アンコールワットの荘厳な遺跡群、メコン川の雄大な流れ、そして人々の素朴な笑顔。カンボジアと聞けば、多くの人がそんな穏やかで美しい光景を思い浮かべることでしょう。東南アジアの宝石とも呼ばれるこの国は、世界中からの旅行者を魅了し続けてやみません。しかし、その輝かしい光の裏側で、今、深く暗い影が広がりつつあることをご存知でしょうか。
その影の正体は、国境を越えて組織化され、テクノロジーを駆使して人々を奈落の底に突き落とす「特殊詐欺」です。近年、カンボジア、特に沿岸部の都市シアヌークビルなどを拠点とした大規模な詐欺グループの存在が次々と明らかになり、国際的な問題へと発展しています。日本人が被害者となるだけでなく、甘い言葉で誘われた日本人が加害者として拘束され、強制的に詐欺行為に加担させられるという痛ましい事件も後を絶ちません。
この記事は、単なる危険情報や注意喚起ではありません。なぜカンボジアが詐欺の温床となってしまったのか、その背景にある社会構造を深く掘り下げ、最新のニュースから巧妙化する手口の全貌を徹底的に分析します。そして最も重要なこととして、これからカンボジアを訪れる旅行者が、あるいは日本にいる私たちが、どうすればその魔の手から身を守れるのか。出発前の準備から、現地での具体的な行動規範、そして万が一トラブルに巻き込まれた際のサバイバル・マニュアルまで、あなたが今すぐ行動に移せる「最強の自己防衛術」を網羅的にお伝えします。楽園のイメージだけで思考を止めてしまうのは、あまりにも危険な時代になりました。カンボジアの真の姿を知り、賢く、そして安全に旅をするための知識を、ここで手に入れてください。
カンボジアに限らず、他の東南アジアの楽園を訪れる際にも、同様の注意と準備が安全な旅の鍵となります。
カンボジア特殊詐欺の温床:なぜ「楽園」が犯罪者の巣窟となったのか?

なぜ、アンコール遺跡で知られるカンボジアが、国際的な犯罪組織の拠点として名を挙げられるようになったのでしょうか。その理由は、近年カンボジアが経験した急速な社会経済の変動と、そこから生じたさまざまな歪みに潜んでいます。なかでも、タイランド湾に面したリゾート地シアヌークビルの変貌は、この問題の象徴的な事例と言えるでしょう。
シアヌークビルの変貌:カジノブームがもたらした光と影
かつてのシアヌークビルは、白い砂浜と穏やかな海が広がる、バックパッカーや欧米の観光客に人気のあったのどかな港町でした。しかし、2010年代後半からその姿は一変します。中国の一帯一路政策の影響を受け、中国資本が急激に流入し、街は巨大な建設現場と化しました。目指したのは、カジノやオンラインギャンブルの巨大な拠点の形成でした。
高層ホテルやカジノ、リゾートマンションが次々と建設され、町はまるでチャイナタウンのように変わっていきました。カンボジア政府もこの開発を促進し、オンラインギャンブルのライセンスを多く発行しました。一攫千金を願う人々が国内外から集まり、街は一見賑わっているように見えました。しかし、この急激すぎる発展は両刃の剣となりました。インフラ整備は追いつかず、治安は悪化の一途をたどりました。そして2019年、カンボジア政府は国際的な非難を受け、オンラインギャンブルの全面禁止に方針を転換します。追い打ちをかけたのは、新型コロナウイルスのパンデミックでした。
観光客や投資資金が一斉に途絶えたシアヌークビルには、建設途中で放置されたゴーストビル群と、仕事を失った人々のみが残されました。この巨大な「空白地帯」に目をつけたのが、国際的な犯罪組織でした。彼らは空きビルを格安で賃借、あるいは不法に占拠し、閉鎖された「詐欺工場」へと変貌させていったのです。電気やインターネット環境だけが整っていたこの街は、皮肉にも国境を越えたサイバー犯罪の拠点として絶好の場所となってしまいました。
法執行の脆弱さと汚職構造
カンボジアに犯罪組織が根を張る背景には、国の統治体制そのものの課題があります。残念ながら、同国の法執行能力は十分とは言えず、特に汚職の問題が深刻です。国際的な腐敗状況を監視するトランスペアレンシー・インターナショナルの2023年腐敗認識指数によれば、カンボジアは180カ国中150位と依然として低い評価を受けています。
この現状は犯罪組織にとって非常に好都合です。賄賂を使って捜査をかわしたり、摘発情報を事前に入手することが容易となります。一部の権力者や法執行機関の関係者が犯罪組織と結びつき、その活動を見逃したり、あるいは積極的に支援したりしているケースも報告されています。こうした構造的な問題が、大規模な詐欺拠点の存在を許し、一度摘発されてもすぐ別の場所で再び活動を始める「いたちごっこ」を生み出しています。
「高収入」の甘い誘惑:標的にされる若者たち
詐欺拠点の運営には、実際に電話をかけたりSNSでメッセージを発信したりする多数の「実働者」が必要です。犯罪組織は、その人員確保のために巧みな罠をしかけます。主なターゲットは、経済的に困窮する自国の若者や、英語や日本語、中国語など外国語に堪能な外国人です。
SNSや求人サイトには、「カンボジアで高収入の仕事!」「データ入力、カスタマーサポート業務」「渡航費・宿泊費全額負担」といった魅力的な募集広告が並びます。これに惹かれて応募すると、待ち受けているのは地獄のような現実でした。現地に着くや否や、パスポートやスマートフォンを没収され、外部との連絡を絶たれます。そして詐欺行為への強制参加が始まります。
彼らは監禁状態に置かれ、厳しいノルマを課されます。ノルマ未達の場合、暴力や脅迫、食事を与えられないといった非人道的な扱いを受けます。逃げ出そうとすれば、さらなる暴力が振るわれ、多額の「違約金」を請求され、借金を負わされます。その結果、脱出不可能な状況に追い込まれます。こうして、本来被害者であった若者たちが、生きるために他人を欺く加害者へと転落していくのです。この人身売買と強制労働の側面こそ、カンボジアの特殊詐欺問題における最も悲惨で根深い部分と言えるでしょう。
最新ニュースから読み解く、巧妙化する詐欺手口の全貌
カンボジアを拠点とする特殊詐欺は、その手口を日々ますます巧妙に進化させています。もはや単純な「オレオレ詐欺」といった牧歌的なレベルではなく、最新技術を駆使し、人間の心理を巧みに操る非常に悪質な犯罪形態へと変貌を遂げています。今回は、最近の摘発事例や報道を通して、その実態を詳細に探ってみましょう。
日本人が日本人を騙す「かけ場」の実態
特に近年、深刻な問題となっているのが、カンボジアの詐欺拠点から日本人を標的にする詐欺です。驚くべきことに、詐欺の実行役の多くも日本人である点が特徴です。2024年1月には、シアヌークビルのホテルで日本人19名が拘束される事件が発生しました。彼らは、「かけ子」として日本国内の不特定多数の人々に対し詐欺電話をかける役割を担っていたとされています。
詐欺の手口は多様です。
- ロマンス詐欺: SNSやマッチングアプリを通じて、海外在住の軍人や医師、企業のエリートなどに扮し、長期間にわたり親密な関係を築きます。その後、「緊急の手術費用が必要」「日本で一緒に暮らすための資金を送ってほしい」などと虚偽の理由で多額の金銭をだまし取ります。感情を巧みに利用するため被害者は騙されていることに気づきにくく、数千万円に上る被害も珍しくありません。
- 投資詐欺: 「必ず利益が出る」「元本保証」といった甘い誘い文句で、実態のない暗号資産(仮想通貨)や海外不動産への投資を持ちかけます。始めは少額の利益を見せて信用を得た後、より大きな投資を迫り、その段階で連絡が途絶える典型的なパターンです。偽装した取引サイトなども用いるなど、非常に巧妙な仕組みです。
- 架空請求・サポート詐欺: 「有料サイトの未払い料金がある」「パソコンがウイルス感染している」といった虚偽の警告を表示し、電話をかけさせてサポート費用や解決金名目で金銭を要求します。支払いはプリペイド式電子マネーが多く指定されるのが特徴です。
なぜ日本人が標的になるのか。それは、言語の障壁がなく、日本の社会習慣や金銭感覚を熟知しているため、自然で信憑性の高い嘘を容易に作り出せるからです。加えて、経済的に豊かな日本は、犯罪組織から見て魅力的な「市場」となっています。こうした問題は、NHKなど複数の報道機関によって繰り返し報じられており、社会的にも深刻な課題となっています。
テクノロジーを悪用した新たな詐欺手法
現代の詐欺は、進化したテクノロジーを悪用することで、より見抜きにくくなっています。
- AI音声合成(ボイスクローニング): 少量の録音データをもとに、本物そっくりの声をAIで生成する技術です。これにより「オレオレ詐欺」で息子や孫の声を真似ることが可能となり、家族であっても騙されやすくなっています。
- ディープフェイク: AIを活用し動画内の人物の顔を別人に置換する技術です。悪用されると、知人や有名人が投資を勧めているかのようなフェイク動画を作成でき、視覚的証拠すら信頼できなくなる恐れがあります。
- 暗号資産を利用した資金洗浄: 詐欺で得た資金は追跡困難な暗号資産に交換され、世界中の取引所を経由してマネーロンダリングが行われます。この過程により警察の捜査が著しく困難になるケースが多発しています。
これらのテクノロジーは、SNSアカウントの乗っ取りや本物そっくりの偽サイトへ誘導するフィッシング詐欺と組み合わされ、相乗効果で被害のリスクが高まっています。インターネット上にあふれる情報や耳にする声を、無条件に信用してはならないという現実を直視しなければなりません。
旅行者を狙う伝統的詐欺と新たな落とし穴
カンボジアを訪れる旅行者自身が、現地で直接被害に遭う危険も依然として存在します。
- トゥクトゥクでのぼったくり: 通常の相場を大きく上回る料金を請求する古典的な手口です。乗車前に必ず料金を確認し、明確な合意を取り交わすことが重要です。
- 睡眠薬強盗: 親しげに声をかけて飲み物などを勧め、その中に睡眠薬を混入して眠らせた隙に金品を奪う悪質な手口です。知らない人から提供された飲食物には絶対に口をつけないよう注意が必要です。
- カジノでのトラブル: シアヌークビルや国境のポイペトなど多くのカジノがある地域では、イカサマ賭博に巻き込まれたり、負け分の取り立てで借金を強いられ、パスポートを没収され監禁される事件も報告されています。安易な気持ちでカジノに入るのは非常に危険です。
- Wi-Fiハッキングやスキミング被害: 観光客向けカフェやホテルが提供する無料Wi-Fiの中には、通信内容を盗み見る悪意あるものもあります。個人情報入力やネットバンキングの利用は控えましょう。また、ATMや店舗のカード決済端末にスキミング装置が仕掛けられている可能性も常に念頭に置く必要があります。
これらの詐欺手口は、古典的なものから最新のものまで多種多様ですが、共通点は旅行者の油断や不注意、「これくらい大丈夫だろう」という油断が狙われていることです。楽園の開放感が時として最大の落とし穴となることを肝に銘じるべきでしょう。
あなたは大丈夫?旅行者が今すぐできる、最強の自己防衛術

カンボジアにおける特殊詐欺問題の深刻さを踏まえたうえで、次に考慮すべきポイントは「自分自身をどのように守るか」という具体的な対策です。悲観的になる必要はありません。正しい知識を身につけ、適切な準備と慎重な行動を心掛けることで、リスクを大幅に軽減することが十分可能です。ここからは、あなたがすぐに実践できる最強の自己防衛術を、段階的にご紹介していきます。
出発前の準備:リスクを最小限にするための持ち物と心構え
旅の安全は、日本を出発する段階から始まっています。万全の準備があってこそ、現地での安心に繋がります。
準備しておくべき持ち物リスト
- セキュリティポーチ(腹巻きタイプ):パスポートや現金、クレジットカードなどの貴重品は必ず服の下に隠せるこのタイプのポーチに入れ、肌身離さず携帯しましょう。ショルダーバッグやリュックの外ポケットは、スリに狙われやすい場所です。
- ワイヤーロック・南京錠:バックパックのファスナーをロックしたり、ゲストハウスなどで荷物を柱に固定したりする際に役立ちます。置き引き対策の基本アイテムです。
- スマートフォン用紛失防止タグ(AirTagなど):万一スマートフォンや貴重品入りバッグを紛失・盗難された際に、位置を追跡できる可能性があります。
- 海外旅行保険の証書:加入は必須です。盗難だけでなく、病気やケガをした場合にも非常に役立ちます。証書の原本やコピー、そしてスマートフォンにデータとして保存しておきましょう。キャッシュレス対応の医療機関リストも事前に確認しておくと安心です。
- 緊急連絡先リスト:在カンボジア日本国大使館、加入した保険会社のサポートデスク、クレジットカード紛失盗難受付窓口の電話番号と営業時間をリスト化し、紙とスマホの両方に保存してください。スマホ紛失に備え、紙媒体のバックアップは非常に大切です。
- SIMカード/eSIM:現地で常にインターネットに繋がる環境を整えることは、安全確保の要です。地図アプリの利用や緊急時の情報検索、連絡手段として欠かせません。
日本で済ませるべき手続きと心構え
- 外務省「たびレジ」への登録:必ず行いましょう。3ヶ月未満の旅行者が渡航予定の情報を登録するシステムで、現地で非常事態が発生した際、日本国大使館から最新の安全情報や安否確認の連絡を受けることができます。オンラインで簡単に登録可能です。
- クレジットカードの不正利用検知サービスの設定:多くのカード会社は、不正利用の疑いがある決済を検知するとメールやアプリで通知するサービスを提供しています。出発前に必ず設定してください。
- 家族や友人への旅程の共有:フライト情報、宿泊先、予定の行動概要を信頼できる人に伝えておきましょう。もし連絡が途絶えた場合の重要な手がかりとなります。
- 最新の詐欺手口情報の収集:この記事を読んでいること自体が、リスク管理の第一歩です。詐欺の最新手口を知ることで、「怪しい」と感じるアンテナの感度が大きく向上します。
現地での行動指針:詐欺師を遠ざける「5つのNO」
現地に着いたら、心のガードを少し強めましょう。カンボジアの人々は多くが親切でフレンドリーですが、残念ながら悪意ある人物も存在します。以下の「5つのNO」を常に心がけて行動してください。
- NO.1: 安易な誘いには乗らない(Don’t follow blindly)
「日本語を勉強しているので話したい」「良いレストランを案内する」「孤児院の子どもたちにミルクを買ってほしい」など、親切を装った誘いには裏があることが多いです。特にトゥクトゥク運転手や路上で馴れ馴れしく話しかけてくる人からの誘いは、高額な物品を無理に売りつけられたり、危険な場所へ連れて行かれたりする危険が潜んでいます。丁寧であっても断固として断る勇気を持ちましょう。夜間に一人で出歩いたり、見知らぬ人から勧められた飲み物を飲むことは絶対に避けてください。
- NO.2: 個人情報は渡さない(Don’t share personal info)
安易にLINEやFacebookなどのSNSアカウントを交換したり、パスポートのコピーを渡したりしないこと。ホテルのチェックイン時など、正式な理由以外でパスポートを預けるよう求められたら警戒が必要です。また、カフェや空港の公共Wi-Fi利用時にオンラインバンキングやクレジットカード情報を入力するのは避けましょう。どうしても必要な場合は、VPN(仮想プライベートネットワーク)を使って通信を暗号化することをおすすめします。
- NO.3: 大金を見せない(Don’t show your cash)
支払い時に財布の中身を見せびらかす行為は、「狙ってください」と宣言しているようなものです。その日の行動に必要な分の現金だけを取り出しやすいポケットに入れ、残りはセキュリティポーチに保管しましょう。支払いに小額紙幣を使い、お釣りの誤魔化しにも気をつけてください。
- NO.4: うますぎる話は信じない(Don’t believe in “too good to be true”)
「ここでしか買えない特別な宝石」「カジノで必ず勝てる方法」「簡単なアンケートで高額報酬」など、あり得ない話は100%詐欺です。詐欺師は人の欲に付け込むのが常套手段です。冷静に考えれば不自然であることは明白です。一瞬でも「もしかして…」と思ったら、それが危険の兆候です。
- NO.5: 曖昧な態度は避ける(Don’t be ambiguous)
不要な勧誘や物売りに対して困った笑顔や曖昧な態度を見せると、「まだ可能性がある」と相手を勘違いさせ、しつこくつきまとわれる恐れがあります。興味がない場合は、相手の目をしっかり見て、はっきりと「NO, thank you.」と伝えましょう。毅然とした態度が無用なトラブル回避に不可欠です。
服装について:トラブル回避のためのTPO
服装も安全対策の重要な一環です。アンコールワットなど寺院を訪れる際は、肩と膝を隠す服装(Tシャツやロングパンツ、ロングスカートなど)が求められます。これは宗教的敬意を示すだけでなく、肌の露出を抑えることで悪意ある人物の目を引くリスクを減らす効果もあります。また、高価な腕時計や宝飾品、ブランド品で身を固めるのは避けましょう。自ら「私はお金を持っています」と宣言しているようなものになり、スリや強盗のターゲットになりやすくなります。現地の風景になじむシンプルで動きやすい服装が、最も安全かつ快適です。
もしもの時、どうする?トラブル発生時のサバイバル・マニュアル
どれだけ注意を払っていても、不運によりトラブルに巻き込まれる可能性は完全にはなくなりません。重要なのは、慌てず冷静に次の対応を見極めることです。万が一の事態に備え、このサバイバル・マニュアルをぜひ心の片隅に留めておいてください。
STEP1: まずは自身の安全を最優先に確保する
何よりも大切なのは、あなた自身の命と身体の安全です。
- 危険な状況から離れる: スリや詐欺に遭遇したり、危険を感じたりした場合は、犯人を追いかけたり口論したりせず、すぐにその場を離れてください。できるだけ人目の多い大通りやホテル、店舗など、安全な場所へ移動しましょう。
- 強盗に遭遇した場合の対応: もし相手がナイフなどの武器を使って金品を要求してきたら、決して抵抗せず冷静に従ってください。命の方が財布やスマートフォンよりもはるかに価値があります。犯人の顔つきや服装、特徴など記憶できる範囲で覚えておくように努めましょう。
STEP2: 関係機関へ速やかに連絡する
安全が確保できたら、直ちに以下の関係機関に連絡を取りましょう。初動の迅速さが被害拡大を防ぐとともに、その後の対応を円滑に進めるカギとなります。
- 警察 (Police):
まずは最寄りの警察署、できれば外国人対応に慣れた観光警察(Tourist Police)へ行き、被害を届け出てください。盗難や強盗被害の場合、「ポリスレポート(Police Report)」と呼ばれる被害届証明書の発行が極めて重要です。この書類がなければ、海外旅行保険の請求やパスポート再発行の手続きができません。言葉に不安があるなら、ホテルのスタッフやツアーガイドの助けを借りましょう。
- 在カンボジア日本国大使館 (Embassy of Japan):
パスポートの紛失・盗難、深刻な犯罪に巻き込まれた場合や拘束された場合は、躊躇せず大使館に連絡してください。パスポート再発行や帰国用渡航書の発行の案内、現地警察との連絡調整、家族への連絡支援など、多様なサポートを受けられます。ただし、大使館は個人の金銭トラブルや返金交渉、捜査には介入できません。あくまで日本国民の保護を目的とした公的機関であることを理解しておきましょう。
- 連絡先: 在カンボジア日本国大使館 公式サイト
- 電話番号: +855 (0)23-217-161~4
- 閉館時間・休日の緊急連絡: 上記電話番号にかけると案内があります。
- クレジットカード会社 (Credit Card Company):
クレジットカードやデビットカードを盗難・紛失したら、なるべく早くカード会社の緊急連絡先に電話して利用停止手続きを行いましょう。多くのカード会社は24時間対応の日本語窓口を設けています。不正利用を防ぐため、すぐに止めることが重要です。事前に連絡先リストをメモしておくと安心です。
- 海外旅行保険会社 (Insurance Company):
携行品の盗難や、病気・ケガをした際には、契約している保険会社のサポートデスクへ連絡してください。盗難時はポリスレポートの提示が必要です。病気やケガの場合はキャッシュレス提携病院を紹介してもらえ、現地で高額な医療費を負担することなく治療を受けられる場合があります。
返金や代替対応はどこまで期待できるのか?
辛い現実ですが、特殊詐欺やぼったくりで支払った金銭が返金される可能性は極めて低いのが現状です。犯人が逮捕されたとしても、お金はすでに別の場所に移されていることがほとんどです。だからこそ、「被害に遭わないための予防」が最も重要となります。
航空券やホテル予約に関するトラブル(例えばオーバーブッキング)については、航空会社や予約サイトのカスタマーサポートに連絡し、規定に基づく返金や代替便・ホテルの手配を依頼してください。予約確認メールなどの証拠は、すぐに提示できるよう準備しておきましょう。
公式情報を頼りに:信頼できる情報源の確保
状況は常に変わるため、カンボジアの治安状況や新たな詐欺手口など、最新かつ信頼できる情報を得るために、以下の公式サイトを定期的にご確認いただくことを強くお勧めします。
- 外務省 海外安全ホームページ:
国・地域ごとの危険情報や感染症情報、安全対策の基礎データなどが掲載されています。渡航前や滞在中に必ずチェックする習慣をつけてください。カンボジア関連ページには、具体的な犯罪手口や注意喚起も掲載されています。
- 在カンボジア日本国大使館ウェブサイト:
現地で起きた事件やデモ情報など、タイムリーで具体的な安全情報が「お知らせ」欄に掲載されます。たびレジに登録すると、これらの情報をメールで受け取ることができます。
個人のブログやSNSも参考にはなりますが、情報が古かったり不正確な場合もあるため、最終的な判断は必ずこれらの公式情報に基づいて行うことをおすすめします。
詐欺の裏側にある「もう一つの悲劇」:加害者もまた被害者である現実

カンボジアの特殊詐欺問題を考えるとき、多くの場合、私たちは「騙す悪者」と「騙される善良な人々」という単純な二項対立で捉えがちです。しかし、その背後にはさらに複雑で悲しい現実が存在しています。詐欺の現場で「かけ子」として働かされている多くの人々は、実は犯罪組織に騙され、人身取引に近い形でカンボジアに連れて来られた「被害者」でもあるのです。
彼らの多くは、経済的に困難な状況にあったり、より良い生活を夢見たりする若者たちです。「高収入の仕事がある」という求人詐欺に騙されてカンボジアに渡った途端、パスポートを没収され監禁されます。さらには、家族を人質に取られたり、多額の借金を背負わされたりして、詐欺行為への関与を強いられているのです。
彼らは武装した監視者によって監視され、劣悪な環境下で暮らし、逃げ出そうとすれば厳しい暴力を受けます。外部との連絡も厳しく制限されており、助けを求めることすら困難な状況です。生き延びるためには他人を騙し、犯罪組織に利益をもたらす以外に選択肢はありません。そのような過酷な状況に追い込まれているのです。日本人グループが摘発された事件でも、一部のメンバーは「逃げ出したかったが逃げられなかった」と証言しています。
もちろん、彼らが行う詐欺行為は決して許されるものではありません。しかし、彼らを単純に「犯罪者」として断罪するだけでは、問題の根本的な解決には至りません。この問題の根底には、国と国との経済格差や貧困、そして人を「商品」とみなす人身売買組織の存在があります。私たちが憎むべきは、個々の実行犯よりも、このような非人道的なシステムを築き、利益を貪る犯罪組織の首謀者たちなのです。
「加害者もまた被害者である」という視点を持つことは、カンボジアという国、そして世界が抱える闇の深さを理解するうえで非常に重要です。それは、私たちが旅行者として現地に赴く際に、より深く、思慮深い目でその社会を見つめるきっかけを与えてくれるでしょう。
未来への展望:カンボジアは安全な旅先へと変われるか?
特殊詐欺や人身売買の問題が深刻化する中、カンボジア政府も国際社会からの強い圧力を受け、対策に本格的に取り組み始めています。近年では、大規模な詐欺拠点の摘発が相次ぎ、数百人、多い時には千人単位の外国人が保護・拘束される事態となっています。周辺国や関係各国との連携による共同捜査も進展しており、犯罪組織を包囲する網は徐々に狭まってきていると言えるでしょう。
ただし、問題の根は非常に深く、撲滅への道のりは決して容易ではありません。腐敗構造が解消されない限り、摘発を免れたり、別の地域で再び活動を開始したりする組織が後を絶たない状況です。また、詐欺の拠点がカンボジアから、ミャンマーやラオスなど法整備が遅れている地域に移動する「風船効果」も懸念されています。
この問題を解決するには、カンボジア単独の努力だけでは限界があります。国際社会全体が協力し、犯罪組織の資金源を断ち、人身売買の供給網を分断するための、持続的かつ長期的な取り組みが求められています。
では、私たち旅行者にできることは何でしょうか。まず第一に、「被害に遭わない」ことが重要です。一人ひとりが正しい知識を持ち、詐欺師の標的にならないよう慎重に行動することが、犯罪組織の利益を奪い、その活動を鈍らせる効果につながります。そして、カンボジアの負の側面から目を背けず、その背景にある社会問題に関心を持つことも大切です。健全で持続可能な観光業の成長を願うなら、そのような問題解決を支持する世論を形成していくことも、間接的ながら重要な貢献となるでしょう。
カンボジアは計り知れない魅力と可能性を秘めた国です。壮大な歴史や豊かな自然、そして数々の困難を乗り越えてきた人々の強さと優しさがあります。この国の本来の輝きが、犯罪の影によって曇らされてはなりません。正しい知識と賢明な判断を持って旅をすれば、カンボジアはかけがえのない素晴らしい体験を提供してくれるでしょう。その美しい光を安全に味わうためにも、常に背後にある影の存在を忘れないでください。あなたの旅が賢明で安全、そして充実したものとなることを心より願っています。









