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    美食の摩天楼、香港へ。スパイスハンターが挑む、魂を揺さぶる食の迷宮

    ネオンの光が湿度を帯びた空気に滲み、広東語の喧騒と得体の知れない香辛料の匂いが混じり合う街、香港。ここは、東洋と西洋が奇跡的なバランスで融合し、過去と未来が同じ路地裏で肩を寄せ合う、世界でも類を見ないカオスティックな都市です。高層ビルが天を突き刺す一方で、その足元には人々の生々しい営みが渦巻いている。この街の鼓動、そのエネルギーの源泉こそが、今回私が探求する「食」に他なりません。香港料理とは、単なる広東料理の一派ではない。それは、この土地の歴史、文化、そして人々の逞しい生命力が凝縮された、一つの宇宙なのです。今回の旅では、高級海鮮料理の煌びやかな世界から、汗と湯気にまみれた庶民の食堂、そして私のライフワークである「極限の辛さ」の探求まで、香港の食の深淵を巡ります。この街が持つ、底知れぬ食のポテンシャルを、私の胃袋の限界をもって解き明かしていきましょう。

    目次

    香港の食文化の根源 – 広東料理の真髄に触れる

    香港の食を語る上で、その揺るぎない土台となっているのが広東料理です。古くから「食は広州に在り」と称されるほど、広東省の食文化は豊かで洗練されてきました。その伝統は、アヘン戦争以降、英国統治下で独自の発展を遂げた香港へと受け継がれ、さらに磨き上げられていくことになります。世界中から人、モノ、金が集まる国際都市として、香港は最高級の食材と一流の料理人を惹きつけました。結果、伝統的な広東料理は、西洋の調理法や新しい食材を取り入れながら、より洗練され、華麗な「香港料理」へと昇華したのです。

    香港における広東料理は、大きく二つの顔を持っています。一つは、フカヒレやアワビ、ツバメの巣といった高級乾物を惜しげもなく使い、繊細な技術で素材の味を最大限に引き出す絢爛豪華な世界。もう一つは、街の食堂で手軽に味わえる「焼味(シウメイ)」や、活気あふれる市場で楽しむ海鮮料理といった、庶民の生活に根ざした力強い味わいの世界です。この両極端とも言える食文化が共存し、互いに影響を与え合っている点こそ、香港の食の奥深さと言えるでしょう。今回は、その両側面を味わうべく、まずは香港の食の原点ともいえるいくつかのジャンルに分け、その魅力の核心に迫ってみたいと思います。

    飲茶(ヤムチャ) – 朝の喧騒が生み出す至福の点心

    香港の朝は、湯気と人々のざわめきから始まります。その中心にあるのが「飲茶(ヤムチャ)」という、もはや香港の代名詞ともいえる食文化です。飲茶とは、文字通り「茶を飲む」こと。しかし、それは単にお茶を楽しむだけでなく、点心と呼ばれる小皿料理を囲み、家族や友人と語らう、香港人にとって欠かせない社交の場なのです。

    その起源は、広州の茶館に遡ります。かつては肉体労働者たちが休憩時間にお茶を飲む場所でしたが、次第に茶請けとして簡単な点心が提供されるようになり、それが現在のような豊かな食文化へと発展しました。香港の飲茶には「一盅両件(ヤッジョンリョンギン)」という言葉があります。これは「一杯のお茶と二つの点心」を意味し、飲茶の最も基本的なスタイルを表しています。この言葉からも、お茶が主役であり、点心はそのお供であるという本来の姿がうかがえます。

    私が訪れたのは、創業100年近い歴史を誇る老舗の茶樓「蓮香樓(リンヒョンラウ)」。ここは、今では数少なくなったワゴン式の飲茶を体験できる貴重な場所です。店内に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。円卓がひしめき合い、天井のファンがゆっくりと回り、広東語の会話が熱気を帯びて反響しています。席に着くと、まずはお茶の種類を聞かれます。定番のプーアル茶、鉄観音、ジャスミン茶などから選び、急須にお湯が注がれます。このお茶がなくなると、蓋を少しずらしておくのが「お湯を注いでください」という合図。言葉を交わさずとも通じる、この暗黙のルールもまた一興です。

    そして、飲茶のクライマックスがやってきます。点心を満載したワゴンを押すおばちゃん(點心阿姐)が「蝦餃(ハーガウ)!」「焼売(シウマイ)!」と威勢のいい声を張り上げながらテーブルの間を練り歩くのです。食べたい点心があれば、すかさずワゴンを止め、自分のテーブルに置かれた伝票にハンコを押してもらいます。このワゴンの争奪戦は、さながら戦場のよう。お目当ての点心を逃すまいと、人々がワゴンに群がる光景は圧巻です。

    まずは王道の「蝦餃(ハーガウ)」。半透明の浮き粉の皮から透けて見える、鮮やかなピンク色のエビ。口に運ぶと、皮は驚くほどにもちもちとしていながら、歯切れが良い。そして、中から現れるのはプリップリのエビ餡。エビ本来の甘みと旨味が口いっぱいに広がり、思わずため息が漏れます。次に手にしたのは「焼売(シウマイ)」。日本のものとは一線を画す、豚肉の力強い肉感と、上に乗せられたカニの卵のプチプチとした食感がたまりません。噛みしめるほどに肉汁が溢れ出し、プーアル茶の渋みがその脂を心地よく洗い流してくれます。

    ワゴンからは、他にも「叉焼包(チャーシューバオ)」の甘じょっぱい誘惑、「腸粉(チョンファン)」のつるりとした喉越し、「鳳爪(フォンジャウ)」(鶏の足の豆豉蒸し)のコラーゲンたっぷりの官能的な食感など、次々と魅力的な点心が運ばれてきます。どれもこれも、一つ一つが職人の手仕事を感じさせる、完成された小宇宙。この喧騒の中で味わう点心は、ただ美味しいだけでなく、香港という街のエネルギーそのものを食べているような感覚に陥るのです。近年は、ワゴン式ではなくオーダーシート式で注文するモダンな飲茶レストランも増えていますが、この古き良き時代の活気を体験することは、香港の食文化の魂に触れる上で、決して欠かすことのできない儀式だと私は確信しています。

    焼味(シウメイ) – 街角に漂う甘く香ばしい誘惑

    香港の街を歩いていると、ふと鼻孔をくすぐる甘く香ばしい匂いに足を止めることがあります。匂いの元をたどると、そこにはガラス張りの店先に、飴色に輝く鶏やアヒル、豚の塊がずらりと吊るされた光景が広がっているはずです。これこそが、香港のソウルフードの一つ「焼味(シウメイ)」の専門店。この蠱惑的なビジュアルは、食欲をダイレクトに刺激する、香港の街が生んだ最高のアートと言っても過言ではないでしょう。

    焼味とは、下味をつけた肉を специальная печь (専用の窯)でじっくりと焼き上げた料理の総称です。その歴史は古く、広東料理の伝統的な調理法の一つですが、香港ではより庶民的なファストフードとして、人々の生活に深く根付いています。ランチタイムにもなれば、焼味飯(シウメイファン)、つまりご飯の上に好みの焼味を乗せた丼を求めて、人々が行列を作ります。

    数ある焼味の中でも、代表格と言えるのが三つあります。まずは「叉焼(チャーシュー)」。日本のラーメンに乗っている煮豚とは全くの別物で、豚肉を麦芽糖や蜂蜜、香辛料を混ぜた特製のタレに漬け込み、吊るし焼きにしたものです。表面はカリッと香ばしく、中は驚くほどジューシー。噛むと甘辛いタレと豚の脂の旨味がじゅわっと溢れ出し、白いご飯がいくらあっても足りなくなります。特に、少し焦げ目がついた「半肥瘦(ブンフェイサウ)」(脂身と赤身が半々)の部分は、香ばしさと脂の甘みが凝縮された極上の一切れです。

    次に「焼肉(シウヨッ)」。これは皮付きの豚バラ肉を焼き上げたもので、いわゆるクリスピーポーク。その最大の特徴は、サクサク、カリカリに焼き上げられた皮の食感にあります。職人技が光るこの皮は、まるでクラッカーのように軽やかで、噛むと小気味よい音を立てて砕けます。その下には、しっとりと柔らかい肉の層と、とろけるような脂の層が待っている。この三層が織りなす食感のコントラストは、まさに至福。添えられたマスタードを少しつけて食べれば、脂の甘みがキリッと引き締まり、新たな味の次元が開かれます。

    そして、焼味の王様とも呼ばれるのが「焼鵝(シウオー)」、ガチョウのローストです。アヒルをローストした「焼鴨(シウアップ)」も一般的ですが、より高級で、豊かな風味を持つのが焼鵝です。秘伝のスパイスを腹に詰め、皮に何度もタレをかけながら焼き上げることで、皮はパリパリに、肉は驚くほどしっとりと仕上がります。その皮を噛み破った瞬間に広がる、野性味あふれる芳醇な香りと、滴り落ちるほどの肉汁。鶏肉やアヒル肉とは比較にならないほど濃厚な旨味は、一度食べたら忘れられないインパクトを残します。添えられた甘いプラムソースが、その濃厚な味わいに絶妙な酸味と甘みを加え、完璧なハーモニーを奏でるのです。

    私は旺角(モンコック)の裏路地にある、地元民でごった返す焼味専門店で、これら三種を盛り合わせた「三寶飯(サンボウファン)」を注文しました。無愛想な店主が巨大な中華包丁でリズミカルに肉を断ち切り、ご飯の上に乗せていく。その所作には一切の無駄がなく、長年培われた職人の魂が宿っていました。熱々のご飯と共に頬張る、甘く、香ばしく、ジューシーな肉の塊。これぞ、香港の日常に息づく、飾らない、しかし極上の美食体験。高級レストランの洗練された一皿も素晴らしいですが、この街の活気と共に味わう焼味飯には、人々の生活の匂いが染み込んだ、抗いがたい魅力があるのです。

    海鮮料理 – 水槽から食卓へ、究極の鮮度を味わう

    四方を海に囲まれた香港にとって、海鮮は食文化の根幹を成す重要な要素です。香港の海鮮料理の真髄は、何と言ってもその「鮮度」への徹底したこだわりにあります。多くの海鮮レストランでは、店先に巨大な水槽がずらりと並び、その中ではハタやシャコ、エビ、カニなどが元気に泳ぎ回っています。客はまず、この水槽の前で「海の幸」を吟味することから始めます。まるで水族館のような光景ですが、これはショーではありません。これから自分の皿の上に乗る食材を、自らの目で選び、その調理法まで指定する。これこそが、香港スタイルの海鮮料理の醍醐味なのです。

    この究極の鮮度を体験するべく、私は「香港の海鮮パラダイス」とも呼ばれる鯉魚門(レイユームン)へと向かいました。かつては小さな漁村だったこの場所は、今や狭い路地の両脇に海鮮問屋とレストランがひしめき合う、活気に満ちた海鮮ストリートとなっています。路地を歩けば、店先から威勢のいい呼び込みの声がかかり、水槽から跳ねる魚の水しぶきが飛んでくる。この生々しいまでのエネルギーこそが、鯉魚門の魅力です。

    私は一軒の問屋で、ひときゆわ目立つ巨大なシャコ(現地では「瀬尿蝦(ライニウハー)」と呼ばれる)と、鮮やかな赤色が美しいハタの一種である東星斑(トンシンパン)に狙いを定めました。店主と片言の広東語とジェスチャーで値段交渉を済ませると、彼は網で素早く魚をすくい上げ、ビニール袋に入れてくれます。その魚を持って、提携しているレストランへ。席に着くと、店員が調理法について尋ねてきます。香港の海鮮料理には、定番の調理法がいくつかあります。

    最も素材の味を活かすのが「清蒸(チンジェン)」。魚を丸ごと蒸し上げ、熱した油と醤油ベースのタレをかけた、シンプルながらも奥深い調理法です。これは、素材の鮮度に絶対の自信がなければ成り立ちません。私が選んだ東星斑は、この清蒸でお願いしました。やがて運ばれてきた一皿は、まさに芸術品。ふっくらと蒸し上がった真っ白な身は、箸を入れるとほろりと崩れます。口に含むと、驚くほど繊細で上品な甘みが広がり、後からネギと生姜の香りが追いかけてくる。過度な味付けは一切なく、魚本来が持つ極上の旨味を、寸分の狂いもなく引き出しています。これぞ広東料理の神髄、「鮮」を味わうということなのだと、深く納得させられました。

    一方、巨大なシャコは、より刺激的な調理法を求めました。スパイスハンターとしての血が騒いだのです。私が選んだのは「避風塘(ベイフォントン)」スタイル。これは、かつて台風を避けるために船が集まった「避風塘(シェルター)」で、漁師たちが食べていた料理が発祥とされています。大量の刻みニンニク、唐辛子、豆豉(トウチ)などをカリカリに揚げ、それを豪快に食材にまぶして炒める、スパイシーでジャンキーな魅力に満ちた調理法です。

    運ばれてきた避風塘炒瀬尿蝦は、まさに衝撃的なビジュアルでした。皿の上は、山のような黄金色のフライドガーリックと唐辛子で覆われ、その下からシャコの巨大な殻がのぞいています。手づかみで殻を割り、身を取り出して口へ。まず、サクサクとした衣の食感と、ニンニクの強烈な香ばしさがガツンとやってきます。そして、唐辛子のピリリとした辛さと豆豉のコクが一体となり、味覚を激しく揺さぶるのです。その刺激的な味わいの向こう側から、シャコ自身の濃厚な甘みがじわりと顔を出す。このコントラストがたまりません。ビールを流し込み、指についたスパイスまで舐めとりながら、夢中で食べ続けました。この避風塘こそ、洗練された広東料理のイメージを覆す、香港の持つ荒々しくもパワフルな食の一面を象徴する料理だと言えるでしょう。水槽から食卓へ、わずか数十分。このダイレクトな鮮度と、素材に応じて調理法を使い分ける懐の深さこそ、香港海鮮料理が人々を惹きつけてやまない理由なのです。

    街角のソウルフード – B級グルメ天国を歩く

    香港の食の魅力は、高級レストランのテーブルの上だけで完結するものではありません。むしろ、この街の真の顔は、名もなき路地裏の食堂や、湯気の立ち上る屋台にこそ隠されています。そこには、朝早くから夜遅くまで、香港人の胃袋と心を満たし続ける、安くて、早くて、そしてとてつもなく美味しい「ソウルフード」の世界が広がっています。英国統治時代の名残を感じさせる独特の食文化から、一杯に魂を込めた麺料理、そして思わず立ち止まってしまう魅惑のストリートフードまで。ここでは、香港の日常に深く溶け込んだ、愛すべきB級グルメの迷宮を彷徨ってみたいと思います。

    茶餐廳(チャーチャンテン) – 香港人の日常に溶け込む食の交差点

    香港の食文化を語る上で、絶対に外すことができないのが「茶餐廳(チャーチャンテン)」の存在です。これは、喫茶店と大衆食堂が融合したような、香港独自の飲食店。早朝から深夜まで営業し、洋食と中華がごちゃ混ぜになった膨大なメニューを提供し、香港人のあらゆる食のニーズに応える、まさに「食の交差点」のような場所です。

    そのルーツは、1950年代の香港にあります。当時、西洋式のレストランは高級で、一般庶民には手の届かない存在でした。そこで、地元の料理人たちが、安価な食材を使って西洋料理を模倣し、香港人の口に合うようにアレンジしたのが茶餐廳の始まりです。そのため、メニューには英国文化の影響が色濃く残っています。

    私が訪れたのは、油麻地(ヤウマテイ)にある、いかにも年季の入った茶餐廳。タイル張りの床、窮屈なボックス席、壁に貼られた手書きのメニュー。店内は、新聞を読む老人、急いで朝食をかき込むサラリーマン、おしゃべりに興じる主婦たちでごった返しています。相席は当たり前。見知らぬ人と背中合わせで、目の前の食事に集中する。この独特の距離感と活気が、茶餐廳の日常です。

    まずは、茶餐廳の象徴ともいえる飲み物「鴛鴦茶(ユンヨンティー)」を注文。これは、濃厚な香港式ミルクティー(港式奶茶)とコーヒーを混ぜ合わせた、香港ならではの発明品です。紅茶の渋みと香りに、コーヒーの苦味とコクが加わり、そこにエバミルクのまろやかさが全体を包み込む。一見すると奇妙な組み合わせですが、飲んでみると驚くほど調和がとれており、眠たい頭をシャキッとさせてくれる、パワフルな一杯です。

    そして、フードメニューの探求へ。まずは定番の「菠蘿油(ボーローヤウ)」。これは、メロンパンのような甘いクッキー生地を乗せて焼いた「菠蘿包(パイナップルパン)」に、厚切りの冷たいバターを挟んだもの。温かいパンの熱でバターがじゅわっと溶け出し、甘いパン生地と塩気のあるバターが口の中で一体となる瞬間は、まさに背徳的な美味しさ。カロリーのことなど忘れて、夢中でかぶりついてしまいます。

    ランチタイムには、「餐蛋麺(チャンダンミン)」も人気です。これは、インスタントラーメンの上に、ランチョンミートと目玉焼きを乗せただけの、極めてシンプルな一品。しかし、侮ってはいけません。出前一丁のジャンキーな味わい、ランチョンミートの塩気、そしてとろりとした黄身が麺に絡みつく様は、B級グルメの王道ともいえる中毒性を持っています。また、マカロニをチキンスープで煮込んだ「通粉(トンファン)」も、香港人の朝食の定番。素朴ながらも、胃に優しく染み渡る味わいです。

    茶餐廳は、単なる飲食店ではありません。ここは、香港人の喜怒哀楽が詰まった、生活の舞台なのです。スピーディーで、合理的で、ちょっぴり無愛想。でも、そこには確かな温かみと、人々を惹きつけてやまない魅力が溢れています。このカオスな空間で、鴛鴦茶をすすりながら菠蘿油を頬張れば、あなたもきっと、香港という街の本当の姿に一歩近づけるはずです。

    粥・麺 – 朝から夜まで、胃に染み渡る優しき一杯

    食べ歩きや刺激的な料理で少し疲れた胃を優しく包み込んでくれるのが、香港の粥と麺の世界です。これらは、朝食からランチ、夜食に至るまで、あらゆる時間帯で香港人に愛され続ける、まさに日々の暮らしに欠かせない存在。シンプルでありながら、その一杯一杯には、店の哲学とこだわりが深く込められています。

    まず特筆すべきは、香港の「粥(ジョッ)」です。日本の「お粥」を想像していると、その違いに驚かされることでしょう。香港の粥は、米粒の形がほとんどなくなるまで、長時間かけてじっくりと煮込まれています。その結果生まれるのは、ポタージュのように滑らかで、とろりとした極上の口当たり。そして、そのベースとなるスープには、干し貝柱や豚骨、鶏ガラなどから取った深い出汁の旨味が凝縮されています。

    私が訪れたのは、中環(セントラル)にある有名な粥専門店。メニューには、数十種類もの粥が並びます。定番は「皮蛋痩肉粥(ペイダンサウヨッジョッ)」。ピータンと塩漬け豚の細切りが入ったこの粥は、ピータンの独特のアンモニア臭とコク、そして豚肉の塩気が、優しい粥の味わいに見事なアクセントを加えています。トッピングの揚げパン「油炸鬼(ヤウザーグァイ)」を浸して食べれば、サクサクとした食感が加わり、さらに満足感が増します。一口すするごとに、滋味深い旨味が体中に染み渡り、内側からじんわりと温まっていく。これは、単なる食事ではなく、一種のヒーリング・フード。二日酔いの朝や、少し体調が優れない時に、香港人がこの粥を求める理由が痛いほどよくわかります。

    そして、粥と双璧をなすのが「麺」の世界です。中でも、香港を代表する麺料理といえば「雲呑麺(ワンタンミン)」をおいて他にありません。この一杯には、香港人の麺に対する並々ならぬ美学が詰まっています。まず、麺。伝統的な雲呑麺に使われるのは、アヒルの卵を練り込んだ「竹昇麺(チョッシンミン)」。極細でありながら、噛むとゴムのような独特の弾力と、パツンと切れる小気味よい歯ごたえがあります。この食感を損なわないよう、麺を茹でる時間は秒単位で管理されています。

    次に、スープ。大地魚(ヒラメの干物)や豚骨、エビの殻などから丁寧に取られたスープは、黄金色に澄み渡り、あっさりとしていながらも、魚介の豊かな香りと深いコクが感じられます。そして主役の雲呑。薄い皮の中に包まれているのは、プリップリの新鮮なエビのみ、というのが本場のスタイル。豚のひき肉を混ぜる店もありますが、上質な店ほどエビの食感を重視します。

    器に盛る順番にも、こだわりがあります。まずレンゲを置き、その上に雲呑を乗せ、最後に麺を盛り付け、スープを注ぐ。これは、麺がスープを吸って伸びてしまうのを防ぐための、先人の知恵なのです。この一杯をすする時、麺のコシ、雲呑の弾力、スープの香りが三位一体となって、口の中で完璧なハーモニーを奏でます。それは、派手さはないけれど、毎日でも食べたくなるような、深く、そして完成された味わい。香港には、ミシュランの星を獲得した雲呑麺の店さえ存在します。たかが麺、されど麺。この一杯に込められた職人たちの情熱は、間違いなく香港の食文化の誇りです。他にも、牛バラ肉を柔らかく煮込んだ「牛腩麺(ガウナムミン)」や、豚足の煮込みが乗った「豬手麺(ジューサウミン)」など、麺の世界はどこまでも深く、探求の旅は終わりません。

    街頭小食(ガイトウシウシッ) – 食べ歩きの悦楽

    香港の街の魅力は、そのダイナミックなストリートライフにあります。そして、その賑わいを一層カラフルに彩っているのが、「街頭小食(ガイトウシウシッ)」と呼ばれる、いわゆるストリートフードの数々です。旺角や銅鑼湾(コーズウェイベイ)といった繁華街の路地裏を歩けば、そこかしこから美味しそうな匂いが漂い、人々が串やカップを片手に立ち食いしている光景に出会います。この手軽で、安価で、そして抗いがたい魅力を持つ小食こそ、香港のエネルギーの源泉の一つなのです。

    数ある小食の中でも、最もポピュラーなのが「魚蛋(ユーダン)」、魚のすり身団子です。カレー風味のスパイシーなスープで煮込まれた魚蛋が、プラスチックカップに盛られて渡されます。一見すると地味ですが、これが実に美味しい。プリプリとした魚蛋の食感と、後を引くカレーの辛さが絶妙にマッチし、次から次へと串が進んでしまいます。特に、少し辛めの「辣魚蛋(ラッユーダン)」は、ビールのお供にも最高です。

    甘いものが欲しくなったら、「鶏蛋仔(ガイダンジャイ)」がおすすめです。これは、香港式のベビーカステラ、あるいはワッフルのようなお菓子。タコ焼き器を平たくしたような、独特の凹凸がある鉄板に、卵と小麦粉、砂糖などで作った生地を流し込み、焼き上げます。外側はカリッと香ばしく、中は驚くほどにもちもち。ベビーカステラ一つ一つが薄い生地で繋がっており、それを手でちぎって食べるのが香港流。プレーン味のほか、チョコレートや抹茶、チーズなど、様々なフレーバーがあるのも楽しみの一つです。焼き立ての甘い香りに包まれながら、熱々の鶏蛋仔を頬張る幸せは、何物にも代えがたいものがあります。

    そして、スパイスハンターとして、いや、一人の食の冒険家として見逃すことのできない存在が「臭豆腐(チャウダウフ)」です。その名の通り、強烈な匂いを放つ発酵豆腐を揚げたもので、屋台が近づくにつれて、その独特な香りが鼻を突きます。好き嫌いがはっきりと分かれる、まさに挑戦者のための小食。私も覚悟を決めて、一串注文しました。揚げたての熱々の豆腐に、甘辛いタレとチリソースをかけてもらいます。恐る恐る口に運ぶと…あれ?匂いほどの強烈なクセはなく、外はカリッ、中はとろりとした豆腐の食感が心地よい。そして、発酵食品特有の深いコクと旨味が、タレの甘辛さと相まって、意外なほどに美味しいのです。もちろん、鼻から抜ける香りは独特ですが、それはもはや個性。この味を知らずして、香港のストリートフードは語れない。そう確信させる、忘れられない体験でした。

    これら以外にも、豚の大腸を揚げた「炸大腸(ザーダイチョン)」や、イカのゲソを串に刺して焼いたもの、もち米を腸詰にした「糯米腸(ローマイチョン)」など、街頭小食の世界はまさに百花繚乱。一つ数十香港ドルで手に入る、小さな幸せ。これらをハシゴしながら街を歩くことこそ、香港観光の最高の楽しみ方の一つであると、私は断言します。

    スパイスハンターの挑戦 – 香港の「辛」を探求する旅

    さて、ここからはスパイスハンターとしての本領を発揮する時間です。一般的に、香港料理のベースである広東料理は、素材の味を活かす薄味で、辛さとは無縁というイメージが強いかもしれません。確かに、その側面はありますが、国際都市香港の食文化はそれほど単純ではありません。この街には、世界中の料理が集まり、そして独自の進化を遂げています。その中には、私の血を騒がせる、激しく、そして官能的な「辛さ」の世界が確かに存在しているのです。香港の洗練された美食の裏に隠された、もう一つの顔。汗と涙、そして歓喜に満ちた、私の「辛」の探求の記録をお届けしましょう。

    避風塘(ベイフォントン)炒蟹 – 嵐を避ける漁師が生んだスパイシー・レジェンド

    香港の辛さを語る上で、避けては通れない一皿があります。それが、先にも少し触れた「避風塘炒蟹(ベイフォントンチャウハイ)」、カニのスパイシーガーリック炒めです。これは単なる辛い料理ではありません。そこには、香港の歴史と、海と共に生きた人々の逞しさが詰まっています。避風塘とは、台風を避けるための船だまりのこと。かつて銅鑼湾の避風塘には、水上で生活する「水上人」と呼ばれる人々が多く住んでいました。彼らが船の上で、獲れたてのカニをありったけの香味野菜と共に炒めて食べたのが、この料理のルーツと言われています。

    この伝説の一皿を味わうべく、私は橋の下の薄暗いエリアに店を構える、通称「橋底辣蟹(キウダイラッハイ)」と呼ばれる有名店へと向かいました。店内に充満する、ニンニクと唐辛子が油で熱せられた、食欲を強制的にオンにする香り。これだけで、今日の戦いが壮絶なものになることを予感させます。

    メニューはシンプル。主役であるカニの大きさと、辛さのレベルを選ぶだけです。もちろん、私は迷わず「大辣(ダイラッ)」(激辛)をオーダー。しばらくして運ばれてきたその一皿は、もはや料理というよりは「事件」でした。巨大なマッドクラブが、山のようにこんもりと盛られた黄金色の物体に埋もれて、ほとんど姿が見えません。この黄金色の物体の正体こそが、避風塘スタイルの魂。大量のフライドガーリック、刻んだ唐辛子、豆豉(黒豆の発酵調味料)、そしてネギなどが混然一体となった、まさに「食べるスパイス」です。

    ビニール手袋をはめ、いざ戦闘開始。まず、カニの身を覆うこのスパイスの山を一口。サクサク、ザクザクとした軽快な食感と共に、ニンニクの圧倒的な香ばしさとコク、そして唐辛子のシャープで直接的な辛さが口の中を襲います。これは、ただ辛いだけではない。豆豉の深い旨味と塩気が、全体の味を引き締め、複雑で奥行きのある味わいを生み出しているのです。このスパイスだけで、白飯が何杯でもいけてしまう。

    そして、いよいよ本丸のカニへ。硬い殻を専用のペンチで割り、中に詰まった真っ白な身を引きずり出します。周りのスパイスをたっぷりと絡め、一気に口へ。次の瞬間、脳天を突き抜けるような衝撃が走りました。まず、カニの身の、信じられないほどの甘さと濃厚な旨味。そして、それを追いかけるように、スパイスの暴力的なまでの辛さと香ばしさが津波のように押し寄せるのです。甘さと辛さ、旨味と刺激。相反する要素が、口の中で激しくぶつかり合い、そして奇跡的に融合し、これまで味わったことのないような味覚のクライマックスへと到達します。

    汗が噴き出し、口の中は燃えるように熱い。しかし、箸(というか手)は止まらない。カニの甘みが、次の辛さを求めさせるのです。これは、もはや味覚の麻薬。夢中で殻を割り、身をすすり、指についたスパイスまで舐めとる。食べ終わる頃には、テーブルの上は殻の残骸で埋め尽くされ、私の顔は汗と満足感でぐしゃぐしゃになっていました。避風塘炒蟹。それは、香港の海の民が生んだ、荒々しくも計算され尽くした、至高のスパイシー・グルメ。この一皿に出会えただけでも、香港に来た価値があったと、心から思いました。

    譚仔三哥米線(タムジャイサムゴー) – 香港人のソウルスパイシーヌードル

    香港の若者文化と辛さを語る上で、今や絶対に欠かせない存在となっているのが「米線(マイシン)」と呼ばれる、米粉から作られた麺の専門店です。中でも、圧倒的な店舗数と人気を誇るのが「譚仔三哥米線(タムジャイサムゴー・マイシン)」、通称「三哥(サムゴー)」です。ここは、単なる麺料理店ではありません。自分好みにカスタマイズできる楽しさと、挑戦心をくすぐる辛さのレベル設定で、香港人の心を鷲掴みにしている、一大カルチャーなのです。

    三哥の魅力は、その自由度の高いオーダーシステムにあります。まず、ベースとなるスープを選びます。麻辣(マーラー)、酸辣(サンラー)、トマトなど数種類から選択。次に、10段階に分かれた辛さのレベルを決めます。辛さなしの「不辣(バッラッ)」から始まり、「10小辣」「5小辣」「3小辣」「2小辣」と数字が小さくなるほど辛さが増し、その上に「小辣」「中辣」「大辣」「特辣」、そして最狂の「麻辣(湯底)2-3辛」というレベルまで存在します。さらに、豚バラやホルモン、イカ団子、揚げ豆腐など、数十種類に及ぶトッピングから好きなものを選んで乗せることができるのです。

    スパイスハンターとして、私が挑むべきはただ一つ。最高レベルの辛さです。私はベースに「麻辣湯(マーラータン)」を選び、辛さはもちろん頂点の「特辣(ダッラッ)」、さらに追加で花椒の痺れを増す「3辛(サムホン)」をオーダー。トッピングには、スープを吸って旨味が増すであろう揚げ豆腐(豆卜)と、食感のアクセントに豚バラ肉(腩肉)を選びました。

    運ばれてきた一杯は、およそ食べ物とは思えない、禍々しいオーラを放っていました。スープは、ラー油と唐辛子で深紅に染まり、表面には花椒の粉がびっしりと浮かんでいます。立ち上る湯気だけで、むせるほどの刺激。覚悟を決めて、まずはスープを一口。

    …痛い。

    もはや、辛いという感覚を超えて、舌に鋭い痛みが走ります。唐辛子の直接的な辛さ(辣)と、花椒の舌が痺れて感覚がなくなるような刺激(麻)が、同時に、そして最大出力で襲いかかってきました。しかし、不思議なことに、その暴力的な刺激の奥に、確かな旨味があるのです。豚骨や鶏ガラから取ったであろう、土台となるスープのコク。そして、八角やシナモンなど、様々なスパイスが織りなす複雑な香り。これは、ただ辛いだけの罰ゲームのような食べ物ではない。辛さの向こう側にある、深い味わいを追求した、完成された料理なのだと直感しました。

    米線は、うどんのような見た目ですが、つるつるとした喉越しと、もちもちとした食感が特徴。この麺が、地獄のように辛いスープをたっぷりと持ち上げてくれます。一口すするごとに、全身の毛穴から汗が噴き出す。唇はヒリヒリと腫れ上がり、舌の感覚は麻痺していく。しかし、レンゲと箸は止まりません。辛さに耐え、次の瞬間にはまたスープを欲してしまう。この中毒性は、一体何なのでしょうか。トッピングの揚げ豆腐は、悪魔のスープを吸い込んで、口の中で辛さの爆弾と化します。豚バラ肉の脂の甘みが、束の間のオアシスのように感じられます。

    水を飲んでも気休めにしかならない。ただひたすらに、目の前の赤い悪魔と向き合い続ける。完食した時には、もはや意識が朦朧としていました。しかし、その疲労感と共に、とてつもない達成感と、一種の爽快感が体を満たしていく。この感覚、ランナーズハイに近いものがあるのかもしれません。譚仔三哥米線。それは、香港人が日常的に楽しむ、スリルと興奮に満ちた食のアトラクション。この街の若者がなぜこれほどまでに熱狂するのか、身をもって理解することができました。

    四川料理と湖南料理 – 本場の激辛が根付く街

    香港の辛さの探求は、香港生まれの料理だけでは終わりません。中国大陸と密接な関係を持つこの街には、中国各地の本格的な地方料理を味わえる名店が数多く存在します。中でも、辛さを語る上で欠かせないのが、中国二大激辛料理とも言われる「四川料理」と「湖南料理」です。

    四川料理の辛さは、「麻辣(マーラー)」という言葉に集約されます。唐辛子のヒリヒリする辛さ「辣(ラー)」と、花椒(ホアジャオ)の舌が痺れるような刺激「麻(マー)」。この二つの刺激が融合することで、複雑で奥行きのある、中毒性の高い辛さが生まれます。香港にある本格的な四川料理店では、この麻辣を一切手加減なしで提供してくれます。

    私が挑戦したのは、四川料理の代表格である「水煮魚(シュイジューユー)」。白身魚の切り身を、唐辛子と花椒を大量に浮かべた、真っ赤な油の海で煮込んだ、見た目からして殺傷能力の高い一品です。器の表面は、乾燥唐辛子と花椒の粒でびっしりと覆われています。恐る恐る油の層をかき分け、中の魚を口に運ぶと…まず、魚のふわっとした食感と淡白な旨味。そして、次の瞬間、味覚の全てを麻辣の嵐が支配します。辣の直接的な痛みと、麻のじわじわと広がる痺れ。汗が滝のように流れ、口の中は火事のよう。しかし、その奥にあるスパイスの香ばしさ、そして魚介の出汁が溶け込んだ油の旨味が、レンゲを止めさせてくれないのです。これは、辛さを楽しむというよりは、辛さと格闘し、その先に待つ恍惚を求める、一種の冒険です。

    一方、湖南料理の辛さは、四川料理とはまた趣が異なります。湖南料理は、花椒の「麻」はあまり使わず、唐辛子そのものの辛さや、酸味、塩辛さを前面に出した「香辣(シャンラー)」や「酸辣(サンラー)」が特徴です。よりストレートで、鮮烈な辛さと言えるでしょう。毛沢東の出身地としても知られ、彼もまた無類の辛いもの好きだったと言われています。

    湖南料理店では、「剁椒魚頭(ドゥオジャオユートウ)」を注文しました。これは、巨大な魚の頭を半分に割り、大量の刻み唐辛子の塩漬け(剁椒)を乗せて蒸し上げた、湖南省の名物料理です。真っ赤な唐辛子が魚の頭を覆い尽くすビジュアルは、水煮魚に負けず劣らずのインパクト。この剁椒が、湖南料理の辛さの要です。唐辛子の鮮烈な辛さに加え、発酵による独特の酸味と塩気が、魚の旨味とコラーゲンたっぷりのゼラチン質に見事に絡み合います。四川料理のような痺れはない分、唐辛子の辛さがダイレクトにガツンと来ます。しかし、その辛さが不思議と食欲を増進させ、特に魚の目玉の周りのトロリとした部分や、頬肉のプリプリした部分の美味しさを、極限まで引き立てているのです。食べ終わった後に残った、旨辛いタレを白飯にかけてかき込むのが、最高の締めくくりです。

    香港という美食の坩堝(るつぼ)では、広東料理の繊細さのすぐ隣で、こうした大陸の本格的な激辛料理が根付き、多くの食通たちを唸らせています。この多様性こそが、香港の食文化の底知れぬ魅力。スパイスハンターとして、私はこの街の持つ「辛さのポテンシャル」に、改めて最大の敬意を表したいと思います。

    デザートは別腹 – 甘美なる香港スイーツの世界

    激辛料理との死闘を繰り広げ、あるいは街歩きで小腹が満たされた後でも、香港の食の旅は終わりません。なぜなら、この街には「デザートは別腹」という言葉を現実のものにする、魅惑的なスイーツの世界が広がっているからです。香港のデザートは、単に甘いだけではありません。東洋医学の「医食同源」の思想が根付いた、体を潤し整える伝統的なものから、東西文化の融合が生んだモダンなものまで、そのバラエティは驚くほど豊かです。食後の口直しに、あるいは午後のひとときに。香港の甘美なる誘惑に身を任せてみましょう。

    糖水(トンソイ) – 医食同源を体現する癒しの甘味

    香港スイーツの神髄ともいえるのが、「糖水(トンソイ)」です。これは、直訳すれば「砂糖水」となりますが、実際にはフルーツや豆類、木の実、漢方の材料などを煮込んで作る、デザートスープの総称です。糖水の根底には、食材が持つ効能で体のバランスを整えるという「医食同源」の考え方があります。例えば、熱を冷ますもの、体を温めるもの、肌を潤すものなど、それぞれの糖水には目的があり、人々は自分の体調や季節に合わせて、ぴったりの一杯を選ぶのです。

    夜になると、街のあちこちに「糖水舗」と書かれた専門店が灯りをともします。私が足を運んだのは、佐敦(ジョーダン)にある老舗の糖水舗。壁一面に貼られたメニューには、数十種類の糖水の名が並び、どれを選ぶか本気で悩んでしまいます。

    まず試したのは、香港スイーツの女王とも称される「楊枝甘露(ヨンジーガムロ)」。マンゴーピューレとココナッツミルクをベースにした冷たいスープに、マンゴーの果肉とポメロ(文旦の一種)の果肉、そしてタピオカが入った、爽やかな一品です。マンゴーの濃厚な甘さと、ココナッツミルクのまろやかさ。そこに、ポメロのプチプチとした食感とほのかな苦みが絶妙なアクセントを加え、タピオカがつるりとした喉越しを演出します。それぞれの素材が完璧に調和し、口の中をリフレッシュしてくれる、まさに南国の楽園のような味わいです。

    次に、より伝統的な温かい糖水にも挑戦しました。選んだのは「芝麻糊(ジーマーウー)」、黒ごまの汁粉です。石臼で丁寧に挽いた黒ごまを煮込んで作られたこのデザートは、見た目は真っ黒ですが、口に運ぶと、黒ごまの驚くほど豊かで香ばしい風味が口いっぱいに広がります。とろりとして滑らかな舌触りと、じんわりと体に染み渡るような、優しく、そして奥深い甘さ。黒ごまは髪や肌に良いとされ、まさに「食べるエステ」とも言える一品です。

    他にも、小豆を煮込んだ「紅豆沙(ホンダウサー)」、緑豆を使った「緑豆沙(ロッダウサー)」、生姜の効いたスープに白玉団子が入った「湯丸(トンユン)」など、糖水の世界は実に奥深い。その日の気分や体調に合わせて、自分だけの一杯を見つける楽しみ。それは、香港の夜の、ささやかで、しかし確かな幸せなのです。

    モダンと伝統の融合 – 新世代スイーツ

    伝統的な糖水だけでなく、香港には西洋文化の影響を受けて生まれた、モダンなデザートも数多く存在します。その代表格が、今や世界的に有名になった「エッグタルト(蛋撻、ダンタッ)」でしょう。ポルトガル発祥のスイーツが、マカオを経由して香港に伝わり、独自の進化を遂げました。

    香港のエッグタルトには、大きく分けて二つのタイプがあります。一つは、パイ生地を使った「酥皮(ソウペイ)」タイプ。何層にも重なった生地は、ハラハラと崩れるほどにサクサクで、バターの豊かな風味が特徴です。もう一つは、クッキー生地を使った「牛油皮(ガウヤウペイ)」タイプ。こちらはタルト生地がしっかりとしていて、サクッ、ホロッとした食感が楽しめます。どちらの生地の中にも、とろりとして滑らかな、甘さ控えめのカスタードフィリングがたっぷりと詰まっています。焼きたてを頬張れば、熱々のカスタードが口の中でとろけ、思わず笑みがこぼれてしまう美味しさ。有名店では、一日中行列が絶えません。

    そして、フルーツの王様マンゴーを使ったデザートも、香港では絶大な人気を誇ります。特に「マンゴープリン(芒果布甸、モンゴーブディン)」は、多くのレストランで定番のデザートメニュー。新鮮なマンゴーの果肉をたっぷりと使ったプリンは、人工的な香料とは一線を画す、フレッシュで濃厚な味わいです。エバミルクをかけて食べるのが香港流で、まろやかさが加わって、さらに美味しさが増します。

    近年では、さらに新しい世代のスイーツも次々と登場しています。インスタグラムを賑わすような、フルーツやアイスクリームをてんこ盛りにした台湾風のかき氷や、賛否両論を巻き起こす強烈な香りのドリアンを使った様々なスイーツ、ヘルシー志向のビーガンスイーツ専門店など、香港のデザートシーンは常に進化を続けています。伝統を大切にしながらも、新しいものを取り入れて、独自のカルチャーを創造していく。そのダイナミズムは、香港のスイーツの世界にもはっきりと表れているのです。辛い料理で火照った舌を、甘く優しいデザートでクールダウンする。この最高の締めくくりがあるからこそ、香港の食の旅は、より一層忘れがたいものになるに違いありません。

    混沌の美食都市、その魂に触れて

    香港。この街を巡る食の旅は、まさに万華鏡を覗き込むような体験でした。早朝の茶樓の喧騒から始まり、街角に漂う焼味の香ばしい匂い、水槽で生命を躍動させる海鮮の輝き、そして茶餐廳の雑多でエネルギッシュな空気。そのすべてが、この街を形作る、かけがえのないピースです。

    洗練の極みである広東料理の繊細な味わいがあるかと思えば、そのすぐ隣には、ニンニクと唐辛子が猛威を振るう、荒々しくも官能的な避風塘の世界が広がっている。医食同源の思想に根ざした癒しの糖水もあれば、舌を麻痺させるほどの激辛米線に若者たちが熱狂している。高級とB級、伝統と革新、東洋と西洋。あらゆるものが境界線なく溶け合い、せめぎ合い、そして高め合っている。この予測不能な混沌こそが、香港の食文化の真髄であり、人々を惹きつけてやまない魅力の源泉なのでしょう。

    今回の旅で、私は数えきれないほどの皿を平らげ、胃袋の限界に何度も挑戦しました。その中で感じたのは、どの料理にも、それを作る人々の確かな哲学と、食べる人々の日々の暮らしが深く刻まれているということ。一杯の雲呑麺に込められた職人の矜持、一皿の焼味飯に込められた庶民の活力。香港の料理は、ただ空腹を満たすためだけのものではありません。それは、この過密で、変化の激しい都市を生き抜くための、エネルギーの源であり、魂の拠り所なのです。

    この街のネオンの下には、まだ私の知らない無数の「美味しい」が眠っているはずです。この深淵なる食の迷宮の探求は、まだまだ始まったばかり。この記事を読んだあなたが、いつかこの美食の摩天楼を訪れ、その魂の一端に触れる日が来ることを、心から願っています。

    さて、これだけ食べ、特に激辛料理との連戦を繰り広げれば、いかに強靭だと自負する私の胃腸も、さすがに悲鳴を上げます。遠征先でのコンディション維持は、プロのフードファイターとしての最低限の責務。そんな私の旅に欠かせない、長年の相棒がいます。それは、「太田胃散A錠剤」です。脂肪や肉類による胃もたれに強く、錠剤なので海外でも水さえあればサッと飲める手軽さがいい。特に避風塘炒蟹や焼味飯といった脂っこい料理の後、あるいは譚仔の激辛米線で胃が燃えるような感覚に陥った夜には、この小さな錠剤が、荒れた胃を優しく鎮め、翌日の戦いへの準備を整えてくれるのです。皆さんも、香港への食の冒険に出かける際には、信頼できる胃腸薬を忘れずに。健やかなる胃袋こそ、最高の旅のパートナーなのですから。

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    この記事を書いたトラベルライター

    激辛料理を求めて世界中へ。時には胃腸と命を賭けた戦いになりますが、それもまた旅のスパイス!刺激を求める方、ぜひ読んでみてください。

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