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    黄金の都プラハへ。中世の宝石箱を巡る、心揺さぶる旅の誘い

    ヴルタヴァ川の穏やかな流れに抱かれ、千年以上の時を刻み続ける街、プラハ。ある者は「黄金の都」と呼び、またある者は「百塔の街」と称えました。石畳の路地を彷徨えば、ゴシック、ルネサンス、バロック、アール・ヌーヴォーと、あらゆる時代の建築様式が美しいカクテルのように溶け合い、訪れる者の心を捉えて離しません。ここは、カフカが思索に耽り、モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』を初演し、ミュシャが祖国への愛を咲かせた場所。歴史の重みと芸術の香りが、街の隅々にまで染み渡っています。

    この街の魅力は、ただ美しいだけではありません。ボヘミア王国の栄華、宗教改革の熱狂、ハプスブルク家の支配、二つの世界大戦、そして共産主義からの解放「ビロード革命」。幾多の動乱を乗り越えてきた人々の魂の記憶が、路傍の石ひとつひとつに、教会の尖塔の影に、静かに宿っているのです。

    さあ、地図を片手に、時空を超える旅に出かけましょう。天文時計の鐘の音に耳を澄まし、カレル橋の聖人たちに挨拶を交わし、プラハ城の丘からオレンジ色の屋根が連なる絶景に息をのむ。この旅は、あなたの五感を揺さぶり、忘れられない記憶となって心に深く刻まれるはずです。まずは、これから巡る夢のような街の全体像を、地図で確かめてみてください。

    目次

    プラハ城地区 – 丘の上から見守る千年王国の威光

    プラハの旅は、この街の象徴であり、魂の拠り所でもあるプラハ城から始めるのがよいでしょう。ヴルタヴァ川西岸の丘に壮大に広がるこの城塞は、単一の城ではなく、大聖堂、宮殿、教会、庭園などが集まった複合体です。その歴史は9世紀にまで遡り、ボヘミア王、神聖ローマ皇帝、そしてチェコスロヴァキアおよびチェコ共和国の大統領がここで政治を司ってきました。『ギネス世界記録』にも「世界で最も古く広大な城」として認定されており、一歩足を踏み入れれば、その千年王国の威光に圧倒されることでしょう。

    城内を歩くことは、チェコの歴史そのものを歩くことに他なりません。ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと、時代ごとに加えられた建築が織りなすハーモニーは、まさに圧巻の一言。城壁から見下ろすプラハ市街のパノラマは、赤い屋根瓦の海と無数の尖塔が織りなす絶景で、誰もが息をのむ美しさです。毎日正午に行われる衛兵の交代式は、華麗な音楽隊も加わる見応えのあるセレモニー。その一糸乱れぬ動きは、今もなおこの城が国家の中枢であることを静かに示しています。

    聖ヴィート大聖堂 – 天を衝くゴシックの傑作

    プラハ城の敷地内で、ひときわ高く、天を衝くようにそびえ立つのが聖ヴィート大聖堂です。正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイテフ大聖堂」。その建設は1344年に始まり、幾多の戦争や中断を経て、最終的に完成したのはなんと1929年。約600年もの歳月をかけて造り上げられた、チェコ・ゴシック建築の最高傑作です。

    その荘厳な外観もさることながら、内部に足を踏み入れた瞬間の感動は筆舌に尽くしがたいものがあります。高くそびえるリブ・ヴォールトの天井、そして壁面を埋め尽くすステンドグラスから差し込む幻想的な光。特に、20世紀初頭にチェコを代表する芸術家アルフォンス・ミュシャが手がけたステンドグラスは必見です。彼の得意とするアール・ヌーヴォー様式で、スラブ民族の歴史とキリスト教の聖人たちが描かれており、他の窓とは一線を画す柔らかな色彩と優美な曲線で、見る者の心を優しく包み込みます。

    大聖堂の奥には、ボヘミアの守護聖人ヴァーツラフを祀った豪華絢爛な「聖ヴァーツラフの礼拝堂」があります。壁面は1300個以上の貴石と金で覆われ、そのきらびやかさは圧巻です。また、銀を2トンも使用して作られたという聖ヤン・ネポムツキーの墓碑も、その精緻な彫刻と圧倒的な存在感で訪れる人を魅了します。ここはまさに、信仰と芸術、そして国家の誇りが結晶化した聖なる空間なのです。

    旧王宮 – 歴史の舞台となった広間

    聖ヴィート大聖堂の隣に位置するのが、旧王宮です。かつてボヘミア王たちが居城としたこの場所は、チェコの歴史における数々の重要な出来事の舞台となりました。特に注目すべきは、後期ゴシック様式の傑作とされる「ヴラディスラフ・ホール」。その広大さと、まるで植物の蔓が絡み合うかのような美しいリブ・ヴォールト天井には、誰もが感嘆の声をあげるでしょう。

    このホールは、かつて王の戴冠式や祝宴、馬上槍試合まで行われたという多目的スペースでした。馬が駆け上がれるように設計された「騎士の階段」も残されており、往時の華やかな情景が目に浮かぶようです。そして、このホールは悲劇の舞台ともなりました。1618年、プロテスタントの貴族たちがカトリックを強要するハプスブルク家の役人たちを窓から投げ落とした「プラハ窓外放出事件」。これが三十年戦争の引き金となったのです。歴史が動いたその窓辺に立つと、当時の緊迫した空気が伝わってくるかのようです。現在はチェコ共和国大統領の就任演説など、国家の重要な儀式が行われる場所として、その歴史を未来へと繋いでいます。

    聖イジー教会 – プラハ最古のロマネスク建築

    鮮やかな赤褐色のファサードが印象的な聖イジー教会は、プラハ城内で現存する最古の教会建築です。その起源は920年頃にまで遡り、後に改築が重ねられたものの、内部は12世紀のロマネスク様式の簡素で厳かな雰囲気を色濃く残しています。

    聖ヴィート大聖堂の華麗さとは対照的に、聖イジー教会の内部は質実剛健。太い石の柱と厚い壁、そして半円アーチが続く身廊は、初期キリスト教会の静謐な祈りの空間を今に伝えています。天井には12世紀のフレスコ画の断片が残り、地下のクリプトにはチェコ最初の殉教者とされる聖ルドミラや、この教会を創建したヴラチスラフ1世が眠っています。派手さはありませんが、千年近くにわたって人々の信仰を見守ってきたその空間に身を置くと、心が洗われるような穏やかな気持ちになるでしょう。隣接する旧聖イジー修道院は、現在、国立美術館のボヘミア・バロック美術コレクションを展示しており、教会と合わせて訪れることで、より深くチェコの芸術史に触れることができます。

    黄金の小路 – 錬金術師たちの伝説が息づく場所

    聖イジー教会の裏手にある、まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのような可愛らしい家々が並ぶ一角。それが「黄金の小路(ズラター・ウリチュカ)」です。もともとは城に仕える射手や召使いたちが住んでいたこの通りですが、16世紀の皇帝ルドルフ2世の時代、彼が熱心だった錬金術師たちをここに住まわせたという伝説から、この名で呼ばれるようになりました。

    色とりどりに塗られた小さな家々が軒を連ねる様子は、歩いているだけで心が躍ります。それぞれの家は小さな博物館のようになっており、当時の人々の暮らしを再現した展示や、鎧や武器のコレクション、中世の拷問具などを覗き見ることができます。中でもひときわ有名なのが、水色の壁の22番の家。ここは、1916年から1917年にかけて、作家フランツ・カフカが妹のアトリエを借りて執筆活動を行っていた場所です。この静かな小路で、彼は名作『城』の着想を得たのかもしれません。伝説と文学の香りが漂うこの小路は、プラハ城観光の最後に訪れたい、魅力的なスポットです。

    マラー・ストラナ地区 – カレル橋の袂に広がる絵画のような街並み

    プラハ城の丘を下り、カレル橋の西側に広がるのが「マラー・ストラナ(小地区)」です。その名とは裏腹に、貴族の館や壮麗な教会、緑豊かな庭園が点在する、プラハで最も絵になるエリアの一つと言えるでしょう。第二次世界大戦の戦禍を免れたため、中世からバロック時代にかけての美しい街並みが奇跡的に保存されており、迷路のような石畳の路地を歩けば、どこを切り取ってもポストカードのような風景に出会えます。

    かつてはドイツ系の商人や職人、そして王侯貴族たちが居を構えたこの地区は、旧市街の賑わいとは少し違う、落ち着いたエレガントな雰囲気に満ちています。洒落たカフェや伝統的なビアホール、個性的なアンティークショップなどが軒を連ね、目的もなく散策するだけでも十分に楽しめます。ヴルタヴァ川の支流であるチェルトフカ運河が流れる一角は「プラハのヴェネツィア」とも呼ばれ、水面に映る建物と小さな橋がロマンティックなムードを醸し出しています。

    カレル橋 – 聖人像に見守られながら渡る、プラハの象徴

    プラハと聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのがこのカレル橋ではないでしょうか。マラー・ストラナと旧市街を結ぶこの石橋は、プラハの歴史そのものであり、街のシンボルです。1357年、神聖ローマ皇帝カレル4世の命により建設が始まり、15世紀初頭に完成しました。橋の建設開始日時は「1357年9月7日5時31分」と定められ、これは「1-3-5-7-9-7-5-3-1」という数字の回文(パリンドローム)になるよう占星術によって選ばれたという逸話も残っています。

    全長約516m、幅約10mの橋の両側には、30体もの聖人像が並び、さながら「橋上の美術館」のようです。これらの像は主に17世紀から18世紀にかけて制作されたバロック彫刻の傑作で(現在は多くがレプリカ)、橋を渡る人々を静かに見守っています。中でも特に人気なのが、チェコの国民的聖人ヤン・ネポムツキーの像です。彼は王妃の告解の内容をヴァーツラフ4世に明かすことを拒んだため、この橋からヴルタヴァ川に投げ込まれて殉教したと伝えられています。像の台座にあるレリーフに触れると幸運が訪れる、あるいは再びプラハに戻って来られるという言い伝えがあり、多くの観光客が触れていくため、その部分だけが金色に輝いています。

    昼間は大道芸人や似顔絵描き、お土産物屋で賑わい、夜明けや夕暮れ時には、ガス灯の柔らかな光に照らされた橋とプラハ城が織りなす幻想的なシルエットが浮かび上がります。時間帯によって全く異なる表情を見せるカレル橋。ぜひ、何度も渡ってその魅力を心ゆくまで味わってください。

    聖ミクラーシュ教会 – バロックの輝きに満ちた空間

    マラー・ストラナ広場に圧倒的な存在感で君臨するのが、聖ミクラーシュ教会です。緑青のドームと壮麗なファサードは、この地区のランドマーク的存在。18世紀に親子二代の建築家、ディーンツェンホーファー家によって建てられた、プラハ・バロック建築の最高峰と称される教会です。

    一歩中に入ると、外観から想像する以上の、光と色彩、そして躍動感に満ちた空間が広がります。大理石の柱、金色の装飾、そして天井を埋め尽くす巨大なフレスコ画。そのすべてが一体となって、天上の世界を地上に再現したかのような、ドラマティックな効果を生み出しています。特に、直径20mにも及ぶドームの天井画『聖三位一体の礼賛』は圧巻で、見上げていると吸い込まれそうなほどの迫力です。祭壇や礼拝堂を飾る彫刻群も、まるで生きているかのような躍動感にあふれています。また、この教会にはモーツァルトゆかりのパイプオルガンがあり、彼がプラハ滞在中にここで演奏したと伝えられています。彼の死後には、追悼ミサもこの場所で執り行われました。夜にはコンサートが開かれることも多く、荘厳なバロック空間に響き渡る音楽は、格別の体験となるでしょう。

    ジョン・レノンの壁 – 自由を求める魂のキャンバス

    聖ミクラーシュ教会からほど近い、静かな広場に突如として現れる色鮮やかな壁。それが「ジョン・レノンの壁」です。1980年、ジョン・レノンが暗殺されると、彼の死を悼む若者たちがこの壁に彼の肖像や歌詞、平和のメッセージを落書きし始めました。当時、チェコスロヴァキアは共産党政権下にあり、西側の音楽や自由な表現は厳しく制限されていました。

    この壁は、当局によって何度も白く塗りつぶされましたが、そのたびに若者たちは新たなメッセージを描き加えました。それはいつしか、ジョン・レノン個人への追悼を超え、自由と平和への渇望、そして権威へのささやかな抵抗のシンボルとなっていったのです。1989年のビロード革命へと繋がる、若者たちのエネルギーがここに凝縮されていると言えるでしょう。現在では、世界中から訪れる人々によって常に新しいグラフィティが上書きされ、壁は生き物のようにその姿を変え続けています。ビートルズファンでなくとも、自由を求めた人々の魂が刻まれたこの壁の前に立つと、胸に迫るものを感じるはずです。

    ヴルタヴァ川クルーズ – 水上から眺める絶景

    マラー・ストラナ地区の散策に少し疲れたら、ヴルタヴァ川のクルーズに参加してみるのもおすすめです。カレル橋の袂やチェルトフカ運河周辺から、様々な種類の遊覧船が出ています。水上から眺めるプラハの街並みは、陸上から見るのとはまた違った、格別の趣があります。

    ゆっくりと進む船の上から、カレル橋の下をくぐり、壮大なプラハ城の全景を仰ぎ見る。旧市街の尖塔群や、マラー・ストラナの貴族の館が水面に映り込む様子は、まるで一枚の絵画のようです。特に「プラハのヴェネツィア」と呼ばれるチェルトフカ運河を進む小さなボートツアーは、水車や川辺の家々を間近に見ることができ、冒険気分を味わえます。夕暮れ時に出発するディナークルーズに参加すれば、ライトアップされたプラハ城やカレル橋というロマンティックな夜景を、食事と共に楽しむこともできます。川のせせらぎと心地よい風を感じながら、百塔の街のパノラマを堪能する時間は、忘れられない旅の思い出となるでしょう。

    旧市街地区 – 時が止まったかのような広場と天文時計

    カレル橋を東へ渡ると、そこはプラハの心臓部、旧市街地区です。中世以来、街の中心として栄えてきたこのエリアは、迷路のように入り組んだ石畳の路地と、歴史的な建物がひしめき合う、まさに「歩く博物館」。あらゆる道が、この地区のへそである旧市街広場へと続いています。

    一歩足を踏み入れると、まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るでしょう。ゴシック様式の教会、パステルカラーの美しい家々、そして広場を行き交う人々の喧騒。かつてはヨーロッパ中の商人たちが集まる市場として賑わい、王の戴冠式のパレードが通り、そして時には公開処刑の舞台ともなった、光と影の歴史が刻まれた場所です。広場に面したカフェのテラス席に座り、ただぼんやりと建物を眺めているだけでも、時の流れを忘れてしまいます。クリスマスやイースターの時期には、広場に巨大なマーケットが立ち、まるでおとぎの国のような華やかさに包まれます。

    旧市街広場 – プラハの心臓部、歴史の交差点

    プラハの歴史は、この旧市街広場と共にありました。広場の中心には、宗教改革の先駆者ヤン・フスの巨大な像が立っています。彼はカトリック教会の腐敗を批判し、1415年に火刑に処されましたが、その思想はチェコ国民の精神的支柱となり、後のフス戦争へと繋がっていきました。彼の像は、権威に屈しないチェコ人の不屈の魂を象徴しています。

    広場を囲むように、歴史的に重要な建物が並びます。ひときわ目を引く双塔を持つティーン教会、天文時計で有名な旧市庁舎、そしてピンクのスタッコ装飾が美しいゴルツ・キンスキー宮殿など、建築様式の見本市さながらの光景です。広場に面した家々の多くは、もともと裕福な商人の館で、それぞれに「金のユニコーンの家」や「石の羊の家」といったユニークな名前と紋章が付けられています。これらの紋章を探しながら歩くのも、旧市街散策の楽しみの一つです。歴史の息吹と人々の活気が融合するこの広場は、プラハを訪れたなら誰もが必ず足を運ぶ、街のハイライトです。

    天文時計(オルロイ) – 精緻な仕掛けが告げる時の物語

    旧市庁舎の南壁に設置された天文時計「オルロイ」は、旧市街広場で最も多くの人々が集まる場所です。1410年に設置されたというこの時計は、現役で動くものとしては世界最古級。その複雑で美しい文字盤は、単に時刻を示すだけでなく、太陽と月の天球上の位置、そして12星座までをも示しています。中世の天文学と技術の粋を集めた、まさに芸術品です。

    この時計の真骨頂は、毎正時に始まる「仕掛け人形のショー」です。時計の横に立つ骸骨が鐘を鳴らし、死の訪れを告げると、上部の二つの窓が開き、キリストの12使徒たちが次々と姿を現します。その間、時計の脇に立つ他の人形たち―虚栄心(鏡を持つ男)、強欲(金の袋を持つ男)、快楽(楽器を持つ男)―は首を横に振り、人生の誘惑を拒絶する様子を表します。最後に一番上の鶏が鳴き、ショーの終わりを告げると、広場は見物客の拍手と歓声に包まれます。わずか数十秒のショーですが、人生の教訓が込められたこの精緻な仕掛けは、600年以上もの間、人々を魅了し続けています。

    ティーン教会 – 異世界への扉のような双塔

    旧市街広場の東側に、まるでファンタジー映画の城のようにそびえ立つのが、ティーン教会(正式名称:ティーン前の聖母マリア教会)です。高さ約80mの二つの尖塔は、左右で太さが微妙に異なり、「アダムとイブ」と呼ばれ親しまれています。この非対称性が、かえって見る者に強い印象を与えます。夜にライトアップされた姿は特に幻想的で、広場の雰囲気を一層ドラマティックなものにしています。

    この教会は、14世紀から16世紀にかけて建設され、宗教改革時代にはフス派の拠点となりました。そのため、外観はゴシック様式で厳格な印象ですが、内部は後に改修されたため、豪華なバロック様式の装飾で満たされています。金箔で飾られた主祭壇や、チェコを代表するバロック彫刻家マティアーシュ・ブラウンの作品など、見どころが豊富です。また、17世紀にデンマークから亡命した偉大な天文学者、ティコ・ブラーエの墓もこの教会にあります。教会の入口は広場に面しておらず、正面の建物(ティーン学校)のアーケードをくぐった奥にあるため少し分かりにくいですが、その隠れた入口を探すのもまた、この教会を訪れる楽しみの一つと言えるでしょう。

    旧市庁舎の塔 – 360度のパノラマが広がる絶景スポット

    旧市街広場の喧騒を上から眺めてみたいなら、旧市庁舎の塔に登るのが一番です。高さ約70mのこのゴシック様式の塔は、エレベーターも完備されているため、誰でも気軽に登ることができます。展望回廊からは、まさに「百塔の街」を実感できる360度の大パノラマが広がります。

    眼下には、ミニチュアのような人々で賑わう旧市街広場。その向こうには、ティーン教会の双塔が迫り、遠くにはプラハ城の雄大なシルエットが望めます。オレンジ色や赤色の屋根が波のように連なる光景は、プラハを象徴する景色としてあまりにも有名です。特に夕暮れ時、街が黄金色に染まっていくマジックアワーの美しさは格別です。プラハの地理を把握するのにも最適で、これからどこへ行こうか、あるいは今まで歩いてきた道を振り返るのにも絶好の場所。旅の思い出をより一層色鮮やかにしてくれる、必見のビュースポットです。

    新市街地区 – 歴史と現代が交差する活気あるエリア

    旧市街の南東に広がる「新市街(ノヴェー・ムニェスト)」は、その名に反して、実は14世紀にカレル4世によって計画的に造られた歴史ある地区です。しかし、旧市街やマラー・ストラナが中世の面影を色濃く残しているのに対し、新市街は19世紀から20世紀にかけて大規模な再開発が行われ、近代的な建物や商業施設が立ち並ぶ、プラハの現代的な顔としての役割を担っています。

    ブティックやデパート、レストラン、劇場、オフィスビルがひしめき合い、地元の人々や観光客で常に賑わっています。歴史的な建築物の間に、アール・ヌーヴォーやキュビズム、そして現代建築が大胆に顔を覗かせる、新旧がダイナミックに交差するエリアです。プラハの「今」を感じたいなら、この新市街の散策は欠かせません。

    ヴァーツラフ広場 – チェコ現代史の舞台

    新市街の中心に位置するヴァーツラフ広場は、長さ750m、幅60mにも及ぶ巨大な大通りです。その広さから「広場」というよりは「大通り」と呼ぶ方がしっくりくるかもしれません。広場の最上部には、馬にまたがった聖ヴァーツラフの勇ましい像が立ち、その背後には壮麗な国立博物館が堂々とそびえ立っています。

    この広場は、単なる商業の中心地ではありません。チェコの現代史における数々の重要な出来事が、この場所で繰り広げられました。1918年のチェコスロヴァキア独立宣言、1968年のソ連軍侵攻に抵抗した「プラハの春」、そして1989年に無血で共産党政権を倒した「ビロード革命」。多くの市民がこの広場に集い、自由と民主主義を叫びました。「プラハの春」の際にソ連軍の戦車に抗議して焼身自殺した学生ヤン・パラフの慰霊碑もこの広場にあり、チェコの人々の自由への強い意志を今に伝えています。歴史の重みを感じながらこの広場を歩けば、きらびやかなネオンの光もまた違った意味合いを帯びて見えてくるでしょう。

    国立博物館 – チェコの歴史と文化の殿堂

    ヴァーツラフ広場の丘の上に、ネオルネサンス様式の壮麗な建物として君臨するのが国立博物館です。1891年に完成したこの建物は、それ自体が芸術品のような美しさを誇ります。長年の改修工事を経て近年リニューアルオープンし、その輝きを取り戻しました。

    館内には、チェコの自然史、歴史、芸術、音楽に関する膨大なコレクションが収蔵されています。先史時代から近代に至るまでのチェコ民族の歩みをたどる展示は非常に見応えがあり、ボヘミア地方で発見された鉱物や化石のコレクションも充実しています。特に、中央のパンテオン(偉人たちの殿堂)は圧巻で、チェコの歴史に名を残す王や芸術家、科学者たちの像や胸像がずらりと並び、この国の誇りを肌で感じることができます。建物のドームからの眺めも素晴らしく、ヴァーツラフ広場を一望できます。チェコの歴史と文化を深く知りたいなら、ぜひ時間をとって訪れたい場所です。

    ミュシャ美術館 – アール・ヌーヴォーの巨匠の世界へ

    アール・ヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語ではムハ)。彼の優美で装飾的なポスターは、日本でも絶大な人気を誇ります。そのミュシャの世界に浸ることができるのが、新市街にあるこのミュシャ美術館です。世界で唯一のミュシャ公認の美術館であり、彼の息子イジーとその妻ゲラルディンによって設立されました。

    館内には、ミュシャの代名詞ともいえる女優サラ・ベルナールのためのポスターをはじめ、装飾パネル、リトグラフ、油彩画、素描、そして彼が使用したアトリエの再現まで、多彩な作品が展示されています。流れるような曲線で描かれた女性像、植物や花々のモチーフ、そして緻密に計算されたデザイン。その華やかな商業ポスターのイメージが強いミュシャですが、美術館では彼の祖国チェコとスラブ民族への深い愛情から生まれた作品群にも光を当てています。特に、彼の生涯の集大成である大作『スラブ叙事詩』に関する資料や習作は必見です。彼の芸術の奥深さに触れることができる、美と感動に満ちた空間です。

    踊る家(ダンシング・ハウス) – プラハの新しい顔

    ヴルタヴァ川のほとり、歴史的な建物が並ぶ中に、まるで二人のダンサーが体を寄せ合って踊っているかのような、奇抜で斬新なビルが建っています。これが「ダンシング・ハウス」です。1996年に、チェコ系クロアチア人建築家ヴラド・ミルニッチと、アメリカの著名な建築家フランク・ゲーリーによって設計されました。

    その脱構築主義的なデザインは、建設当時は歴史的な街並みとの調和を巡って大きな論争を巻き起こしましたが、今ではプラハの新しいランドマークとしてすっかり定着しています。伝説的なダンサー、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースにちなんで「フレッド&ジンジャー」という愛称でも呼ばれています。ビルの中にはオフィスやホテル、そして最上階にはプラハ城を一望できるレストランとバーがあります。歴史と伝統を重んじるプラハが、いかに現代アートをも受け入れる懐の深い街であるかを象徴する、刺激的な建築物です。

    ユダヤ人地区(ヨゼフォフ) – 哀愁と神秘が漂う迷宮

    旧市街広場の北側に位置する一角、ヨゼフォフ。そこは、かつてヨーロッパ最大級のユダヤ人ゲットー(居住区)があった場所です。13世紀頃からユダヤ人たちはこの狭い区域に強制的に住まわされ、幾度もの迫害の歴史を乗り越えてきました。19世紀末にゲットーは衛生上の理由から大規模な再開発が行われ、かつての迷路のような路地の多くは失われましたが、いくつかのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や旧ユダヤ人墓地などが奇跡的に保存され、この地区の特異な歴史と文化を今に伝えています。

    この地区を歩くと、華やかな旧市街とは全く異なる、静かでどこか哀愁を帯びた、そして神秘的な空気が漂っているのを感じるでしょう。フランツ・カフカが生まれ育ったのもこの地区であり、彼の作品に漂う不条理で迷宮的な世界観は、このヨゼフォフの雰囲気と無関係ではないと言われています。シナゴーグや博物館を巡ることで、ユダヤ民族が歩んできた苦難の道と、それでも守り抜いてきた力強い文化と信仰に触れることができます。

    旧新シナゴーグ – ヨーロッパ最古のシナゴーグ

    ヨゼフォフ地区のシンボル的存在が、この旧新シナゴーグです。13世紀後半に建てられた初期ゴシック様式のシナゴーグで、ヨーロッパにおいて現存し、かつ現在も祈りの場として使われているものとしては最古のものです。その名が「古いのに新しい」と矛盾しているのは、かつてこの近くにもっと古いシナゴーグがあったため、それに対して「新しいシナゴーグ」と呼ばれ、さらに後に別の新しいシナゴーグができたため、「古い方の新しいシナゴーグ」=「旧新シナゴーグ」となった、という歴史的経緯によります。

    レンガ造りの素朴で重厚な外観。内部は、二本の柱に支えられた五角形のリブ・ヴォールト天井が特徴的な、厳かな空間です。伝説によれば、このシナゴーグの屋根裏には、16世紀の偉大なラビ・レーヴが粘土から創り出したとされる泥人形「ゴーレム」が眠っていると言われています。プラハのユダヤ人たちを迫害から守ったというゴーレムの伝説は、このシナゴーグに一層神秘的なオーラを与えています。

    旧ユダヤ人墓地 – 時が幾重にも折り重なる場所

    旧新シナゴーグのすぐ近くにある旧ユダヤ人墓地は、ヨゼフォフ地区の中でも最も強烈な印象を放つ場所です。15世紀から18世紀末まで使用されたこの墓地は、限られた土地の中で増え続ける死者を埋葬するために、古い墓の上に土を盛り、さらに新しい墓を建てるということを繰り返してきました。

    その結果、墓石はまるで押し合うように密集し、地面は幾層にも重なって波打ち、時間の地層が可視化されたかのような、異様な光景を生み出しています。苔むした大小様々な墓石が、所狭しと林立する様は、見る者に静かな衝撃を与えます。中には12層にもなっている場所もあると言われ、約1万2000基の墓石の下には、推定10万人もの人々が眠っているとされています。最も古い墓石は1439年のもの。ここには、ゴーレム伝説で有名なラビ・レーヴの墓もあり、多くの人々が願い事を書いた小石を供えています。歴史の重みと、幾万もの魂の記憶が凝縮された、忘れがたい空間です。

    ユダヤ博物館 – 迫害の歴史と文化を伝える

    ヨゼフォフ地区に残るシナゴーグのいくつか(ピンカス・シナゴーグ、マイゼル・シナゴーグ、スペイン・シナゴーグ、クラウス・シナゴーグ)と儀式の家、そして旧ユダヤ人墓地は、まとめて「ユダヤ博物館」として運営されています。これらの施設を巡る共通券を購入することで、プラハのユダヤ人の歴史と文化を総合的に学ぶことができます。

    ピンカス・シナゴーグの壁には、ナチスによって殺害されたボヘミアとモラヴィア地方のユダヤ人約8万人の名前が、びっしりと手書きで記されており、その夥しい数に言葉を失います。スペイン・シナゴーグは、ムーア様式の豪華絢爛な内装が美しく、ユダヤ人の近代史に関する展示が行われています。それぞれの施設が、ユダヤ教の儀式で使われる銀製品や布製品、迫害の歴史、そして豊かな文化の側面を伝えており、ヨゼフォフを訪れる際には、ぜひ時間をかけて巡りたい場所です。

    プラハの美食を味わい尽くす – ボヘミア料理の誘惑

    プラハの旅の楽しみは、歴史的な建築物や芸術だけではありません。内陸国であるチェコの伝統的なボヘミア料理もまた、旅人のお腹と心を満たしてくれる大きな魅力です。肉料理が中心で、濃厚なソースと「クネドリーキ」と呼ばれる付け合わせが特徴。見た目は素朴ですが、滋味深く、どこか懐かしい味わいがします。そして何より、チェコといえばビールを語らずにはいられません。世界一のビール消費量を誇るこの国で、本場のピルスナーを味わう時間は、まさに至福のひとときです。

    グラーシュとクネドリーキ – チェコの家庭の味

    チェコのレストランに入れば、必ずと言っていいほどメニューに載っているのが「グラーシュ」です。もともとはハンガリー起源の料理ですが、チェコ風にアレンジされ、国民食として深く根付いています。牛肉をパプリカやスパイスでじっくりと煮込んだシチューで、ハンガリーのものよりは辛さがマイルドで、とろりとした濃厚な味わいが特徴です。

    そして、このグラーシュに欠かせないのが「クネドリーキ」。これはチェコ料理を象徴する付け合わせで、小麦粉やジャガイモを練って蒸した、いわば「茹でパン」です。ふわふわ、もちもちとした食感で、それ自体に強い味はありませんが、グラーシュの濃厚なソースをたっぷりと吸わせて食べると、その相性の良さに驚かされます。ソースを最後の一滴まで味わうための、最高のパートナーなのです。他にも様々な種類のクネドリーキがあり、フルーツを詰めてデザートとして食べるものもあります。

    スヴィーチコヴァー – 濃厚ソースが絶品の肉料理

    「スヴィーチコヴァー・ナ・スメタニェ(クリームソースの牛ヒレ肉)」は、結婚式などのお祝いの席でも出される、チェコを代表するご馳走です。柔らかくローストした牛ヒレ肉のスライスに、野菜(主に根菜)と生クリームで作った、甘酸っぱくクリーミーなソースがたっぷりとかかっています。

    その上には、ホイップクリームとクランベリーソース、そしてレモンのスライスが添えられるのが定番。肉と甘いクリーム?と最初は戸惑うかもしれませんが、一口食べればその絶妙なハーモニーの虜になるはずです。濃厚でありながら、クランベリーの酸味がアクセントとなり、意外なほどさっぱりと食べられます。もちろん、付け合わせはクネドリーキ。ソースをたっぷりと絡めて味わう、チェコならではの美食体験です。

    トゥルデルニーク – 街角で香る甘い誘惑

    プラハの街を歩いていると、どこからともなくシナモンの甘い香りが漂ってきます。その香りの元が、この「トゥルデルニーク」です。パン生地を長い棒にくるくると巻き付け、砂糖とクルミ、シナモンなどをまぶしながら炭火で焼き上げる、筒状の伝統的なお菓子です。

    焼き立ての熱々は、外側がカリッとしていて、内側はもちもち。素朴ながらも後を引く美味しさで、食べ歩きにぴったりです。最近では、この筒状の空洞にアイスクリームやチョコレート、フルーツなどを詰めた、豪華なバージョンのトゥルデルニークも大人気。旧市街広場をはじめ、市内の観光スポットの至る所に屋台が出ているので、甘い香りに誘われたら、ぜひ試してみてください。

    ビール文化 – ピルスナー発祥の地で味わう至福の一杯

    チェコは、ピルスナースタイルのビールが生まれた国。一人当たりのビール消費量は、長年にわたり世界一を記録しています。チェコ人にとってビールは、単なる飲み物ではなく、生活と文化に深く根付いた、いわば「飲むパン」のような存在です。市内の至る所にあるビアホール「ピヴニツェ」や「ホスポダ」では、老若男女がジョッキを片手に談笑する光景が日常的に見られます。

    プラハで飲むべきは、やはり「ピルスナー・ウルケル」。1842年にプルゼニュ(ピルゼン)で誕生した、世界中のピルスナーの元祖です。豊かなホップの香りと爽快な苦味、そしてクリーミーできめ細やかな泡は、ここでしか味わえない格別の美味しさ。他にも、ブドヴァル(バドワイザーの元祖)、スタロプラメン(プラハの地ビール)など、多種多様なビールが楽しめます。そして何より驚くのがその安さ。多くの場合、水やソフトドリンクよりもビールの方が安く、ビール好きにはまさに天国のような国なのです。

    プラハから足を延ばして – 日帰りで行ける魅力的な街

    プラハの魅力は尽きませんが、もし滞在に余裕があるなら、少し足を延ばして地方の美しい街を訪れてみることを強くお勧めします。チェコには「世界で最も美しい」と称される街や、ユニークな歴史を持つ街が点在しており、プラハとはまた違った感動を味わうことができます。公共交通機関も発達しており、日帰りで気軽に訪れることが可能です。

    チェスキー・クルムロフ – 世界で最も美しい町の一つ

    プラハからバスで約3時間。南ボヘミアに位置するチェスキー・クルムロフは、多くの人が「おとぎ話の世界」と表現する、息をのむほど美しい街です。ヴルタヴァ川がS字に大きく蛇行する川岸に、オレンジ色の屋根の家々が密集し、その小高い丘の上には巨大な城がそびえ立っています。この類まれな景観は、街全体がユネスコの世界遺産に登録されています。

    13世紀に築かれたこの街は、ヴィートコフツィ家、ロジェンベルク家、エッゲンベルク家、そしてシュヴァルツェンベルク家といった有力貴族によって統治され、ルネサンス、バロック時代に黄金期を迎えました。その時代の美しい街並みが、奇跡的にそのままの姿で保存されています。迷路のような石畳の路地を散策し、ルネサンス様式のフレスコ画で飾られた建物を眺め、チェスキー・クルムロフ城から街の全景を見下ろす。そのどれもが、忘れられない思い出となるでしょう。特に城の「マント橋」と呼ばれるアーチ橋からの眺めは絶景です。プラハの喧騒を離れ、中世の宝石箱のような街で、ゆったりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

    クトナー・ホラ – 銀の富と人骨教会の街

    プラハから電車で約1時間。クトナー・ホラは、かつて銀の採掘でプラハをもしのぐほどの富と繁栄を誇った街です。13世紀末に大規模な銀鉱脈が発見され、ヨーロッパ中の銀の3分の1を産出したと言われています。その莫大な富によって、街には壮麗な教会や豪華な建物が次々と建てられました。街の中心部も世界遺産に登録されています。

    この街のハイライトは、ゴシック建築の傑作である聖バルバラ教会です。銀鉱で働く鉱夫たちの守護聖女バルバラに捧げられたこの教会は、鉱山の富を象徴するかのように、天に向かって伸びる無数の尖塔とフライング・バットレス(飛び梁)が織りなす、ダイナミックで優美な外観が特徴です。

    そして、クトナー・ホラを世界的に有名にしているのが、郊外のセドレツ地区にある「納骨堂(コストニツェ)」です。一見すると普通の教会の地下ですが、内部には約4万人分もの人骨を用いて作られたシャンデリアや紋章、祭壇などが飾られており、見る者を圧倒します。ペストの流行やフス戦争で亡くなった人々の骨を整理するために作られたというこの空間は、不気味さの中に、死と向き合う人間の厳粛な祈りの形を感じさせます。銀の富が築いた華麗な教会と、死を芸術に昇華させた納骨堂。この対照的な二つの魅力を持つクトナー・ホラは、訪れる者に強烈な印象を残す街です。

    プラハ滞在を最高にするためのヒント

    素晴らしい旅は、良い準備から始まります。プラハの歴史や文化に心を馳せながら、現実的な旅のプランを練る時間もまた、旅の楽しみの一部です。気候や交通、習慣などを少し知っておくだけで、あなたのプラハ滞在はよりスムーズで、より豊かなものになるはずです。ここでは、あなたの旅を最高にするための、いくつかのヒントをお届けします。

    ベストシーズンと服装

    プラハは四季がはっきりしており、どの季節に訪れてもそれぞれの魅力があります。 春(4月~5月)は、街中の公園や庭園で花が咲き乱れ、気候も穏やかで散策に最適です。ペトシーン公園の桜並木は特に見事です。 夏(6月~8月)は、日も長く観光シーズン真っ盛り。世界中からの観光客で賑わいます。日中は暑くなりますが、夜は比較的涼しく過ごしやすいです。屋外のビアガーデンでビールを楽しむのも最高です。 秋(9月~10月)は、紅葉が街を彩り、落ち着いた雰囲気に。気候も安定している日が多く、歩きやすい季節です。 冬(11月~3月)は、寒さが厳しく雪が降ることもありますが、旧市街広場をはじめとするクリスマスマーケットは幻想的で、まるでおとぎの国に迷い込んだかのよう。ホットワイン(スヴァジャーク)で温まりながら散策するのも格別です。

    服装は、基本的に日本(東京)の季節感と同じように考えてよいでしょう。ただし、ヨーロッパの石畳は足に負担がかかりやすいため、歩きやすい靴は必須です。また、夏でも朝晩は冷え込むことがあるので、羽織れるものを一枚持っていくと安心です。冬は防寒対策を万全に。帽子、手袋、マフラー、そして滑りにくい靴を忘れずに準備しましょう。

    交通事情(トラム、地下鉄)

    プラハ市内の公共交通機関は非常に発達しており、地下鉄(メトロ)、トラム(路面電車)、バスが網の目のように街をカバーしています。これらを使いこなせば、主要な観光スポットへはどこへでも簡単に行くことができます。 乗車券は共通で、時間制(30分券、90分券など)や期間制(24時間券、72時間券など)があります。券売機やタバコ屋(Tabák)などで購入し、乗車時に必ず黄色い刻印機で打刻(ヴァリデーション)するのを忘れないでください。打刻がないと、検札官に見つかった際に高額な罰金を科せられます。 特にトラムは、車窓からプラハの美しい街並みを眺めながら移動できるのでおすすめです。ヴルタヴァ川沿いを走る路線や、プラハ城へ向かう路線は、それ自体が観光アトラクションのようです。

    チップの習慣と治安について

    チェコにはチップの文化があります。レストランでは、サービスに満足した場合、会計の10%程度を上乗せして支払うのが一般的です。会計時に合計金額をそのまま渡してお釣りをもらい、テーブルにチップを置く方法か、会計時に「〇〇コルナでお願いします」とチップ込みのキリの良い金額を伝えて支払うのがスマートです。タクシーでも同様に、料金の10%程度か、お釣りの小銭を渡すと良いでしょう。

    プラハの治安は、ヨーロッパの主要都市の中では比較的良好です。しかし、観光客を狙ったスリや置き引きは多発しています。特にカレル橋や旧市街広場、天文時計の前、混雑したトラムの中など、人が密集する場所では注意が必要です。バッグは前に抱える、貴重品は内ポケットに入れるなど、基本的な対策を怠らないようにしましょう。また、両替所でのレート詐欺や、親切を装って話しかけてくるスリ集団にも注意が必要です。安全に、そして心から旅を楽しむために、少しの警戒心を持つことを忘れないでください。

    旅の終わりに – プラハが教えてくれること

    ヴルタヴァ川に架かる橋をいくつも渡り、丘の上の城から街を見下ろし、迷路のような路地で迷子になる。プラハでの日々は、まるで美しい夢の中を歩いているかのようです。しかし、この街が私たちに語りかけるのは、ただ美しいだけの物語ではありません。ティーン教会の尖塔は天を指し、ヤン・フスの像は不屈の精神を湛え、ジョン・レノンの壁は自由への渇望を叫び続けています。

    この街の石畳の一つ一つが、栄光と悲劇、芸術と信仰、そして何度も立ち上がってきた人々の力強い足音を記憶しています。プラハを旅することは、その幾重にも折り重なった時間の層に触れ、歴史の息吹を肌で感じることなのです。旅が終わり、日常に戻ったとき、あなたの心の中にはきっと、プラハのオレンジ色の屋根と、ヴルタヴァ川の穏やかなきらめきが、鮮やかな一枚の絵として残っていることでしょう。そしてそれは、日々の生活の中でふと、あなたに小さな勇気とインスピレーションを与えてくれる、かけがえのない宝物になるはずです。

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    この記事を書いたトラベルライター

    SimVoyage編集部は、世界を旅しながら現地の暮らしや食文化を体感し、スマホひとつで快適に旅する術を研究する旅のプロ集団です。今が旬の情報から穴場スポットまで、読者の「次の一歩」を後押しするリアルで役立つ記事をお届けします。

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