食にあり

歴史や社会を学ぶ真剣な旅だからこそ、その合間に味わう食事には特別な価値があります。食品商社に勤める私にとって、旅と食は切り離せない関係です。そして、この根室は日本有数の食の宝庫として知られています。

北の海がもたらす豊かな恵み

根室の海の幸といえば、まず思い浮かぶのが「花咲ガニ」です。トゲトゲとした甲羅が印象的で、その濃厚な味わいと弾力のある食感は他に類を見ません。旬は夏から秋にかけてで、茹でたての花咲ガニにかぶりつく瞬間はまさに至福の時間です。

秋になると、サンマ漁が最も盛んになります。根室港はサンマの水揚げ量で何度も日本一に輝き、その鮮度は格別です。炭火でじっくりと焼き上げたサンマに大根おろしと醤油をかけていただく。日本の秋の味覚の原点とも言える風景がここにあります。

歯舞の記憶を受け継ぐ、極上の昆布

忘れてはならないのが昆布です。特に北方領土、歯舞群島周辺で採れる昆布は最高級品として名高いものでした。現在では、元島民やその技術を引き継ぐ漁師たちが根室で、「歯舞産」に引けを取らない昆布を育て続けています。

根室産の長昆布や厚葉昆布で出汁をとると、その違いは一目瞭然。濃厚でありながらも上品な香りが豊かに立ち上ります。お土産に昆布を購入し自宅で出汁を味わうことは、かつて歯舞の海が育んだ豊かな恵みを、食卓で追体験することに他なりません。

根室のご当地グルメを堪能する

根室には、地元で長年愛され続けている個性的なご当地グルメがあります。その代表が「エスカロップ」です。バターライスの上にトンカツをのせ、デミグラスソースをかけたボリューム満点の一皿で、漁師たちが手早く栄養補給できるように考案されたと伝えられています。どこか懐かしく、心を温める味わいです。

また、「スタミナライス」もぜひ試してみてください。ご飯の上に炒めた野菜と豚肉をのせたパワフルな一品で、店ごとに少しずつ味が異なるため、食べ比べも楽しめます。こうしたソウルフードを味わうことで、根室という町の人々の気質や歴史が胃袋を通じて伝わってくるのです。

この旅で私たちが考え、できること

kono-tabi-de-watashitachi-ga-kangae-dekiru-koto

歯舞諸島を望む根室の旅は、美しい風景や美味しい食事だけで終わるものではありません。それは、私たち一人ひとりに静かな問いを投げかけます。歴史とどう向き合い、未来のために何ができるのかを考えさせられるのです。

知ることから始める

まず最初にできることは、この問題を「知る」ことです。ニュースの断片的な情報に留まらず、実際に現地を訪れて自分の目で確かめ、五感で感じてみてください。北方館の資料をじっくり読み、望郷の家に展示された品々に触れてみる。それだけで北方領土問題が遠い他国の話ではなく、私たちの国の、つながりある歴史であることが実感できるでしょう。

東京に戻った後、家族や友人に旅の話をしてみてください。「納沙布岬から見えた水晶島は、本当に目の前にあったんだよ」と。あなたの言葉が誰かの「知る」きっかけとなるかもしれません。そのわずかな連鎖が、問題解決に向けた世論の基盤を築くのです。

次世代へ語り継ぐ

元島民の方々の平均年齢は80歳を超え、当時の思い出を直接語れる人は年々減少しています。彼らが故郷を思う言葉の重みは、計り知れません。私たちは、その記憶や想いを風化させてはいけません。

もしお子さんがいるなら、この旅で得た経験をぜひ話してあげてください。写真を見せながら、どうしてあの島には行けないのかを自分の言葉で伝えてほしいのです。歴史を学ぶとは、単なる年号や出来事の暗記ではありません。そこに暮らした人々の喜びや悲しみに思いを馳せ、未来に向けた教訓とすることにほかなりません。この根室の旅はまさに、そのための最良の教材となるでしょう。

平和への祈りを込めて

納沙布岬には「祈りの火」と呼ばれる灯火が、今なお絶えることなく灯り続けています。これは、四島返還が実現するその日まで燃え続ける、人々の願いの象徴です。この灯を見つめると、領土問題という国家の争いを超えて、ただ「故郷に帰りたい」と願う人々の純粋な思いと、平和な世界を願う祈りが伝わってきます。

この旅を経験することで、私たちは武力によって国境が変わり、人々の生活が奪われる理不尽さを学びます。そして対話を通じて問題を解決していくことの重要性を改めて胸に刻むのです。根室の風に吹かれながら、静かに平和を願う――それもまた、この旅が私たちに授けてくれるかけがえのない時間なのです。

歯舞諸島を望むこの旅は、派手なエンターテイメントではありません。しかし、そこにはどんなに豪華な旅行でも得られない、心を揺さぶる体験が待っています。歴史の証人となり、未来を見つめる旅へ。あなたも日本最東端の町、根室を訪れてみませんか。きっと、あなたの人生観に深く刻まれる忘れがたい旅となるでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いたトラベルライター

食品商社で世界中の食を探求してきました。旅の目的は「その土地でいちばん美味い一皿」に出会うこと!市場や屋台でのグルメハントが得意です。

目次