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    混沌と浪漫が交差する辺境都市、パキスタン・ペシャワールの歩き方

    アフガニスタンとの国境、カイバル峠の麓に横たわる都市、ペシャワール。その名前を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、かつての紛争のニュースや、どこか近寄りがたい辺境のイメージかもしれません。シルクロードの交差点として、アレクサンダー大王の軍勢からムガル帝国の皇帝、そして大英帝国の兵士まで、数多の民族と文化がこの地を駆け抜けていきました。歴史の地層が幾重にも重なり、混沌としたエネルギーを放ち続ける街。それがペシャワールです。

    小学生の子どもを二人持つ父親として、普段は家族で楽しめる安全な観光地を紹介することが多い私ですが、心のどこかでずっとこの街に惹かれていました。文明の十字路で、人々は一体何を思い、どんな日常を生きているのか。画面の向こう側ではない、生身のペシャワールを感じてみたい。その衝動に駆られ、私はついにパキスタン北西部のこの街へと旅立ちました。この旅は、決して手軽なものではありません。しかし、そこで得られる体験は、他のどんな観光地でも味わえない、深く、そして強烈なものでした。この記事が、あなたの知らない世界の扉を開く、ほんの少しのきっかけになることを願って、私の旅の記録を綴ります。

    目次

    ペシャワールへ向かう前に:旅の準備と心構え

    ペシャワールへの旅は、思い立ったその日に気軽に向かえるものではありません。綿密な準備と、現地の文化を尊重する姿勢が、安全で充実した旅を実現するための重要なポイントとなります。ここでは、私が実際に行った準備内容や旅の中で強く感じた注意点を具体的にご紹介します。

    旅の許可証:ビザの取得

    まず最初に欠かせないのが、パキスタンのビザです。以前は大使館に直接赴く必要がありましたが、現在はオンライン申請が可能となり、格段に手続きがスムーズになりました。

    ポイント:ビザ申請の流れ パキスタンのビザは「Pakistan Online Visa System」の公式サイトから申請します。用意するものはパスポートのスキャンデータ、証明写真、ホテルの予約確認書などです。サイトの案内に沿って個人情報を入力し、必要書類をアップロード、最後にクレジットカードで申請料を支払います。審査には数日から数週間かかる場合があるため、出発の少なくとも1ヶ月前に申請しておくのが安心です。私の場合は申請から約1週間でe-VISAが発行されました。この承認メールは印刷してパスポートと一緒に大切に保管しましょう。

    ペシャワールへのアクセス

    日本からペシャワール行きの直行便はありません。一般的なルートは、まずパキスタンの首都イスラマバードへ向かい、そこから国内線や長距離バスで移動する方法です。私は中東の航空会社を利用し、イスラマバードに入国、その後国内線でペシャワールへ移動しました。飛行時間は約40分で、乾いた大地が眼下に広がる景色を眺めているうちにあっという間に到着します。

    陸路を選ぶ場合は、バスや乗合タクシーが選択肢になります。特に「ダイウー・エクスプレス」などのバス会社は比較的快適かつ安全とされていますが、所要時間はおよそ3〜4時間です。時間に余裕があり、パキスタンの車窓からの景色を楽しみたい方に適した方法かもしれません。

    お金に関すること:通貨と両替

    パキスタンの通貨はパキスタン・ルピー(PKR)です。日本での両替はレートが良くないため、現地到着後に両替するのが一般的です。イスラマバードやペシャワールの国際空港には両替所があり、まずはそこで当面の資金を交換するとよいでしょう。市内の中心部にも両替商が点在し、空港より若干良いレートで両替できる場合もあります。ただし、高額紙幣の偽札が出回ることもあるため、信頼できる店舗を選ぶことが肝心です。

    クレジットカードは高級ホテルや一部の大型レストランで利用可能ですが、旧市街の商店や食堂ではほとんど使えません。基本的に現金中心の社会だと考えたほうが良いでしょう。市内にはATMもありますが、カードがATMに吸い込まれたり現金が引き出せないトラブルも報告されているため、ATMに頼りすぎるのは避けたほうが賢明です。ある程度の現金を複数に分けて持ち歩くのが最も安全です。

    最重要ポイント:服装と安全対策

    ペシャワールが位置するカイバル・パクトゥンクワ州は非常に保守的な地域で、特に服装に細心の注意を払う必要があります。これは単なるマナーではなく、自身の安全を確保するための大切なルールです。

    ポイント:服装の指針と持ち物リスト

    • 女性の服装:最適なのは現地の女性が着る「シャルワール・カミーズ」と呼ばれる民族衣装です。ゆったりしたズボン(シャルワール)と膝下丈のチュニック(カミーズ)、そして「ドゥパッタ」と呼ばれる大判スカーフがセットになっています。肌の露出を完全に避け、体のラインを隠せるため、現地で目立たずに過ごせます。現地調達も可能で、不必要な注目を避ける助けになります。最低でも長袖とロングパンツ、髪を覆うためのスカーフは必ず持参してください。モスクに入る際は髪を完全に覆う必要があります。
    • 男性の服装:半ズボンやタンクトップは控え、長ズボンと襟付きのシャツやポロシャツが無難です。現地男性の多くはシャルワール・カミーズを着用しています。
    • 持ち物リスト
    • 常備薬:慣れている胃腸薬、頭痛薬、消毒液、絆創膏など。
    • 衛生用品:ウェットティッシュ、アルコールジェル、トイレットペーパー(現地のトイレには紙がないことが多い)。
    • 電子機器:モバイルバッテリー、カメラ用予備バッテリー、変換プラグ(パキスタンはCタイプまたはDタイプが主流)。
    • その他:強い日差し対策としてサングラスと日焼け止め、乾燥対策にリップクリーム、旅の記録用にノートとペン。

    そして何よりも安全情報の確認が不可欠です。出発前には必ず「外務省 海外安全ホームページ」で最新の情報をチェックしてください。渡航中止や退避勧告が出ている地域には絶対に近づかないことが大切です。

    また、ペシャワール市内や周辺地域での移動には、「NOC(No Objection Certificate)」と呼ばれる許可証が必要になる場合があります。これは外国人の行動管理と安全確保のためのもので、現地の旅行会社や信頼できるガイドを通して事前に取得する必要があります。個人で無計画に行動すると思わぬトラブルを招くリスクがあります。私自身は現地旅行会社に依頼し、空港送迎やガイド手配、必要な許可取得まで一括でお願いしました。これが結果的に旅の安全性と快適さを大いに高めることになりました。

    ペシャワールの鼓動:ガイドのジャミールさんと歩く旧市街

    ペシャワール空港に降り立つと、むっとするような乾いた空気が肌に触れました。到着ロビーで私の名前を掲げて待っていたのは、これから数日間案内してくれるガイドのジャミールさんでした。年齢は50代後半ほどに見えます。日に焼けた深い皺と鋭い眼差しが、その顔を特徴づけていました。そして、ほぼいつも口元にタバコをくわえていました。

    「タナカか」 「はい、田中です。よろしくお願いします」 「ジャミールだ。行こう」

    簡潔な挨拶を交わし、彼の運転する古びたスズキ・メヘランに乗り込みました。車が動き出すとすぐ、彼は新しいタバコに火をつけ、窓をほんの少し開けて煙を外へ流します。その仕草はあまりにも自然で、まるで呼吸の一部のようでした。無口で、やや近寄りがたい第一印象でしたが、このジャミールさんこそが私をペシャワールの深淵な世界へ導く案内人だったのです。

    物語の源泉:キッサ・カワーニー・バザール

    ペシャワールの中枢は「アンダル・シェヘール」と呼ばれる旧市街です。城壁に囲まれた複雑な路地には、人々やロバ、オートリキシャが入り混じり、スパイスの匂い、焼肉の煙、そして人々のざわめきが渦巻いています。ジャミールさんはこの喧騒の中心地、「キッサ・カワーニー・バザール」で車を降りました。

    「ここは『物語を語る市場』だ」と、彼はタバコの煙を吐きながらつぶやきました。かつて、中央アジアやインドからやってきた隊商たちがここに集い、焚火の周りで旅の話や故郷の物語を語り合っていたことが、その名の由来だそうです。今は吟遊詩人の声は聞こえませんが、お茶を飲みながら談笑する男たちの輪がところどころに見られました。

    私たちは、路傍の小さなチャイハネ(茶屋)の床に敷かれた絨毯に腰を下ろしました。頼んだのはこの地の名物「カワー」。緑茶をカルダモンや砂糖と共に煮出した、甘く芳香な一杯です。小さなガラスのカップで熱いカワーをすすると、市場の喧騒に耳を傾けました。荷物を背負ったロバの首輪から響く鈴の音、客寄せの店主のダミ声、子どもたちのはしゃぎ声。そうしたすべてが混ざり合い、この市場独自の賑やかな音楽を奏でています。

    「昔はもっと賑やかだった」とジャミールさんが口を開きました。「シルクロードのあらゆるものがここに集まっていた。アフガニスタンからはラピスラズリ、中国からは絹、インドからは香辛料。そして世界各地から様々な人々がいた。スパイに商人、兵士に巡礼者…誰もが独自の物語を持っていたんだ」

    彼の言葉に耳を傾けながら、私は目の前の光景にかつての隊商たちの幻を重ね合わせました。ラクダの列、異国語の応酬、夜を徹して続いたであろう語りの数々。この場所は今もなお、数多の小さな物語を生み出し続けているのかもしれません。

    時が止まった邸宅群:セーティー・モハッラ

    ジャミールさんに導かれ、私たちはキッサ・カワーニー・バザールの喧噪からさらに細い路地へと進みました。まるで時間旅行をしたかのような感覚に包まれたその場所が、「セーティー・モハッラ」でした。ここは19世紀に中央アジアとの交易で財を築いたセーティー一族が暮らした、7棟の豪華な邸宅群が立ち並ぶエリアです。

    外観は古びた土壁の家々に過ぎませんが、重厚な木製の扉を開けて中に入ると、そこには別世界が広がっていました。中庭を囲むように建つ邸宅の壁や天井、窓枠、バルコニーには非常に精緻な木彫りが施されています。幾何学模様や花の意匠がチークやシーシャムなど高級木材に見事に刻み込まれていたのです。鮮やかなステンドグラスから差し込む柔らかな光が、磨き込まれた床や壁の象嵌を照らしていました。

    「この木彫りには釘が一本も使われていない。すべてが組み合わせだけで組み上げられているんだ」とジャミールさんが説明してくれました。職人たちの根気強い手仕事と、それを支えたセーティー一族の莫大な富。栄華を誇った時代の空気が、埃の香りとともにこの空間に満ちています。いくつかの邸宅は修復され公開されていますが、多くは静かに朽ち果てるのを待つばかりの様子です。この美しさが失われる前に、できるだけ多くの人に見てほしいという強い願いを抱きました。

    職人の魂が息づく市場

    旧市街の探索は続きます。次に足を運んだのは、金属を打つ音が響く一帯。真鍮製品が並ぶ「ブラス・バザール」と、銅製品の「カッパー・バザール」です。大小様々な鍋、水差し、盆、ランプなどが店先から溢れんばかりに吊るされており、鈍い黄金色や赤銅色に輝いています。

    奥の工房では職人たちが黙々と金槌を振るい、金属板に繊細な模様を刻み込んでいました。カン、カン、というリズミカルな響きが、まるで市場のBGMのように場を満たしています。ここで売られている製品は単なるお土産ではなく、地元の人々が日常的に使う実用品です。だからこそ作りはとても丈夫で、デザインも派手すぎず、用の美を備えています。

    旅のお土産選びと値段交渉の心得 旅人ならば何か記念になる品を手に入れたくなるもの。私も小ぶりな銅製の水差しに惹かれました。ジャミールさんによれば、パキスタンの市場では値段交渉が当たり前で、コミュニケーションの一環だそうです。 「いいか、タナカ。相手が言う値段の半分くらいから交渉を始めるんだ。そこから少しずつ歩み寄る。焦らず、カワーでも飲みながら世間話をするくらいの余裕を持つといい」 彼のアドバイスに従い、店主とゆっくり話しながら交渉すると、最終的に納得のいく価格で購入できました。このやり取り自体が旅の楽しい思い出になります。無理な値切りは避けつつ、楽しみながら挑戦してみる価値は十分にあります。

    歴史の十字路を歩く:ペシャワールの史跡と博物館

    ペシャワールは、その地理的な特性ゆえに、たびたび歴史の激流に巻き込まれてきました。古代ガンダーラ王国の中心として仏教文化が栄え、イスラム勢力の到来後はムガル帝国の統治下に置かれ、近代にはイギリス領インドの重要な戦略拠点となりました。街のあちこちには、こうした多層的な歴史を物語る史跡が点在しています。

    白亜の輝き:マハバット・カーン・モスク

    旧市街の喧騒の中で、ひときわ壮麗な姿を見せるのが「マハバット・カーン・モスク」です。17世紀、ムガル皇帝シャー・ジャハーンの時代にペシャワール総督マハバット・カーンが築いたこのモスクは、細い路地の奥に現れる真っ白な大理石のミナレット(尖塔)を目にした瞬間の感動は今も鮮明に残っています。

    中庭に足を踏み入れると、その静謐な美しさに息を飲みます。中央には清めの泉があり、それを囲むように広い礼拝ホールが広がっています。壁や天井は赤、青、緑を基調とした緻密な幾何学模様や植物模様のフレスコ画で彩られており、まるで宝石箱の中にいるかのような華やかさを感じさせます。ラホールのバードシャーヒー・モスクほどの巨大さはありませんが、その繊細で優雅な装飾はムガル建築の洗練を極めていることを示しています。

    見る際のルールとマナー イスラム教徒にとって神聖な祈りの場所であるモスクを訪れる際は、敬意をもって行動することが求められます。

    • 入場: 入口で必ず靴を脱いでください。靴下は履いたままでも構いません。
    • 服装: 男女共に肌の露出は禁止されています。長袖と長ズボンの着用をお願いします。特に女性は、髪を完全に覆うスカーフ(ドゥパッタ)が必須です。もし忘れた場合でも、入口で貸し出されることがあります。
    • 行動: 礼拝中の人の前を横切ったり、大声で話したりするのは避けましょう。静かに、敬虔な心で見学してください。
    • 時間: イスラムの集団礼拝の時間帯(特に金曜日の正午)は信者以外の入場を控えるのが礼儀です。事前に時間を確認しておくと安心です。

    私が訪れたのは平日の午後で、数名の信者が静かに祈りを捧げているだけでした。中庭の冷たい大理石に腰を下ろし、壁面の美しい装飾を見つめていると、旧市街の喧騒が嘘のように遠のき、心が洗われるような穏やかな時間が流れていきました。

    ガンダーラ美術の宝庫:ペシャワール博物館

    ペシャワールを訪れる際に絶対に見逃せないのが、「ペシャワール博物館」です。英国統治時代、ヴィクトリア女王を記念して造られた赤レンガの趣ある建物の中に、この地域で発展したガンダーラ美術の世界屈指のコレクションが収められています。

    ガンダーラとは、紀元前1世紀から5世紀頃にかけて、現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部にかけて栄えた王国の名称です。ここではヘレニズム文化の影響を受け、初めて仏陀の姿を人間の形で表現した「仏像」が誕生しました。ギリシャ彫刻のような写実的な顔立ちや深く彫られた衣服のひだ。東洋の精神性と西洋の造形美が見事に調和したガンダーラ美術は、仏教美術史において非常に重要な位置を占めています。

    館内には、仏陀の生涯を描いたレリーフ(浮き彫り)や多様な姿の菩薩像、さらにストゥーパ(仏塔)から発掘された貴重な遺物が数多く展示されています。特に必見は、苦行により痩せ衰えた釈迦の姿を克明に描いた「断食するシッダールタ像」。浮き出る肋骨や窪んだ眼窩が、見る者に強烈な印象を与えます。

    博物館見学のポイント

    • 開館時間と休館日: 訪問前に公式サイトなどで最新情報を必ずご確認ください。季節や祝祭日で営業時間が変わったり、急に休館となる場合もあります。
    • 入場料: 外国人向けの料金区分があります。チケットカウンターで支払ってください。
    • 写真撮影: 多くの場合、写真撮影は許可されていますが、追加料金が発生することもあります。フラッシュの使用は文化財保護のため禁止されていることが多いので注意しましょう。
    • ガイド: 館内に公認ガイドがいることがあります。より深く理解したい場合は、ガイドをお願いするのもおすすめです。街の案内人ジャミールさんのようなガイドも、優れた説明をしてくれます。

    ジャミールさんは、各仏像の前で立ち止まりながら、タバコの火を消しつつ、その背後にある物語をゆっくりと語ってくれました。「この仏様はギリシャ人の顔つきをしているだろう? アレキサンダー大王が来たからだ。この地の人々は、遠い国の神々も自分たちの仏様も、みんな等しく受け入れてきたんだよ」。彼の言葉からは、ペシャワールという土地が持つ寛容さと複雑な歴史の本質が垣間見え、深く心に響きました。

    ペシャワールの味覚:パシュトゥーン料理の深淵へ

    旅の楽しみの大きな一つは、その地域独特の食文化に触れることにあります。ペシャワールの料理は、アフガニスタンに隣接していることから、パシュトゥーン人の食文化の影響が色濃く表れており、羊や鶏の肉を豪快に使ったスパイシーで力強い味わいが特徴です。ジャミールさんに案内されて訪れたのは、旧市街に位置する「ナマック・マンディ(塩市場)」と呼ばれるエリア。ここには、香ばしい煙が立ち上るレストランが軒を連ねています。

    炎が躍る豪快な肉料理

    店先では、大きな鉄鍋「カラーヒー」をリズミカルに扱う料理人たちの姿が目に入ります。彼らが調理しているのは、この地方を代表する料理「マトン・カラーヒー」。大ぶりに切った羊肉を、トマト、青唐辛子、ニンニク、ショウガ、たっぷりの動物性脂肪とともに強火で炒め煮にした一品です。味付けは単純ながらも、羊肉の深い旨味が凝縮されており、一度味わえば忘れがたい味わいとなります。

    さらに、ペシャワールを訪れたら必ず試すべき料理が「チャプリ・カバーブ」です。牛や羊の挽肉に刻んだタマネギ、トマト、コリアンダー、ザクロの種、さまざまなスパイスを混ぜ合わせ、大きな平たい円盤状にして鉄板で揚げ焼きにしたもの。日本のハンバーグとはまったく異なり、外側はカリッと中はジューシー。複雑なスパイスの香りとザクロの種のプチプチとした食感、時折感じる唐辛子の刺激的な辛さが一体となって口の中に広がります。

    これらの肉料理とともに欠かせないのが、石窯で焼き上げられた「ナーン」です。特に、ゴマがたっぷりと振りかけられた「ペシャワリ・ナーン」は、外はパリッと香ばしく、中はもちもちとした食感で、それだけでも十分なご馳走です。熱々のナーンでマトン・カラーヒーの肉やソースをすくいながら食べる、この上ない幸せを味わえます。

    衛生面の注意点 現地の美味しい料理を思う存分堪能するためにも、衛生面に気をつけたいものです。

    • : 生水の飲用は避け、必ず未開封のミネラルウォーターを飲むようにしましょう。レストランで提供される水も控えた方が安全です。
    • 食事: 信頼できる店を選ぶことが重要です。地元の人たちで賑わうお店は味もよく、食材の回転が早いため比較的安心です。必ず、十分に火が通った料理を選ぶよう心がけてください。
    • 手指の消毒: 食事前には、持参したウェットティッシュやアルコールジェルで手を清潔にする習慣をつけましょう。

    ジャミールさんは手づかみで巧みにナーンをちぎり、カバーブを口に運びながらこう語りました。「ペシャワールの人間は肉を食べる。力がなければ、この厳しい土地では生きていけないんだ」。彼の言葉の通り、この地の料理には、過酷な自然環境と複雑な歴史を乗り越えてきた人々のたくましい生命力が満ちあふれているように感じられました。

    禁断の道:カイバル峠への憧憬と現実

    ペシャワールについて語る際に、避けて通れないのが「カイバル峠」の存在です。南アジアと中央アジアを結ぶこの戦略的な峠道は、古くから文明や軍勢が往来する重要な要所でした。アレクサンダー大王、チンギス・ハーン、バーブルといった歴史的な征服者たちが、この峠を越えていきました。私もまた、伝説の道を一目見たいという強い憧れを抱いていました。

    しかしながら、ここで非常に大切な注意点をお伝えしなければなりません。

    【重要】カイバル峠訪問にあたっての注意 現在、カイバル峠および周辺の旧連邦直轄部族地域(FATA)は、治安が非常に不安定であり、外国人旅行者が自由に立ち入ることは認められていません。外務省の海外安全情報では、この地域に対して最高レベルの「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」が発令されています。理由の如何を問わず、自己判断でこの地域に近づくことは絶対に避けてください。

    どうしても公式な目的で訪れる必要がある場合には、パキスタン政府から特別な許可(NOC)を取得し、武装した護衛を伴うなど、厳重な安全対策が不可欠です。これらの手続きは非常に複雑で、信頼できる現地の旅行代理店を通じて慎重に進めることが求められます。

    私自身の旅においても、カイバル峠そのものへ立ち入ることは叶いませんでした。ジャミールさんは「今は無理だ。昔は行けたのだが…お前の安全が第一だ」と、明確に断言しました。

    峠の入口に立つ:ジャムルード城塞

    しかし私の「せめて雰囲気だけでも感じたい」という願いを汲み取り、ジャミールさんは許可が下りる限界地点であるカイバル峠入り口の「ジャムルード城塞」まで車を走らせてくれました。ペシャワールから西へ向かい、アフガニスタンへ続くハイウェイを進むと、荒野の中に船のような形をした土色の大きな城塞が姿を現します。

    この城塞は19世紀、シク王国の名将ハリ・シン・ナルワによって築かれ、カイバル峠を見張る重要な拠点でした。城壁の上にはパキスタン国旗がはためき、周囲には検問所が設けられていて、厳戒態勢が感じられます。私たちは城塞手前で車を停め、その堂々たる姿を遠目に見つめました。

    「あの道の向こうがアフガニスタンだ」

    ジャミールさんは、城塞脇を抜ける道を指さしながら静かに話しました。その道は乾いた山々の間へと続き、何千年もの間、数え切れない人々が希望や夢、あるいは絶望を胸にこの道を越えてきました。道の先には、今も混乱の続く国が広がっています。道の両側にはアフガニスタンからの難民キャンプや密輸市場が点在していると彼は教えてくれました。

    ジャミールさんは煙草を深く吸い込みながら語りだしました。「俺の父はよくラクダの隊商を組んで、この峠を越えてカブールまで絨毯を売りに行っていた。あの頃は国境なんてほとんどなかったんだ。今は…鉄条網と軍人だけだ」。彼の横顔には、失われた時代への郷愁とどうにもならない現実への諦めが見えました。

    カイバル峠には足を踏み入れられませんでしたが、ジャムルード城塞の前に立ち、アフガニスタンへ伸びる道を眺めることで、ペシャワールが常に国境と共に生き抜いてきたことを実感できました。それは華やかな観光地では味わえない、重くも貴重な体験でした。

    緊急時の対応について 万が一、パキスタン滞在中にトラブルに巻き込まれたり、緊急の支援が必要になった場合は、ためらわずに在パキスタン日本国大使館へ連絡してください。出発前には大使館の連絡先(住所・電話番号)を必ず控えておきましょう。また、外務省の海外渡航登録サービス「たびレジ」に登録しておくことで、現地での緊急事態発生時に情報提供や安否確認を受けられます。安全は何よりも重要です。備えは万全にしておきましょう。

    混沌の先に見た、人間の温かさ

    数日間のペシャワールでの滞在を終え、いよいよ帰国の日を迎えました。ジャミールさんの車に乗り込み、空港へ向かう途中、私は窓の向こうに広がる街並みを無言で見つめていました。ロバが荷車を引き、色彩豊かな「デコトラ」がクラクションを鳴らしながら走り、シャルワール・カミーズを身につけた人々が慌ただしく行き交う光景。最初に見たときと変わらぬ、混沌とした日常の風景が広がっています。

    とはいえ、私の心のなかでこの街への印象は大きく変化していました。初めはただ圧倒されるばかりだった喧騒も、今ではそこで生きる人々の逞しい生活の息吹だと感じられます。保守的で近づきがたいと感じていた人々も、実際には照れながらも親切で、目が合えばにっこりと笑みを返してくれる温かさを持っていました。

    空港の出発ロビーにて、ジャミールさんと最後の握手を交わしました。 「ジャミールさん、本当にお世話になりました。あなたがいなかったら、これほど深い旅はできませんでした」 「仕事だからな」と、彼はいつものようにぶっきらぼうに答え、新しいタバコに火をつけました。少し間を置いたのち、ふっと表情を和らげてこう言ったのです。 「タナカ、また来いよ。今度はお前の息子たちも連れてこい。もっと安全になったらな。カイバル鉄道の古い蒸気機関車を見せてやる」

    その言葉が私の胸に深く響きました。タバコばかり吸う無愛想なガイド。しかしその内面には、自分の故郷への誇りと、未来へのささやかな希望、そして私のような旅人を思う温かな心があることを、最後の瞬間で確信しました。

    ペシャワールは、誰もが気軽に訪れられる場所とは言えないかもしれません。旅には常に緊張感がつきまとい、文化の違いに戸惑うこともあるでしょう。家族旅行の専門家として、簡単に「家族におすすめです」とは言い切れません。

    しかし、もしあなたがありきたりの観光地では物足りなく、世界の多様性や歴史の躍動感を肌で感じたいと願うなら、この街はきっと期待を裏切りません。混沌の中にこそ、人間本来の強さと優しさが隠されているのです。ペシャワールの旅は、私にそれを教えてくれました。

    いつかジャミールさんとの約束を果たす日が来ることを願って。そして、私の子どもたちが成長したとき、この複雑でありながら魅力に満ちた世界の姿を、自分の言葉で伝えられる父親でありたい。そんな思いを胸に、私はペシャワールを後にしました。

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    この記事を書いたトラベルライター

    小学生の子どもと一緒に旅するパパです。子連れ旅行で役立つコツやおすすめスポット、家族みんなが笑顔になれるプランを提案してます!

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