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    マテーラの光と影、文明の境界線を歩く旅

    南イタリアの太陽が、石灰岩の街を白く輝かせる。世界遺産マテーラ。その名は、まるで魔法の呪文のように、私たちの心を捉えて離しません。断崖に刻まれた無数の洞窟住居「サッシ」が織りなす景観は、時間という概念すら溶かしてしまうかのよう。美しく改装された洞窟ホテルに泊まり、洗練されたレストランで郷土料理に舌鼓を打つ。それは、誰もが憧れる完璧なイタリア旅行のワンシーンでしょう。

    しかし、もし、その輝かしい光のすぐ隣に、全く異なる時間が流れる場所があるとしたら?観光客の喧噪が届かない静寂のなか、電気も水道もない暮らしを今なお続ける人々がいるとしたら?今回私が歩いたのは、そんな文明の光と影が交差する、境界線の上をいく旅路です。きらびやかな世界遺産のベールを一枚めくった先にある、ありのままの暮らし。それは、現代に生きる私たちに「豊かさとは何か」を静かに、しかし強く問いかけてくる、魂の旅の始まりでした。

    まさに、この時が止まった迷宮都市マテーラ、洞窟住居サッシを巡る唯一無二の旅路が、その答えを見つける第一歩となるでしょう。

    目次

    光に照らされた世界遺産、サッシの迷宮へ

    旅の出発点は、誰もが知るマテーラから始まりました。ローマ・テルミニ駅から高速鉄道と在来線を乗り継ぎ、さらにバスに揺られること約5時間。目の前に広がったマテーラの渓谷(グラヴィーナ)を目にした瞬間、思わず息を呑みました。まるで旧約聖書の一場面に迷い込んだかのような圧倒的な光景です。一つひとつの洞窟が住まいであり、その屋根が上階の家々の道となっている。その立体的な街並みは、人々の営みが自然と溶け合った壮大な芸術作品のようでした。

    「イタリアの恥」から世界の宝へ

    マテーラのサッシ地区は旧石器時代から人々が暮らしてきた場所として知られています。しかしその歴史は決して輝かしいものばかりではありません。20世紀半ばまで、この地は電気も水道もない過酷な環境で、貧困や病に苦しむ住民が大勢いました。家畜と共に洞窟で生活する彼らの不衛生な状況は「vergogna nazionale(イタリアの恥)」とまで言われ、1950年代には国の政策によって住民が強制的に近代的な新市街地へと移住させられました。

    しかし皮肉なことに、その後放置されたことで、この類稀な文化的景観がそのまま残る結果となりました。そして時代が進む中で、その歴史的価値が見直され、多数の芸術家や知識人の尽力により、1993年にユネスコ世界遺産に登録されるに至ったのです。かつての「恥」は、今や世界中から多くの観光客を惹きつける「宝物」へと姿を変えました。

    サステナブルツーリズムの視点から見るマテーラ

    現在のマテーラは、サステナブルツーリズムのモデルケースとしても注目されています。廃墟と化した洞窟住居は、元の景観を損なうことなく丁寧に修復され、ホテルやレストラン、アトリエなどへと再生されています。これは古いものを壊し新たな建物に置き換えるのではなく、既存の資源を最大限に活用し、文化や歴史を未来へ受け継ぐ素晴らしい取り組みと言えるでしょう。

    洞窟ホテルでの滞在は、その理念を肌で感じる貴重な体験です。夏はひんやりと涼しく、冬は暖かい。自然の断熱効果を活かした洞窟は、エアコンへの依存を軽減し、エネルギー消費を抑える先人の智慧の結晶です。私は洞窟の一室で過ごしながら、最先端のテクノロジーだけに頼らずとも心地よく過ごせることや、環境と調和した暮らしの豊かさを実感しました。

    しかし、明るい面があれば、影もまた濃くなるものです。世界中から押し寄せる観光客の増加に伴い、オーバーツーリズムの問題もささやかれています。ゴミの増加、物価の高騰、そして何よりもかつての「日常の暮らし」が薄れてしまうことへの懸念です。美しく整えられた石畳の道を歩きながら、私の心にはひとつの思いが芽生えていました。

    「この華やかな表面の奥にある、本当のマテーラの姿を見てみたい」

    観光地として磨き上げられる前に、人々がただ懸命に暮らしていた場所。その息遣いがどこかにまだ残っているのではないかという予感に導かれ、私はサッシ地区の喧騒を離れ、さらに渓谷の奥深くへと足を進めたのでした。

    文明の境界を越えて – 名もなき洞窟集落へ

    マテーラの中心地から徒歩でおよそ1時間。観光客向けの地図に掲載されていない小道を、私は一人の地元ガイドと共に歩いていました。彼の名前はエンツォ。彼は祖父の代までサッシ地区で暮らしていたと言い、観光客が目にするマテーラと、地元の人々が知るマテーラとの間にある「境界線」について、穏やかな声で語ってくれました。

    「観光客は美しいサッシの風景だけを見ている。でも、俺たちが覚えているのは、湿った土の匂い、冬の厳しい冷え込み、そして隣人同士の助け合いの温かさなんだ。ここから先は、その記憶が今も息づいている場所なんだよ」

    彼の言葉通り、アスファルトの道はすぐに途切れ、むき出しの岩肌と乾いた地面の道へと変わりました。土産物店も、洗練されたカフェも一切ありません。聞こえてくるのは風の音と、時折響く羊の鈴の音だけです。明らかに空気が変わり、ここはもはや「観光地」ではなく、誰かの日常生活の場だと身体が感じ取っていました。

    訪問者としての心得

    こうした場所を訪れる際に絶対に守るべきルールがあります。それは、「最大限の敬意を払うこと」。私たちはここでは招かれざる客であることを決して忘れてはなりません。エンツォは歩きながら、いくつかの注意点を教えてくれました。

    • 写真撮影は慎重に行う: 人や家の中に無断でカメラを向けるのは禁止です。撮影したい場合は必ずガイドを通じて許可を得ましょう。許可が出た場合でも、彼らの生活を邪魔しないように静かかつ迅速に行うことがマナーです。フラッシュの使用は厳禁で、動物たちを驚かせてしまいます。
    • 服装は動きやすく、控えめに: 足元はトレッキングシューズなど、グリップのしっかりした靴が必須です。道は整備されておらず滑りやすい場所も多いためです。また、肌の露出が多い服装は避けましょう。ここはリゾート地ではありませんので、地域の住民に不快感を与えない控えめな服装が求められます。
    • 静かに行動する: 大声で話したり笑ったりするのは控えてください。周囲の自然の音や生活音に耳を傾けてみましょう。この静けさこそが、この場所の最も貴重な価値の一つなのです。
    • 何も持ち帰らず、ゴミは必ず持ち帰る: これは当然のことですが徹底する必要があります。石ひとつ、草花一本でも持ち去ってはいけません。そして、自分が持ち込んだ物は、たとえ小さな飴の包み紙であっても必ず持ち帰ること。「Leave No Trace(足跡を残さない)」は、持続可能な旅行者としての基本姿勢です。

    これらのルールは単なる規則ではなく、異なる文化や生活習慣を持つ場所を訪れる際の最低限の礼儀であり、思いやりでもあります。エンツォのような信頼できる地元ガイドを雇うことは、こうした繊細な地域を訪れるうえでほぼ必須と言えるでしょう。彼らは単なる案内人ではなく、文化の通訳者であり、訪問者と地域住民の間に立つ極めて重要な架け橋なのです。

    道はさらに険しくなり、眼下に広がるグラヴィーナ渓谷の深さが一段と際立ちます。やがてエンツォは足を止め、岩陰の一角を指さしました。

    「着いたよ。ここが、俺の祖父が『世界の果て』と呼んでいた場所だ」

    そこに広がっていたのは、観光地のサッシとは異なる景色でした。修復もペイントも施されていない、むき出しの岩肌の洞窟群。いくつかの入り口からは細い煙が立ち上り、洗濯物が風に揺れていました。ここには、時間が止まったままの、もう一つのマテーラが確かに存在していたのです。

    沈黙と共生 – 電気も水道もない暮らし

    その集落には電線も水道管も届いていません。夜の明かりはランプや蝋燭、あるいは月明かりのみ。水は岩に溜まった雨水をろ過して使うか、麓の共同水栓まで何度も往復して汲み上げるのだそうです。エンツォの配慮で、私たちはある家族の洞窟に招かれることができました。

    洞窟の内部はひんやりと涼しく、土の香りが漂っていました。壁には煤で黒ずんだ跡が残り、長年にわたり火が焚かれてきたことを物語っています。家主である老婆マリアは、深い皺の刻まれた顔に静かな微笑みを浮かべていました。言葉はほとんど通じませんでしたが、彼女が淹れてくれた少し土の香りが感じられるハーブティーの温もりは、高級ホテルのウェルカムドリンク以上に心に染み入るものでした。

    自然のリズムに寄り添う暮らし

    彼らの暮らしは太陽と共に始まり、太陽と共に終わります。朝は鶏の声で目覚め、日中は畑仕事や家畜の世話に勤しみます。雨が降れば、それは貴重な水を貯める恵みの時間となります。夜になると家族でランプの灯りを囲み、語り合うか静かに眠りにつきます。私たちの生活がどれほど人工的な光や時間に縛られているかを、改めて痛感させられる瞬間でした。

    彼らの「家」である洞窟は単なる住居ではありません。壁際に掘られた窪みは棚となり、床下の穴は食料を保存する天然の冷蔵庫の役割を果たしています。すべてがこの地にある素材を工夫して活かして作られているのです。プラスチック製品はほとんど見当たらず、食器は陶器か木製で、道具は使い込まれて黒光りしていました。それは、物を「消費」するのではなく「共生」する生き方の表れでしょう。

    旅の準備 – 持っていくべきもの、置いていくべきもの

    もしあなたがこのような場所を訪れるつもりなら、準備は十分にしておくことが大切です。それは自身の快適さと安全、さらには現地の環境や文化を尊重するためでもあります。

    【持ち物リスト(推奨)】

    • たっぷりの飲料水: 現地の水資源を奪わないために、最低でも1.5〜2リットルは必ず持参しましょう。
    • 携帯トイレとゴミ袋: トイレはありません。自然を汚さないために携帯トイレを用意し、使用後のゴミは全て持ち帰ることが必須です。
    • ヘッドライトまたは懐中電灯: 特に夕方に訪れる場合は必須のアイテム。しかし、人の顔や室内に直接光を向けるのは避けましょう。
    • モバイルバッテリー: スマートフォンは緊急連絡や地図として役立ちます。充電設備はないため、バッテリーは必ず携帯してください。ただし、見せびらかすような使い方は控えましょう。
    • 簡単な行動食: ナッツやドライフルーツなど、ゴミが少なくてエネルギー補給になるものがおすすめです。
    • 現金(小額紙幣): ガイドへのチップや手作り品を譲ってもらう際に使います。クレジットカードは利用不可です。
    • 虫よけと日焼け止め: 自然環境には必須のグッズ。肌に優しく環境に配慮した製品を選びましょう。
    • 簡易応急処置キット: 絆創膏や消毒液など、万一の傷に備えます。

    【置いていくべきもの】

    • 過度な期待や日常の常識: ここには私たちが当たり前と思う便利さや快適さはありません。不便さも楽しむ心構えが必要です。
    • 騒音を生むもの: ポータブルスピーカーでの音楽再生は、この場所の静寂を壊すので最も控えるべき行為です。
    • 強い香りを放つもの: 香水や香りの強い化粧品は自然の香りを損ねるため避けましょう。

    洞窟の中で、マリアが干しイチジクを一粒、そっと私の手のひらに乗せてくれました。太陽の味が凝縮された甘みで、それは工場で作られたどんな菓子よりも深く濃厚な味わいでした。この甘みこそ、彼らの暮らしの豊かさを象徴しているのかもしれないと、私は思いながらゆっくりとそれを味わいました。

    私たちの「豊かさ」を問い直す

    マリアの家を後にし、集落を静かに歩きながら、「豊かさ」という言葉の意味を何度も反芻していました。スイッチ一つで部屋が明るくなり、蛇口をひねればいつでも好きなだけのお湯が出る。スマートフォンを操作すれば、世界中の情報が手に入り、欲しい商品は翌日には手元に届く。これが、私たちが知る「豊かさ」の姿です。

    しかし、この集落の人々の暮らしはそれとはまったく対照的です。外から見れば、彼らは多くのものを「持っていない」と映るかもしれません。でも、果たして彼らは本当に「貧しい」と言えるのでしょうか。

    夕暮れの空の下、集落の境界にある岩に腰掛けてエンツォと語り合いました。 「彼らは、俺たちが必要としているようなものをほんのわずかしか求めないんだ。太陽の恵み、雨の水、大地が育む実り、そして家族と隣人だけで、彼らの世界は十分に満たされている」

    その言葉は私の胸に深く刺さりました。私たちはあまりにも多くを所有し、求めすぎているのかもしれません。便利さの代償として、何か大切なものを失ってはいないでしょうか。例えば、自然のリズムを感じ取る感性や、限られた資源を大切にする知恵、そして隣人と助け合いながら生きる温かな繋がりといったものです。

    この洞窟集落の暮らしは、現代社会で謳われる「サステナビリティ(持続可能性)」の原点そのもののように感じられます。彼らは地球から与えられた分以上のものを求めることなく、何千年もの間、この地で命をつないできました。そこには、化石燃料を大量に消費する現代文明とはまったく異なる、循環を重視した世界観が息づいています。

    イタリア政府観光局のウェブサイトではマテーラを「時代を超越した場所」と紹介していますが、この集落での体験はまさにその言葉の意味を身体全体で理解させてくれました。ここは単なる古い場所ではなく、現代文明が忘れてしまった「もう一つの時間軸」が静かに流れている場所なのです。

    私たちは今、地球環境の危機に直面し、CO2削減やミニマリズムといった新たな価値観を模索しています。しかし、その答えのヒントは、もしかするとこうした「文明の境界」にこそ隠されているのかもしれません。彼らの生活を理想化したり、過度にロマンチックに捉えるのは危険です。そこには想像を超える厳しさが確かに存在します。しかし、その厳しさの中で培われた生きるための知恵や、ささやかな喜びにこそ、私たちが学ぶべきものがあると強く感じました。

    この旅は単なる異文化体験に留まらず、自分自身の生活や価値観、そして未来を映し出す鏡のようなものでした。ランプの揺らめく光の下で見たマリアの穏やかな笑顔は、きっと生涯忘れられないでしょう。

    この旅を計画するあなたへ – 現実的な準備と心構え

    この特別な体験に感銘を受け、実際に訪れてみたいと考える方もいるでしょう。しかし、前述の通り、この旅は一般的な観光とは大きく異なります。十分な情報収集と地域への敬意を持った慎重な計画が欠かせません。ここでは、旅の準備に必要な詳細な情報と手順をまとめました。

    マテーラへのアクセス方法

    まずは、マテーラ中心地へのアクセス手段です。

    • 鉄道利用: イタリアの主要都市(ローマやナポリなど)からは、高速鉄道フレッチャロッサ(Frecciarossa)などでバーリ(Bari)へ移動します。バーリ中央駅からは私鉄のアップロ・ルカーネ鉄道(Ferrovie Appulo Lucane)に乗り換え、終着駅の「Matera Centrale」まで約1時間半かかります。
    • バス利用: ローマやナポリからマテーラ行きの長距離バスも運行されています。所要時間は長めですが、費用を抑えたい方には有効な手段です。

    「境界線」と呼ばれる場所を訪れるためのガイドの見つけ方

    知られざる洞窟集落には、無計画に個人で立ち入るのは避けるべきです。地域の事情に詳しく、住民からも信頼されているローカルガイドを必ず手配しましょう。

    • 探し方のポイント: 大手ツアー会社ではこのような繊細な場所へのツアーはほとんど扱っていません。マテーラ市内の小さな旅行代理店やサッシ地区のインフォメーションセンターで相談する方法がおすすめです。また、洞窟ホテルのスタッフに信頼できるガイドの紹介を依頼するのも効果的です。
    • ガイド選定の注意点: 「本物の暮らしを感じたい」という気持ちを理解しつつ、何よりも住民への配慮を大切にしているガイドを選びましょう。事前にメールなどで連絡を取り、ツアー内容や心構えについて十分に確認することが重要です。料金だけでなく、そのガイドの理念や地域への思いを重視して判断してください。

    ツアーの予約と手続きについて

    信頼できるガイドが決まったら、予約手続きを進めます。

    • 予約方法: 通常はメールや電話で直接予約します。希望の日時、参加人数、そして「なぜこの場所を訪れたいのか」という動機を率直に伝えましょう。
    • 支払いについて: 事前のオンライン決済には対応していない場合が多く、当日現金での支払いが一般的です。お釣りがスムーズに出るように、あらかじめ大きな紙幣は避け、小銭や少額紙幣を用意しておくと安心です。
    • 確認すべき事項: 集合場所と時間、ツアーの所要時間、料金に含まれる内容や含まれないもの、そして最も大切な「訪問時のルール」は予約時に必ず再確認してください。

    トラブルが発生した場合の対応

    万が一に備えていくつかポイントを押さえておきましょう。

    • ツアーのキャンセル: ガイドの都合や悪天候でツアーが中止になることがあります。その際の返金規定や代替日の設定が可能かどうか、事前に確認しておくと安心です。自己都合でキャンセルする場合の連絡方法やキャンセル料についても把握しておきましょう。
    • 体調不良やけが: 慣れない道を歩くため、捻挫や転倒などのリスクがあります。多くのガイドは応急処置の知識を持っていますが、海外旅行保険には必ず加入しておくことが大切です。緊急時にはガイドの指示に従い、速やかに医療機関を受診してください。マテーラの救急(Pronto Soccorso)施設の場所や、イタリアの緊急連絡番号(118番)を事前に控えておくと心強いでしょう。

    この旅では、あなたのひとつひとつの行動が、地域に直接的な影響を与えることを忘れてはなりません。世界観光倫理憲章にもあるように、旅行者には「訪問先の社会や文化を理解し敬意を払う責任」があります。あなたの旅が、その地域にとって搾取ではなく良好な交流となるように、常に謙虚な心と敬意を持って臨んでください。

    文明の灯りが消えた先に見えるもの

    洞窟集落をあとにして、再び観光客で賑わうサッシ地区へ戻ったとき、まるで時空を超えて現代に帰ってきたような不思議な感覚に包まれました。レストランから漏れ出す明かり、楽しげな会話の声、スマートフォンのシャッター音。わずか数時間前までいた場所とは、まるで別の世界に来たかのようです。

    その夜、私は丘の上からマテーラの夜景を見つめていました。無数の灯りが、まるで宝石箱をひっくり返したかのように漆黒の渓谷に煌めいています。それは、間違いなく美しい光景でした。このひとつひとつの光が人々の営みの証であり、この街が歩んできた歴史の輝きでもあるのです。

    しかし、その時、私の心に浮かんでいたのは、この華やかな光景ではありませんでした。暗闇の中で静かに揺らめいていた、マリアの家の小さなランプの灯りでした。たった一つの、弱くとも温かな光。

    私たちの文明は、闇を打ち破るために、より強く、より明るい光を追い求めてきました。そのおかげで、夜でも昼のように活動できる便利さを手に入れました。しかし、その眩い光のなかで、私たちは何か大切なものを見失ってはいないでしょうか。星の瞬きや、月の満ち欠け、そして暗闇だからこそ研ぎ澄まされる五感の鋭さ。何よりも、ひとつの小さな灯りをみんなで囲む、人の温もりを。

    マテーラの郊外で出会った暮らしが私に教えてくれたのは、豊かさは所有の多さや光の強さによって測られるものではないということです。それは、今ここにあるものに感謝し、自然のリズムに身を任せ、隣人と分かち合う、心のあり方そのものなのだと。

    この旅は、終わりではありません。むしろ、ここからが新たな始まりです。日本に戻った日常の中で、電気のスイッチを入れるたび、水道の蛇口をひねるたび、私はきっとマテーラのあの集落を思い返すでしょう。そして自問するはずです。このエネルギーは本当に必要か。この水を無駄にしてはいないか。私の暮らしは地球や、遠くの誰かと、ちゃんとつながっているだろうかと。

    もしあなたがマテーラを訪れる機会があれば、ぜひ少しだけ足を伸ばしてみてください。華やかな世界遺産のその先へ。そこには、ガイドブックには載らないもうひとつの物語が息づいています。そして、その物語は、あなたが考える「豊かさ」の価値観を静かに、永遠に変えるかもしれません。文明の灯りが消えた先に見えるもの。それは、あなた自身の心に灯る、新たな光なのです。

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    この記事を書いたトラベルライター

    サステナブルな旅がテーマ。地球に優しく、でも旅を諦めない。そんな旅先やホテル、エコな選び方をスタイリッシュに発信しています!

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