「いつか行きたい」と思っていた憧れのあの場所は、果たして10年後、20年後も同じ姿で私たちを待っていてくれるのでしょうか。旅の計画を立てることは、未来への希望を膨らませる心躍る時間です。しかし今、その「未来の旅先リスト」から、いくつかの名前が静かに、しかし確実に消えようとしています。気候危機という、もはや目を背けることのできない地球規模の課題が、私たちの愛する“旅の目的地”そのものを、根底から揺るがし始めているのです。
それは、遠い国の物語ではありません。海面上昇によって国土の消失が現実味を帯びる南太平洋の島国。深刻な干ばつによって、世界三大瀑布の轟音が途絶えかけるアフリカの大地。かつてない規模の山火事に、悠久の時を生きてきた巨木が燃え落ちるアメリカの国立公園。温暖化で後退を続けるアルプスの氷河。
旅とは、未知の世界に触れ、地球の美しさと多様性を肌で感じること。しかし、その感動の舞台裏で進行している変化は、もはや「絶景」という言葉だけでは語り尽くせません。これは、単なるトラベルニュースではなく、私たち一人ひとりの旅の在り方、そして未来への向き合い方が問われる、現代の叙事詩なのかもしれません。
この記事では、気候危機によって変容し、あるいは失われつつある世界の旅先を巡りながら、その現状を深く掘り下げていきます。そして、ただ嘆くだけでなく、「旅人」として、一人の人間として、私たちに何ができるのかを具体的に考えていきたいと思います。あなたの次の旅が、ただ美しい景色を消費するだけでなく、未来の景色を守るための一歩となるように。
まずは、この問題の象徴ともいえる場所、南太平洋に浮かぶ島国ツバルの姿を、地図の上から想像してみてください。
その未来が危ぶまれる中で、持続可能な観光戦略を推進する国々の取り組みにも目を向ける必要があるでしょう。
海に飲み込まれる島々 – 失われゆく楽園の記録

青いグラデーションを描くラグーン、風に揺れるヤシの木、そして「ボン・ボリ(お元気ですか?)」と微笑みかける人々の温かな笑顔。南太平洋に浮かぶ島嶼国は、多くの旅人にとって「楽園」の代名詞でした。しかし現在、その楽園の基盤は静かに、しかし容赦なく崩れ始めています。地球温暖化による海面上昇は、これらの国々にとって単なる環境問題を超え、まさに国家存亡の危機となっているのです。
ツバル:世界で初めて地図から消えるかもしれない国
「神様から授かった土地」という意味を持つツバル。この9つのサンゴの環礁から成る小国は、最も高い地点でも標高4.5メートルに過ぎません。穏やかな時の流れの中、満潮時にはまるで大地が呼吸をするかのように、地面から海水がじわじわと染み出してきます。かつては生命の営みの一環であった光景が、近年では深刻な浸水被害となり、人々の生活を脅かす存在へと変わってしまいました。
気象庁の観測データによれば、世界の平均海面水位は上昇を続けており、特にツバルが位置する西太平洋熱帯域では、その上昇速度が世界平均を上回っています。この原因は、気候変動による海水の熱膨張や、グリーンランドや南極の氷床の融解にあります。ツバルの人々にとって、海面上昇は単なる統計上の数字ではなく、先祖伝来の土地が塩害で耕作不能となり、井戸水が塩辛くなり、墓地が波に洗われるという、切実な日常の現実なのです。
この消えゆく楽園を、その姿が大きく変わる前に訪れたいと望む人もいるでしょう。もしツバルへの旅を計画するなら、それは単なる観光以上の価値を持つでしょう。
ツバルへの旅:準備と心構え
- ルートとアクセス方法: ツバルへの移動手段としては、フィジーのナンディ国際空港からフィジー・エアウェイズが運航するフライトを利用するのが一般的です。便数は週に数便と限られているため、十分な余裕をもって日程を組むことが望まれます。航空券は航空会社の公式サイトや信頼できる旅行代理店を通じて予約しましょう。日本国籍の方は観光目的で短期滞在の場合ビザは不要ですが、パスポートの有効期限など最新の入国条件は、必ず在日ツバル名誉総領事館などで事前に確認してください。
- 準備物と持参するもの:
- 紫外線対策: 赤道に近いツバルの強烈な日差しには、つば広の帽子、UVカット機能付きサングラス、そして日焼け止めが必須です。特に日焼け止めは、サンゴに有害な成分(オキシベンゾンやオクチノキサート)を含まない「リーフセーフ」タイプを選ぶ配慮が必要です。
- 現金の持参: 現地ではクレジットカードが利用できる場所が非常に限られており、ATMも首都フナフティに1台あるのみで、常に稼働しているとは限りません。滞在費用はオーストラリアドル(ツバルの通貨)現金を十分に準備しましょう。
- 通信状況: インターネット環境は非常に限られています。現地SIMカードも購入可能ですが、速度や接続の安定性は期待薄です。あえてデジタルデトックスとして楽しむくらいの心持ちで訪れることが望ましいでしょう。
- 医療用品: 常備薬はもちろん、絆創膏、消毒液、鎮痛剤などの簡易救急セットを持参してください。現地の医療体制は十分とは言えません。
- その他: 突発的なスコールに備えた雨具や虫除けスプレー、また現地の人々と交流する際のちょっとした日本の小物(文房具や扇子など)が喜ばれることもあります。
- 禁止事項とマナー:
- 服装について: ツバルは敬虔なキリスト教の国であり、伝統文化を尊重します。特に村を訪問する際には、肌の露出が多い服装(タンクトップやショートパンツなど)は避け、肩や膝が隠れる服を心がけましょう。水着の着用はビーチやリゾートの敷地内に限定するのが礼儀です。
- 日曜日の過ごし方: 日曜日は安息日で、多くの人が教会へ礼拝に向かいます。この日は島全体が静まり返り、店舗も閉まるため、島民の祈りの時間を尊重し、騒々しい振る舞いは控えましょう。
- ゴミの扱い: ゴミ処理が大きな課題となっているため、滞在中に出たゴミ、とくにプラスチック製品はできる限り自分で持ち帰る「Leave No Trace(足跡を残さない)」の心構えが大切です。マイボトルやマイバッグを用意し、ゴミを極力減らす工夫をしましょう。
ツバルを訪れることは、美しい海を楽しむだけでなく、気候変動の最前線で生きる人々の声に耳を傾け、現実を直視する機会でもあります。その経験は、あなたの世界観に静かで深い衝撃を与えるでしょう。
モルディブ:豪華リゾートの背後にある脆弱な現実
インド洋に浮かぶ「真珠の首飾り」と呼ばれるモルディブ。約1,200の島々から構成され、その多くが高級リゾートとして開発されています。水上コテージから眺めるターコイズブルーの海はまさに夢のような景色です。しかし、この夢の舞台もツバル同様、深刻な危機に直面しています。国土の平均標高は約1.5メートルで、80%以上の地域が海抜1メートル以下という極めて脆弱な地形です。
海面上昇の脅威に加え、モルディブの観光産業の基盤であるサンゴ礁も深刻な問題を抱えています。海水温の上昇は、サンゴと共生する褐虫藻がサンゴから離脱する「白化現象」を引き起こします。白化したサンゴは栄養を得られず、いずれ死滅してしまいます。カラフルな魚たちの生息地でありながら、天然の防波堤として島を守ってきたサンゴ礁が失われることは、生態系の破壊だけでなくリゾート自体の存続も危うくします。
モルディブへの旅:持続可能性を重視した選択
かつては豪華さやプライベート感が旅行の主軸でしたが、近年では「サステナビリティ(持続可能性)」がリゾート選びの新たな基準になりつつあります。私たち旅行者の選択が、この美しい海を守る力となるのです。
- サステナブルなリゾート選びのポイント:
- 環境認証の取得状況: 「グリーン・グローブ」や「アースチェック」といった国際的な環境認証を受けているリゾートは、環境への負担軽減に積極的です。
- サンゴ再生プログラム: 多くのリゾートが海洋生物学者と協力し、サンゴの植え付けや再生活動を行っています。ゲストが参加できるプログラムを設けている施設もあります。
- プラスチック削減への取り組み: ペットボトルの提供を控え、ガラス瓶やウォーターサーバーを設置したり、プラスチックストローの使用を廃止したりする動きは、高環境意識リゾートの目印です。
- 地産地消と廃棄物管理: 輸入に頼る食材も多い中、敷地内で水耕栽培を行い、また生ゴミの堆肥化を実践するリゾートが増えています。
- 旅先でのマナーと行動:
- サンゴを傷つけない: シュノーケリングやダイビング時は、フィンでサンゴを蹴ったり手で触れたりしないよう十分に注意しましょう。サンゴはとても繊細な生物です。
- 持ち帰り禁止: 美しい貝殻やサンゴの破片を見つけても決して持ち帰らないでください。これらは生態系の一部であり、法律で厳重に禁止されています。
- ドローンの利用: 多くのリゾートではプライバシー保護のためドローンの飛行を禁止または厳格に制限しています。飛行を希望する場合は、事前にリゾートの規則を確認し許可を得ることが必要です。
- 天候変化への対応策: モルディブは天候が変わりやすく、ダイビングやツアーが悪天候で中止になることも珍しくありません。予約時には、天候不順によるキャンセル規定(返金対応や代替アクティビティの提供など)を必ず確認しましょう。旅行代理店経由なら、担当者にも事前に問い合わせておくと安心です。
私たちの旅のスタイルは、ただ豪華さを享受するだけでなく、その美しさを未来に残す責任ある行動へと変わろうとしています。モルディブの海の輝きが永遠に続くかどうかは、私たちの選択にかかっているのかもしれません。
渇きと熱波が奪う絶景 – 国立公園と世界遺産の危機
気候変動の影響は海洋だけに留まらず、内陸部においてもかつてないほど深刻な干ばつや記録的な熱波、そして大規模化する山火事が、私たちが愛する自然の風景を容赦なく変えつつあります。長い年月をかけて築き上げられたはずの絶景が、わずか数年のうちにその姿を大きく変えるという衝撃的な現実が、世界各地の国立公園や世界遺産で進行中です。
アフリカ・ヴィクトリアの滝:雷鳴の消える日
ザンビアとジンバブエの国境を流れるザンベジ川。その川幅いっぱいに広がる水が、幅1,700メートル、落差108メートルもの断崖から一気に落下する景観は、まさに圧巻の光景です。現地で「モシ・オ・トゥニャ(雷鳴の轟く水煙)」と称されるヴィクトリアの滝は、イグアスの滝、ナイアガラの滝と並ぶ世界三大瀑布のひとつとして知られています。大地を揺るがす轟音と、数百メートルも上空まで舞い上がる水煙は、訪れる者に地球の力強さを強烈に印象づけるものでした。
しかし2019年、この地域は過去100年で最も厳しい干ばつに見舞われました。ヴィクトリアの滝の水量は激減し、かつて巨大な水のカーテンで覆われていた場所が、乾いた岩肌を露出させる痛々しい姿を世界にさらしました。轟音は途絶え、水煙も消え去り、観光客たちは呆然と立ち尽くすしかありませんでした。この光景は、気候変動が観光資源、ひいては地域経済に与える影響の大きさを痛感させるものでした。
もちろんヴィクトリアの滝には元々雨季と乾季があり、水量の変動は自然のサイクルの一環でもあります。しかし近年の変動は異常に激しく、多くの研究者が気候変動との関係を指摘しています。干ばつが常態化すれば、この世界遺産としての価値自体が危ぶまれる恐れがあります。
ヴィクトリアの滝観光:適切な時期の見極めと多角的な楽しみ方
この壮麗な滝を訪れる際には、現地の気候状況を踏まえた準備と臨機応変な視点が欠かせません。
- 行動プランと最適シーズン:
- 雨季(12月〜4月頃): 最も水量が豊富な時期で、滝の迫力を最大限に堪能できます。「雷鳴の轟く水煙」を体験したいならこのタイミングがおすすめです。ただし、水煙が濃すぎて滝の全体像が見えづらい場合もあります。
- 乾季(5月〜11月頃): 水量が減少する時期で、滝壺付近まで接近できるアクティビティや、断崖の先にある「デビルズプール」で泳ぐ体験が可能です。2019年のような極度の渇水となるリスクもありますが、異なる魅力を味わえる時期でもあります。
- アクセス方法: ザンビア側はリヴィングストン、ジンバブエ側はヴィクトリアフォールズにそれぞれ空港があります。両国を巡る場合は国境でのビザ取得が必要です。共通の「KAZA UNIVISA」を利用すると、スムーズに国境を越えられます。
- 準備と持ち物:
- 防水対策: 雨季に訪れる場合は全身ずぶ濡れになる可能性が高いため、レインコートやポンチョが必須です。カメラやスマートフォンは防水ケースに入れるか、防水機能のあるものを用意しましょう。滝の周囲では強風のため傘はあまり役立ちません。
- 服装: 乾季は日中の日差しが強く乾燥するため、帽子やサングラス、日焼け止めが必要です。朝晩は冷え込むこともあるので、薄手のジャケットなど羽織るものを持っていくと便利です。
- 健康管理: この地域はマラリアのリスクがあるため、渡航前にトラベルクリニックなど専門機関で相談し、予防薬の服用を検討してください。虫よけ対策も万全に行いましょう。
- トラブル対策と代替プラン: 渇水期に訪れて期待通りの滝の姿が見られなかった場合でも、落胆する必要はありません。ヴィクトリアの滝周辺には他にも多彩なアクティビティがあります。ザンベジ川のサンセットクルーズではカバやゾウに出会えることもありますし、ヘリコプターやマイクロライトプレーンによる遊覧飛行で水量が少なくても壮大な地形を上空から楽しめます。現地ツアー会社はさまざまな代替案を用意しているため、事前に情報収集をして多角的なプランを立てることで、旅行の満足度を高められるでしょう。
アメリカ国立公園:山火事と干ばつの影響
「アメリカが生み出した偉大な遺産」と称される国立公園システム。ヨセミテの壮大な花崗岩、セコイア&キングスキャニオンの荘厳な巨木、グランドキャニオンの雄大な渓谷など、これらのスケールと美しさは世界中の旅行者を魅了してきました。しかし、この自然の聖地もまた、気候変動の猛威に晒されています。
特にカリフォルニア州を中心とする西部では、夏の熱波と長期にわたる干ばつが山火事のリスクを劇的に高めています。かつては数十年、数百年に一度の割合だった大規模な山火事が、現在では毎年のように発生し、その規模も被害も拡大しつつあります。火災は公園内の地域を焼き尽くし、美しい風景を奪うだけでなく、道路を封鎖し公園の長期閉鎖を招く事態も珍しくありません。樹齢2,000年以上のジャイアントセコイアの巨木が炎に包まれる映像は、多くの人々に大きな衝撃を与えました。
一方、南西部では干ばつの深刻化も顕著です。アリゾナ州とネバダ州にまたがるミード湖は、フーバーダムによって形成されたアメリカ最大の人工湖ですが、その水位は観測史上最低水準にまで低下。湖の水際は大きく後退し、かつて水中にあった地形が次々と露出しています。この湖はラスベガスをはじめとする数千万人の生活を支える重要な水資源であり、その枯渇は観光の問題を超え、社会的にも深刻な課題となっています。
アメリカ国立公園旅行:最新情報の把握が成功の鍵
アメリカの国立公園を訪れる際には、これまで以上に入念な準備と、現地での柔軟な対応力が求められます。
- 行動のポイント: 旅の計画段階で欠かせないのが、アメリカ国立公園局(NPS)の公式ウェブサイトの確認です。各公園のページにある「Alerts & Conditions」セクションでは、道路閉鎖、トレイルの状況、火災情報、気象警報などがリアルタイムで更新されています。出発前はもちろん、旅行中も毎日必ずチェックする習慣をつけましょう。
- 禁止事項と遵守すべきルール:
- 火の管理: 山火事の危険性が非常に高いため、火の使用には厳しい制限があります。キャンプファイヤーが可能な場所や期間は限定され、違反すると高額な罰金が科せられます。タバコのポイ捨ても厳禁です。
- ドローン利用: ほとんどの国立公園では、許可なしでのドローン飛行が禁止されています。
- 野生動物への接近禁止: 野生動物への餌やりや不用意な接近は禁止です。特にクマの出没地域では、食料管理(ベアキャニスターの使用など)についてレンジャーの指示を厳守してください。
- 準備と持ち物:
- 十分な飲料水: 特に夏場の南西部では脱水症状が命に関わるため、車に大量の水を積んでおくことが必須です。
- レイヤリング可能な服装: 多くの国立公園は標高差が大きく、一日の中でも気温の変動が激しいため、Tシャツからフリース、防水ジャケットまで重ね着できる服装が基本です。
- オフライン地図: 公園内は携帯電話の圏外エリアが多いため、スマホの地図アプリを事前にオフライン対応でダウンロードするか、必ず紙の地図を携帯しておきましょう。
- トラブル時の対処法: 山火事や道路閉鎖で目的地に行けなくなった際は、慌てず安全な場所へ避難し、NPS公式サイトやビジターセンターで最新情報を確認しましょう。広大な国立公園内では迂回ルートや近隣の他の公園・州立公園へのルート変更が可能なこともあります。臨機応変に代替プランを検討することが、旅を成功に導きます。加えて、万が一に備え海外旅行保険に必ず加入し、特に旅行の中断やキャンセルに関する補償内容を事前に確認しておくことが重要です。
融解する氷河と雪景色 – 変わりゆく極地と高山の旅

純白の雪と青く輝く氷河は、地球の壮大さと悠久の時を感じさせる特別な風景です。しかし、こうした極地や高山地帯こそ、地球温暖化の影響を最も強く受けています。氷が融ける速度は加速し、何万年もの歳月をかけて築かれた氷河は、わたしたちの世代でその姿を大きく変えつつあります。これは、スキーや登山といったアウトドア活動の未来のみならず、下流に暮らす数億人の人々の水資源にも直結する深刻な問題です。
スイス・アルプスの氷河後退:白き巨人の消えゆく姿
ユングフラウをはじめとするスイス・アルプスの峻厳な山々は、登山者やスキーヤーにとって憧れの地です。その山肌を覆う壮麗な氷河は、アルプスの風景の中心的存在でした。全長23キロメートルを誇るヨーロッパ最大のアレッチ氷河は、世界自然遺産にも登録されています。
しかしこの白き巨人は、現在「病」に侵されています。温暖化の影響で冬に降る雪の量よりも夏に溶ける氷の量が上回り、氷河は年ごとに細り、後退を続けています。スイス氷河モニタリングネットワーク(GLAMOS)によると、スイスの氷河は驚異的な速度で体積を失っており、温暖化がこのまま進めば今世紀末にはほとんどの氷河が消え去ると予測されています。
氷河の後退は景観の変化にとどまりません。氷河トレッキングのルートの危険性が増し、かつて夏でもスキーが楽しめた場所は岩が露出して営業が困難になっています。また、氷河の融解により氷河湖が形成され、その決壊により下流の村々で洪水が起きる「氷河湖決壊洪水」のリスクも著しく高まっています。
アルプスを訪れるなら:氷河の迫力を安全に楽しむために
後退が進んでいるとはいえ、アルプスの氷河は未だに圧倒的な迫力で訪れる人々を迎えています。その最後の雄姿を目に焼き付けるには、安全面への配慮と環境への敬意が欠かせません。
- 行動のポイント: 氷河上のトレッキングは専門知識と装備がなければ極めて危険です。氷の裂け目であるクレバスへの転落事故は後を絶ちません。必ず山岳ガイド連盟などに属する公認ガイドが率いるツアーに参加しましょう。ガイドは安全なルートを熟知し、必要な装備(アイゼン、ハーネス、ロープなど)も貸し出してくれます。
- 服装と装備:
- ウェア: 麓の夏と異なり氷河上は厳しく冷え込みます。防水・防風・透湿性を備えたアウター(シェルジャケット)、保温性の高い中間着(フリースやダウン)、速乾性のベースレイヤーを組み合わせた「3層レイヤリング」が基本です。
- 足元: 頑丈な登山靴は必須です。スニーカーではアイゼンを装着できません。
- 紫外線対策: 高地の紫外線は非常に強く、雪面の照り返しもあります。高SPFの日焼け止め、UVカット効果の高いサングラス、そして保湿効果のあるリップクリームを忘れずに。
- その他: 十分な水分補給とエネルギー補給用の行動食も必携です。
- 持続可能な観光を心がける: アルプス地域は公共交通機関が充実しています。スイストラベルパスなどを活用し、鉄道・バス・湖船を乗り継ぐことで環境負荷を抑えつつ快適に移動できます。車の利用は控えめにし、ハイキングやサイクリングを組み合わせれば、アルプスの自然をより深く体験できるでしょう。宿泊先は、地元食材を使い環境に配慮した小規模ホテルや山小屋を選ぶことが、地域社会への貢献にもなります。
パタゴニアの氷河:響き渡る自然からのメッセージ
南米大陸の最南端に広がるパタゴニア。手つかずの大自然が息づくこの地には、荒々しいフィッツロイの峰々やパイネ国立公園の奇岩群など、数多くの氷河が点在しています。特にアルゼンチン側のロス・グラシアレス国立公園にあるペリト・モレノ氷河は、温暖化が進むなかでも前進と後退を繰り返す珍しい「生きた氷河」として知られています。
展望台の眼前で、ビルのような大きさの氷塊が轟音とともに湖に崩れ落ちる様子はパタゴニア観光の見どころのひとつです。この「崩落」は自然現象の本質ですが、近年ではその頻度や規模が増加しているとの指摘もあります。地球のダイナミックな動きを肌で感じる圧巻の体験であると同時に、温暖化によって氷河の安定が脅かされている証しとも言えるでしょう。私たちは、その轟く音の中に、地球からの悲鳴を聞き取る必要があるのかもしれません。
パタゴニア訪問時の心得:自然への尊敬を胸に
パタゴニアの自然は美しくも厳格な姿を持ちます。その懐に入り込むには綿密な準備と自然への深い畏敬の心が重要です。
- 準備と持ち物: 「一日で四季が訪れる」と言われるほど変わりやすいパタゴニアの天気、特に強風が特徴です。高機能な防風・防水ジャケットは命綱ともいえる装備です。フリース、帽子、手袋、ネックウォーマーなど防寒具は必ず持参しましょう。トレッキングポールは足の負担を軽減し、バランスの保持に役立ちます。
- ルールとマナー: 国立公園内では「Leave No Trace(自然に痕跡を残さない)」の原則が厳守されています。
- ゴミは全て持ち帰る: 小さな包み紙一つであっても自然には還りません。必ずジップロックなどに入れて全て持ち帰りましょう。
- トレイル厳守: 脆弱な高山植物の生態系を守るため、指定されたトレイルから外れないことが必要です。
- 焚き火禁止: 過去に観光客の火の不始末で大規模な山火事が発生し、多くの森林が失われた悲劇があります。火の取り扱いは厳禁です。
- 最新情報の確認: トレイルコンディションは気象状況で変化します。出発前には必ず国立公園のビジターセンターや公式サイトで最新の案内をチェックし、レンジャーの助言を遵守してください。
氷河の変貌を目撃することは、地球の悠久な時間の流れと、人間の活動がもたらす影響の大きさを教えてくれます。それは単なる美しい風景ではなく、心に深く重いメッセージを刻み込む旅となるでしょう。
旅人として、私たちに何ができるのか? – サステナブル・ツーリズムへの転換
ここまで、気候危機の影響で変貌を遂げたり、失われつつある世界の旅先を見てきました。沈みゆく島々、干上がる滝、燃え盛る森林、溶ける氷河。こうした現実は、旅好きな私たちの胸を締めつける出来事ばかりです。しかし、ただ嘆き悲しむだけで終わらせてはなりません。絶望の中から希望の光を見つけることこそ、旅が私たちに授けてくれる最大の力なのです。
問題の根底には、社会が排出する温室効果ガスがあります。そして残念ながら、観光業、特に航空機を使った長距離移動は、その排出量の大きな一因となっています。しかし、それが理由で「旅そのものをやめるべきだ」と断じるのは早計です。旅は異文化理解を深め、地球の美しさを実感し、環境問題に対する主体的な意識を育む、かけがえのない経験をもたらしてくれます。
今求められているのは、「旅の停止」ではなく「旅の質の転換」です。美しい景観をただ一方的に消費する「観るだけ」の観光から、その土地の自然や文化、そして未来を守るために貢献する「守る」旅へと移行すること。すなわち、サステナブル・ツーリズム(持続可能な観光)へのシフトです。これは決して我慢や制約ばかりの旅ではなく、むしろより深く、豊かで心に残る旅への進化なのです。
具体的な実践例:旅を変える小さな一歩
サステナブルな旅は特別なことではありません。計画時から現地での過ごし方、帰国後に至るまで、少し意識を変えるだけで誰でもすぐに取り組むことができます。
旅前(計画段階)のポイント
- オフシーズンや平日を狙う: 多くの観光客が集中する繁忙期を避けることで、オーバーツーリズム(観光過多)の緩和につながります。混雑を避けてゆったり過ごせるだけでなく、飛行機や宿泊料金が下がることも。地域にとっても収入が年間を通じ安定することは大きな助けとなります。
- 「より短く多く」から「より長く少なく」へ: 短期間に多くの都市や国を巡る急ぎ足の旅は移動に伴う二酸化炭素排出が多くなりがちです。訪問先を絞って一か所にじっくり滞在する「スロートラベル」を実践してみましょう。移動負担が減る分、その土地の文化や人々との交流を深められ、地域経済への貢献も高まります。
- 移動手段を賢く選択する: 可能な範囲で飛行機より鉄道やバスなど陸上交通を選びましょう。どうしても飛行機が必要な場合は、乗り継ぎの多い便より直行便を選ぶと、離着陸時の燃料消費が抑えられます。また、航空会社の「カーボンオフセット」プログラムを利用して、自分のフライトから排出されたCO2を植林プロジェクトなどへの寄付で相殺することも一つの方法です。
- 環境に配慮した宿泊施設を選ぶ: モルディブの例にあるように、環境認証を取得していたり、地元の食材利用や再生可能エネルギー導入に積極的なホテルやロッジを選びましょう。予約サイトのフィルター機能や「エシカル」「サステナブル」といったキーワード検索で見つけやすくなります。
- 持ち物はなるべくミニマルかつエコに:
- マイボトル・マイカップの持参: ペットボトル飲料の購入を控え、宿泊施設やカフェで水を補給する習慣をつけましょう。
- マイバッグ・エコバッグの利用: 買い物やお土産の際にレジ袋をもらわずに済みます。
- 携帯用カトラリーセット: 屋台やテイクアウトで使い捨てのスプーンやフォークを断ることができます。
- 詰め替え可能なアメニティ: ホテルの小分け使い切り用品の代わりに、普段から使うシャンプーなどを小さな容器に詰めて持参しましょう。固形シャンプーや石鹸はプラスチック不要で携帯にも便利です。
旅中(現地での行動)の意識
- 地産地消を楽しむ: 地元の食材を使った料理が味わえるローカルレストランや、地元の人が集まる市場に足を運びましょう。輸送に伴うエネルギー削減に貢献できるだけでなく、その地域ならではの食文化に触れる最高の機会です。
- 限りある資源を大切に: 乾燥地帯や島国では特に、水の使用を節約することが重要です。シャワーの時間を短くしたり、ホテルのシーツやタオルの交換を毎日頼まない「エコ清掃」を選んだりするなど、小さな心配りが求められます。外出時の電気やエアコンの消灯も基本のマナーです。
- 本物のエコツーリズムに触れる: ガイド付きのネイチャーツアーで土地の生態系を学んだり、ビーチクリーンやマングローブ植樹のボランティア活動に参加することも、価値ある体験となります。
- お土産選びの工夫: 大量生産品ではなく、地元の職人が伝統技術で作る工芸品やフェアトレード製品を選びましょう。これは地域文化と経済への直接的な支援につながります。象牙やべっ甲、特定の貝殻など、絶滅危惧種を素材にした製品は絶対に購入しないでください。
旅後(帰国後)に取り組めること
- 感動と現実を発信する: 旅の思い出をSNSやブログで共有しましょう。美しい写真だけでなく、現地の環境問題や自ら実践したサステナブルな工夫についても添えると、他の人の旅の考え方を変えるきっかけになるかもしれません。
- 支援を続ける: 訪れた地域の自然環境を守る活動をしているNPOや保護団体に寄付し、旅が終わった後もその場所と繋がりを持ち続けましょう。
- 旅の学びを日常に活かす: 旅先で得た気づきや経験は、私たちの日常生活にも大きな変化をもたらします。節水、省エネ、ゴミの分別、地元産食材の選択など、旅で実践したことを日常に根づかせていきましょう。旅と暮らしは繋がっているのです。
未来の旅人への手紙

旅は私たちに、広大で美しい世界を教えてくれます。未知の風景、新たな味覚、触れたことのない文化、そして出会った人々の笑顔。これらはすべて、私たちの人生を彩るかけがえのない宝物です。
しかし、この記事でたどってきたように、その宝物は今、静かに、しかし確実に失われつつあります。気候危機という抗い難い波が、私たちの大切な旅の舞台を徐々に浸食しているのです。
「あの島は昔、もっと大きかったんだよ」 「この滝はかつて、一年中ものすごい音を立てていたんだ」 「ここにはかつて、青く輝く氷河があったんだ」
未来の旅人たちがそんな過去の話だけを聞くことのないように。私たちが愛した壮大な景色を、次の世代、さらにその先の世代の旅人たちも同じように体験できるように。そのために、私たちは何ができるのでしょうか。
答えは、私たちの次の一歩にあります。次に旅を計画するとき、どの航空券を選び、どのホテルに泊まり、どんなお土産を買うか。これら一つひとつの選択が、小さな波紋のように広がり、やがて大きなうねりとなって未来の旅の風景を変えていくのです。
私たちは、消えゆく絶景を眺める「最後の旅行者」になることもできます。しかし同時に、新しい旅の価値を創り出し、未来の絶景を守る「最初のサステナブルな旅人」になることもできるのです。
さあ、次の旅の計画を立てましょう。その計画書に、憧れの地の名前とともに、その場所の未来への想いをそっと添えてみてください。あなたの旅が世界を少しだけ良い方向へ動かす、優しくも力強い一歩となることを心から願っています。あなたの選択ひとつひとつが、まだ見ぬ絶景を未来の旅人へとつなぐ架け橋となるのですから。









