「人は、何歳まで健康で、幸せに生きられるのだろう?」
アパレルの仕事に追われ、めまぐるしく変わるトレンドと消費のサイクルの中で、ふとそんなことを考える瞬間があります。次シーズンのコレクション、締め切り、プロモーション…。刺激的で大好きな仕事だけれど、時々、心の奥が乾いていくような感覚に襲われるのです。もっと普遍的で、揺るぎない、人間本来の豊かさのようなものに触れたい。
そんな思いが募っていた頃、私の心を捉えて離さない一つの言葉に出会いました。
「ブルーゾーン」
それは、健康で長寿な人々が集中して暮らす、世界に5つしかない特別な地域のこと。日本の沖縄、コスタリカのニコジャ半島、ギリシャのイカリア島、アメリカのロマリンダ、そして…イタリアのサルディーニャ島。特にサルディーニャ島の内陸部、オリアストラ州の山岳地帯は、男性の100歳到達率が世界で最も高い場所なのだとか。
美しいビーチリゾートとして知られるサルディーニャ。そのイメージとは少し違う、「長寿の島」というもう一つの顔。彼らは一体、何を食べ、どんな暮らしを送り、何を大切に生きているのだろう。ファッションやアートを追いかけるいつもの旅とは少し違う。今回は、彼らの“時間”に触れる旅をしよう。そう決心したのでした。
きらびやかな流行の最先端ではなく、古くから受け継がれる生活の知恵の中にこそ、現代を生きる私たちが忘れかけている、輝くようなヒントが隠されているに違いない。そんな期待を胸に、私は地中海に浮かぶ神秘の島、サルディーニャへと旅立ったのです。
ティレニア海の風に吹かれて、カリアリの旧市街へ
ローマから飛び立った飛行機が高度を下げ始めると、窓の外には息をのむようなエメラルドグリーンの海が広がっていました。これがあの有名なサルディーニャの海。心が躍るのを抑えきれません。島の南の玄関口、カリアリ・エルマス空港に降り立つと、むわりとした湿気と、潮の香りが混じった独特の空気が私を包み込みました。

カリアリは、想像していたよりもずっと活気のある大きな街です。旧市街「カステッロ地区」は、まるで城壁に守られた迷宮のよう。石畳の坂道を上っていくと、パステルカラーの家々が密集し、洗濯物が風にはためいています。その風景は、どこか懐かしく、同時に異国情緒に溢れていました。
サン・レミ広場のテラスから見下ろすカリアリの街並みと港の景色は、まさに絶景。地元の若者や観光客が夕涼みをしながら、アペリティーボ(食前酒)を楽しんでいます。私も近くのバールで一杯のスプリッツを注文し、沈みゆく夕日を眺めました。
「この美しい景色だけが、サルディーニャの全てではない」
きらめく海の向こう、夕日に染まる島の中心部を眺めながら、私はこれから始まる旅に思いを馳せました。旅の目的地は、この華やかな沿岸部から車で数時間、ジェンナルジェントゥ山脈の懐に抱かれた小さな村々。そこには、全く違う時間が流れているはずです。
翌朝、レンタカーを借りて島の心臓部へと向かいました。カリアリの市街地を抜けると、風景は一変します。広大な平野にはオリーブ畑やブドウ畑がどこまでも続き、やがて道は緩やかなカーブを描きながら、山岳地帯へと分け入っていきます。窓を開けると、ワイルドなハーブの香りが車内を満たし、都会の喧騒が嘘のように遠ざかっていくのを感じました。
すれ違う車もまばらになり、時折、道を横切る羊の群れに遭遇します。のんびりと草を食む羊たちと、それを穏やかな目で見守る羊飼い。彼らにとって、時間は急かすものではなく、共に流れていくものなのでしょう。私の心も、少しずつ島のゆったりとしたリズムに同調していくようでした。目指すは、ブルーゾーンの中心地、オリアストラ州。100年の時を生きる賢者たちが暮らす村へ。期待と少しの緊張を胸に、私はアクセルを静かに踏み込みました。
ブルーゾーンの心臓部へ。山間の村に息づく長寿の遺伝子
車は険しい山道を縫うように進み、私はついにオリアストラ州の小さな村、ヴィッラグランデ・ストリザーイリに到着しました。海抜700メートルの高地に位置するこの村こそ、世界でも特に男性のセンテナリアン(100歳以上の人々)が多いことで知られる場所です。
村は、まるで時が止まったかのようでした。石造りの家々が肩を寄せ合うように建ち並び、狭い路地が迷路のように入り組んでいます。軒先には唐辛子やハーブが干され、家々の窓辺はゼラニウムの赤い花で彩られています。聞こえてくるのは、鳥のさえずりと、遠くで響く教会の鐘の音、そして、路地裏から聞こえる人々の話し声だけ。
村の中心にある広場(ピアッツァ)では、黒い服を着たお年寄りの男性たちが椅子に腰かけ、静かにおしゃべりをしています。その深い皺が刻まれた顔には、穏やかさと、何物にも動じない強さが宿っているように見えました。彼らは、奇異の目で私を見るでもなく、ただ静かに頷き、視線で挨拶を返してくれます。その自然な佇まいに、私はほっと安堵しました。
この村に滞在する間、私はアグリツーリズモ(農家民宿)にお世話になることにしました。宿の主であるマリアおばあちゃんは、御年85歳。小柄ながら背筋はしゃんと伸び、その瞳は好奇心に満ちて輝いています。彼女は、毎日畑仕事をし、家畜の世話をし、そして私たちゲストのために心のこもった手料理を振る舞ってくれるのです。
「ようこそ、亜美。長旅で疲れたでしょう。さあ、まずはうちのワインを一杯どうだい?」
そう言って差し出されたグラスには、深く濃いルビー色の液体が満たされていました。これが、サルディーニャの長寿を語る上で欠かせない赤ワイン、「カンノナウ」です。一口含むと、ベリー系の豊かな果実味と、野性的なスパイスの香りが口いっぱいに広がりました。力強いのに、どこか優しい。この土地の気候と、人々の気質をそのまま映し出したような味わいです。
この村での数日間は、私の価値観を根底から揺さぶるような、発見の連続でした。彼らの長寿の秘訣は、何か特別なサプリメントや、奇跡の霊薬にあるのではありません。それは、何世代にもわたって受け継がれてきた、大地と共にある食生活、日々の暮らしの中に溶け込んだ運動、そして何よりも強い家族と共同体の絆の中に、深く根差していたのです。
大地の恵みをいただく、素朴で力強い食卓「Cucina Povera」
サルディーニャの食文化の根底にあるのは、「Cucina Povera(クチーナ・ポーヴェラ)」、直訳すれば「貧しい者の料理」という考え方です。しかし、それは決して貧相な食事という意味ではありません。自分たちの土地で採れたもの、育てたものを余すところなく使い切り、自然の恵みに感謝していただくという、豊かで賢い食のフィロソフィーなのです。

牧羊文化が育んだ神のチーズ「ペコリーノ・サルド」
サルディーニャ、特に内陸部は、古くから牧羊が盛んな土地です。島の人口よりも羊の数の方が多い、と冗談交じりに言われるほど。険しい山々を移動しながら草を食む羊たちの姿は、この島の原風景と言えるでしょう。そして、その羊の乳から作られる「ペコリーノ・サルド」は、彼らの食卓に欠かせない、まさに魂の食べ物です。

アグリツーリズモの近くに、家族経営の小さなチーズ工房がありました。主人のジョヴァンニさんは、日に焼けた顔に優しい笑顔を浮かべる、典型的なサルデーニャの男性。彼の案内で、チーズ作りの過程を見学させてもらうことができました。
工房には、搾りたての羊乳が持つ、甘く濃厚な香りが満ちています。大きな銅鍋で温められた乳にレンネット(凝乳酵素)を加えると、みるみるうちに固まり始め、カード(凝乳)とホエイ(乳清)に分かれていきます。ジョヴァンニさんは、巨大な泡立て器のような道具「スピーノ」を使い、リズミカルにカードを砕いていきます。その無駄のない動きは、まるで長年踊り続けてきたダンスのようでした。
「ペコリーノの味は、羊が食べた草で決まるんだ。この辺りのハーブをたくさん食べた羊の乳は、香りが違う。季節によっても味は変わる。自然が作るチーズだからね」
そう語る彼の言葉には、自然への深い敬意が感じられました。
出来上がったチーズは、熟成期間によって呼び名も味も変わります。数週間熟成させた若い「ドルチェ」は、ミルクの風味が豊かでしっとり。数ヶ月以上熟成させた「マτούロ」は、塩味と旨味が凝縮され、硬く引き締まった味わいになります。
食卓には、必ずと言っていいほどこのペコリーノが並びます。薄くスライスしてそのままワインと共に味わったり、硬くなったものはすりおろしてパスタにかけたり。特に印象的だったのは、ペコリーノ・マτούロに、これまたサルディーニャ名産の栗のハチミツをかけていただく食べ方。チーズの塩気とハチミツの濃厚な甘み、ナッツのような風味が絶妙に絡み合い、思わずため息が出るほどの美味しさでした。
研究によれば、放牧された羊の乳から作られるチーズには、健康に良いとされる共役リノール酸(CLA)やオメガ3脂肪酸が豊富に含まれているそうです。彼らは、そんな栄養学的な知識はなくとも、経験的に、このチーズが自分たちの体を作る力強い源であることを知っているのでしょう。
羊飼いの知恵が生んだ幻のパン「パーネ・カラザウ」
サルディーニャの食卓で、もう一つ驚かされたのが「パーネ・カラザウ」というパンです。それは、直径50センチはあろうかという巨大で、紙のように薄い、パリパリのパン。見た目はパンというより、巨大なクラッカーのようです。
これは、かつて羊飼いたちが、何日も家を離れて放牧に出る際の保存食として生み出されたもの。水分がほとんどないため、何か月も保存がきくのだそうです。
アグリツーリズモのマリアおばあちゃんが、その食べ方を教えてくれました。 「そのまま食べてもいいし、水にさっと浸して柔らかくして、生ハムやチーズを巻いて食べるのも美味しいよ。でも、一番のおすすめはこれだね」
そう言って彼女が作ってくれたのは、「パーネ・フラッタウ」という郷土料理。カラザウを羊のブロード(出汁)に浸して柔らかくし、トマトソースとすりおろしたペコリーノチーズをかけ、最後にポーチドエッグを乗せたものです。パンがソースと出汁を吸って、もちもちとした独特の食感に変化し、トマトの酸味、チーズの塩気、卵のコクが一体となって、素朴ながらも忘れられない深い味わいを生み出していました。
パリパリのままサラダに砕いて入れたり、オリーブオイルと塩、ローズマリーを振ってオーブンで軽く焼いておつまみにしたりと、その活用法は無限大。一枚の薄いパンに、厳しい自然環境を生き抜くための、人々の知恵と工夫が詰まっているのです。
野草と豆類が主役の滋味深い食卓
彼らの食生活は、肉中心ではありません。むしろ、主役は畑で採れる野菜や豆類、そして野山に自生するハーブや野草です。
滞在中、毎日のように食卓に上ったのが、レンズ豆やひよこ豆、そら豆などを煮込んだ滋味深いスープでした。フェンネルの野生種やミント、ローズマリーといったハーブがたっぷりと使われ、その香りが食欲をそそります。特別な調味料は使わず、良質なオリーブオイルと塩、そして野菜や豆そのものが持つ旨味だけで、これほどまでに豊かな味わいになるのかと驚かされました。
春先には、野生のアスパラガスやアーティチョーク、チコリなどを探しに野山へ入るのも、彼らの楽しみの一つだそうです。マリアおばあちゃんは、朝の散歩の途中で摘んできたというボリジ(ルリジサ)の若葉を、さっと茹でてオリーブオイルで和えて出してくれました。ほんのりときゅうりのような風味がする、体に染み渡るような優しい味でした。
こうした食生活は、現代栄養学の観点から見ても非常に理にかなっています。食物繊維やビタミン、ミネラルが豊富な豆類や緑黄色野菜、そして抗酸化作用の高いハーブや野草を日常的に摂取することが、彼らの健康を内側から支えていることは間違いありません。それは、「健康のために食べる」という意識的なものではなく、もっと自然に、当たり前の習慣として生活に根付いているのです。
グラスに注がれた長寿の妙薬「カンノナウ」
そして、サルディーニャの食卓を締めくくるのに欠かせないのが、赤ワイン「カンノナウ」です。カンノナウは、この土地の固有ブドウ品種。強い日差しと乾燥した気候、ミネラル豊富な土壌で育つこのブドウから造られるワインは、力強く、凝縮感のある味わいが特徴です。
驚くべきは、このカンノナウに含まれるポリフェノールの量。特に、抗酸化作用が強く、心血管疾患の予防に効果があるとされるプロシアニジンやレスベラトロールの含有量が、他の地域の赤ワインに比べて格段に高いことが研究で明らかになっています。
村の男たちは、昼食と夕食に、必ず1〜2杯のカンノナウを飲むのが習慣だとか。それは酔うためではなく、食事を楽しみ、会話を弾ませ、一日の疲れを癒すための、いわば健康的な儀式のようなものです。
「このワインは、薬みたいなもんだよ。一日働いた体に、元気をくれるんだ」
広場で出会ったおじいさんが、そう言ってにっこり笑いました。彼の言葉通り、カンノナウは単なるアルコール飲料ではなく、この土地のテロワール(風土)そのものを凝縮した、生命力あふれる飲み物なのでしょう。彼らは、食事と共にこの「大地の恵み」を適量いただくことで、日々の健康を維持しているのです。
彼らの「Cucina Povera」は、決して質素なだけではありませんでした。そこには、自然のサイクルに寄り添い、手に入るものを最大限に活かし、分かち合うという、サステナブルで豊かな精神が息づいていました。ファストフードや加工食品に囲まれた現代の食生活を見直す、大きなヒントがそこにはありました。
日々の暮らしに宿る「動」と「静」のハーモニー
サルディーニャのセンテナリアンたちの健康を支えているのは、食生活だけではありません。彼らの日常生活そのものが、心と体の健康を育む、絶妙なバランスで成り立っていることに気づかされました。特別なフィットネスジムに通うわけでも、マインドフルネスのアプリを使うわけでもなく、彼らの暮らしには、ごく自然に「動」と「静」の要素が組み込まれているのです。
歩くことが生活の一部であるということ
ブルーゾーンである山間の村々を訪れて、まず気づくのはその地形です。村は急な斜面にへばりつくように作られており、平坦な道はほとんどありません。家から広場へ、広場から教会へ、畑へ、友人の家へ…どこへ行くにも、必ず石畳の急な坂道や階段を上り下りしなくてはなりません。
村の人々は、この坂道をものともせず、すいすいと歩いていきます。買い物袋を両手に下げたおばあさんも、杖をついたおじいさんも、自分の足でゆっくりと、しかし確実に目的地へと向かいます。車は村の入り口までしか入れない場所も多く、日々の移動が、そのまま自然な運動になっているのです。
特に、この地の長寿を象徴する存在である羊飼いたちは、究極のウォーキングを実践しています。彼らは毎日、羊の群れを追って何キロも、時には10キロ以上も、険しい山道を歩き回ります。それは、トレッドミルの上で単調に歩くのとは全く違う、全身の筋肉とバランス感覚を使う、強度の高い運動です。
アグリツーリズモの主人のジョヴァンニさんも、若い頃は羊飼いでした。 「若い頃は一日中、山の中を歩き回ったもんだ。羊たちは美味しい草を求めてどこまでも行くからな。おかげで足腰は達者だよ。今でも毎日畑まで歩いて行くのが日課さ」
彼の引き締まったふくらはぎは、その言葉を何よりも雄弁に物語っていました。
彼らにとって、「歩く」ことはエクササイズではなく、生活そのものです。目的を持って体を動かし、自分の足で大地を踏みしめる感覚。それが、彼らの強靭な足腰と心肺機能、そして生涯にわたる自立した生活を支えているのです。
手仕事の温もりと、精神的な充足
「動」の側面が歩くことだとすれば、「静」の側面は、彼らの生活に深く根付いた「手仕事」に象ेंすることです。
サルディーニャは、素晴らしい伝統工芸の宝庫でもあります。特に、女性たちの手による織物(テッシトゥーラ)は、その美しさで知られています。アグリツーリズモのマリアおばあちゃんの家にも、幾何学模様や、鳥や動物をモチーフにした色鮮やかなタペストリーやラグが飾られていました。それらはすべて、彼女の母親や祖母が、昔ながらの木製の織り機で手織りしたものだそうです。
「昔は、女の子はみんな機織りを習ったものだよ。嫁入り道具として、自分でシーツやテーブルクロスを織ったんだ。糸を紡ぎ、植物で染め、一日中、織り機に向かう。根気のいる仕事だけど、模様が出来上がっていくのを見るのは、何よりの楽しみだった」
マリアおばあちゃんは、懐かしそうに目を細めました。
機織りだけでなく、コルク樫の皮を使った工芸品、野生のラフィアを編んだカゴ作り(チェスティネリーア)、そして男性たちの仕事であるナイフ作りなど、この島には様々な手仕事が今も受け継がれています。
これらの手仕事は、単に物を作るという行為以上の意味を持っています。指先を使い、一つの作業に深く集中する時間は、心を落ち着かせ、瞑想にも似た効果をもたらすのではないでしょうか。コンピューターの画面と向き合い、常に複数のタスクに追われる現代の私たちにとって、一つのことに没頭し、自分の手で何かを創造する喜びは、何よりの精神安定剤になり得ます。
完成した時の達成感、そして自分の作ったものが誰かの役に立ったり、暮らしを彩ったりすることの喜び。こうした精神的な充足感が、ストレスを軽減し、生きる意欲を高めているのかもしれません。
村を歩いていると、家の前で椅子に座り、黙々とカゴを編んでいるおじいさんの姿を見かけました。その集中した横顔と、リズミカルに動く指先は、とても穏やかで、満ち足りているように見えました。彼らの暮らしにおける「動」と「静」の調和。それは、肉体的な健康と精神的な平穏が、切り離せないものであることを教えてくれます。毎日体を動かして働き、そして静かに手仕事に没頭する。このシンプルで美しい循環こそが、彼らが健やかに100年の時を生きる、大きな秘訣の一つなのでしょう。
揺るぎない「家族」と「共同体」の絆
サルディーニャの旅を通して、私が最も心を揺さぶられたのは、彼らの「人との繋がり」のあり方でした。食や運動といった物理的な要因以上に、彼らの長寿を支える最も重要な土台は、揺るぎない家族の絆と、温かい共同体の存在にある。そう確信しました。
現代社会、特に都市部では、孤独が深刻な問題となっています。しかし、この島の村々には、「孤独」という言葉が存在しないかのように思えるほど、人々の間に深く、濃密な関係性が築かれていたのです。
“Nonno”と”Nonna”が家族の太陽であるということ
イタリア語で「おじいちゃん」を意味する”Nonno”、「おばあちゃん」を意味する”Nonna”。サルディーニャでは、このノンノとノンナが、家族の中で絶対的な中心であり、太陽のような存在です。
彼らは、年老いて役割を失うのではなく、むしろ年を重ねるごとに尊敬を集め、家族の中で重要な役割を担い続けます。アグリツーリズモのマリアおばあちゃんもそうでした。彼女は宿の女主人として采配を振るうだけでなく、息子夫婦や孫たちの生活にも、常に気を配っています。孫が熱を出せば、薬草を使った昔ながらの知恵で手当てをし、嫁が悩んでいれば、静かに話を聞いてアドバイスをする。彼女が持つ長年の経験と知恵は、家族にとってかけがえのない財産なのです。
食事は、いつも大家族一緒です。息子夫婦、孫たち、時には近所の人も加わって、大きなテーブルを囲みます。そこでは、世代を超えた会話が弾みます。子供たちは、ノンノが語る昔話に目を輝かせ、若者たちは、ノンナが作る伝統料理のレシピを教わります。高齢者は、若い世代から新しい情報や活気をもらい、若い世代は、高齢者から歴史や知恵を学ぶ。この自然な世代間交流が、互いの存在を肯定し、生きる力を与え合っているのです。
核家族化が進み、高齢者が孤立しがちな多くの先進国とは、まさに対照的な光景です. サルディーニャでは、老人ホームの数も極端に少ないと聞きます。家族が、そして地域社会全体が、高齢者を敬い、最後まで面倒を見るのが当たり前だからです。
「家族は、一番の宝物だよ。何があっても、最後は家族が助けてくれる。私たちがいるから孫たちも安心だし、孫たちがいるから私たちも張り合いがある」
マリアおばあちゃんの言葉には、深い愛情と、自らの役割に対する誇りが満ちていました。自分が誰かに必要とされている、という実感。これこそが、100歳になってもなお、生きる意欲を失わない最大の源なのかもしれません。
村の広場(ピアッツァ)が繋ぐ、温かい人の輪
家族という最小単位の共同体は、さらに村全体の大きな共同体へと繋がっていきます。その中心となるのが、村の広場「ピアッツァ」です。
夕暮れ時になると、どこからともなく人々がピアッツァに集まってきます。仕事を終えた男たち、買い物帰りの女たち、学校が終わった子供たち。そして、一日を家で過ごしたお年寄りたちも、ゆっくりとした足取りで広場のベンチを目指します。
そこで交わされるのは、たわいもないおしゃべりです。「今日のパンはうまく焼けたかい?」「お宅の畑のトマトは、もう赤くなったかい?」「孫の熱は下がったかね?」。誰かの喜びはみんなの喜びとなり、誰かの悲しみはみんなで分かち合う。ピアッツァは、情報交換の場であると同時に、互いの存在を確認し、絆を深めるための、村のコミュニケーションハブなのです。
私のような見知らぬ旅人にも、彼らは警戒心を見せることなく、「どこから来たんだい?」と気軽に声をかけてくれます。言葉が完全には通じなくても、身振り手振りと笑顔で、なんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれる。その温かさに、何度も胸が熱くなりました。
彼らの繋がりは、SNS上の「いいね!」やコメントで構築される希薄なものではありません。毎日顔を合わせ、声を掛け合い、時には助け合い、時にはぶつかり合いながら築き上げてきた、血の通ったリアルな関係性です。この強い社会的ネットワークが、人々を孤独から守り、精神的な安定をもたらしていることは明らかでした。
もし誰かが病気になれば、近所の人々が代わる代わる食事を届け、様子を見に来る。もし誰かが悲しみに沈んでいれば、黙って隣に座り、肩を貸してくれる。そんなセーフティネットが、村全体に張り巡らされているのです。
長寿の研究では、社会的な繋がりが寿命に大きな影響を与えることが指摘されています。サルディーニャの村々での体験は、その事実を肌で感じさせてくれるものでした。彼らは、人生の喜びも悲しみも、すべてを共同体の中で分かち合って生きています。その安心感が、ストレスを和らげ、心穏やかに年を重ねることを可能にしているのでしょう。
美しい海だけではない、サルディーニャの魂に触れて
旅の終わりに、私は島の北東部、世界中のセレブリティが集まる高級リゾート地、コスタ・スメラルダ(エメラルド海岸)を訪れました。その名の通り、息をのむほどに美しいエメラルドグリーンの海と、白砂のビーチが広がる様は、まさに地上の楽園。ポルト・チェルヴォの街には、高級ブランドのブティックが軒を連ね、豪華なヨットが港を埋め尽くしています。
その華やかで洗練された美しさは、確かに魅力的でした。ファッションの世界に身を置く者として、心惹かれる部分も大いにあります。しかし、私の心は、このきらびやかな世界とは全く違う場所にある、もう一つのサルディーニャに強く引き寄せられていました。
それは、険しい山々に抱かれ、静かに時を刻む、あの小さな村々の風景。 石畳の坂道ですれ違う、皺の深い笑顔。 羊の群れが立てる、カウベルののどかな音色。 キッチンに漂う、レンズ豆のスープと焼きたてのパンの香り。 夕暮れのピアッツァで交わされる、温かい会話。 そして、グラスに注がれたカンノナウの、深く力強い味わい。
これらの一つひとつが、コスタ・スメラルダの宝石のような海よりも、もっと深く、私の心に刻み込まれていました。
多くの人々は、サルディーニャと聞いて、この美しい海を思い浮かべるでしょう。しかし、この島の本当の魂、本当の豊かさは、観光客の喧騒から離れた内陸の山村に、ひっそりと息づいているのだと、私はこの旅で知りました。それは、何世紀にもわたって受け継がれてきた、大地と共に生きる人々の、質素で、力強く、そして美しい暮らしそのものです。
彼らが教えてくれたのは、長生きするためのテクニックではありませんでした。それは、いかに「良く生きるか」という、もっと根源的な問いへの答えだったように思います。
明日からの私を変える、サルディーニャからの贈り物
日本へ帰る飛行機の中で、私はサルディーニャでの日々を思い返していました。窓の外に広がる雲海を眺めながら、私の心は不思議なほど穏やかで、満たされていました。今回の旅は、単なる休暇ではなく、これからの自分の生き方を見つめ直すための、貴重な時間となったのです。
サルディーニャのセンテナリアンたちの暮らしから学んだことは、あまりにも多く、そしてシンプルでした。
まず、食生活。明日からすぐに、彼らと全く同じ食事をすることは難しいかもしれません。でも、もっと季節の野菜や豆類を食事に取り入れること、加工食品を減らして、素材そのものの味を大切にすることはできるはずです。週末には、少し時間をかけて、ハーブを効かせたスープを煮込んでみよう。そして、友人との食事には、美味しい赤ワインを少しだけ添えて、会話を楽しもう。
次に、体を動かすこと。満員電車に揺られてジムに通うのもいいけれど、まずは日常生活の中で、もっと歩くことを意識してみよう。一駅手前で降りて歩いてみる、エスカレーターではなく階段を使ってみる。そんな小さなことの積み重ねが、きっと心と体を変えていくはずです。そして休日には、自然の中へ出かけて、大地を踏みしめる感覚を思い出したい。
そして、何よりも人との繋がり。効率や利便性を追い求めるあまり、私たちは、顔と顔を合わせたコミュニケーションを忘れかけてはいないでしょうか。SNS上の繋がりも大切だけど、もっと家族や友人、身近な人たちと過ごす時間を大切にしたい。大切な人のために料理を作ったり、ただ隣に座って話を聞いたり。そんな温かい時間の積み重ねこそが、人生を豊かにしてくれるのだと、彼らは教えてくれました。
サルディーニャの長寿の秘訣は、魔法の薬でも、特別な遺伝子でもありませんでした。それは、日々の暮らしの中に散りばめられた、ごく当たり前の、しかし私たちが忘れかけていた知恵の結晶だったのです。
この旅は、私の価値観を少しだけ変えてくれました。目まぐるしく変化するトレンドを追いかける仕事も、今まで以上に愛おしく思えるようになりました。なぜなら、その対極にある、普遍的で揺るぎない「豊かさ」の基準を、私の中に持つことができたからです。
もしあなたが、日々の暮らしに少し疲れを感じたり、本当の豊かさとは何かを見つめ直したくなったりしたら、ぜひサルディーニャ島を訪れてみてください。美しい海で心癒されるのも素晴らしいですが、勇気を出して、島の心臓部へと足を延ばしてみてください。
そこにはきっと、あなたの明日からの人生を、より深く、より健やかに、そしてより幸せにするための、温かいヒントが待っているはずです。100年の時を生きる賢者たちが、その穏やかな笑顔で、あなたを迎えてくれるでしょう。









