乾いた風が、どこまでも広がる草原を吹き抜けていく。遠くにはなだらかな丘陵が連なり、その風景はあまりにものどかで、穏やか。けれど、私の足元には、およそ2000年以上もの時を超えて横たわる、巨大な石の壺たちが無数に点在しているのです。ここが、ラオス北東部に位置するシエンクアン県の「壺の平原(Plain of Jars)」。誰が、いつ、何のためにこれほど多くの石壺を造ったのか、その多くは今も謎に包まれています。
静寂に満ちた古代のミステリー。しかし、この土地の記憶はそれだけではありません。足元をよく見れば、地面が不自然に窪んだ巨大なクレーターが、まるで大きなえくぼのように点在していることに気づくでしょう。それは、20世紀にこの地を襲った戦争の、生々しい傷跡。ベトナム戦争の時代、ラオスは歴史上「世界で最も激しい爆撃を受けた国」となり、とりわけこのシエンクアンは、おびただしい数の爆弾が投下された場所なのです。
古代の謎と、近代の悲劇。二つの異なる時代の記憶が重なり合うこの大地に立ったとき、私は不思議な感覚に包まれました。これは単なる遺跡観光ではない。過去の記憶をたどり、この土地が歩んできた破壊と再生の物語に触れる、魂の旅なのだと。
なぜ人は、かくも巨大なものを造り、そしてかくも無慈悲に破壊するのか。その両極端な人間の営みが刻まれたシエンクアンの平原で、私は「記憶」と「再生」をテーマにした旅を始めました。この記事が、あなたの次なる旅の、そしてまだ見ぬあなた自身の物語への扉を開くきっかけとなれば幸いです。
このような「記憶」と「再生」を巡る旅は、聖域が戦場となった国境紛争の真実を伝える別の物語へと、あなたを誘うかもしれません。
謎多き石壺たちのささやき

シエンクアン県の県都ポーンサワンから車を走らせると、突然目の前に不思議な光景が広がります。緑豊かな平原や丘の上に、まるで巨人たちが宴の後に置き忘れたかのような巨大な砂岩の壺が点在しています。これが2019年にユネスコの世界遺産に登録された「巨石壺のあるシエンクアンの平原遺跡群」です。
これらの壺は、紀元前500年から紀元後500年ごろの鉄器時代に造られたと考えられていますが、その正確な用途は依然として謎に包まれています。有力な説の一つに、死者の骨壺や棺として使われたという「葬儀説」があります。実際、いくつかの壺の周辺からは人骨や副葬品が発見されています。また、地元の伝承では、古代の王が戦勝祝いのために造らせた酒壺「ラオ・ラーオ」用の壺であったとも語り継がれています。
地面に根を降ろすかのように佇むその姿は、有機的で、一つひとつが異なる表情を持っているように感じられます。角張ったものもあれば、丸みを帯びたものもあり、風雨に磨かれて滑らかな形状のものもあります。アパレルの仕事を通じて多様なテキスタイルやシルエットに触れてきましたが、これらの石壺の持つ自然で力強いフォルムは、計算し尽くされていないがゆえに、どんなデザイナーも敵わない原始的な美しさを備えていると感じさせられます。
壺の平原はシエンクアン県内に90か所以上点在していますが、観光客が安全に訪問できるのは、不発弾の撤去作業が完了した限定された数か所のみです。その中でもとくに主要な遺跡が「サイト1、2、3」と呼ばれる三つのスポットです。
サイト1:王の広場
最も規模が大きく、訪れる観光客が必ず訪れるのがサイト1、通称「ハイ・ヒン・プー・クン」です。ポーンサワンの街から南西へ約15km、トゥクトゥクをチャーターすれば約30分でたどり着きます。ここには300以上の石壺が広大な平原に密集しており、その壮観な景色は圧巻です。最大の壺は高さ2.5メートル、重量は10トンを超え、その存在感に圧倒されてしまいます。
サイト1の入口で入場料(現在は約15,000キープ、変動あり)を納め、インフォメーションセンターを抜けると、壺が点在する丘が眼前に広がります。センター内では壺の平原の歴史や不発弾問題に関する展示があり、訪れる前にぜひ立ち寄って背景を理解することをおすすめします。
丘を登ると、大小さまざまな壺が、まるで意思を持っているかのように多方向を向いて配置されています。その間を歩くと、自分が小人になったかのような不思議な感覚を味わえます。最も心を揺さぶられるのは、この地に無数に残る爆弾クレーターの存在です。緑の草に覆われ一見ただの窪地に見えますが、かつてこの場所を焼き尽くした爆撃の痕跡だと思うと胸が締め付けられます。
丘の頂上付近には自然洞窟「タム・チュー」があります。ここは第二次ラオス内戦中にパテート・ラオの兵士たちが指令所として使用していた場所です。伝説ではこの洞窟で壺を焼いたとも言われていますが、実際には火葬場として用いられた可能性も指摘されています。洞窟の天井に開いた爆撃の穴から差し込む光は、この地が歩んだ歴史の光と影を象徴しているかのようでした。
サイト2、3:丘陵に点在する静寂の地
サイト1の壮大な雰囲気とは対照的に、サイト2とサイト3はより静かで瞑想的なムードが漂います。ポーンサワンから南へ約25km、サイト1からさらに南下した場所に位置し、トゥクトゥクを一日チャーターすれば効率よく三つのサイトを巡ることが可能です。
サイト2は美しい松林に囲まれた二つの丘に分かれて壺が点在しています。木漏れ日が壺の表面を優しく照らし、時が止まったかのような静けさが広がっています。観光客もサイト1に比べて少なく、ゆったりと古代のロマンに浸りたい人には理想的な場所です。木陰で腰を下ろし、風の音に耳を澄ませながら、この壺たちが悠久の時を経て何を見つめてきたのか思いを馳せる、そんな贅沢なひとときを楽しめます。
サイト3は田園風景を見渡す小高い丘の上に位置し、のどかな農村の景色の中に点在する石壺がまるで絵画のように広がっています。牛が草を食むすぐそばに古代遺跡があるという、日常と非日常が溶け合う光景はラオスらしい情感を残し、心に深く刻まれました。訪れる道はやや悪路で、小さな橋を渡る必要があり、ちょっとした冒険気分も味わえます。
これらの遺跡を訪れる際は、必ず整備された路面を歩いてください。道の脇には不発弾撤去が完了したエリアを示す赤と白のマーカーが設置されています。白いマーカー側が安全区域、赤いマーカー側は未処理で危険なゾーンです。決してマーカーを超えて茂みの中へ入らないでください。これは訪問者の安全を守るための、この地との最も基本的かつ重要な約束事です。
“最も爆撃された国”の爪痕
壺の平原には不思議な魅力が漂っています。しかし、この地を訪れる際に決して無視してはならないもう一つの側面があります。それは、ベトナム戦争時代に刻まれた深い戦争の傷跡です。
1964年から1973年にかけて、隣国ベトナムで起きた戦争は、中立であったはずのラオスにも暗い影を投げかけました。北ベトナムへの補給線である「ホーチミン・ルート」を断つために、アメリカはラオス国内で大規模かつ集中的な空爆を実施しました。この作戦は公式には認められず、「秘密戦争(Secret War)」と呼ばれています。
9年間で投下された爆弾の総量は200万トンを超え、これは第二次世界大戦中にヨーロッパと太平洋地域で投下された爆弾の総量に匹敵すると言われています。当時のラオスの人口で割ると、一人あたり約1トンの爆弾が降り注いだ計算となり、ラオスは「人口比で最も多く爆弾を投下された国」という痛ましい称号を負いました。
特に激しい爆撃が集中したのが、戦略的に重要なシエンクアン県です。
UXO:今もなお残る負の遺産
戦争は終わりましたが、その影響はラオスの大地に深く根付いたままです。投下された爆弾のうち、約30%が不発弾(Unexploded Ordnance、略称UXO)として現在も残っていると推定されており、およそ8000万発にも上ります。特にクラスター爆弾の子爆弾「ボムビー」は大きさがテニスボールほどで、子どもたちがボールと間違えて触ってしまう事故が絶えません。
農作業中に鍬が不発弾に触れたり、家を建てるために土を掘り起こしたり、あるいは焚き火の熱で爆発が起きたりと、UXOは日常生活の中に潜む見えない脅威となっています。私たちが壺の平原を安全に歩けるのは、MAG (Mines Advisory Group)をはじめとした専門の除去団体が、膨大な時間と労力をかけ地道な作業を続けているおかげです。
私がこの旅で徹底したのは、ガイドや地元の人が「安全」と認めた場所から決して外れないことです。特に壺の平原では、白いマーカーで示された道やエリアから一歩も踏み出しませんでした。好奇心で茂みに入ったり、見慣れない金属片に触れたりしないことは、観光客として守るべき最低限のルールであり、自らの命を守るための重要な心得です。この地の歴史に敬意を払うことは、その痛みを理解し、危険を冒さない責任ある行動をとることに他なりません。
クレーターと共にある風景
サイト1を歩いていると、石壺のすぐ隣に美しい円形の大きな窪みが目に入ります。これはB52爆撃機が投下した大型爆弾によるクレーターです。初めて目にした時、その圧倒的な大きさと数の多さに言葉を失いました。緑の草に覆われ、雨水が溜まって小さな池のようになっている場所もあり、牛が水を飲みに集まるその様子は、一見すると穏やかな平和の光景です。
しかし、これは真の平和の象徴ではありません。かつて破壊の象徴であったクレーターが、時を経て大地に潤いをもたらす水場へと変わり、新たな生命が育まれる場所となっているのです。これこそが、この地の「再生」の物語なのだと実感しました。人々は消しがたい過去の傷跡を憎むのではなく、日常の一部として受け入れ共に生きているのです。
巨大な石壺が古代人の「生と死」の記憶をとどめているとすれば、無数のクレーターは近代に生じた「破壊と再生」の記憶を刻んでいます。異なる時代の記憶が一つの風景に溶け合うという、この対比こそがシエンクアンを唯一無二の場所にしているのです。その光景を前に、私は静かにカメラのシャッターを何度も切りました。ファインダーの先に映るのは、悲劇の跡地ではなく、それでもなお力強く未来へ進もうとする大地の意志そのものでした。
記憶の地を歩くための旅支度

シエンクアンへの旅には、ほかの観光地への訪問とは少し異なる心構えと事前準備が求められます。ここでは、私が実際に行った具体的な準備や手配についてご紹介します。この記事を通じて、あなたが安心して「記憶と再生の旅」に出発できる一助となれば幸いです。
アクセス方法:空路と陸路
シエンクアン県への主要な入口は、県都ポーンサワンに位置するシエンクアン空港です。
- 空路: 首都ビエンチャンからラオス国営航空の定期便が毎日運航されており、所要時間はおよそ40分です。時間を節約したい方や快適な移動を望む方には、空路が断然おすすめです。特に乾季の終わりから雨季にかけては、山道のコンディションが悪化することも多いため、飛行機の利用がより確実です。チケットはラオス国営航空の公式サイトや複数の旅行比較サイトで早めに予約すると良いでしょう。
- 陸路: ビエンチャンや歴史あるルアンパバーンから長距離バスが運行されています。
- VIPバス: リクライニングシートや寝台タイプの快適なバスで、ビエンチャンからは約10〜12時間、ルアンパバーンからは約8時間の乗車です。夜行便を利用すれば移動中に眠れるため、時間を有効活用できます。ただし、ラオスの道路はカーブの多い山岳地帯が中心のため、乗り物酔いしやすい方は酔い止め薬を用意しましょう。
- ローカルバス: コストを抑えたい方には安価なローカルバスもありますが、座席は狭く、頻繁に停車するため所要時間が長くなります。地元の雰囲気を味わいたい体力と根気のあるバックパッカー向けと言えます。
私は今回、行きはルアンパバーンからVIPバスを利用し、帰りはポーンサワンからビエンチャンへ飛行機で移動しました。バスの車窓から眺めるラオスの山々の景色は素晴らしく、時間はかかるものの、豊かな自然を直接感じられる貴重な体験となりました。バスのチケットは現地の旅行代理店やバスターミナルで、前日までに購入するのが一般的です。
滞在の拠点、ポーンサワンの街
ポーンサワンは、壺の平原を訪れる旅行者の拠点として機能しています。かつて戦争によって一度瓦礫と化しましたが、その後再建されたため、街並みは比較的新しく、ラオスの他の街とは異なる独自の雰囲気を持っています。
街のメインストリート沿いには、ゲストハウスやホテル、レストラン、ツアー会社が軒を連ねており、宿泊に困ることはありません。私は清潔で評判の良い中級クラスのホテルに滞在しましたが、手頃な価格のゲストハウスも数多くあります。夜間は比較的静かで治安に問題を感じることはありませんでした。ただし、世界中どこでも同様ですが、夜の一人歩き、特に暗い路地への立ち入りは避けるべきです。
街の中心部には、UXO(不発弾)の残骸を展示しているレストランや店舗もあり、この地が戦争の記憶を今に伝えていることを実感させます。
壺の平原めぐりの手配
ポーンサワンに到着したら、いよいよ壺の平原巡りの準備にとりかかります。主に以下の2通りの方法があります。
- ツアーに参加する: 街のホテルや旅行代理店で開催される日帰りグループツアーが最も手軽で安心です。一般的にはサイト1、2、3を巡り、ランチ付きのプランが多くあります。英語ガイドが同行し、歴史的背景や不発弾に関する注意事項を解説してくれるので、初めて訪れる方には特におすすめです。料金も手頃で、他の旅行者と交流できる点も魅力です。
- 個人手配する: 自分のペースで自由に回りたい方は、トゥクトゥクを一日チャーターするか、バイクをレンタルする方法があります。
- トゥクトゥクチャーター: 私はこちらの方法を選びました。ドライバーと話し合いながら訪れたいサイトを伝え、料金を決めます。相場はサイト1〜3を巡って一日300,000〜400,000キープ程度(変動あり)です。重要なのは出発前に料金と行程についてきちんと合意を得ること。笑顔を忘れず、丁寧に話すとスムーズです。信頼できるドライバーを見極めましょう。
- バイクレンタル: より自由度が高い一方で、ラオスの交通事情に慣れている中級者以上向けです。国際運転免許証が必要で、ヘルメット着用は必須です。壺の平原へ向かう幹線道路は舗装されていますが、サイト2や3周辺は未舗装の悪路もあるため、走行には十分な注意を払ってください。万が一のトラブル(例えばパンク)に対応できる技術も求められます。
各サイトでは入場料が必要で、現地のチケット売り場でラオス・キープの現金払いとなります。小額紙幣を用意しておくと支払いがスムーズです。
持ち物リストと服装についてのアドバイス
安全かつ快適に旅をするため、実際に持参して役立ったものと服装のポイントをお伝えします。
- 持ち物リスト:
- 歩きやすい靴: スニーカーやトレッキングシューズは必須です。遺跡内の道は未舗装や草地の箇所もあります。
- 日差し対策グッズ: 帽子、サングラス、日焼け止めクリームは絶対に忘れないでください。平原は日陰が少なく強い日差しを遮る場所がほとんどありません。
- 羽織もの: 朝晩は冷える場合があるため、薄手のジャケットやパーカーを用意しましょう。
- レインウェア: 雨季(5月〜10月頃)に旅行する場合は、折りたたみ傘やレインコートが必携です。乾季でもスコールに遭うことがあります。
- 飲み水: 熱中症防止のため、十分な量の水を常に携帯してください。各サイトで売店がある場合もありますが、確実に確保するために持参がおすすめです。
- 虫除けスプレー: 特に夕方は蚊が多いので用意しましょう。
- ウェットティッシュや除菌ジェル: 衛生面で重宝します。
- カメラ: このかけがえのない風景を記録するために。予備バッテリーやメモリーカードも忘れず持って行ってください。
- 現金: 入場料や飲み物代はクレジットカードが使えない場面が多いため、ある程度のラオス・キープ現金を準備しておきましょう。
- 服装のアドバイス:
壺の平原に特別な服装規定はありませんが、この場所は神聖な遺跡であり、戦争で命を落とした方々の眠る地でもあります。過度な肌の露出(タンクトップやショートパンツなど)は避け、敬意を表した服装を心掛けることが旅人のマナーです。特に女性は、肩や膝を隠した服装が無難です。ロングスカートやゆったりしたパンツは涼しげで動きやすく、日焼け対策にもなります。私はリネン素材のワイドパンツに薄手のコットンシャツを合わせ、汚れても差し支えない動きやすい服装を選びました。
女性一人旅の安全対策
今回、私は女性ひとりでこの地を訪れました。ラオスの人々は穏やかで親切ですが、どこへ行っても基本的な注意を怠らないことが大切です。
- 夜間の一人歩きは控え、日が暮れたらトゥクトゥクなどを利用して宿泊先に戻りましょう。
- トゥクトゥクの交渉は明るい人通りの多い場所で行うのが安全です。
- 貴重品は複数に分けて携帯し、大金やパスポートはホテルのセーフティボックスに預けること。外出時は斜め掛けバッグを身体の前でしっかり抱えるように持ちましょう。
- 宿泊先の連絡先や住所を必ず控えておくこと。
- 現地SIMカードを購入するか、海外ローミングを利用して常に通信手段を確保してください。
これらの基本的な安全対策を守れば、女性一人でもシエンクアンの旅を安全かつ楽しく満喫できるはずです。大切なのは、常に周囲に注意を払い、危険を未然に察知して行動することです。
鉄の雨が降った大地で、今を生きる人々
シエンクアンの旅は、単に過去の遺跡や戦争の跡を訪ね歩くだけでは終わりません。この旅の核となるテーマ「再生」を最も肌で感じさせるのは、鉄の雨が降り注いだこの大地の上で、たくましく生き抜く人々の姿そのものです。
UXOから生まれるアートと日用品
ポーンサワンの街を歩くと、驚くべき光景に出くわします。家の土台が爆弾の巨大な薬莢で作られていたり、庭のプランターが爆弾のケースだったりするのです。レストランで使われているスプーンは、爆撃機の残骸であるアルミニウムを溶かして作られています。
これらは戦争の記憶を風化させないモニュメントであると同時に、過酷な現実に直面する人々が編み出した、驚くべき知恵と創造性の結晶でもあります。土地を焼き尽くし、家族や友人の命を奪った憎むべき鉄の塊が、日常の道具や平和への願いを込めたアクセサリーへと生まれ変わっているのです。
マーケットのお土産屋さんには、不発弾の破片から作られたブレスレットやキーホルダーが所狭しと並びます。一見すると不謹慎だと感じるかもしれませんが、これは単なる土産物ではありません。過去の悲劇を乗り越え未来を築く人々の強靭な精神の象徴であり、訪れる私たちが彼らの「再生」の物語に触れるひとつの方法だと理解しました。もちろん、これらの商品を購入する際には、その売上が不発弾除去や被害者支援につながる信頼のおける店舗を選ぶことが重要です。
UXOを再利用したこれらのプロダクトは、私に多くの示唆を与えてくれました。ファッション界における「アップサイクル」、つまり古いものに新たな価値を与える思想がありますが、この事例はまさにその極致です。最もネガティブな「破壊」の象徴が、人々の手によって最もポジティブな「創造」の道具へと生まれ変わっている。この過程自体が、シエンクアンが持つ再生のエネルギーを語っているように感じられました。
MAGビジターセンターで学ぶ
ポーンサワンの街の中心部には、不発弾除去を行う国際NGO、MAG(Mines Advisory Group)のビジターセンターがあります。ここはシエンクアンを訪れる人すべてにぜひ立ち寄ってほしい場所です。
入場は無料で、除去された不発弾の実物や作業の様子を伝える写真、被害者のストーリーなどが展示されています。展示は決して感情を煽るものではなく、淡々と、しかし力強くこの地域が抱える問題の深刻さを伝えています。
テニスボールほどの大きさでカラフルな「ボムビー」が、いかに子どもたちの興味を惹きやすいか。農作業に従事する人々がいかに危険と隣り合わせで暮らしているか。そして専門チームがどれほど慎重かつ危険な作業を日々続けているか。映像や展示を通じて、壺の平原の美しい風景の裏に潜む厳しい現実を突きつけられます。
このビジターセンターでは、活動支援のための寄付を受け付けるほか、Tシャツなどオリジナルグッズの販売も行っています。収益はすべて不発弾除去活動に使われます。ここでTシャツを購入し、少額であっても寄付をすることは、私たち旅行者がこの地の「再生」を具体的かつ意義ある形で支援することにつながります。私自身も旅の記念と支援の思いを込めて一枚のTシャツを買いました。帰国後もそのTシャツを着るたび、シエンクアンの大地と人々のことを思い起こします。なお、日本政府も草の根・人間の安全保障無償資金協力などを通じてMAGの活動を支援しており、その繋がりを知ることもこの問題をより身近に感じる一助となりました。
シエンクアンの食文化
悲しい過去を背負った土地ですが、人々の暮らしには温かな日常が息づいています。旅の楽しみのひとつである「食」も、この土地の生命力を強く感じさせてくれました。ポーンサワンのレストランでは、ラオス料理の定番を味わえます。
もち米の「カオニャオ」を指で丸め、ハーブが香るひき肉サラダ「ラープ」や、ピリッと辛いパパイヤサラダ「タムマックフン」と共にいただきます。炭火で焼き上げた魚や鶏肉も格別の美味しさです。朝には、優しい味わいの米麺「フー」が冷えた体をじんわりと温めてくれます。
特に印象に残ったのは、地元市場の活気です。新鮮な野菜や果物、川魚、香辛料がぎっしりと並び、活発な人々の声が飛び交っています。並ぶ山菜やハーブは日本ではあまり見かけないものも多く、この土地の豊かな自然を物語っています。戦争は多くを奪いましたが、すべてを失わせたわけではありません。人々は豊かな大地に根を下ろし、その恵みを受けて日々の食卓を囲み、笑い合いながら生きているのです。このごく普通の光景こそが、シエンクアンの旅において最も深く心に響く「再生」の証に思えました。
壺が語るもの、大地が記憶するもの

シエンクアンを巡る旅を終え、ポーンサワンの空港から飛び立つ飛行機の小さな窓越しに、眼下に広がる広大な平原をじっと見つめていました。緑豊かな大地のあちこちに点在する石壺と、それらを取り囲むかのように広がる無数のクレーター。そこにはまるで、古代と現代という二つの時代の地層が透けて見えているかのような景色が広がっていました。
旅に出る前、私は壺の平原を単なる「謎に包まれた古代遺跡」として捉えていました。しかし、実際にその地に立ち、その空気を胸いっぱいに吸い込み、歴史の片鱗に触れた今、私の認識は根本から覆されました。ここはまさに、過去の記憶が重なり合い、折り重なった巨大な記憶装置のような場所なのです。
石壺は、2000年以上の長い年月にわたり、この地の人々の生と死、儀式や祈りを静かに見守ってきました。その無言の存在は、人間の営みの壮大さと儚さを静かに物語っています。風や雨に耐え、悠久の時を刻んできたその姿は、私たちに根源的な問いを投げかけます。「あなたは何を残し、何を記憶していくのか」と。
一方で、大地を刻むクレーターは、ごく最近の50年ほど前に起きた人間の愚行と破壊の記憶を鮮烈に伝えています。その光景は目を背けたくなるような痛ましいものです。けれども、シエンクアンの人々はその記憶を押し隠すことなく、正面から受け止め、ともに生きる道を選びました。クレーターはやがて水たまりとなり、爆弾の残骸は日常の道具へと姿を変える。破壊の中から新たな創造を生み出す、その力強さこそが、この土地が示す真の「再生」の姿なのです。
古代の謎と近代の悲劇。一見、両者は相容れない要素のように思えますが、シエンクアンでは奇跡的に共存し、訪れる者に深い考察を促します。ここは、美しい風景を眺めて満足するだけの観光地ではありません。旅人に歴史、戦争、そして人間の生き方について、静かに、しかし鋭く問いかけてくる場所なのです。
この旅は私にとって、単にラオスの一地方を訪ねることを超えた意味を持ちました。記憶とは何か、再生とは何か。そして私たちは過去の過ちから何を学び、どう未来へ繋いでいくべきか。そうした普遍的なテーマを自分の心と体で感じ取り、考える貴重な時間となったのです。
もしあなたが、日常から少し距離を置き、自分自身と、人類が歩んできた道のりに向き合う旅を望むなら、ぜひラオスのシエンクアンを訪れてみてください。そこには、巨大な石壺が守り続けてきた静かな時の流れと、戦争の傷跡を乗り越えて力強く生きる人々の息吹が満ちています。乾いた風が草原を渡り、石壺の間を吹き抜けていくそのとき、あなたもきっと、この大地が記憶する声なき声に耳を傾けることでしょう。そしてその旅は、あなた自身の心の奥底に眠る「記憶」を掘り起こし、新たな「再生」へと歩み出す、忘れ得ぬ一歩となるに違いありません。









