「反日」の裏で起きる“ねじれ現象”
福島第一原発の処理水放出をきっかけに、中国では官製メディアを中心に「日本たたき」とも言える報道が過熱しています。日本への嫌がらせ電話が相次ぎ、SNS上では日本製品の不買を呼びかける声が高まるなど、日中関係の緊張が伝えられています。
しかし、その一方で中国現地の様子は、メディアが報じる「反日一色」のイメージとは少し異なるようです。北京や上海などの大都市にあるイオンのスーパーマーケットやユニクロの店舗は、依然として多くの中国人買い物客で賑わいを見せており、政治的な対立と個人の消費行動の間に“ねじれ現象”が生じています。
ネット上の「日本たたき」と現実の消費行動
中国のSNS「微博(Weibo)」などでは、「日本の化粧品は買うな」「日本旅行をキャンセルした」といった投稿が目立ちます。しかし、実店舗に目を向けると、状況は一変します。
イオンの食品売り場では、日本の調味料や菓子類をカゴに入れる家族連れの姿が見られ、ユニクロでは、機能性とデザイン性を兼ね備えた衣料品を求める若者たちが商品を品定めしています。彼らの多くは、ネット上の反日的な言説と、日々の買い物を切り離して考えているようです。
なぜ「政治」と「消費」は分離するのか?
この一見矛盾した状況は、なぜ生まれるのでしょうか。背景には、中国の消費者が持つ複雑な心理と、日中経済の強固な結びつきがあります。
日本製品への根強い信頼
最大の理由は、品質や安全性に対する日本製品への根強い信頼感です。特に、食品や化粧品、衣料品といった日常生活に密着した分野では、「日本製」あるいは「日系ブランド」というだけで安心感を持つ消費者が少なくありません。
政府やメディアが処理水の危険性を繰り返し報じても、多くの消費者は「目の前にあるイオンの食品は安全だ」「ユニクロの服の品質は確かだ」という長年の経験に基づいた判断を優先していると考えられます。
過去の不買運動との違い
2012年に尖閣諸島問題で大規模な反日デモが発生した際には、日系企業の工場や店舗が破壊されるなど、物理的な被害が多発しました。
しかし、今回は当局が社会の不安定化を警戒していることもあり、抗議活動はオンライン上が中心となっています。実店舗への直接的な攻撃が少ないため、一般の消費者は比較的冷静に買い物を続けられる環境にあることも、客足が途絶えない一因と言えるでしょう。
データで見る日中経済の結びつき
個人の消費行動だけでなく、マクロなデータを見ても日中経済の結びつきの強さは明らかです。
巨大市場としての中国の存在感
例えば、ユニクロを展開するファーストリテイリングにとって、中国大陸・香港・台湾を合わせたグレーターチャイナ地域は、日本に次ぐ巨大市場です。2023年8月期の決算では、同地域の売上収益は6,202億円に達し、全体の2割以上を占めています。中国大陸だけで900を超える店舗網は、同社の成長に不可欠な存在です。
イオンもまた、1985年から中国に進出し、GMS(総合スーパー)事業を中心に各地で店舗を展開しています。これらの日系企業は、多くの現地従業員を雇用し、中国経済に深く根付いています。
今後の予測と旅行への影響
この“ねじれ現象”は今後どうなるのでしょうか。旅行者の視点も含めて考察します。
訪日旅行への影響は?
短期的には、訪日旅行への影響は避けられないでしょう。特に団体旅行のキャンセルや、新規予約の敬遠といった動きが懸念されます。日本政府観光局(JNTO)によると、処理水放出前の2023年7月時点でも、中国人訪日客数はコロナ禍前の2019年同月比で約7割の回復に留まっていました。今回の問題で、回復ペースがさらに鈍化する可能性があります。
一方で、個人旅行者の中には、政治と文化・観光を切り離して考える層も一定数存在します。SNS上の批判的な声が、全ての中国人の意向を反映しているわけではないことを理解しておく必要があります。
「政冷経熱」は続くか
政治的に対立しながらも経済的な関係は維持される「政冷経熱」と呼ばれる状況は、今後も続くと見られます。中国政府も、過度な反日感情が国内経済、特に日系企業が担う雇用や消費に悪影響を及ぼすことは避けたいと考えているはずです。
ただし、日本企業にとっては、中国事業における「ポリティカル・リスク(政治的リスク)」が改めて浮き彫りになった形です。今後は、市場の魅力とリスクの両方を天秤にかけた、より慎重な戦略が求められることになるでしょう。
旅行者が知っておくべきこと
これから中国への旅行や出張を計画している方は、現地の状況を多角的に捉えることが重要です。メディアで報じられる政治的な対立だけでなく、一般市民の冷静な日常生活も存在します。ネット上の言説に過度に惑わされず、現地のリアルな空気を理解しようとする姿勢が、より安全で有意義な滞在につながるはずです。

