悠久という言葉が、これほど似合う都市が他にあるでしょうか。およそ3000年の歴史をその身に刻み、いくつもの王朝の都として栄華を極めてきた街、北京。そこは、壮麗な宮殿や城壁が往時の物語を静かに語る一方で、天を突く高層ビル群が未来への躍動を叫ぶ、過去と現在、そして未来がめまぐるしく交差する場所です。
一歩足を踏み出せば、皇帝が天に祈りを捧げた神聖な空気が肌を撫で、路地裏に迷い込めば、人々の飾らない笑い声と生活の匂いが心を和ませます。香ばしく焼かれた北京ダックの皮が奏でる軽やかな音、胡同(フートン)の石畳を駆ける自転車のベル、そして悠然と連なる万里の長城から見渡す、息をのむような絶景。北京の旅は、あなたの五感すべてを揺さぶり、忘れられない記憶を刻み込む体験となるでしょう。
この街は、ただの観光地ではありません。歴史の教科書で見た風景が、目の前に圧倒的なスケールで広がる感動。熱々の小籠包を頬張りながら、地元の人々と交わす束の間の笑顔。最先端のアートに触れ、この国のエネルギーを肌で感じる興奮。それはまるで、壮大な歴史絵巻の中に迷い込み、自らがその登場人物になったかのような感覚です。
さあ、準備はよろしいですか。歴史の重みと未来の輝きが同居する、唯一無二の都市・北京へ。あなたの知らない物語が、ここから始まります。
まずはここから。北京の「顔」ともいえる必見スポット
北京の旅は、この国の心臓部ともいえる場所から始めるのが王道です。数世紀にわたり中国の中心であり続けた圧倒的な存在感は、訪れる者の心を捉えて離しません。
紫禁城(故宮博物院)- 壮麗なる皇帝の宮殿を歩く
かつて天子のみが住むことを許された禁断の地、紫禁城。現在は故宮博物院として、その荘厳な姿を私たちに開示しています。北京の中心、天安門広場の北に位置するこの場所は、明と清の二王朝、実に500年以上にわたり24人の皇帝が君臨した政治と生活の舞台でした。
南の午門から足を踏み入れると、空気が変わるのを感じるはず。目の前に広がるのは、映画で見たままの、あるいは想像を遥かに超える壮大な世界です。広大な外庭を流れる金水河にかかる橋を渡り、太和門をくぐると、紫禁城のハイライトである「三大殿」が姿を現します。即位の礼や元旦の祝賀など、国家の最重要儀式が執り行われた太和殿。その威風堂々たる姿は、まさに天子の権威を象徴しています。続く中和殿、保和殿もまた、それぞれの役割を担った重要な場所。建物の配置一つひとつに、宇宙観や風水の思想が込められていることを知れば、その深遠さに改めて驚かされるでしょう。
政治の中心であった「外朝」を過ぎると、皇帝と皇族の私的な生活空間であった「内廷」へと続きます。皇帝の寝室であった乾清宮、皇后の宮殿であった坤寧宮、そしてその間に位置し「天と地の融合」を象徴する交泰殿。華麗な装飾や調度品からは、権力の頂点に生きた人々の暮らしぶりが垣間見えます。有名な映画『ラストエンペラー』で、幼い溥儀が走り回ったのはまさにこの場所。歴史の舞台に自分が立っているという事実に、不思議な感動がこみ上げてくるはずです。
90ヘクタールを超える敷地に、大小合わせて9000以上もの部屋があるとされる紫禁城は、あまりに広大。すべてを丁寧に見ようとすれば一日あっても足りません。事前に見たい場所を絞り、ルートを決めておくのが賢明です。音声ガイドを借りれば、それぞれの建物の歴史やエピソードを深く知ることができ、旅の満足度が一層高まります。
そして、紫禁城の北門である神武門を出たら、ぜひ向かいにある景山公園の頂上へ登ってみてください。そこから見下ろす瑠璃色の瓦屋根が幾重にも連なる紫禁城の全景は、まさに圧巻の一言。夕暮れ時に黄金色に染まる宮殿の姿は、きっと生涯忘れられない光景となるでしょう。
天安門広場 – 中国の「今」を体感する場所
紫禁城の南に広がる天安門広場は、中国という国家の象徴であり、そのスケールの大きさに誰もが圧倒される場所です。約44万平方メートル、一度に100万人を収容できるというその広さは、訪れる者にこの国の大きさを物理的に実感させます。
広場の中心には、革命で犠牲になった人々を追悼する人民英雄紀念碑がそびえ立ち、その南には建国の父・毛沢東が眠る毛主席紀念堂があります。東には中国の歴史と文化の粋を集めた中国国家博物館、西には国会にあたる人民大会堂。これら巨大な建築物に四方を囲まれた広場は、厳粛で独特の緊張感に満ちています。
天安門広場で最も印象的なイベントが、毎朝行われる国旗掲揚式と、日没時の国旗降納式です。一糸乱れぬ行進で現れる儀仗隊が、荘厳な国歌と共にゆっくりと五星紅旗を掲げる(降ろす)様子は、多くの中国人民にとって愛国心の源泉。その厳かな雰囲気を一目見ようと、早朝から多くの人々が集まります。この国の「今」の空気を感じたいなら、ぜひ一度体験してみてください。
広場に入るには厳重なセキュリティチェックがあり、身分証明書(外国人観光客はパスポート)の提示が求められます。時間に余裕を持って訪れるようにしましょう。ここは単なる観光地ではなく、中国の政治と歴史が凝縮された特別な場所。そのことを心に留めて散策すれば、ただ広いだけの空間ではない、この場所が持つ深い意味合いを感じ取れるはずです。天安門の楼上から広場を見下ろした毛沢東は、何を思ったのか。そんな歴史の瞬間に思いを馳せるのも、ここならではの過ごし方です。
天壇公園 – 天と地を繋ぐ祈りの聖地
紫禁城が皇帝の「地上の権威」を象徴する場所だとすれば、天壇公園は皇帝が「天との対話」を行った神聖な祈りの場です。明・清の皇帝が毎年、天に五穀豊穣を祈願したこの場所は、北京市民にとって今も大切な憩いの空間となっています。
公園のハイライトは、何と言っても祈年殿。瑠璃瓦の三重の円錐形の屋根が青空に映えるその姿は、北京のシンボルとしてあまりにも有名です。釘を一本も使わずに建てられたというこの木造建築の傑作は、天と地、そして四季を表す精緻な構造を持っており、古代中国の宇宙観を見事に体現しています。内部の柱や天井に施された極彩色の装飾も見事です。
祈年殿から南へ続く丹陛橋という長い参道を進むと、皇穹宇という小さな円形の建物に突き当たります。ここは祈年殿に祀る神の位牌を安置していた場所で、その周囲を囲む「回音壁」は、壁に向かって話した声が反対側にいる人に聞こえるという不思議な仕掛けで知られています。さらに南へ進むと、冬至に天を祀る儀式が行われた圜丘壇があります。三層の円形の祭壇で、中央に立つと自分の声が大きく反響して聞こえると言われており、ここが天と繋がる中心であることを実感させられます。
天壇公園のもう一つの魅力は、早朝から集まる地元の人々の活気ある姿です。広場のあちこちで太極拳や剣舞に興じる人々、大声で歌を歌う合唱団、二胡や笛を奏でる楽団、カードゲームに熱中する老人たち。そのエネルギッシュな光景は、厳かな史跡とはまた違った、北京の「生」の姿を見せてくれます。歴史的な建造物を見学するだけでなく、木陰のベンチに座って、そんな北京の日常風景をのんびり眺める時間も、また格別な旅の思い出となるでしょう。
時を超えて続く絶景。万里の長城で地球の大きさを知る
「不到長城非好漢(長城に至らざれば好漢にあらず)」。この有名な言葉通り、万里の長城は北京を訪れる誰もが憧れる場所です。人類史上最大の建造物ともいわれるこの長城は、ただの壁ではありません。山々の稜線に沿って、まるで龍のようにどこまでも続いていくその姿は、人間の意志の力と、悠久の時の流れを雄弁に物語っています。
八達嶺長城 – 最も有名でアクセスしやすい長城
北京から日帰りで行ける長城の中で、最も有名で整備が行き届いているのが八達嶺長城です。国内外の要人も数多く訪れており、「長城といえば八達嶺」というイメージを持つ人も多いでしょう。明代に修復された部分で、城壁やのろし台(敵楼)が美しく復元されています。
急な坂道や階段が続きますが、手すりが設置されるなど歩きやすく整備されているため、体力に自信のない方や子供連れでも比較的安心して楽しめます。さらに、麓から長城の上まで一気に登れるロープウェイや、スリル満点のスライダー(滑車)もあり、アトラクション感覚で長城を満喫することも可能です。
そのアクセスの良さと知名度から、特に週末や祝日は大変な混雑に見舞われます。人波をかき分けるようにして歩くことになるもしばしば。もし可能であれば、平日の早朝を狙って訪れるのがおすすめです。人の少ない時間帯に長城に立てば、吹き抜ける風の音と、どこまでも続く城壁の壮大なパノラマを独り占めできるかもしれません。眼下に広がる山々を眺めながら、かつて北方の騎馬民族の侵入に備えた兵士たちの想いに心を馳せる。そんな静かな時間を過ごせるはずです。
慕田峪長城 – 緑豊かな絶景と静寂を求めるなら
八達嶺の混雑を避け、より雄大な自然の中で長城を堪能したいという方には、慕田峪長城がおすすめです。北京市内からの距離は八達嶺とさほど変わりませんが、観光客の数は比較的少なく、ゆったりとしたペースで見学できます。
慕田峪長城の最大の魅力は、周囲を取り囲む豊かな自然との調和です。特に春の新緑や秋の紅葉のシーズンは、その美しさが際立ちます。色とりどりの木々の中に、灰色の長城が延々と続く光景は、まるで一枚の絵画のよう。カメラ好きにはたまらない風景が広がっています。
ここにもロープウェイやリフトが設置されており、体力を使わずに長城の上までアクセスできます。そして、帰りには全長1500メートルを超えるスライダー(滑道)で一気に山を下るのが大人気。風を切りながら山の斜面を滑り降りる爽快感は、忘れられない体験となるでしょう。長城の敵楼は密集しており、その建築様式も変化に富んでいるため、建築ファンにとっても見ごたえがあります。修復された美しい部分と、少し風化したままの部分が混在しており、よりリアルな長城の姿を感じることができるのも、慕田峪の魅力の一つです。
金山嶺長城 – “野長城”の風格を残す、写真家たちの聖地
よりワイルドで、手つかずの長城の姿に触れたい。そんな冒険心あふれる旅人や、本格的な写真を撮りたい方にぜひ訪れてほしいのが、金山嶺長城です。北京市内からは少し距離があり、アクセスもやや不便ですが、その分、訪れる価値は十分にあります。
金山嶺長城は「野長城(未修復の長城)」の風格を色濃く残しており、崩れかけた城壁や風化した敵楼が、時の流れの重みを静かに語りかけてきます。起伏の激しい地形に沿って、まるで大蛇がうねるように続く長城のラインは、八達嶺や慕田峪とはまた違った、荒々しくも美しい景観を見せてくれます。
特に、日の出と日の入りの時間帯は、写真家たちが「マジックアワー」と呼ぶ幻想的な光景が広がります。朝日に染まる長城、夕焼けに浮かび上がるシルエット。その神々しいまでの美しさは、見る者の心を深く揺さぶります。健脚向けのコースで、しっかりとしたトレッキングの装備が必要ですが、険しい道を乗り越えた先に出会える絶景は、何物にも代えがたい達成感と感動を与えてくれるはずです。ここから隣接する司馬台長城までトレッキングするコースも人気で、体力と時間に余裕があれば、ぜひ挑戦してみてください。
胡同(フートン)散策で感じる、北京の温かい日常
高層ビルが立ち並ぶ大通りのすぐ裏手には、灰色のレンガ壁と瓦屋根が続く、迷路のような路地裏の世界が広がっています。これが「胡同(フートン)」と呼ばれる、北京の伝統的な居住エリアです。胡同を歩けば、近代的な都市の顔とは違う、人々の温かい暮らしの息吹が感じられます。
南鑼鼓巷 – 古き良きと新しさが融合する人気ストリート
北京の胡同散策で最も有名で、常に多くの人で賑わっているのが南鑼鼓巷(ナンルオグーシャン)です。全長約800メートルのメインストリートには、伝統的な北京の軽食を売る店から、モダンなカフェ、個性的なデザインの雑貨店、夜には賑わうバーまで、新旧様々なお店がひしめき合っています。
ヨーグルトの老舗「文宇奶酪店」の宮廷チーズや、串焼き、揚げ菓子などを片手に食べ歩きを楽しむのが、ここの定番スタイル。メインストリートの喧騒も楽しいですが、このエリアの本当の魅力は、そこから東西に伸びる無数の細い胡同にあります。一歩脇道に足を踏み入れると、先ほどの賑わいが嘘のような静かな空間が広がります。洗濯物がはためき、玄関先で談笑する老人、路地で遊ぶ子供たち。そこには、今も変わらない北京の日常があります。
観光客向けに、人力三輪車(リクシャー)での胡同巡りツアーも用意されています。車夫さんの軽妙な解説を聞きながら、伝統的な家屋である「四合院」の中庭を少しだけ見せてもらったり、胡同の歴史を学んだりするのも面白い体験です。古き良き北京の風情と、現代の若者文化が絶妙にミックスされた南鑼鼓巷は、北京の多様性を象徴するような場所なのです。
煙袋斜街と后海 – 水辺の風景とノスタルジー
鼓楼の近く、什刹海(しーちゃーはい)エリアに位置する煙袋斜街(イエンタイシエジエ)は、全長200メートルほどの短いながらも風情あふれる胡同です。その名の通り、かつてはキセルなどの喫煙具を扱う店が多く集まっていたことから名付けられました。
現在では、骨董品や工芸品、ユニークな土産物を売る店や、老舗の飲食店が軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。通りを抜けると、目の前には后海(ホウハイ)と呼ばれる大きな湖が広がります。湖畔には柳の木が揺れ、その周りを囲むようにしておしゃれなレストランやバーがずらりと並びます。
昼間はボートに乗ってのんびりと水上散策を楽しんだり、湖畔のカフェでくつろいだりするのがおすすめ。そして、夜になるとエリア全体がライトアップされ、水面に映る光が幻想的な、ロマンチックな雰囲気に包まれます。ライブミュージックが流れるバーで一杯傾けながら、北京の夜長を楽しむのも一興です。歴史的な街並みと美しい水辺の風景が融合したこのエリアは、都会の喧騒を忘れさせてくれる、とっておきの癒やしスポットです。
五道営胡同 – アートとカルチャーが薫る、洗練された路地裏
チベット仏教寺院である雍和宮(ようわきゅう)のすぐそばに、静かで洗練された空気が流れる五道営胡同(ウーダオインフートン)があります。南鑼鼓巷ほどの派手さや混雑はありませんが、その分、落ち着いた雰囲気の中でじっくりと散策を楽しみたい人にはぴったりの場所です。
この胡同には、新進気鋭のデザイナーが手がけるブティックや、こだわりのコーヒーが味わえる隠れ家的なカフェ、現代アートを展示する小さなギャラリーなどが点在しています。どこかヨーロッパの裏通りを思わせるようなおしゃれな雰囲気と、古き良き北京の胡同の佇まいが見事に融合し、独特の魅力を放っています。
一つひとつのお店を覗きながら、お気に入りの一品を探したり、センスの良いカフェのテラス席で道行く人を眺めながら時間を過ごしたり。クリエイティブなエネルギーに満ちたこの場所は、北京の新しいカルチャーシーンを肌で感じることができるスポットとして、感度の高い若者や外国人から人気を集めています。雍和宮を訪れた後に、ふらりと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
食は万里を超える!北京グルメ探訪
北京の旅の楽しみは、史跡巡りだけではありません。数々の王朝の都として、中国全土から最高の食材と料理人が集まったこの街は、まさに食の都。皇帝が愛した豪華絢爛な宮廷料理から、庶民に愛されるソウルフードまで、その食文化はどこまでも深く、そして豊かです。
北京ダック – これを食べずして北京は語れない
北京料理の王様、いや、中国料理全体のスターと言っても過言ではないのが、北京ダック(北京烤鴨)です。飴色の皮はパリパリと音を立て、その下にはジューシーで柔らかな肉が隠れている。想像しただけで、思わず喉が鳴ってしまいます。
この料理の命は、何と言ってもその皮。アヒルに空気を送り込んで皮と肉の間に隙間を作り、麦芽糖を塗ってじっくりと吊るし焼きにすることで、あの独特の食感が生まれます。焼き方には、薪を燃やして直火で焼く「掛炉(グワルー)式」と、炉を熱してその輻射熱で蒸し焼きにする「燜炉(メンルー)式」の二種類があります。掛炉式は皮が香ばしくパリッと、燜炉式は肉がしっとりとジューシーに仕上がるのが特徴です。
テーブルに運ばれてきた丸ごとのアヒルを、専門の料理人が目の前で鮮やかに切り分けてくれるパフォーマンスも楽しみの一つ。薄い小麦粉の皮「薄餅(バオビン)」に、パリパリの皮と肉、ネギやキュウリの千切りをのせ、甘い味噌だれ「甜麺醤(テンメンジャン)」をつけて包んで食べるのが基本的なスタイルです。口に入れた瞬間に広がる、皮の香ばしさ、肉の旨み、野菜の食感、そしてタレの甘みが一体となったハーモニーは、まさに至福の味わい。残った骨はスープにしてくれる店も多く、アヒル一羽を余すところなく味わい尽くすことができます。
市内に数ある専門店の中でも、「全聚徳(ぜんしゅとく)」は掛炉式の代表的な老舗。「便宜坊(べんぎぼう)」は燜炉式の元祖として知られています。また、近年では「大董(ダードン)」のように、伝統的な製法に現代的なアレンジを加え、ヘルシーで見た目も美しい革新的な北京ダックを提供する店も人気を集めています。どの店を選ぶかによっても体験が変わる、奥深いグルメです。
庶民の味、炸醤麺(ジャージャー麺)から朝食の定番まで
北京の食の魅力は、高級料理だけではありません。地元の人々が日常的に愛する庶民の味にこそ、この街の魂が宿っています。
その代表格が、炸醤麺(ジャージャー麺)。日本のものとは少し異なり、豚のひき肉を甘辛い味噌で炒めた肉味噌「炸醤」を、茹でたての麺の上にのせ、キュウリや大豆、大根などの多彩な野菜の千切りと一緒によくかき混ぜて食べます。店ごとに、家庭ごとに味が違うと言われるほど、北京っ子にとってはまさに「おふくろの味」。シンプルながらも滋味深い味わいは、一度食べると癖になります。
朝の北京の街を歩いていると、湯気が立ち上る店先で多くの人が食べているのが包子(バオズ)、つまり肉まんです。ふかふかの皮の中にはジューシーな肉餡がたっぷり。一つ食べれば、一日を元気にスタートできます。習近平国家主席が訪れたことで一躍有名になった「慶豊包子舗」は、多くの支店を持つ人気のチェーン店です。
そして、北京のソウルフードとして異彩を放つのが、豆汁(ドウジル)です。緑豆を発酵させて作る灰色の飲み物で、ヨーグルトのような酸味と独特の匂いがあり、初めての人は顔をしかめることも少なくありません。しかし、これに揚げパンの一種である焦圏(ジアオチュエン)を浸して食べるのが、生粋の北京っ子の粋な朝食。勇気を出して挑戦してみれば、あなたも北京通の仲間入りかもしれません。
羊肉しゃぶしゃぶ(涮羊肉) – 冬の北京の風物詩
厳しい寒さが訪れる北京の冬。そんな季節に人々が体を温めるためにこぞって食べるのが、羊肉のしゃぶしゃぶ「涮羊肉(シュワンヤンロウ)」です。
テーブルの真ん中に置かれるのは、煙突が突き出た独特の形をした銅製の鍋。炭火で熱せられたスープがぐつぐつと煮え立つ中に、紙のように薄くスライスされた新鮮な羊肉をさっとくぐらせます。火が通った肉を、ゴマをベースにした濃厚なタレにつけて口へ運ぶ。羊肉特有の臭みはほとんどなく、その柔らかさと旨みに驚くはずです。白菜や豆腐、春雨などの野菜も一緒に煮て、最後は残ったスープで麺を締めくくるのが定番。
モンゴル民族の食文化にルーツを持つこの料理は、友人や家族と鍋を囲み、わいわいと語らいながら食べるのが最高です。体の芯から温まり、心も満たされる涮羊肉は、北京の冬を体験する上で欠かせない味覚です。
宮廷料理と新派京菜 – 華麗なる食の世界
かつて紫禁城の中で、皇帝や皇族のために作られた宮廷料理。最高級の食材を使い、気の遠くなるような手間と時間をかけて作られるその料理は、味はもちろんのこと、見た目の美しさも追求した、まさに食の芸術品です。西太后が愛したとされる料理の数々を再現したコースなどを提供する高級レストランでは、皇帝気分でその華麗なる食の世界を体験することができます。
一方で、伝統的な北京料理の技法をベースに、西洋料理の要素や現代的な感性を取り入れた「新派京菜(シンパイジンツァイ)」、あるいは「ヌーベルシノワ」と呼ばれる新しいスタイルの料理も注目を集めています。洗練された空間で供される、創造性あふれる美しい一皿は、伝統的な北京料理とはまた違った感動を与えてくれます。北京の食のシーンが、常に進化し続けていることを実感できるでしょう。
アートとショッピング、夜の煌めきに酔いしれる
歴史と伝統の街・北京は、同時に中国で最もエキサイティングな現代文化が生まれる場所でもあります。刺激的なアートシーン、巨大なショッピングエリア、そして眠らないナイトスポット。この街の持つもう一つの顔を覗いてみましょう。
798芸術区 – 工場跡地が変貌したアートの拠点
北京の北東部に位置する「798芸術区」は、もともと旧東ドイツの協力で建設された国営の電子部品工場だった場所です。2000年代初頭、使われなくなったこの広大な工場跡地に、安いアトリエを求めて芸術家たちが移り住み始めたことから、中国を代表するアートの発信地へと変貌を遂げました。
ノコギリ屋根が特徴的なバウハウス様式の工場建築がそのまま残るエリアには、今や最先端の現代アートを展示するギャラリーやアーティストのアトリエ、おしゃれなカフェ、ユニークなデザインショップなどが無数に点在しています。壁にはグラフィティが描かれ、屋外には巨大なオブジェが置かれるなど、街全体がまるで一つの美術館のよう。
有名アーティストの企画展から、若手作家の実験的な作品まで、多種多様なアートに触れることができます。ただ歩いているだけでも、クリエイティブなインスピレーションが次々と湧いてくるような刺激的な空間です。アートにそれほど興味がないという人でも、この独特のインダストリアルな雰囲気とアートが融合した景観は、一見の価値があります。散策に疲れたら、リノベーションされた工場カフェで一休み。北京の今を象徴する、最もクールな場所の一つです。
王府井 – 老舗と最新が同居する巨大繁華街
北京でショッピングといえば、まず名前が挙がるのが王府井(ワンフージン)です。天安門広場の東に位置するこのエリアは、100年以上の歴史を持つ北京随一の繁華街。南北に延びる広い歩行者天国には、老舗の北京百貨大楼をはじめとする大型デパートや、世界的な高級ブランドの旗艦店、最新のファッションビルなどがずらりと立ち並び、常に多くの買い物客で賑わっています。
近代的なビルの間に、中国伝統の布靴で有名な「内聯昇(ないれんしょう)」や、香り高いお茶を扱う「呉裕泰(ごゆうたい)」といった老舗が今も健在で、新旧が入り混じった独特の雰囲気を醸し出しているのが王府井の魅力です。
通りの脇にある「王府井小吃街」という路地に足を踏み入れると、雰囲気は一変。提灯が灯る狭い通りに屋台がひしめき合い、様々なB級グルメの匂いが立ち込めます。ここでは、羊肉の串焼きや点心といった定番の軽食に混じって、サソリやヒトデ、タツノオトシゴの串焼きといった、観光客の度肝を抜くような珍品も売られています。食べる勇気があるかどうかは別として、その光景を眺めるだけでも面白い体験になるでしょう。
三里屯 – 北京の夜を彩るファッショナブルエリア
北京のナイトライフを満喫したいなら、三里屯(サンリートン)へ向かいましょう。多くの大使館が集まるエリアに隣接しているため、国際色豊かな雰囲気が漂う、北京で最もファッショナブルなスポットです。
その中心となっているのが、「三里屯太古里(タイグーリー)」という巨大な商業施設。ここは単なるショッピングモールではなく、個性的で斬新なデザインの建物が並ぶ、開放的な街区(ブロック)になっています。国内外のハイブランドから、人気のセレクトショップ、旗艦店を構えるApple Storeまで、洗練された店舗が集結しています。
そして、日が暮れると三里屯はその本領を発揮します。周辺には無数のバーやクラブがオープンし、北京の夜遊び好きや在住外国人で溢れかえります。落ち着いた雰囲気のジャズバーから、大音量の音楽が鳴り響くダンスクラブまで、その選択肢は様々。また、世界各国の料理が楽しめるハイレベルなレストランも多く、ディナーを楽しむ場所としても最適です。最新のファッションと刺激的な夜を求めるなら、三里屯は外せないエリアです。
ちょっと足を延して。北京郊外の魅力に触れる
北京の魅力は、市中心部だけにとどまりません。少し時間をかけて郊外へ足を延ばせば、そこにはまた違ったスケールの歴史と自然が待っています。
頤和園 – 西太后が愛した壮大な夏の離宮
北京の北西部に位置する頤和園(いわえん)は、清の時代の皇室庭園であり、西太后が莫大な国費を投じて再建し、こよなく愛した夏の離宮として知られています。その広さは約290ヘクタール、実に紫禁城の3倍以上にも及び、敷地の4分の3を昆明湖という巨大な人工湖が占めています。
この庭園は、自然の風景と人工の建築物が見事に調和しているのが最大の特徴です。湖畔に立つ万寿山の頂には、庭園のシンボルである佛香閣がそびえ立ち、そこからの眺めは絶景です。湖のほとりには、全長728メートルにも及ぶ「長廊」が続いています。梁には『西遊記』や『三国志演義』などの物語を描いた極彩色の絵が1万4000枚以上も飾られており、雨の日でも濡れることなく景色を楽しめるようにという、皇帝への配慮から作られました。
他にも、湖に浮かぶ巨大な大理石の船「石舫(せきほう)」や、優美なアーチを描く十七孔橋など、見どころは尽きません。園内をのんびりと散策するのも良いですし、龍の形をした遊覧船に乗って湖上から庭園を眺めるのもまた格別です。歴代皇帝が夢見た江南の風光明媚な景色を、この北の地に再現しようとした壮大なスケールと美意識に、ただただ圧倒されることでしょう。一日がかりで訪れたい、安らぎと感動に満ちた場所です。
明の十三陵 – 皇帝たちが眠る巨大な陵墓群
北京の北方約50キロ、天寿山の麓に広がる盆地に、明王朝の13人の皇帝とその皇后たちが眠る巨大な陵墓群「明の十三陵」があります。万里の長城と並び、世界文化遺産に登録されているこの場所は、風水思想に基づいて選ばれた完璧な吉相の地とされています。
広大な敷地には13の陵墓が点在していますが、現在、内部が一般公開されているのは、3代皇帝・永楽帝の「長陵」、13代皇帝・万暦帝の「定陵」、そして12代皇帝・隆慶帝の「昭陵」の三つです。
中でも必見なのが、定陵です。ここは中国で唯一、皇帝の墓の地下宮殿(玄宮)が発掘され、中に入ることができる貴重な場所。地下27メートルの深さにある石造りの広大な空間には、皇帝と二人の皇后の棺が安置されていた玉座や、一緒に埋葬されていた数々の副葬品が展示されています。ひんやりとした空気の中、数百年もの間閉ざされていた皇帝の最後の安息の地に足を踏み入れると、歴史の重みと一種の畏怖の念を感じずにはいられません。
また、陵墓群の入り口にあたる「神道(しんどう)」も見逃せません。約800メートル続くこの参道には、獅子や麒麟といった神獣や、武官・文官をかたどった巨大な石像が両脇にずらりと並び、荘厳な雰囲気を醸し出しています。そのスケールの大きさと静寂さは、訪れる者を皇帝の魂が眠る聖域へと誘います。多くの場合、万里の長城へのツアーとセットで訪れることができ、中国史の壮大さを一日で体感できる人気のコースとなっています。
北京旅行を成功させるための実践的アドバイス
壮大な歴史と文化が待つ北京。この魅力的な都市を最大限に楽しむために、いくつか知っておくと便利な実践的情報をお伝えします。
ベストシーズンと服装
北京を訪れるのに最も快適な季節は、春(4月~5月)と秋(9月~10月)です。この時期は「天高気爽(空は高く空気はさわやか)」という言葉がぴったりの気候で、気温も過ごしやすく、晴天の日が多くなります。柳の緑が芽吹く春、街路樹が黄金色に染まる秋、どちらも街歩きには最高のシーズンです。
夏(6月~8月)は気温が30度を超える日が多く、湿度も高いため、かなりの蒸し暑さになります。日差しも強いので、帽子やサングラス、日焼け止めなどの対策が必須です。一方、冬(12月~2月)はシベリアからの寒気の影響で、氷点下まで冷え込みます。空気は非常に乾燥しており、厳しい寒さですが、観光客が少なくなるオフシーズンなので、ゆったりと観光できるというメリットもあります。涮羊肉(羊肉しゃぶしゃぶ)など、冬ならではの楽しみも魅力です。
服装は、訪れる季節に合わせて準備しましょう。どの季節でも共通して言えるのは、とにかく歩きやすい靴が必須だということです。紫禁城や万里の長城など、広大な敷地を歩く場面が多くなります。
交通事情 – 地下鉄を使いこなそう
広大な北京市内を移動する上で、最も頼りになるのが地下鉄です。路線網が非常に発達しており、ほとんどの主要な観光スポットへ、安価かつ時間通りにアクセスすることができます。駅名や路線図は英語表記も併記されており、観光客にも分かりやすいです。
乗車のたびに切符を買う手間を省くなら、交通ICカード「一卡通(イーカートン)」を購入すると便利です。駅の窓口でデポジット(預かり金)を払って入手し、必要な金額をチャージして使います。地下鉄だけでなく、市バスでも利用でき、運賃割引も適用されるのでお得です。
タクシーも便利ですが、北京は交通渋滞が激しいことで有名です。特に朝夕のラッシュアワーは、車が全く動かなくなることも珍しくありません。時間に余裕がない場合は、地下鉄を利用するのが賢明です。DiDi(滴滴出行)などの配車アプリも普及していますが、利用には中国の電話番号や決済アプリが必要になる場合があります。
ネット環境と決済事情
中国では、インターネットの利用に注意が必要です。政府の規制により、Google(マップ、Gmail含む)、Facebook、X(旧Twitter)、Instagram、LINEなど、日本で日常的に使われている多くのウェブサイトやアプリにアクセスすることができません。これらを利用したい場合は、VPN(Virtual Private Network)というサービスを契約し、渡航前に自身のスマートフォンやPCに設定しておく必要があります。
Wi-Fi環境は、ホテルや一部のカフェなどで提供されていますが、接続が不安定なこともあります。常にインターネットに接続したい場合は、日本で海外用のWi-Fiルーターをレンタルするか、現地の空港などで旅行者向けのSIMカードを購入するのがおすすめです。
また、現在の中国ではキャッシュレス決済が驚異的な速さで普及しており、屋台のような小さな店でもQRコード決済(Alipay/支付宝、WeChat Pay/微信支付)が主流です。外国人観光客向けに、クレジットカードを紐づけて利用できるサービス(AlipayのTour Passなど)もありますが、設定が煩雑な場合もあります。念のため、ある程度の現金(人民元)を用意しておくと、いざという時に安心です。
言葉とコミュニケーション
公用語は標準中国語(普通話)です。五つ星ホテルや高級レストラン、主要な観光地のチケット売り場などでは英語が通じることもありますが、一般的にはほとんど通じないと考えた方が良いでしょう。
しかし、言葉が通じなくても過度に心配する必要はありません。行き先や欲しいものを漢字で書いたメモを見せれば、多くの場合は理解してもらえます。スマートフォンの翻訳アプリも非常に役立ちます。
そして何より、簡単な挨拶を覚えておくだけで、現地の人々との距離はぐっと縮まります。「你好(ニーハオ/こんにちは)」「謝謝(シエシエ/ありがとう)」「多少钱?(ドゥオシャオチエン?/いくらですか?)」。たどたどしくても、相手の言葉で話そうとする姿勢は、きっと歓迎されるはずです。北京の人々は、ぶっきらぼうに見えても親切な人が多いもの。少しの勇気で、旅はもっと豊かで思い出深いものになるでしょう。

