ロシア、と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、玉ねぎ型のドームが愛らしい聖ワシリー寺院や、壮麗なエルミタージュ美術館、凍てつくシベリアの広大な大地かもしれません。しかし、この国の南西の果て、カスピ海の青い水面に寄り添うようにして、ヨーロッパのどの教会よりも、ロシアのどの聖堂よりも古くから祈りの声を受け止めてきた場所があることを、ご存知でしょうか。そこは、コーカサス山脈の麓に位置する古代都市デルベント。そして、その心臓部に静かに佇むのが、ロシア最古のモスク、「ジュマ・モスク」です。
アパレル企業で働きながら、長期休暇のたびに世界の街角へ飛び出す私にとって、旅は新しいデザインのインスピレーションを得るための大切な時間。特に、その土地の歴史や文化が凝縮された建築物には、心を奪われます。今回私が訪れたジュマ・モスクは、単に古いだけの場所ではありませんでした。そこは、千年以上もの間、様々な民族の興亡、帝国の盛衰、そして人々の絶え間ない祈りを見つめ続けてきた、生きた歴史そのもの。華美な装飾を排し、石と光と静寂だけで構成された空間は、現代に生きる私たちに、美しさの本質とは何かを静かに問いかけてくるようでした。
この旅の記事では、謎多き古代都市デルベントの魅力と共に、ロシア最古の聖地であるジュマ・モスクの歴史と建築の秘密、そして実際に訪れるための具体的な旅のヒントを、女性トラベラーならではの視点も交えながら、詳しくご紹介していきたいと思います。さあ、文明の十字路、デルベントへの時空を超えた旅へ、一緒に出かけましょう。
デルベント、歴史が交差する城塞都市

ジュマ・モスクの物語を語るにあたり、まずはこのモスクが根付く街、デルベントについて触れなければなりません。デルベントは単なる地方都市ではありません。ロシア連邦ダゲスタン共和国に位置するこの街は、ロシア最古かつ最南端の都市のひとつであり、その歴史は実に5000年以上前に遡ると伝えられています。
カスピ海の門
デルベントという地名はペルシア語で「閉ざされた門」を意味します。その名にふさわしく、この街はコーカサス山脈がカスピ海の岸辺まで狭まる、わずか3キロほどの細い回廊地帯に築かれました。北の草原地帯から南のペルシア方面へ抜ける唯一の通路として、古来よりユーラシア大陸を横断する民族や軍隊、さらにはシルクロードの商人たちにとっても戦略的に避けては通れない重要拠点であったのです。
この「カスピ海の門」を掌握することは、すなわち北コーカサスの交易路を支配することに他ならず、そのためスキタイ、ペルシア、アラブ、モンゴル、ティムール、ロシアと、多くの大国がこの地の覇権を巡って激しい争奪戦を繰り広げてきました。デルベントを囲む堅牢な城壁や丘の上にそびえるナリン・カラ要塞は、こうした激動の歴史を今に伝える象徴的な存在です。
街を散策すれば、まるで時代を超えて旅しているかのような感覚が訪れます。石畳の道、風化した城壁の向こうにはカスピ海の蒼い海原が広がり、ここを通り過ぎた数多の隊商や兵士たちの姿を想像させます。耳を澄ませば、ラクダの鈴の音や、多様な言語が交わされる商人たちのざわめきが聞こえてくる気さえするのです。
多文化が織りなす街並み
デルベントの魅力は、軍事的な重要性だけにとどまりません。多様な民族や文化が交錯する「文明の十字路」として、この街は他に類を見ない文化の多様性を育んできました。
イスラム教が伝来する以前から、ここにはゾロアスター教の神殿が存在し、キリスト教も早期に伝わっていました。さらに驚くべきことに、デルベントには古代から続くユダヤ人コミュニティも根づき、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が大切に守り継がれてきたのです。
ジュマ・モスクから数分歩くとアルメニア教会があり、もう少し進めばシナゴーグが立っています。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教という三大一神教の聖地がごく近くに共存する風景は、この街が長年培ってきた寛容と共生の歴史を物語っています。ダゲスタン共和国全体が「人種のるつぼ」と称される多民族共存の地ですが、そのなかでもデルベントは特にその縮図ともいえる場所です。異なる文化や信仰が互いを尊重し合い、まるでモザイクのように美しい街並みを築いているのです。
世界遺産としての価値
このようなデルベントの類まれな歴史的価値は、国際社会からも高く評価されています。2003年にはジュマ・モスクを含む「デルベントの城塞、古代都市、要塞建築物群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
ユネスコが登録理由として挙げているのは、ササン朝ペルシア時代より続く防衛システムの戦略的意義と、それが後世の建築に与えた影響の大きさです。特に街の北端と南端に連なる二重の城壁、そして丘の上に築かれたナリン・カラ要塞が一体となった防衛施設群は、古代から中世にかけての軍事建築の傑作と称賛されています。
そして、この世界遺産の中心的役割を担うのがジュマ・モスクです。モスクは単なる宗教建造物にとどまらず、この古代都市の精神的な柱であると同時に、アラブ文化がコーカサス地方へ伝わったことを示す重要な証左として、世界遺産の構成資産に含まれています。デルベントを訪れることは、単なる観光ではなく、人類の悠久の歴史を肌で感じる、壮大な遺産との出会いなのです。
ジュマ・モスク、千年の歴史を紐解く

デルベントの街の中心、旧市街の迷路のような細い路地を抜けると、突然広がる開放的な空間が目の前に広がります。そこには、大地から直接生えてきたかのように、素朴でありながら圧倒的な存在感を放つ石造りの建物があります。これこそがジュマ・モスクです。その飾り気のない外観からは想像しがたいほど、深く複雑な歴史が刻まれているのです。
創建の謎とアラブの征服者たち
ジュマ・モスクの正式な創建年は、西暦733年から734年ごろとされています。これは、イスラム勢力を支配していたウマイヤ朝の軍がこの地を征服した直後のことでした。指揮官マスラマ・イブン・アブドゥルマリクは、デルベントを北コーカサスにおけるイスラム教布教の拠点と位置づけ、その象徴としてこのモスクを建てたのです。モスクの入口上部には、建設年と建設者の名を記したアラビア語の碑文が現在も残されており、その歴史の古さを雄弁に物語っています。この創建年により、ジュマ・モスクはロシア領内で現存する最も古いモスクの一つとしての地位を得ています。
しかし、その歴史にはいくつかの謎も残されています。ある説によれば、元々この場所にはキリスト教のバシリカ(教会堂)があり、アラブの征服者たちがそれを改築してモスクとした可能性があります。建物の基本構造が初期キリスト教の教会建築に似ていることが、その根拠とされています。また、さらに古い時代にはササン朝ペルシアの支配下でゾロアスター教の拝火神殿があったという説もあり、この地がイスラム教伝来以前から聖地として崇められていた可能性を示しています。
どの説が真実であるにせよ、確かなのは、このモスクがデルベントの歴史における重要な転換点であり、アラブ・イスラム文化がこの地に根付く時代の象徴であるということです。それは単なる建築物の建設ではなく、新旧の信仰と文化が重なり合い、力強く歴史に刻まれた瞬間だったのです。
建築様式に見る時代の変遷
ジュマ・モスクの建築は、一見すると非常に簡素です。煌びやかなタイル装飾や高くそびえるミナレット(尖塔)はありません。しかし、その質素さの中にこそ、初期イスラム建築の純粋な姿と、この地ならではの力強さが感じられます。
建物は地元で採掘された黄褐色の石灰岩で積み上げられています。長さは約68メートル、幅は約28メートル。広大な礼拝ホールと、それを囲む中庭から成る、典型的なアラブ様式のプランです。特に注目すべきは礼拝ホール内部で、太く無骨な四角い石柱が規則正しく並び天井を支えています。この柱群が林のように連なる光景は訪れる者を圧倒し、まるで古代の神殿へ迷い込んだかのような荘厳な雰囲気を醸し出しています。
このモスクの建築にはササン朝ペルシア建築の影響も色濃く見られます。たとえば、アーチの形や石材の加工技術には、イスラム以前の地域建築文化が反映されています。アラブ征服者たちは自らの宗教建築の設計を持ち込む一方で、現地の職人の技術や素材を積極的に活用しました。その結果、アラブ様式とペルシア様式が融合した、デルベント独自の特徴的な建築が誕生したのです。
時代が進むにつれて、モスクは幾度かの改築を経験しています。例えば、北側には15世紀に造られたマドラサ(神学校)が付設されており、かつて北コーカサス全域から学生が集まるイスラム教育の中心地でした。このように、ジュマ・モスクは創建当初の姿を守りつつも、時代の要請に応じてその機能と形態を徐々に発展させてきました。
大地震を乗り越えた強靭な精神
ジュマ・モスクの長い歴史は決して順風満帆ではありませんでした。数多くの戦乱や支配者の交代を経てきた中でも、最大の試練は自然災害からもたらされました。1368年、この地を襲った大規模な地震により、モスクは甚大な被害を受け、ほぼ全壊したと伝えられています。しかし、デルベントの人々は聖地の再建を一切諦めませんでした。
当時の支配者であったシルヴァン・シャー朝の支援を得て、市民たちは瓦礫の中から再利用可能な石材を拾い集め、モスクを元の姿に復興したのです。この再建は、モスクが単なる支配者の権威の象徴を超え、地域コミュニティにとって欠かせない精神的な拠り所であったことを示しています。地震という抗えない災厄によって破壊されても、人々の信仰と共同体の力によって蘇った。ジュマ・モスクの石の一つ一つには、そのようなデルベントの人々の不屈の精神が宿っているように感じられます。
また、ソビエト時代には宗教が弾圧され、モスクは本来の役割を失い、一時は市の刑務所として使われるという屈辱的な時期もありました。しかしソ連崩壊後、モスクは再び信仰の場として人々の手に戻り、現在では毎週金曜日の集団礼拝(ジュマ)に多くの信者が集い、熱心に祈りを捧げています。幾多の困難を乗り越えたジュマ・モスクは、「生きた歴史遺産」として今なおデルベントの人々の信仰の中心に在り続けているのです。
ジュマ・モスクの内部へ、静寂と祈りの空間

ジュマ・モスクの本当の魅力は、その外観の素朴さとは裏腹に、内部に広がる深く静かな空間にあります。一歩足を踏み入れると、街の喧騒が遠ざかり、ひんやりとした空気が肌を優しく撫でます。ここは、1300年近い長い年月にわたり、数えきれない祈りが捧げられてきた神聖な場所です。訪れる者は、その圧倒的な時間の重みと、満ち満ちた荘厳な空気にただただ息をのむことでしょう。
光と影が織り成す礼拝ホール
モスクの中心を成す礼拝ホールは、言葉を失うほどの美しさを誇ります。ホール内には、約60センチ四方の太く立派な石柱が5列に整然と並び、天井を支える多数のアーチを形作っています。まるで石の森に足を踏み入れたかのような感覚にとらわれます。これらの柱とアーチによって生まれるリズミカルな繰り返し模様は、それ自体が一種の装飾として機能し、見る者の視線を自然に奥へ奥へと導いていきます。
私が訪れたのは、昼下がりの穏やかな光が優しく差し込む時間帯でした。天井の小さな窓から差し込む光は、まるでスポットライトのように石の床に光の帯を描き出し、柱が作る濃い影との見事なコントラストを生み出していました。煌びやかなシャンデリアやステンドグラスは一切存在せず、あるのは自然光と、それが映し出す石の質感のみです。このミニマルな空間は、華美な装飾を信仰の妨げと考えた初期イスラムの禁欲的な精神を見事に体現しているかのように感じられました。
ファッションの世界でも、本当に優れた素材はシンプルなデザインによってこそ、その魅力が最大限に引き出されます。この礼拝ホールもまた、その価値観を象徴しています。石という素材の力強さと、光と影という普遍的な要素だけで、これほどまでに神聖で美しい空間を築き上げることができるという事実に、私は深い感銘を受けました。絨毯が敷かれた床に静かに腰を下ろし目を閉じると、石柱の森を吹き抜ける風の音と、遠くから囁くように聞こえる人々の声だけが耳に届きます。それは、心を洗い清め、瞑想を促す静謐な時間でした。
中庭に佇む神秘的なプラタナス
荘厳な礼拝ホールを抜けて中庭へ出ると、そこには全く異なる世界が広がっています。空へと枝を広げる4本の巨大なプラタナス(スズカケノキ)が中庭の主役としてどっしりと根を張っています。これらの木々は、ただの庭木ではなく、樹齢は800年以上とも伝えられ、モスクの長い歴史を間近で見守り続けてきた生き証人です。
伝承によると、これらのプラタナスは12世紀に著名なスーフィー(イスラム神秘主義者)によって植えられたとされています。それ以来、地元の人々はこの木々を神聖な存在として敬い、その健康状態がデルベントの街の運命に影響を与えると信じてきました。幹には願い事を書いた布きれが結ばれていることも珍しくありません。
夏の季節には、大きな葉が潤沢な木陰をつくり、強烈な太陽の下で涼しい憩いの場となります。私が目にした光景は、老人たちが木陰のベンチに腰掛けて笑い合い、子供たちがその周囲を元気に走り回るという、穏やかな日常そのものでした。礼拝ホールが厳かな「祈りの場」であるのに対し、この中庭は人々の「集いの場」として、宗教的な儀式を超えて、日々の暮らしの一部としてモスクが地域コミュニティと深く結びついていることを強く感じさせる場所でした。
このプラタナスの下で、何世紀にもわたり数えきれない出会いと別れ、数多くの喜びと悲しみが交わされてきたことでしょう。風に揺れる葉音に耳を澄ませながら、悠久の時の流れに思いを馳せる。それもまた、ジュマ・モスクを訪れる大きな喜びのひとつです。
マドラサの学び舎
中庭を挟んで礼拝ホールの向かい側には、マドラサ、つまりイスラム神学校の建物群が軒を連ねています。15世紀に建設されて以降、何度も増改築が繰り返されてきたこれらの建物は、かつて北コーカサス地方におけるイスラム教学と学問の中心として機能していました。
学生たちは、モスクに隣接する小さな個室(フジュラ)で生活しながら、クルアーン(コーラン)の解釈、イスラム法学、アラビア語、天文学、数学など多岐にわたる学問を学んだと伝えられています。当時、ここから巣立った多くの学者がコーカサス各地で指導者として活躍しました。ジュマ・モスクは単なる祈りの場にとどまらず、知識を創出し、後世へと伝えていく重要な教育機関としての役割も果たしていたのです。
現在、マドラサの建物の一部はイスラム教関連の事務所や小規模な博物館として使用されていますが、多くの部分は静寂に包まれています。アーチ型の回廊を歩くと、かつてここで学んだ若者たちの熱心な議論の声が聞こえてくるような気配がします。信仰と学問が一体となっていた時代の息吹が、今なおこの地に濃厚に染みついているのが感じられました。
旅のヒント:ジュマ・モスクを訪れる前に

歴史と神秘に満ちたジュマ・モスクとデルベント。その魅力を存分に味わうためには、事前の準備が欠かせません。特に、ダゲスタン共和国は日本人旅行者にとってまだあまり馴染みのない旅行先です。アクセス方法や服装のマナー、安全に関する情報など、実際の旅で役立つ具体的なポイントをお伝えします。
アクセス方法と最適な時期
デルベントへの入り口となるのは、ダゲスタン共和国の首都マハチカラにあるウイタシュ空港です。日本からの直行便はないため、モスクワやイスタンブール、ドバイなどを経由して向かうのが一般的です。
マハチカラ空港からデルベントまでは約100キロの距離で、移動手段は主に以下の3つです。
- マルシュルートカ(乗り合いバン): 最も経済的で地元の人々に利用されている交通手段。マハチカラ市内の南バスターミナルから頻繁に運行しています。所要時間はおよそ2時間半から3時間程度。ロシア語を少し話せればスムーズですが、「デルベント」と伝えれば乗車できます。
- タクシー: 快適かつ速い移動手段。空港で直接交渉するか、ロシアで広く使われている配車アプリ「Yandex.Go」を利用すると便利です。料金は交渉次第ですが、複数人で利用すれば割安になります。所要時間は約2時間弱です。
- 鉄道: マハチカラからデルベントへは鉄道も利用可能。所要時間はかかりますが、美しい車窓風景を楽しみたい方におすすめです。
デルベントを訪れるのに最適な季節は、春(4月~6月)と秋(9月~10月)です。気候が穏やかで過ごしやすく、街歩きに適しています。夏(7月~8月)は日差しが非常に強く気温も高いため、熱中症対策が必要です。冬(11月~2月)は寒さが厳しく、時には雪も降ります。
服装とマナー、敬意を示して
ジュマ・モスクは観光スポットであると同時に、現在も深い信仰が捧げられている神聖な場所です。訪問時には、現地の文化や宗教に敬意を払い、その土地にふさわしい服装や振る舞いを心掛けましょう。
- 服装について:
- 女性の場合: モスクに入る際は、髪を完全に覆うスカーフ(プラトーク)の着用が必須です。また、腕や足など肌の露出は避け、長袖やロングスカート、ゆったりとしたパンツを着用しましょう。体のラインが強調されるタイトな服装もマナーとして控えたほうが良いです。適切な衣服を持参していなくても、多くのモスクでは入口でスカーフや体を覆うガウンを無料で貸し出しているので安心です。旅の思い出に現地の市場で美しい柄のスカーフを購入し利用するのも素敵です。
- 男性の場合: 半ズボンやタンクトップなど肌の露出が多い服装は避け、長ズボンを着用するのが望ましいです。
- モスク内のマナー:
- 靴を脱ぐ: モスクに入る前に必ず靴を脱ぎ、入り口付近の靴箱に置きます。
- 静かに行動する: 大声での会話は控え、落ち着いた態度で過ごしましょう。
- 礼拝中の人々への配慮: 礼拝を行う人の前を横切ったり、邪魔をしないよう注意が必要です。特に、メッカの方向を向いて祈る人の正面に立つことは避けましょう。
- 写真撮影について: 撮影が許可されている場合も多いですが、入口の表示を確認するか、周囲の人に尋ねてから行いましょう。フラッシュは使用せず、祈っている人を無断で撮らないように気を付けてください。撮影は「お願いする」気持ちを忘れずに。
女性旅行者への安全情報
ダゲスタン共和国を含む北コーカサス地域では、かつて政治的な不安定さが報じられたこともあり、治安面を気にする方も少なくありません。渡航前には、必ず外務省の海外安全ホームページなどの最新情報を確認しましょう。
そのうえで、私がデルベントを訪れた際に感じたのは、人々が非常に親切で旅行者に温かく接してくれるということでした。もちろん、どの国でも共通する安全対策は重要です。特に女性が一人で旅をする場合、以下のポイントを心に留めておくことで、より安全で快適な滞在が可能になります。
- 夜間の一人歩きを避ける: 日没後は不要な外出を控え、特に旧市街の細い路地や人気のない場所を一人で歩くのは避けましょう。
- 服装に配慮する: 前述のように、現地文化に配慮した控えめな服装は、余計な注目を避けるのに効果的です。
- 貴重品の管理を徹底する: スリや置き引きに注意し、バッグは前に抱えるスタイルで持ち、貴重品は複数に分けて管理しましょう。特に人混みの多いバザールなどでは注意が必要です。
- 親切さと警戒心のバランスをとる: 地元の人は親切に話しかけてくれますが、過剰な馴れ馴れしさやしつこい誘いには毅然と対応する勇気も大切です。
- 信頼できる情報を活用する: 宿泊施設のスタッフや公式の観光案内所など、信頼に足る情報源から情報を入手しましょう。
これらの基本的な注意を守れば、デルベントは女性の一人旅でも十分に楽しめる魅力的な街です。温かい人々との交流は、きっと忘れがたい旅の思い出となるでしょう。
デルベントの魅力をさらに深掘り

ジュマ・モスクの荘厳な空間を満喫した後は、ぜひデルベントの街そのものをじっくりと散策してみてください。モスクの周囲には、この古代都市の歴史の重みを感じさせる魅力的なスポットが点在しています。
ナリン・カラ要塞からの壮大な眺望
デルベント観光で欠かせないのが、街の西側の丘の上にそびえるナリン・カラ要塞です。ジュマ・モスクと共に世界遺産の中核を成すこの要塞は、6世紀のササン朝ペルシア時代に築かれました。その堅牢な城壁は、1500年近くの時を経てもなお、街を見守るかのように堂々と存在しています。
要塞内部は広大な史跡公園となっており、かつての宮殿跡や貯水槽、浴場(ハンマーム)、地下牢などの遺構を歩いて巡ることができます。急な坂道や階段の上り下りは少々骨が折れますが、城壁の頂上にたどり着いた際の景色は格別です。
そこからの眺望はまさに圧巻。眼下にはジュマ・モスクを含む旧市街の茶色い屋根がびっしりと広がり、その遥か向こうには果てしなく続くカスピ海の青い水平線が煌めいています。古代の支配者たちも、この場所から同じ風景を眺めて、自らの権力を誇示していたのかもしれません。風に吹かれながら広がるパノラマを見つめると、デルベントという街がいかに戦略的に重要な場所に築かれたのかを実感できます。特に夕暮れ時には、夕日に染まる城壁と街並みが織り成す幻想的な光景に出会えるでしょう。
旧市街(マガル)の迷宮を歩く
ナリン・カラ要塞とジュマ・モスクをつなぐエリアは、マガルと呼ばれる城壁に囲まれた旧市街です。ここはまるで時が止まったかのような空間で、車がやっと通れるほどの狭い路地が迷路のように入り組み、両側には古い石造りの家々が肩を寄せ合って建っています。
整備された観光地とは異なり、今もここには地元の人々が日常生活を営んでいます。軒先でおしゃべりを楽しむ女性たち、路地でサッカーをする子供たち、窓から見える美しく飾られた絨毯。そんな素朴な日常風景に触れられるのが、マガル散策の大きな魅力です。
目的地を定めず、気の向くままに路地を歩いてみてください。角を曲がるごとに新たな発見が待っています。美しい装飾が施された木製の扉、小さなモスク、古い噴水。時には家の扉が開き、香辛料の豊かな香りが漂ってくることもあります。どこか懐かしく温かな空気が流れるマガルでのひとときは、デルベントの旅のなかでも忘れがたい思い出となるでしょう。ただし迷路のような構造なので、方向感覚を失わないよう、要塞やカスピ海の方角を意識しながら歩くことをおすすめします。
カスピ海の恵みとダゲスタン料理を味わう
旅の楽しみの一つとして、その土地ならではの食文化に触れることは欠かせません。コーカサス地方の豊かな食の伝統をもつダゲスタン、そしてカスピ海に面したデルベントには美味が豊富に揃っています。
まず試してほしいのは、カスピ海の海産物。特に名高いのはチョウザメ(オショートル)で、その身を使ったグリルやスープは格別の味わいです。かつては最高級のキャビアの産地としても知られましたが、現在は資源保護のため漁獲が厳しく制限されています。
ダゲスタン全域の郷土料理もぜひ味わってみてください。代表的な一品が「ヒンカリ」です。これは日本のすいとんや小籠包に似ており、小麦粉の生地に肉やチーズ、ハーブなどを包んで茹でた料理です。地方ごとに形状や具材が異なり、多彩なバリエーションが楽しめます。もう一つの名物は、薄いクレープ状の生地に具を挟んで焼く「チュドゥ」。中にはカッテージチーズやカボチャ、肉、ハーブなどが入り、おやつや軽食にぴったりです。
旧市街や海沿いには、これらの郷土料理を提供するレストランやカフェが数多くあります。地元のハーブやスパイスがふんだんに使われた料理は、素朴ながらも味わい深く、旅の疲れを癒してくれるでしょう。特に、多様な民族が暮らすダゲスタンの食文化は、ペルシャ、トルコ、ロシアの影響を受けつつ独自の発展を遂げており、その奥深さを味わうのもまた魅力のひとつです。
時代を超えて響く祈りの声

デルベントでの旅を終え、帰路の飛行機の中で、私はジュマ・モスクの礼拝堂に差し込んでいた一筋の光を思い返していました。光と影が織り成す静けさ漂う空間には、華やかな装飾も、圧倒的な巨大偶像も存在しませんでした。ただ、長い時を経て刻まれた石の質感と、そこに満ちる人々の祈りの気配だけが、深く静かに聖地の神聖さを物語っていたのです。
ジュマ・モスクはただの歴史的建造物ではありません。8世紀に創建されて以来、約1300年もの間、この地の精神的な支柱として存在し続けてきた“生きた聖地”なのです。アラブの征服、モンゴルの襲来、帝政ロシアの支配、そしてソビエトの無神論政策。幾度となく時代の荒波がこの街を揺るがせる中、人々はこのモスクに集い、祈りを捧げ、共同体の絆を深めてきました。大地震によって倒壊してもなお、自らの手で聖地を再建した信仰の強さに、私は深く心を動かされました。
アパレルの仕事をしていると、常に新たなトレンドやデザイン、目まぐるしく変わる「今」を追い求める日々です。それは刺激的で楽しい一方で、ときに本質的な価値や時代を超えた変わらぬ美しさを見失いかけることもあります。
デルベントのジュマ・モスクは、そんな私に一つの答えを示してくれた気がします。その美しさは表面的な飾りにあるのではなく、建物の構造や素材、そしてそこに宿る歴史と人々の想いそのものに根ざしているのだと。それは流行に左右されない、不変の本質的な美しさでした。
ロシア南端、カスピ海のほとりに佇む古都デルベント。そして、その中心で千年にわたる祈りを受け止めてきたジュマ・モスク。もし、まだ誰も知らない歴史の息吹を感じる旅を求めているなら、ぜひこの聖地を訪れてみてください。きっとあなたの価値観を静かに揺さぶる、深く忘れがたい体験が待っていることでしょう。



