イスラエルのフラッグキャリアであるエル・アル航空(EL AL)が、ヨーロッパの格安航空会社(LCC)ウィズエアー(Wizz Air)のイスラエルにおける拠点拡大計画に対し、公式に強い懸念を表明しました。この対立は、単なる企業間の競争を超え、イスラエルの航空業界の未来、国の安全保障、そして私たち旅行者のフライト選択にまで影響を及ぼす可能性を秘めています。
背景:なぜEL ALは猛反発するのか?
今回の論争の中心にあるのは、ハンガリーに拠点を置く超格安航空会社Wizz Airが、イスラエルに航空機を常駐させ、現地でクルーを雇用する本格的な「拠点」を設立しようとする計画です。これにより、イスラエル発着の路線が大幅に拡充されると見られています。
これに対し、EL ALのディナ・ベン・タル・ガナンシアCEOは「不公平な競争」であると強く批判しています。EL ALの主張の核心は、自社がイスラエルの航空会社として負っている特別な「国家的負担」を、Wizz Airのような外国企業は一切負っていないという点にあります。
国家的負担とは何か
EL ALが指摘する「国家的負担」には、主に以下の二つが含まれます。
- 厳格なセキュリティコスト:EL ALは、世界で最も厳しいとされる独自のセキュリティ基準を遵守しています。これには、特別な訓練を受けた警乗員の同乗や、空港での徹底したチェックなどが含まれ、莫大なコストが発生します。しかし、外国の航空会社には同レベルの義務は課せられていません。
- 安息日(シャバット)の運航停止:ユダヤ教の安息日である金曜日の日没から土曜日の日没まで、EL ALは原則として旅客便を運航しません。これは企業にとって年間52日分のビジネス機会を失うことを意味し、極めて大きな商業的ハンディキャップとなります。
EL ALは、これらの負担を負わずに自由に運航できるWizz Airとの競争は、そもそもスタートラインが違う不公正なものであると訴えているのです。
航空業界の競争と国家的利益のジレンマ
イスラエルは2013年にEUとの間で「オープンスカイ協定」を締結し、航空市場の自由化を推進してきました。その結果、Wizz Airをはじめとする多くのLCCが参入し、価格競争が激化。旅行者にとっては航空券が安くなり、渡航のハードルが下がりました。実際に、協定前の2012年に約1,200万人だったベン・グリオン国際空港の旅客数は、パンデミック前の2019年には約2,480万人へと倍増し、オープンスカイ政策は大きな成功を収めたと評価されています。
しかし、EL ALは自社を単なる商業的な航空会社ではなく、イスラエルの「戦略的資産」であると位置づけています。事実、2023年10月に始まったハマスとの紛争の際には、多くの外国航空会社が危険を理由にイスラエルへのフライトを即座に停止しました。その一方で、EL ALは運航を続け、海外にいるイスラエル国民や予備役兵の帰国、さらには救援物資の輸送など、国のライフラインとしての重要な役割を果たしました。
EL ALは、「平時」の利益追求のために参入した外国企業は、「有事」には容易に撤退してしまうと指摘。もし激しい価格競争によってEL ALが経営的に立ち行かなくなれば、イスラエルは非常時に自国民を守るための翼を失いかねない、という安全保障上の懸念を提起しているのです。
予測される未来と旅行者への影響
この対立が今後どう展開するかは、イスラエル政府の判断にかかっています。運輸省がこれまで通り市場競争と消費者の利益を優先するのか、それともEL ALの訴える国家的利益と安全保障を重視するのか、難しい舵取りを迫られています。
短期的な影響:旅行者へのメリット
もしWizz Airの拠点拡大が計画通り進めば、旅行者、特に予算を重視する層にとっては朗報となるでしょう。
- 航空券の価格低下:ヨーロッパ各地とイスラエルを結ぶ路線の選択肢が広がり、さらなる価格競争が期待できます。
- アクセスの向上:これまで直行便がなかった都市への新規就航も考えられ、イスラエルへのアクセスがより便利になります。
長期的な影響:潜在的なリスク
一方で、長期的に見れば懸念点も存在します。
- EL ALのサービスへの影響:激しい競争がEL ALの経営を圧迫すれば、路線縮小やサービスの簡素化につながる可能性も否定できません。
- 有事の際の選択肢:EL ALが主張するように、紛争など不測の事態が発生した際に、イスラエルへの空路が大幅に制限されるリスクが高まる可能性があります。
今回のEL ALとWizz Airの対立は、自由競争がもたらす経済的利益と、一国の安全保障やアイデンティティを背負うフラッグキャリアの役割との間で、世界中の国々が直面する課題を象徴しています。私たち旅行者も、安い航空券という目先のメリットだけでなく、その背景にある各国の航空政策や、空の旅を支える航空会社の役割について思いを馳せてみると、旅はより一層深みを増すかもしれません。









